初めて書込みします。 私は高校生の頃同じサークルの後輩(女性)から告白され、最初はそう言う関係に興味が無かったのですが、合宿に行った時同じ部屋になり「お願い一度だけで良いから」とベッドの中に入ってきたので、遊び半分で関係を持ちました。でもそれから時々その後輩が求めてくるので「普通じゃ嫌よ」とSMをしてみたのですが自分の精緻に逢っていたのかSに目覚めてしまいました。 彼女とは大学まで続ましたが、卒業後彼女が実家に戻る事になって終わりました。 それからは普通の生活が続き、25歳の時父の会社の有望株(父談)と言われる男性と結婚しました。 しかし主人は出世目的で私と結婚した言わば政略婚だったので、2年もすると夜の生活は殆ど無くなり、5年目には完全なセックスレスになりました。 そんな時、主人の母が亡くなり、当時17歳の高校生だった一番下の義弟を長兄の主人が面倒を見ることになりました。 義弟が初めて家へ来た時、忘れていた本能が蘇ったと言うか「この子はMの素質が有る」とピンと来ました。 そしてその勘が主人への復讐心に火を付けたのかも知れません。当時脳梗塞で倒れ、リハビリで回復はしたものの、杖無しでは歩けなくなった父に代わり、会社を任された兄に言って主人を海外赴任させる事にしました(実は兄の弱みを握った居たので……、その弱みについては後日書きます) 義弟と二人きりの生活が始まって1ヶ月が過ぎた頃、罠を仕掛けてみました。 義弟が帰ってくる頃を見計らって鍵を掛けずにトイレに入って待っていました。案の定帰ってきた義弟は、私が入っているとは知らずに扉を開け、そのまま凍り付いてしまいました。 「何してるの。早く閉めて」と言うと、我に返ったのか真っ赤になり小さな声で「ご、ごめんなさい」って扉を閉めました。 私は心の中でニヤリとしながら義弟の部屋へ行き、「恥ずかしくて死にそうだったわよ」と言うと「ごめんなさい、知らなかったから……」と泣き出しそうな顔をしています。 そこで「私の言う事を聞いたら許してあげるわよ」と言うと、「本当ですか、何でもします」と言うので、「貴方は私の一番恥ずかしい処を見たのだから、貴方も恥ずかしい姿を見せなさい」と、目の前でオナニーを強要しました。 最初は恥ずかしがってモジモジしていましたが、「やらないと許してあげないわよ」と言うと、ズボンを脱ぎだしました。 「上も脱いで」と命令し、義弟をブリーフ1枚の姿にして「これがオカズよ。これでしなさい」とパンティを脱いで渡しました。 すると真っ赤になりながらシゴキ始めたのです。 義弟のアソコはとても大きくて立派、これなら私も楽しめそうと思いました。 私のパンティを頭から被ってシゴイていた義弟の息使いが荒くなり、ついに放出しました。 でも若いからでしょうか、出した後なのにまだ勃起しているのです。 「若いから出した後でも元気ね。ところで女性とした事有るの?」って聞いたら、下を向いて小さな声で「僕まだ童貞なんです」 「したい? してあげようか?」って言ったら「いいんですか?」って、「その代わり、これからも私に絶対服従するのよ」と誓わせ義弟の童貞を奪いました。 それからは毎日家ではブリーふだけしか許さず鞭、縄、蝋燭、聖水、黄金、アナルパールと楽しんでます。特に義弟はアナルが敏感で、調教のし甲斐が有ります。 今では極太バイブも入るようになりました。 あれから4年今では大学生になった義弟も帰ってくると、ブリーフ1枚の姿になり、首輪を付けられて私の玩具になってます。私を気持ち良くさせてくれた御褒美は聖水か黄金です。 私の前や後の口から直接義弟の口に流してやります。 これからもずっと奴隷として義弟を飼ってゆくつもりで、兄と相談して主人は定年まで海外周りをさせる事で合意してます。 (アブノーマル変態SM体験告白掲示板より 2008年10月7日 ) |
義弟を自分好みに調教して、仕上げていくのはともかく、佳代子さんって、こわ〜い。自分がセックスを楽しむために、海外にご主人を飛ばしっぱなしにしておくなんて。ああ、でも、欲しいもののため、気持ちのいいセックスのため、これくらいのことは平気でしてしまうのが、女の本性なのかもしれません。全ての女が本性を現したら、浪漫(管理人)はセックスを謳歌できるのか、つまはじきにされるのか、さあ、どっちでしょうね。こっわ〜。 |