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小生が生まれたのは昭和一桁である。小学校時代から男女七歳にして席をおなじうせずなる、今では考慮しがたき性道徳が支配しておった。
戦争を挟みて性道徳の変化激しうなり巷に於いてはフリーセックス、ウーマンリブが叫ばれるようになったとはいえ、いまどきの若者のごときにあからさまなる性行為は憚られ性は秘め事としてあったがゆえに初めての男女の性の交わりは、はなはだ興奮に満ち忘れがたきものであった。
小生は所謂中産階級の次男として生まれ同年の友らにくらぶればかなり恵まれて育ち、性に目覚める年頃となりしも家に置きし若き女中らとの戯れがあり友らのごときはけ口なく悶々たる日々を送りたることもなければ、彼らと連れ立ち通いしダンスホールの名残りの場にても友らのごとくに女に飢えた様を呈せざりしがかえって女どもの信を得るところとなり女に不自由せしことがなかった。
そういうわけで、小生が初めて女の中に一物を入れ込み精を放ちたる女子は女中の志穂なるもので小生十四の春のことであった。
志穂は当時すでに三十路近き後家で遠縁のものであったが夫に早くに先立たれ貧しきにより引き取られし者ときいていた。
見目麗しき女子にてのち添えの話数多かれど独り身を良しとせしが女中として身をよせたりしなり。
志穂年長なればと心許し父母も小生の身の回りの世話を彼女にまかせたらしきこと後にきく。
小生も年頃になり自慰を覚え夢見に女子と交わりて精を漏らすことたびかさぬれば、そことによりて汚れし下履きを我は自室に隠したり。
部屋の掃除に入りし志穂、それを見つけ我が性に目覚めたるを知り、ある夜、家人のみな寝静まりしころ静かに我が床に入り来たり。
小生は驚き押しのけようとしたのだが、志穂は小生が漏らし汚した下履きのことをいいもう出るのであれば女子に入れて精を放つよううながした。
志穂の放つ色香は十四の男にとりてはなはだ妖しきものなればあがらえず、すべてを志穂にまかせるうちに横向きに抱き合いしとき我が陽物は志穂の女陰に触れ志穂の腿にはさまれ快感たとえようもなし。
志穂体を巧みに動かし陰陽を触れさせ気づけば我が陽は志穂の女陰にありしばしも耐えられず精を放つ。
その夜、明けるまでに3度交わり、都度精を放ちたり。これ我が初めての夜なり。
その夜以来、二日とあけず交わりても飽きることしらず。
(心に残る最高のセックス掲示板より 2012年8月23日)
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その頃からも、やはり恵まれた男と、そうでない男がいたんでしょうね。もちろん、投稿者サンは恵まれた部類でしょう。今とは男の評価方法が違うのでしょうけれど、恵まれた家庭で若き女中とやり放題、むしろ現代の方がこういうことがなくて、初体験がどんどん遅くなっているようですよ。
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