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まゆみさんは私より17歳も年上のおばさんでした。
8年前、私はまだ高校生でした。
母がやっていた小さな料理教室の生徒だったまゆみさんは母より10歳若い独身でしたが、私が小学生だったころから懇意にしていて家を行き来していました。
そんな関係で母が何かの用事で帰りが遅くなるときとか、私はまゆみさんのところに預けられ、まゆみさんに宿題をみてもらったり、中学1年の時は週に2回英語を習いにかよったりしていました。
性に目覚め射精するようになると、まゆみさんのことを考えながらオナニーをするようになり、それが気恥ずかしくなってなんとなくまゆみさんを避けるようになりました。
中学を卒業して高校に受かるまではまゆみさんとはできるだけ接触をしないようにしようとしました。
高校に合格し気も緩んだ夏休みのある日、午前中からやってた母の料理教室にまゆみさんもきていました。
料理教室が終わったころに私は食事を摂りにキッチンに降りていきました。キャアキャーワーワーうるさい近所のおばさん連中の声がしなくなり、もう、みんな帰ったんだろうと思っていました。
ところがキッチンには母とまゆみさんがいました。
ミニスカートから出てるまゆみさんの脚は色っぽく刺激的だったので、あっ、まだ終わってなかったんだと言って部屋に戻ろうとすると、まゆみさんが、「おっ! 久しぶり!」っと明るく声をかけてくれたので、キッチンに入りました。
母が、もう、昼だから、その辺のもの適当に食べちゃってと言ったのをまゆみさんが見栄えよく皿に盛りつけてくれました。
まゆみさんが残っていたのは、母が使ってたいらなくなったオーブンレンジをもって帰るためだったのでした。
軽いとはいえかさばるものだったので、母のいいつけで私がまゆみさんの家までもっていくことになったのです。
まゆみさんの家までは歩いて10分くらいでしたが炎天下、日陰はありません。
もうすぐまゆみさんの家だというとき、母が追いかけてきて、私に家の鍵を渡しながら、「今夜、ちょっと遅くなるけど、夕食は冷蔵庫の適当にね。それから、ちゃんと勉強しなさい」と子供に言うようにしてバス停に走って行ったのでした。
それからまゆみさんと二人の時間になりました。
まゆみさんは私が性にめざめいやらしいことを考えてるとは思ってもいないようでしたが、レンジをキッチンに運び込む途中でまゆみさんの寝室が見えたり洗面所で手を洗ってるとき近くにあった洗濯かごに下着らしきものが放り込まれているのをみて興奮していました。
すぐ帰りますと言ったのですが、冷たいものでも飲んで汗ひかせてからにしなさいよといわれリビングのソファーに腰を下ろしてしまったのが運のつきでした。
飲み物を持ってきて正面に座ったまゆみさんのミニスカートの中がちらちら見えるのです。
私は飲み物を一気に飲み干しました。グレープカルピスだったと思います。
もう一杯どお? と聞かれ、遠慮なくうなずきました。
立ち上がるときスカートの中が見えると思ったからでした。
3杯目をもってきたときまゆみさんは正面でなく私のとなりに座り、かなりきわどい話になり勃起に気づきました。
そして初体験を誘われたのです。
母の古くからの知り合いでもあり絶対まずいといいはりましたが、でも体は正直よとさそうのです。で、どうしても帰るというと、勃起したままじゃだめでしょ。シャワーでも浴びて興奮静まったらかえってもいいわとシャワーをあびることにしたのでした。
冷たいシャワーを浴びて勃起もおさまりかけたそのとき、なんと、まゆみさんはパンティー一枚で浴室に入ってきたのです。
その時はわからなかったのですが出された3杯のグレープカルピスには、ジンとワインが入っていたそうで、それで酔ってクラクラしてたこともあって、初体験にありがちな早漏暴発がなかったようです。
パンティーを脱がしてというまゆみさん。
初めて見る女性器の割れ目に私のペニスはギンギンに勃起しました。
空の浴槽のふちに腰掛けるように言われそうするとまゆみさんも浴槽をまたぎ、割れ目を開きながら見せ片方の手でペニスを持ち「これが、ここに入るのよ」
風呂のふちにすわりながらいつのまにか合体し、射精してしまったのが初体験でした。
その日は夕方までまゆみさんのところにいてほとんど裸で、何度も何度も入れさせてくれて絶頂の雄たけびをあげました。
その夏休み中には、なかなかセックスをするチャンスがつくれなかったのですが、2学期になると母が長期に海外旅行に出かけたり、近所の知人と泊りがけででかけたりすることが多くなり、そういうときは迷わずまゆみさんを訪ねてセックスをせがみました。
女の人の快感のポイントとかクリトリスの吸い方とかいろいろ教えられまゆみさんをいかせることができるようになりセックスに自信がつきました。
それで、まゆみさんと毎日でもセックスしたいから結婚しいと言いました。
するとまゆみさんは「気持ちはありがたいけど、そう思うのは長くても2、3年。それに、あなたが一番セックスしたいと思う頃、わたしはおばあちゃんよ。だからダメ。童貞を奪ってしまった責任上、あなたに彼女ができるまではセックスさせてあげるけど、それ以上はダメ」と拒絶されてしまいました。
高校2年の夏まで事情が許せばセックスさせてくれていましたが、その年の秋にまゆみさんはイタリアへ行くことになり関係が切れました。
彼女の勧めもあって私は大学を地方に選び家を離れました。
まゆみさんに初体験させてもらったあと、一年は母の不在のときはほとんどまゆみさんとセックスにあけくれました。まゆみさんが行ってしまったあと性欲はどうすればいいのかと彼女に言ったら「オナニーでがまんできなかったら、早く彼女をみつけなさい」と軽く言われたのですが、これといっていい子が見つからないまま、高校を卒業しとある地方の大学の工学部に入り地元の女の子とちょっといい関係になりました。
が、2年の夏に実家にかえったときまゆみさんももどっていたので訪ね、彼女らしきものはできたけど今一つしっくりこないと告白しました。
そして、まゆみさんとセックスしたいとねだりましたが、今の彼女を大事にしなさいととりあってくれませんでした。
地元の彼女ともうまういかなくなり伸展のないままストレートで卒業し電子部品メーカーに就職も決まりました。しかしこの不況のおり工学部といっても営業に配属され思うような仕事ができず落ち込みました。
一年しないうちに体調を崩して休みがちになり、実家の近い関東の拠点に転勤となりました。
そこで休んでるときネットサーフィンしていて高校時代の自分の書き込みをみつけたのです。
元気が戻り実家の母をたずねました。さきおととしの冬だったと思います。
母の料理教室は健在で訪ねた日もちょうどキッチンで近所の婦人がワイワイ騒いでいました。まゆみさんはいませんでした。
皆が帰った後母とお茶を飲みながらいろいろ話しました。そしてさりげなくまゆみさんの消息をきくと、イタリアから帰ってきてしばらくしてまたイタリアへいったそうよ。
私はがっかりしました。しかし、ロンドン五輪が終わるころにはまた日本に帰ってくるといっていたという母の話に希望をもてて、その後、体調も戻り仕事も単なる売り込み営業ではなく技術的なサポートの性格を帯びてきてなんとなく順調に進むようになりました。
健康が戻ると性欲も復活してきました。
今週中ほどから遅ればせながらの夏休み。実家を訪ね、帰ってるはずのまゆみさんを訪問する予定です。
(心に残る最高のセックス掲示板より 2012年8月26日)
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今から思うと、結婚、という言葉でまゆみさんは引いてしまった、というか、ふと我に返ってしまったのかもしれませんね。彼女はきっとアナタに、「気軽な遊び相手」と観て欲しかったのでしょう。でも、成長した今のアナタなら、前とは違ったスタンスで、彼女のことを抱けるかもしれませんね。今年の夏の出来事のご報告も、お待ちしています。
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