僕は運動能力がなく、子供のころから体育の時間は休むほどの、体力も無く、野球もサッカーも何もできませんでした。 家が割と裕福だったので、祖母は私たち孫に、生前贈与で一人に1億円ずつ貯金させて、20歳過ぎたら使えるようでした。 なので、夏は海で水泳を、冬はスキーをしに高原の別荘に連れていかれ、なんとか少しはできました。 今の僕はKO大学を出て、ある一流出版社に入社しました。最初は芸能誌、次は女性誌、今は42歳で健康雑誌の編集長をしています。 妻も40歳ですが、僕と同じ芸能誌に入り、一緒に仕事をしていて、いつも徹夜仕事でいつの間にか、僕のマンションが仕事場に近いので2LDKに寝泊まりして、関係して17年前に結婚しました。 最初から性生活も上手くいきましたが、赤ちゃんが出来ずに30歳になって初めて妊娠、仕事を休めないと彼女は5か月目に会社を辞めました。子供が大きくなったら、また仕事で復帰をする約束でした。 赤ちゃんが7,8か月目に、デパートの階段で転げて、緊急に大学病院に入院したのですが、可哀想に流産したのです。 それからはなんとなく、欝病にかかり有らぬ事を口走るのです。妻の実家のある横浜に暫くは帰らせて、病気の治療に当たらせました。 半年後には家に帰ってきたのですが、その時のショックで夜の営みを断るようになり、強引に伸し掛かって性行為をしたこともあります。 でもアソコが全く濡れずに挿入不可の状態で、性交を諦めざるを得ませんでした。 その後、妻はある出版社の経験者募集で入社して、今は音楽雑誌の副編集長までに出世しています。 離婚はしませんでしたが、年に一度は2週間の休暇を取って外国旅行を楽しんでいます。 その時にSEXを求めるのですが「私はもうセックスには興味もないし、子供もいらない。貴方が浮気したり、風俗で性交しても文句は言わないから、だけど離婚はしません」と言います。 そう言われても直ぐには「はいそうですか」と他人とセックスはしませんでした。 運動神経のない僕が、仕事の都合でゴルフをすることになり、芝の有名なレッスンプロについて2カ月ばかり、午前中はレッスンしました。 そこは東京でも有名なゴルフ練習場で250ヤードはあり、銀座や赤坂の高級クラブのママも一緒にレッスンを受けていました。 6か月のレッスンも終わり、軽井沢のゴルフ場で卒業コンペを開きました。生徒は銀座や赤坂の高級クラブのママも多く、土、日の連休に有名なPホテルで泊まりました。 全員が一人部屋で、僕は祖母の愛人の関係で、かなりの株券がありホテルの無料招待券を利用して、スイートに泊まりました。 初めての人は少なく、僕も今までに10回以上はゴルフは楽しんでいます。 僕は運神が無いのですが、真面目に取り組むので、スコアはいきなり100回ぐらいで回り、10回目には98回で回っています。 この日も、72ゴルフの北コースを使って、10組でコンペをしました。 僕の相手は銀座でも有名なクラブの35歳ぐらいのママと、ある不動産屋の50ぐらいのオヤジ、それとやはり50歳ぐらいの料理屋の女将さんでした。 全員がハンデなしで、最高のスコアの人が優勝者です。 有名プロのお弟子さんが数人が参加していて、プレーの途中で入り色々と指導してくれました。 僕は午前中は51回、午後は47回の、98回で回り、ベスグロ優勝でした。 ある旅行代理店が参加していて、僕にはオーストラリア6日間の旅をペアで頂きました。 一緒に回った35歳の銀座の、高級クラブのママが物凄く応援してくれて「今度うちのクラブに招待するから来て」と言われるほどでした。 翌日も日曜日で、全員が抽選で組み合わせをして、プレーしました。偶然に銀座の35歳のママと同じ組でした。 お互いに「何で二日も一緒なのかしら」と不思議そうで「たぶん相性がいいんじゃないですか」とお世辞を言うと「そうかもね、なんかの縁だし、今後もゴルフを一緒に行きましょうね」 その日の夜は近くの中華料理屋で宴会をして、ホテルのカラオケルームで5,6人で歌いまくりました。 僕は編集長になってから、カラオケにはまりかなり上手らしいのです。 赤坂のクラブのママもお熱をあげて、ほとんどタダ同然で飲ませてくれます。その代わりには身体を求められてはいます・・・。 銀座のクラブのママは35歳ですから、もちろんパトロンがいての雇われママなのでしょう。 ほろ酔い機嫌で真夜中の軽井沢のゴルフ場の中を、手をつないで散歩しました。 大きな木の下で自然と唇を合わせてキスをしました。 短いスカートを捲るとナマ足で、いきなりショーツに触れて、ソコをまさぐると、もう前の淫部は湿り気を帯びて濡れています。 僕も思わずに勃起します。 ベルトを外されて、ブリーフを脱がされるともう天にも届けとばかりに、ガンガンに太く長く、硬く、松茸の笠のような亀頭からはスケベ汁が溢れていました。 グリーンのきれいな芝生の上に寝転んでお互いの陰部を弄りました。 下腹に張り付きそうなほど、反り返った硬直棒を指で手前に引きながら愛撫して呉れます。 ポッテリとした唇をソレに当ててフェラティオをしだしました。 僕もおずおずと両手の指を下腹部に伸ばして、ふっくらとした大陰唇に挟まれて、充血して飛び出している真珠のようなクリトリスに吸い付きました。 「おおおお〜う、すごいチンポだね、私も遊んでいるけどアメリカ人よりも硬くてすごいわね〜」とハーモニカを吹くように横に舐めます。 僕もちゅうちゅうとマンコの中の流れる愛液を吸い出しました。じゅるじゅる・・・じゅじゅる・・・。喉の渇きを癒す様に口の中を愛液が流れて、ゆっくりと舌をなぞらせました。 「ああああ〜ん、もういいんじゃないの、早く入れてよ〜」と甘え声を発します。 「だってスキンを持っていないし、すぐに発射したらママが困るだろう」と聞くと「ダテに銀座でママをしてるんじゃないわよ、何時でも中出ししてもいいわよ」と平気みたいです。 好物のアイスキャンディーを舐めるような彼女を、後ろ向きにして剥き卵のようなお尻を抱えて、四つん這いになったママのアナル目掛けて陰茎を突き立てました。 膣の入り口はさすがに抵抗があり、すぐには入らず絞めています。 後ろからクリトリスを愛撫しながら、Gスポット弄い、濡れそぼって口をあけた隙に思い切り挿入しました。 ぎゅうんと子宮の奥にまで根元を押し込むと、悲鳴にも似た喜悦の声を甲高く上げて、軽くアクメの様子です。 犬這いにさせて、白く滑らかな背中とくびれた胴に両手を掛けて、背後からピストン運動を続けました。 「ひひひ〜、そんなのずるいよ〜、ダメ〜、イっちゃうよ〜、イク、イクイクイクよ〜」 何回もオルガスムスを迎えて全身を痙攣しています。 「あああっ、またもイっちゃうよ〜、あ、アッ、あああ」 埋められた男根を淫肉が締め付けてきます。 最後の突き上げを膣の奥にたたきつけると、ペニスは雄々しい波動とともに雄の精を、ほとばらせていました。 打ち上げ花火が目の前でさく裂したように、快感が下腹部に大きく波打ちました。 お互いにぐったりと狂おしく悶えたので、ひくひくといつまでも痙攣が続きやがて、ぐったりと動かなくなりました。 7月とはいえ夜露が濡れたマンコとチンポに、冷たく降りかかります。 「もうダメ〜、貴方にぞっこんだわ〜、これからも愛してくれるかしら〜」大きな乳房を裸の胸に押しつけて、濃厚なキスをいつまでも繰り返していました。 「だって貴女みたいな銀座の女帝に僕のような男じゃ不釣り合いでしょ」というと、「別に面倒をみて貰うわけでもないし、SEXだけの関係だから、いいんじゃないの」とかなり呆気らかんとしています。 愛液でべとべとの身体を洗うために、僕の部屋に来ました。 「すごいスイートルームじゃないの、今夜はここで寝てもいいかしら」と大きなジャグジーで二人で、触りながら身体を洗うのでした。 「下着だけ取ってくるわ」と自分の部屋に戻り、その後は大きなクインズベッドでまたも2時間の性交を繰り返すのでした。 何回も逝ったのでお互いの性器は赤く腫れて、歩くのも棒が入ってるように辛そうでした。 僕のペニスもお湯でも染みるぐらいに腫れていました。当分性交は無理ですね。 (心に残る最高のセックス掲示板より 2007年7月14日) |
当分性交は無理、とかなんとかいいながら、一夜明けたら、さっそくまた交わったんじゃないんですか? 赤く腫れあがった性器、立たないチンポ、濡れないオメコを、雰囲気とテクニックでお互い奮い立たせて、痛みを超えるほどの快感の域に到達する。これが熟年のセックスってもんじゃあ〜りませんか。不倫だったら時間も限られるでしょうから、その間にいかに凄いことになるかを追求しなくちゃね。それにしても、さすがに銀座のママ。いつ中出しされてもいいだなんて。とはいえ、誰にでもさせるなんてことはない(逆に、安易に身体を差し出したりしないんじゃないかな?)でしょうから、あなたは銀座のママに認められた一流の男、と自惚れていいのでは? |