僕は1966年(昭和41年)生まれで、妻は‘68年生まれでした。結婚してちょうど16年も経ちました。子供は15歳の女児、13歳の男児の二人です。もう一人考えていたのですが、下の子供が3歳の時にぐずって、暴れてお腹の赤ちゃんを3か月で流産させたのです。 それ以来は子供を欲しがらなくなり、次第に性交時間も少なくなりました。いわゆる夜の営みで、あれだけ大好きだった妻が、休日の前日に伸し掛かると「止めて〜、そんな気分になれないの」と拒否するようになったのです。 あの流産以来物凄く妊娠が怖くなり、スキンなしではSEXはさせません。僕は昔から、性交は生でするのが好きで、どうもスキンのあのゴム臭さが苦手なんです。 あのソープの喜久恵も、必ず生出しをさせて呉れました。ですから週に1回はセックスがしたくてしょうがありません。 妻に言いました。「こんな事だと浮気するか、風俗店で射精しないと我慢できない」とまで言いました。 最初は困った顔をしていたのですが、「それじゃお口の中に出して〜」と暗にフェラを言い出します。 フニャ魔羅を妻の舌で嬲られると、それは力強く充血して日頃感じたことのない舌ざわりでした。 一度、二度と肉槍を妻の頬張っている口中で前後に動かします。 彼女の頬は両サイドが凹んで、息も絶え絶えに吸いこんでくれます。 大きな亀頭を舌で傘の裏や、陰茎の青い筋も下から先に向かって舐めあげます。彼女の白い喉元が陰茎を飲み込むように、上下に動いています。 妻の赤い唇が、私の股間の草叢の中で頭を動かしています。 「ぐにゅうぐにゅう〜っ、チュッポ〜チュッポ〜」仰向けの私の陰部の上で頭を振ります。 いきり勃った肉棒が痙攣し、溢れるようにスペルマを吐きだして彼女の口の中に広がりました。 濃厚な体液の風味が妻の口に射精され、むせびそうになっていますが、青臭い粘液を吐き出さずに、全部をぐいと飲みこみました。 生命保険の会社員は本社ばかりではなく、色んな支社に回されます。そのたびに色っぽい、保険勧誘員のおバチャンに誘惑されます。 僕はボートの選手でしたから、それこそ今でも身体は無駄な贅肉は無く、夏なんかは外回りをして汗みどろで帰社すると、汗でY シャツが濡れて、筋肉がもりもりと見えるのです。 渇くまでに外交員のオバちゃんはしっかりと、その肉体美を覗きこんで見ています。ですから物凄く誘惑が多いのです。 1回だけの浮気は10人ぐらいとしましたが、2回はしない約束を取り付けてします。 それと最近は携帯の写メで、奥さんのヌードを写して、脅迫に負けない手段を取っています。 もちろん性交の快感は最高に気持ちの良い奥さんもいれば、どうでもよい奥さんもいます。 でも前にも書きましたが、妻の膣は「三段締め」の名器なので、つい比較してしまい、余りのめり込みません。 39歳の3月に支店長に呼ばれて、新潟市の支社に転勤が決まりました。 最近の2回の大地震で、保険業務が大変忙しいのと、請求されても支払わない問題が発生して、会社としても大問題なので、日頃業績の良い僕が支店長代理で栄転です。 妻に相談したのですが、子供が高校と大学受験のさ中で、一緒には転勤したくないというのです。ですから月に2回は新潟にきて、洗濯や料理を作り、時々は性交もさせる約束をしました。 4月の1週目にはもう新潟に転勤していました。 新潟駅前に会社はあり、25名の社員と、25名の契約社員と、少ないですが生保セールスガールがいました。 早速支社長から、転勤の祝いと紹介がてらで最初はお寿司屋で食べ、二次会は古町通りのAという高級クラブで、幹部と何人かの社員が参加して行われました。 金曜日の夜なのでかなり混んでいました。 この当たりの飲み屋さんは全部が一つのビルの中にあり、一軒のビルの中に30店舗が入っているようです。 Aは新潟市内でも一番の格式ある高級クラブで、一人最低でも1万円は掛かるそうです。 ママは40歳で、もとは宝塚の女優さんでした。16歳から25歳まで、宝塚大劇場に出演したスターでした。 身長は妻とおなじ165pで、やはりCカップぐらいの飛び出しオッパイで、V字の胸から真っ白な乳房の膨らみが見えます。白い乳房の上に小さなホクロがエロっぽく印象的です。 「あらあ、Mさんて昔の恋人に似てるわ〜」と最初の挨拶です。 昔とはいえ恋人なんて言われれば、気分がいいものです。 それと妻の名前も「明子」ですから、もしかして結ばれても名前を絶叫できるな、などと良からぬ考えを持っていました。 1時間ぐらい若い美女に囲まれて、下ネタを披露していると、いきなりママが来て、「マキちゃんは、ゴルフはどうなの」と聞かれました。 ボートは部活でやっていましたが、ゴルフは父親の趣味で兄共々、千葉の船橋CCに良く連れていかれ、ハンデは10です。 でも会社の接待ではそれも封印されていて、あまりゴルフは出来ず、年に5,6回の腕前です。スコアもいくつで回れるかは解りません。 「私はママになって接待でゴルフを始めてちょうど3年目なの。「紫雲ゴルフ場」の会員なので、今週の日曜日にご一緒しませんか」というお誘いでした。 彼女のハンデは20で、一緒に回るお客さんはほとんどがシングルクラスでした。 日曜日に住んでいる近くの、ゴルフ練習場で待ち合わせしました。 白山公園そばの築20年の2LDKのマンションが僕の今の住まいです。 亜樹子ママも直ぐそばで、僕のマンションの数倍はしそうな億ションでした。 午前7時に集合して「紫雲ゴルフ場」に行くと、もう相手の方はお待ちでした。朝飯を食べてこなかったので、いきなり朝食を頂きました。ちょっとだけ練習して、直ぐに8時半にインスタートでした。 このコースは海岸のそばですごく松林が飛び出していて、風も強く難易度の高いコースでした。 最初のハーフは44回、ママは50回でした。他の人は40回と39回でかなり高レベルです。 お昼をコースの売店で軽く饂飩だけを食べて直ぐに、アウトに入ります。午後はそれでも久しぶりに快調で、41回で回れました。ママも49回で、100が切れて嬉しそうでした。 時々松林にボールが飛び込むので、一緒に探しに行くと、胸の開いたセーターから真っ白な乳房の隆起が見えて物凄く興奮しました。 なんとか賭けにも負けず、一度家に帰ってから午後の7時に古町通りの「かね清」というお寿司屋さんに集合でした。 大いに盛り上がり、東京ならたぶん2,3万円のお店でここでは一人5千円だそうです。 10時半ごろお開きにして、タクシーで帰宅しました。 ママと家が近いというので、一緒に相乗りしました。車の中で酔っ払ったのか、肩に寄りかかります。 「うちに寄りなさいよ、誰もいないから、お願いよ〜」と言われると、「ここからなら歩いても帰れるし」などと言い訳しながら降りました。 エレベーターに乗るや否や、いきなり猛烈なキスに襲われました。部屋に入る廊下もぐたっと寄り添って、鍵は僕が開けたくらいです。 「ちょっと照明をつけないで、お願いだから〜〜〜」 猛烈なキスを続けます。もう我慢できずにチンポがぐぐっと大きく聳えてきました。 「お風呂だけ入れてくるから、ここで待っていて」とベッドルームに連れていかれました。 お風呂場で洋服を脱いだようで、完全に全裸でベッドルームに入ってきます。僕もゴルフ場で洗っているので、匂わないだろうと、直ぐに洋服を脱ぎました。 努張し切った男の器官はほぼ45度の仰角で、対空砲の砲身のように天を睨み、充血して真っ赤にいきどおっている亀頭の先端からは、透明な液をタラタラと糸を引くように垂れていました。 ママはペニスの亀頭にふっと熱い息を吹き掛け、ツンツンと舌先で小突きました。そして一気に根元まで、その逞しい生き物を頬ばりました。 「んんんっ、でかいわね〜、久しぶりの大物よ〜、でもこれは初めてかも知れないわ〜」 くちゅくちゅと卑猥な音を立てて吸い込みます。 僕は豊かなママの乳房の頂点に唇を被せ、熟れ滾った紅色の苺を啄みました。「アアあ〜ん、いや〜ん、物凄く感じる吸い方ね〜」はばかりのない声を上げて、首を反けそり、親指と人差し指で摘んだ乳首は、ちょうど小豆の一粒のようでした。 色白の身体をしているだけあって、真っ白な内腿の間で、肉の果実があわい褐色に色づいただけでした。全く黒ずんでいないという事はあまり、性交の経験が薄いということです。 肉の畝は肉づきが良く、熟れたマンゴーのように膨らんで、亀裂が深く閉じていました。 女陰を組み立てている部品の一つ一つを、手で触れて観察しました。 ピッタリと張り合わさった小陰唇の尾根を撫で、その付け根の陰核に口ずけしました。 「あああううんん〜、最高よ〜、そろそろこれをチョウダ〜イ」とペニスを引き込みます。 暫くはお預けを楽しんでいたママの身体に、ようやく没入します。 膣の前庭に、普通以上のザラつきがあることは、指で探った時に解っていましたが、その粒立ちの多い猫の舌のようなザラツク壁に、陰茎を押しこみます。 ペニスにその収めた瞬間から、膣の火口は一斉に蠢き出し、うねくり、ぞよめき、貪り出しました。 「あああっ、死んじゃうよ〜、身体が浮くよ〜、浴びせて〜、胃袋まで突き上げられるよ〜、響くよ〜、お願い一緒にイって〜〜〜〜〜」 「亜樹子死んじゃうよ〜、ダメ〜〜」 幾たびのオルガスムスで全身は痙攣して、穴という穴から体液を撒き散らして、白眼を剥いて失神しました。 「純ナマを出すぞ〜」と叫んで、彼女のイクと同時に陰茎を膨らませて、熱い膣の中に煮え滾った情欲のツユを迸ばらせました。 これからもドラマは続きます。 でも若い時のソープの喜久恵にお礼を言わなければいけませんね。 次は温泉での混浴話と、妻の出番もあります。(怖いですよ〜) (熟年セックス体験告白掲示板より 2007年10月15日) |
「性交の快感は最高に気持ちの良い奥さんもいれば、どうでもよい奥さんもいます」には、笑ってしまいました。ど〜でもいいって、そりゃ、あんまりな。ところで、誰それさんは宝塚歌劇の元女優で、というのは意外とよく聞く話です。それだけ、たくさんの女優さんを輩出している、ということなんでしょうね。わかる人にはわかるので、詳しくは書けませんが、私の身近にも、元宝ジェンヌがいたりするんですよ。それはともかく、このママが性交の経験が薄いとはとても思えないけどなあ。黒ずみなんて、アテになんないとおもうんだけど、いかがだろうか。 |