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花蓮市郊外の水○村出身のの張利○小姐と、ひょうんな事から愛人関係となり、単身駐在期間中の3年間、台北市敦化北路15XX巷の100u強のマンションで囲い、彼女は昼間は美容師で働いていた。
彼女、32歳で小学4年生の娘が花蓮の祖父母と暮らしている。
タイヤル原住民の彼女は色白で、口は小さく目は大きく鼻筋の通り、あのアグネスラムによく似ている。そういえばタイヤル族の女は皆美女ぞろいだし、ラムと血統的に近い。
利○は乳房も大きく、背丈は158cm位で、一人子供を産んでいるとはいえマンコも小さくよく締まり、当方50歳ながら、生理日以外は毎日、彼女の望む中出しでしていた。
彼女は、ベッドで、ややアクセントは違うが早く〜ぅ 早く〜ぅと言いながら愛撫を待ちきれず、自分から上になり私のちんぽをもって自分にあてがい腰を沈め、アイヤァ〜 アイヤァ〜と声を出しながら20分ほどのSexを楽しみ、射精時にはいいの〜いいの〜と言いながら下から足を私の腰にからませ、マンコを擂りつけザーメンをマンコの奥深くで受け止めていた。
行く時の私は、利○の喘ぎ声、出来(ツーライ) 出来(ツーライ) 出来・了(ツーライ・ラ)にあわせて、同じ現地語で叫びながら射精していた。
このときの行為はビデオでも毎回のように克明に写した。
行為の後は私の腕枕の中で小さな唇を閉めてすやすやと寝いる。然し朝までマンコの奥深くに入れたザーメンをテッシュをあてがうだけで処理しなかった。
タイヤル族は日本人にすごく親近感を持っており、娘達も日本人の胤で孕みたがる。
彼女達は妊娠しても迷惑をかけない、お父さん、お母さんが育ててくれる! といい、それは本当だ。
駐在中この水○村にもよくいって父母の家の近くの彼女の家にも泊ったし、完全な夫婦きどりであった。
利○は二回妊娠したが二回とも流産した。彼女の娘も、父母達もとても残念がっていた。
私の部屋はこんな具合だ。
最上階の二つのベッドルームには、ダブルベッドが其々用意され、その間がゲストルーム兼リビング。その他にバスとキッチンが付いていた。
利○は、割合に野菜料理が得意で、時には花蓮の父親が狩猟した山豚(猪のこと)の肉塊を持ち帰り、料理するが、最上階のキッチンでは覗かれることもなく、裸にエプロン(私の希望でもある)で料理していた。
帰る前に電話で連絡しているから、ほぼ用意はでき、シャワーを使って二人で食事が常だったが、週一くらいは、むっちりとしたお尻をみて、料理中の後からペニスを宛がい挿入していた。
そんな時、利○はアイヤァー アイヤァいいながら、身体を支えきれずに、じゅうたんの中に沈みこみ、仰向けになり怒張した私のチンポに腰をゆすり貪っていた。
利○は薄体毛で、ビラビラは艶やか、プリプリ、豆は勃起時は大きくて、大きく開いた股の間に淫乱的にあった。
このおマンコをよく吸った。
その時には利○も私のペニスをくわえ込み、然し口に出そうとすると、必ず気配を察し、おマンコの中にチンポを誘い込み、奥深くに射精させていた。
終わった後は、私のペニスは温かいタオルできれいに掃除するが、マンコにはさんだテッシュは朝まで外さず、薄い陰毛の上に私の手をリードしたまま眠っていた。
金曜日などは、夜半や朝方に、小さなぷっくりとした唇で寝息も立てず眠っている姿を見ると、慣れているとはいえ欲情し、不思議に口中もきれいで、唇を吸い、被さると、直ぐ肢を大きく開きテッシュを外し、ズッルっと入れて、利○はしがみ付き、私が終わるまで必死に貪りあっていた。
(心に残る最高のセックス掲示板より 2010年12月30日)
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妊娠しても責任とらなくていいから中出ししてくれとは、セックスの相手としては最高ですね。でも、本当の顛末は、彼女が流産してしまったから、知りようもないのだろうけれど、実はとっても恐ろしいことになっていたかもしれませんよ。
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