「アシュール」のママ亜樹子さんと、35歳の芸者の小百合さんとは意気投合しました。最近は芸者稼業はかなり暇で、金・土・日以外の日はほとんど声が掛からずにお茶をひく日が多いみたいです。全盛期には月岡温泉だけでも、50名ぐらいの芸者がいて、勿論旅館では性行為は禁止ですが、新潟競馬などで大儲けした客が泊まり、そこで宴会をして話が纏まれば、近くのラブホでセックスをしたようです。 彼女は結婚は25歳で、ご主人は月岡温泉であるお寿司屋さんの板前だそうです。35歳で、でも最近は仕事に忙しいふりで、良く新潟には遊びに行きどうも好きな人がいるようだと疑っていました。日曜日の夕方に新潟に帰るという時に、小百合さんはママに「私も連れていってください。ママの部屋に泊めてください」と頼みました。いったんは家に戻り、旅支度をして旅館に戻ってきました。 4時ころ出ました。車の中でなぜ、レズになったのかの理由を聞きました。 彼女は本当は富山県の氷見市の出身なんですが、子供の頃からピアノをやりたくて、母親と富山市に移り住んだのです。 小学校、中学校と毎日ピアノをレッスン、年に2回ぐらいは定期演奏会に出ていてかなりの成績だったそうです。 そのころには女性の25歳ぐらいの芸大出の、先生にレッスンを付けて貰っていたらしいのですが、すごく厳しくよく鍵盤に指を叩かれたそうです。 女性というより何か男を感じていたらしいのです。高校1年(16歳)の夏休みにその先生の実家で、合宿をすることになったらしいのです。本当は同じ生徒が3人来る約束だったのに、彼女が行くと一人だけでした。でも豪邸で彼女のほかにはお手伝いさんがいるだけで、両親は東京住まいだったそうです。 最初の夜に、「一緒にお風呂に入ろう」と誘われて、「恥ずかしいから嫌です」と断ったのに、「入りなさい」と怒られたので、仕方なく入ったそうです。 彼女はまだ陰毛の手入れがしてなく、腿の付け根のデルタ地帯を覆う薄い陰りは、左右にこんもりと覆う柔らかそうな肉の盛り上がりがあり、かなり繊毛がその麓を彩っていたようです。 先生の身体は、まるでオッパイが小さく、白い肌の股間には密生した恥毛の草叢の土手にへばりついていました。割れ目を開くと陰核が親指くらいあり、皮を剥くとペニスみたいに尖っていたそうです。 彼女にいきなり抱きすくまれ、口づけをされたそうです。生まれて初めての体験で、身体が強張り思わずに涙ぐんで「お願いですから、止めてください。」と頼んだのに、キッスをしながらそのころには大きくなっていた、乳房と乳首を丹念に舐められたとか。 彼女は大人になって解ったのですが、男性と女性が同居している半陰陽だったのです。 ですから膣もあるけど、小さな陰茎もあったのです。 全身を丁寧に洗われて、全裸で和室の部屋に連れ込まれ、お布団に転がされて締まったようです。もう逃げられないと覚悟をその時にしたそうです。 でもずっと泣きだして困らせたのに、強引に伸し掛かり、羞恥の震えのある彼女の内股を思い切り開いて、指を膣の中に入れてきたそうです。そのころには彼女も軽い自慰行為らしきことは知っていたので、まあ我慢しようと覚悟しました。 その割れ目にはクレーターが走り、一条のうっすらと岸辺の若草の様なヘアが、肉の蛇口を覆っていました。 指でピンクの扉をこじ開けて、クリトリスの薄皮を剥いてそこにも唇を寄せたそうです。何回も何回もオシッコの出るあたりを擦られると、段々と気持ちが良くなり、オッパイや唇にキスされると、アソコから何か透明な液体が流れ出しました。 レスビアンの使う男棒を取り出して、彼女の膣に少しずつ挿入してきます。 「痛いよ〜、痛いよ〜」と泣き叫ぶのに、その棒を愛液でヌルヌルにして挿入されました。 確かにその時に処女膜は破瓜されたようです。 「ここを触りなさい」と、先生は自分の膣に指を入れさせました。 もうビチョビチョに濡れて、日頃の厳格な先生ではなく、美貌が醜く反して、肉の挟間は無暗に生々しく卑猥だったとか。甘いとろみをたたえた肉体の中心は、そこだけ媚びているように濃い色で蠢いていたそうです。 「ここを早く舐めなさい」と命令されて、膣を左右に自分で開いてクリトリスを舐めさせます。 磯の香りのする秘肉が、もうすっかりと性臭をさせて、とろとろと肉汁を出しました。 強引に男棒を入れて、自分の膣にも入れて、両方で挿入完了です。 何時間もかけてイクまで、本当に男女の様な性交がいつまでも続いたそうです。 あれ以来先生の自宅で、ピアノのレッスン後は必ずお風呂に入り、性行為をさせられたそうです。大学に入る時まで、それは3年間も続いて、やっと東京に逃げたました。 そのころに男性に恋されて、初めて男性のペニスを挿入して本当の性交の快感を得た様です。 卒業して、富山に戻ればまたあの先生に逢いそうなので、新潟で教員免許があるので、音楽の先生として小学校の教職に就いたのです。 友人の紹介で、この月岡でお寿司を握っている男性と付き合い、暫らくしてプロポーズされて結婚したのですが、当時その人には高齢な女性とのお付き合いがあり、二股を掛けられていたそうです。 仕方なく別れを告げると、泣いて謝り仕方なく教員を辞めて、月岡に住み付くと、今だにその女性と付き合いが続いており、仕方なく生活のために芸者になったのだそうです。 1時間ぐらい車の中でその事実を聞いていて、愕然としました。本当に現実は怖いですね。 でも僕らとの3Pで久しぶりの性交の快感に目覚め、今後も無料でいいので続けたいというお願いでした。 ママは「アシュール」で働かせるようでした。昔の愛人時代に貰って人に貸している部屋を、彼女に無料で貸すようです。続きはまた後日に・・・・。 (熟年セックス体験告白掲示板より 2007年10月22日) |
レズになるのにも、それなりの理由があるんですねえ。いや、無くてもレズになる人は、なるか。というよりも、エッチなことだけじゃなく、色々な人との出会いと別れが、その人を今の形に作りあげてゆく、ってことなんでしょうね。てことは、おいらも、あだやおろそかに人付き合いはできないってことか。 |