青 空
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 まさかとは思っていたが、本当に「加害者の会」が設立されてしまった。
 このことを知ったのは、月曜日に会社から戻ってからだった。妻から聞かされた。
 実態は「設立」というほど大袈裟なものではない。いじめに加担した生徒とその保護者が、みんなそろってお詫びに行き、また墓前に手を合わそう、という趣旨だ。

 通夜および葬儀が行われた時点では、誰が蓑田貞夫君をいじめていたかについて、まったく明らかになっていなかった。真人はクラスが違っていたので、通夜も葬儀も本人が行ったに過ぎないが、同じクラスの親達は一部出席もしている。そこでは、我が子が自殺の原因を作ったとも知らず、「ご愁傷様でした」と頭を下げていたのである。
 しかし、いじめの当事者ということが後にわかれば、当然のことながらご愁傷様でしただけでは済まされまい。
「急なことだけれど、なるべく早く形にした方がいいということになったの。だから、明日・・・」
「わかった。会社は休もう。一日くらい、なんとかなる」

 学校は午前中のみの短縮授業ということで再開されたが、真人は登校していない。学校から「しばらく自主的に休んでほしい」という要請があったからだ。これは表沙汰に出来る処遇ではないんじゃないのかと私は思った。学校側は、停学などの処分には出来ないが、種々の影響を考慮した結果、との説明した。
 義務教育の中学校が生徒に「自主的に休め」などという指示を出す事が許されるのかどうか私にはわからない。わからないけれど、いいたいことは、こうだ。停学にしたいが出来ないから自主的に休め。
 学校の内部が腐っている証拠だと私は思う。
 こんな体質でいじめや自殺など、学校に巣食っている根の深い問題を解決など出来るはずが無かろう。

 さて、会社の方だが、なんともならなかった。
 業務に支障のないように部下達への指示伝達は電話でことたりたのだが、部長がどうしても話があるという。
 仕方が無いので、蓑田君の墓前に手を合わせた後で出向くことにした。

 加害者の一行は蓑田君の自宅の最寄り駅で待ち合わせをした。私はもう「加害者一行」だの「加害者の会」だのというフレーズに抵抗がなくなってきている。言葉は使い慣れると慣用句になるもので、言葉そのものの意味が薄れてくるのだと気がついた。もちろん、「加害者一行」だなどとは口には出さない。私の心の中の台詞だ。
 集まったのは5組。当事者とそれぞれの両親がきちんと勢ぞろいした。中に1人だけ父親のいない子がいたが、祖父が同行しており、総勢15名である。
 この頃になると、色々なところから様々な話が聞こえて来る。主犯格などといえばまるで犯罪者扱いだが、もっとも激しくいじめたのが菊村信二という子だということは周知になっていた。自然とその父親がこのお詫び一行の代表のような形になった。
 真人が主犯格でなくてほっとしている。
 こんな感情は卑劣だと思うものの、感情を否定することは出来ない。私は本当にホッとしているのだ。
 詫びの言葉も代表して菊村の父親が述べることになんとなく決定してしまい、ともかく顔を出して名乗りを上げ、一緒になって頭を下げていれば時間は過ぎていくであろうと私は気楽に考えた。

 気楽に考えたといっても、もちろん蓑田君のことは申し訳ないと思っている。生きていればこれからさきどんな末来が待っていたかわからないのに、その命の灯が消えてしまったのだから。残されたご両親の気持もわかる。さぞ手塩にかけて育て、そして行く末をどんなにか楽しみにしていたことだろう。
 死は一切の可能性の芽を摘み取ってしまう。
 罵倒されようと、殴られようと、それは仕方の無いことだ。
 だが、同時に「死んでしまったものは、仕方ないじゃないか」とも思うのだ。これは私の本心だ。子供を亡くしたからといって、ご両親だっていつまでも悲嘆にくれているわけにはいくまい。我々、蓑田君をいじめた生徒やその家族だって同じことだ。これからを生きていかねばならない。
 だから、墓前で首を垂れ手を合わすことは、けじめである。
 死んでしまったものは仕方が無い。大切なのは、残されたものがこのあとどう生きるか、ということである。
 こう言うと、それなら死者に常に祈りを捧げ、仏の道にでも進め、などということになるかもしれないが、私の意図するのはそういうことではない。死んでしまった者の分までがんばって生きろ、ということでもない。自らの過ちで人を死に追いやったのだから、その分、世のため人のために生きなさい、ということでもない。

 文字通り、死んだものはしょうがないじゃないか、と思うのである。

 原因が自分にあったのかもしれないが、いつまでもそれにとらわれてくよくよしててもどうにもならない。それより、辛さや悲しみを乗り越えて前向きに生きよ、ということである。
 私は残されたものがそういう生き方が出来るように仕向けるのが心のケアだと思っている。
 しかしもちろん、「死んでしまったものは仕方ない」などと口になど出せるわけがなかった。その程度の良識はわきまえているつもりである。

 我々は蓑田君の自宅を訪ねた。
 ご両親は我々に線香をあげることを許してくれた。
 黒縁の写真に対座した。
 手を合わせて黙祷をする。
 菊村は加害者団代表として、通り一遍のことを述べた。
 我が子に先立たれたご両親の気持を拝察するに云々とか、心よりお詫びを申し上げ冥福を祈りたいとか、可能性に満ち溢れた末来を摘み取ってしまったことへの重責とか・・・・
 蓑田君の父親は終始無表情で、ただ言葉を受け入れているだけのように思えた。
 母親はきちんとたたんだハンカチで鼻と口を押さえていたので、表情はよくわからなかった。同じ年齢の子供を持つわけだから妻ともさして年齢は変わらないはずだが、妻より20歳ほども老けて見えた。常に涙目だった。
 親戚の者なのか、近所の人なのか、我々に茶を出してくれた。誰も手をつけなかった。
「お忙しい中、皆様おそろいでこうやっておいでくださり、ありがとうございます」と、蓑田君の父親は言った。
 誰がどう段取りをつけたのかは知らないが、予定ではこの後、ご両親の案内で墓参りにでかけることになっている。
 しかし、「ありがとうございます」と言って頭を下げたきり、蓑田君の父親は動かなくなってしまった。
 うっ、うっ、と嗚咽の声が響き、母親がその場で顔を伏せた。
「こうやって訪ねてきてくださった皆様にこんなことを申し上げるのは非常識だとは心得ておりますが・・・」
 父親は頭を下げたまま喋り始めた。
「息子はどうあっても戻ってはきません。もし、クラスメイトの中の誰かがいじめを阻止してくれていたら、もし、先生が気が付いてくれていたら、もし、息子がいじめに立ち向かっていたら、あるいは逃げていたら・・・。 そんな風に、『もし』ばかりを考える日々でございます。立派なお人でしたら、『息子の死を無駄にしないためにも今後はこのようなことがないように』とか『これを機会に人の命について考えてくだされば』などと挨拶を申し上げるのでしょうが、今はとうていそのような気分にはなれません。 ただ、恨み言を繰り返すばかりの馬鹿な父親です。皆さんの、ことにお子様方のお顔を拝見しておりますと、ますます辛くなるばかりです。ああ、どうして我が子だけがこんな悲劇に、と。皆さんの心痛はもちろん計り知ることはできますが、どんなに苦しい思いをしても、でも、生きておいでです。この決定的な違いが私を辛くさせるのです。
 申し訳ありませんが、今の私には皆さんがこうしてお集まりいただいたことに対してどのような態度をとってよいのかすらわかりません。残された妻と私が、どのようにしたら立ち直れるのか、それすらわからない状態です。
 息子の墓前には、遠縁の者に案内させます。申し訳ありません。皆さんのお姿を拝見するだけでいたたまれないのです。どうか心中お察しくださり、この場で失礼することをお許し下さい。そしてお願いですが、どうか私達のことはそっとしておいてくださらないでしょうか」

 我々は蓑田君の父親の申し出を了承した。
 しかし、言葉をいかに選んだとて、彼の父親の言いたいことはひとつに集約されていた。
「あんた達の顔など二度と見たくない」
 そりゃあそうだろう。それで普通だと思う。
 お詫びの気持や誠意を見せ、許しを請いたいなどというのはエゴイズムだ。
 だが、墓参りを終えた我々一行が出した結論は、そうではなかった。
「何度でもお詫びに参りましょう」
 反対論を唱えるような雰囲気ではなかったので黙っていたが、冗談じゃない、という気分だった。

 出社して部長から言い渡されたのは、左遷だった。

「まさか萩原君の息子さんが当事者だったとは、私も驚いたよ」
 報道管制がしかれているはずである。どうして部長が知っているのだろうか。
「おやおや、僕がなぜそんなことを知っているのか、って顔をしているね。こんなことはどこからでも耳に入る。それにキミには言ってあったじゃないか。なにかあったら報告するようにと。キミはその義務を怠った」
「何をおっしゃりたいんでしょうか?」
「つまりだね、こういうことは伝わる、ということだよ。もちろん、社内にも、取引先にも。これは問題だとは思わないか?」
「問題だと思います。警察もマスコミも学校も口外していないことが無責任な情報として流れるということは」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだよ。社内の士気にもかかわるし、取引先との契約にも関わると言うことだ。犯罪者の父親がお咎めをうけなければね」
「犯罪者は言い過ぎではないでしょうか?」
「世間はそう見るんじゃないかね。裁判で確定した罪だけが罪じゃないんだよ。それくらいわかりたまえ」
「で、私にどうしろと・・・」

「梅田善助がキミの後任の課長になるから、引継ぎを済ませておいてくれたまえ」
 ぬーぼーとしたあのオヤジが課長になるのか。まったく、たいした人事だよ。
「キミは販売部に転属になる。福知山出張所所長だ。業務命令に従うか、辞表を出すかはキミに任せるよ。周辺の支店の体制が整えば、福知山出張所は閉鎖を予定していることだしな」
 つまり、左遷である。



 

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