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私は58歳で子供が3人、孫もいます。22歳で結婚した主人が唯一の男性でした。主人は15年前くらいから働かなくなり、2年後に酒と暴力に耐えきれず離婚しました。
それから私は3人の子供を育てました。朝から深夜まで働きました。遊びもまったく知らず、地味すぎる人生でした。
15年以上セックスしていませんでした。主人とのセックスはほとんど快感の記憶がありません。もう私はセックスとは縁がないと思っていましたし、それでいいと思っていました。
2年前、ラーメン屋で働いていた時のことです。
その人、健さんと出会いました。
健さんは私より一回り年下のサラリーマンで重役一歩手前のエリートで家庭もあります。健さんは週に1回程度来店していました。なぜかラーメンは食べず、いつもビールと餃子や叉焼なので覚えましたが、特に会話はしませんでした。
ある日、健さんは私に話しかけてきました。そして最後に携帯の番号を教えて欲しいと言いました。
理由を聞くと、今度美味しいもの食べに行きませんかと健さんは言いました。私はまあ冗談だろうと思いましたが番号を教えました。
すると一週間くらいして健さんから電話がかかってきました。そして待ち合わせをして、ステーキハウスに連れて行ってくれました。今まで一回も行ったことのない高級そうな店で、とっても美味しかったです。
いろいろな話をしました。
健さんは言いました。”佳代さんはもっと幸せになる権利も義務もある”と。
私はそれでも信じませんでしたが、健さんの誠実さと明るさがなんとなく実感できました。
それから、健さんは高級なすし屋さんやフランス料理やロシア料理などに連れて行ってくれました。
そして、お台場のホテルのレストランで食事をしていた時に、健さんは言ったのです。
”これから佳代さんを抱く、部屋は取ってある”と。
私はどう返答するか困惑していると、健さんはさりげなく部屋にエスコートしてくれました。
まさにその夜です、私が変わったのは。健さんのセックスは死ぬかと思うくらい感じました。
健さんの大きなチンチンは私にとって2人目なんです。優しくて、エッチで、かっこよくて、チンチン大きくて硬くて、言葉が凄いんです。
”佳代のオッパイ最高”とか”佳代のオマンコは芸術品だよ”とか。
今までしたことのないことも一杯しました。
一生懸命チンチン舐めたり、丁寧にオマンコ舐めてくれたり、鏡の前でキスとか、お風呂で洗いっこしたり。
楽しかった!
嬉しかった!
もう死んでもいいと思いました。
いろんな体位でチンチン入れてくれました。初めての経験ばかりでした。こんな楽しいことが人生であるとは夢にも思いませんでした。
それから、健さんとは月に数回セックスしています。昨年は二人で旅行もしました。もちろん、濃厚なセックスに没頭して。日に日に彼を好きになっています。
私もだいぶ変わったみたいで、セックスに大胆になったと健さんは言います。
自分からエッチなことをセックスの最中に言っていると健さんは指摘しています。
健のチンチン最高とか、佳代のオマンコを味わってとか、奥まで差し込んでチンチン、とかとか。
自分でも変わったと思います。今はセックスが大好きです。死ぬほどセックスが楽しいです。
最近健さんと一緒に、ホテルでご夫婦とスワッピングしたり、エッチな写真のモデルになっています。
もう、いつ死んでも悔いはありません。健さんは私の救世主で、最高の男性です。
(心に残る最高のセックス掲示板より 2009年6月20日)
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