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翌日の夜、久しぶりに酒を飲んだ。妻が用意してくれていたのだ。 「どうしたんだ?」 アルコール類の若干の買い置きはあるが、私から呑もうと言わない限り、いつもは妻が酒を出すことはない。 「今夜、サウナに寄ってこなかったら、たまにはお酒もいいかなって用意しておいたの」と、妻は言った。 「会社にも行ってないのに、サウナになど寄ってくるわけないだろう?」 言ってから、しまったと思った。 サウナは浮気の隠れ蓑である。帰宅が遅くなっても、石鹸の匂いをさせていても、サウナと言っておけば怪しまれる心配はない。 浮気の相手はOLだ。会社に行かなければ当然そんな機会は無いし、会社に顔を出したところで左遷が決まった中年男などを相手にするOLなどいようはずもない。私の仕事振りと肩書きがあってこその浮気なのだ。 「会社にも行ってないのに、OLと浮気なんかできるわけないだろう?」 つまりこれが、私の言わんとしていることだ。 しかし、『しまった』などと思ったのは全くの杞憂であった。妻は私の所業を知らない。文字通り、サウナだと受け止めていた。 「そうよね。あれは会社での疲れや汚れを落とすためのものだものね」 考えてみれば、私がドギマギする必要などは無い。浮気がバレたためしはないし、胸を張って「会社にも行ってないのに、サウナになど寄ってくるわけないだろう?」と主張すればいいのである。 デカンタに入れ替えられ、冷蔵庫でよく冷やされたその酒は、種類こそわからなかったがきわめて純粋な日本酒の味がした。 デカンタには当然ラベルなんかないから、銘柄も蔵元も原料米も酵母の種類も製法も、日本酒度もわからない。わからないけれど、しみじみと染みる味がした。美味いとかまずいとかではなく、胃袋から全身に薬効が行き渡るように、私を落ち着かせてくれた。 以前の私ならこんなことはなかったであろう。ラベルに貼られた色々なデータを元に、これは上等の酒だとか、さほどのことはないとか、そんな判断を下していたことに気がついた。私自身にとってこの酒はどうなんだ、と考えたことはなかった。 こんな風に考えられるようになったのも、私から肩書きというラベルが剥がされたからかもしれないなと思った。 「純米、吟醸、山廃よ。おいしいでしょ」と妻は静かに笑った。 「そういえば、お前は日本酒には詳しかったよな。俺の日本酒の知識はほとんどお前からの受け売りだ。今、思い出したよ」 「結婚前はよく呑みに行ったよね、二人で」 「ああ、そうだな」 「結婚したら、毎日でもあなたと一緒にそういう時間が過ごせると思ってたわ。それも、帰る必要のない我が家で」 妻は天井を見た。 「すまなかったな。仕事仕事で」 「ううん、いいのよ。結婚前だって、一生懸命私のために時間を作ってくれているのはわかってた。結婚したら、なおさら時間なんてなくなるよね。家族を守り、養わなくちゃいけないんだもの。私が専業主婦できるのもあなたのおかげだし、感謝してる。恨み言なんていう気はないわ。だけど、ね」 「だけど?」 「男って仕事だけに打ち込む時期も必要だろうけれど、いつかはゆっくり呑める日が来るって思ってたわ。なかなかこなかったけど」 「左遷されて、時間が出来たってんじゃ、話にならないよな」 今日はいつになく弱気になっている自分に気付いた。 「左遷? そんな価値観、会社だけのものじゃない。首になるわけでも給料が減るわけでもない。気にすること無いわ」 「いや、給料は減るよ。色々な手当てが無くなるからね」 「どってことないわよ」 「そうか」 「左遷なら左遷でもいいわ。大きな仕事と、家族でゆっくり出来る時間と、どっちが大切かしら。そんな風に考えたらね」 「おまえはどっちが大切だと思う?」 「さあ。今は家族でゆっくり、かな? そのうちあなたに、世の中を動かすような大きな仕事をして欲しいって思うときが来るかもしれないけど、今はこうしている時間がいとおしいって思うの。きっと、どっちかに偏りすぎたらダメなのよね」 「きっと、そうなんだろうな」 私は私の価値観や哲学を妻にこれまで何度となく言ってきたが、妻がそういうことを言うのは珍しかった。今なら私が聴いてくれる、と思ったのかもしれない。 テーブルには酒のほかにも、いくつかのつまみが並んでいる。豚キムチ、ピーナツ、レーズンバター、スモークサーモン。妻と私に共通する好物だ。 「真人の転校は来週の月曜日からよ。けれど、こっちの学校なんて行ってないに等しいし、準備が出来次第早く福知山に行きましょうよ。田舎とはいえ京都に近い関西だし、美味しいお酒も食べ物もお菓子もいっぱいあるわよ、きっと」 私は黙って頷いた。 「なるべく早く出発しましょう。福知山へ」 私は、「だが、今夜はゆっくり飲もう。荷造りは明日になってからでいいだろう?」 「もちろんよ」と妻は言った。 気楽な時間が流れた。あの陰鬱な空気の中で頭を下げなくて澄むと思うと、閉ざされていた何かから開放されたような気がした。 妻も私も深酒をした。 妻はついぞ口には出さなかったが、毎夜の蓑田家の訪問は相当にこたえていたようだった。酒が進むにつれてぴりぴりした表情が穏やかになっていった。 ぴりぴりしていたのは私も同様だろう。なにしろ、今宵妻の表情が穏やかになって初めて、昨日までは険しい顔をしていたんだなと気が付いたのだから。 |
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翌日、我々は全ての段取りを整えた。この日はもう蓑田君のお宅を訪問していない。息子の真人は「最後の挨拶に行かなくていいの?」と心配そうに言った。 「ああ、構わない」と私は答えた。 大人の判断をするなら、行くべきだろう。 しかし、行ったところで蓑田君の父親は同じ台詞を繰り返すだけに違いない。「息子はもう何をどうしたって戻ってはきませんから」と。 私にとってはもう死者のことなどどうでもよかった。残された家族の悲痛な思いもどうでもよかった。私たちがこれからどうやって前向きに生きていくか、このことのほうがずっとずっと大切だった。 ただ、ひとつだけ付け加えるならば、真人が「最後の挨拶」なんぞという発想をしたのが嬉しかった。 人様を虐めるなどという行為をしてしまった真人の口から真っ当な発言を聞けたのが嬉しかった。 真人は真人なりに考え、そして成長したんだなと感じた。 真人の成長の礎に友人の死があるのかと思うと複雑ではある。けれども、残された道は真人が成長するしかないのだ。 毎夜日参して詫び、墓前に手を合わせる我々に、あんな態度をとり続ける蓑田君の父親に比べればよっぽど我が子のほうがまともじゃないか。 「もう行かなくていい」と、私は真人の顔を真正面に捉えて繰り返した。 「じゃあ、お休みなさい」 「ああ、おやすみ」 そして一夜明けて、私たちは福知山に移った。 |
その週は近所をうろついたり荷物を片付けたりしながらのんびりすごした。 平行して不動産屋にもあたってみたが、とりあえずのマンスリーマンションがあるので、あまり真剣に探してはいなかった。とりあえず、一ヶ月間はここで暮らせる。問題があるとすれば、正式な落ち着き先が決まるまで全ての荷を解くことが出来ない、ということくらいである。 「希望はだいたいお伺いしましたので、こちらで探しておきます。2〜3日したらまた寄ってみてください」 不動産屋のその言葉を鵜呑みにすることにした。 |
月曜日、真人は妻に付き添われて登校した。私は新しい職場に向かった。 左遷とはいえ、出張所長である。たった6名だが所員の出迎えがあり、私は一番上のデスクについた。 数ヵ月後には閉鎖されるというのに、所員たちはきびきびと仕事をこなし、職場は活気に溢れている。出張所の閉鎖後は、彼らは大阪・京都・兵庫などの支店に転属になることが決まっている。なおかつ、今の取引先とは原則としてそのまま担当を続けるのだ。意気消沈する理由がない。東京本社の営業1課よりもイキイキしているくらいだ。 それにくらべて私は何もすることがなかった。 主な取引先に挨拶に出向こうとしたら、所長代行をつとめていた部下に止められた。出張所廃止後に管轄となる支店から、支店長または支店長代理、あるいは副支店長クラスの者が順次挨拶に回っているので、ここで私が出て行けば話がややこしくなるというのだ。 そうなると本当に仕事がない。 身の回りを整理したら新聞を読むくらいしか時間をやり過ごす術がなかった。これが閑職というものか。 午後になってようやく書類が一枚回ってきた。目を通すが何も問題はない。 判子を突こうとして、私は目を覆いたくなった。情けなくなった。私が判子を押すべき場所には、「所長代行」とかかれたままで、代行の二文字が二重線で消されていたからだ。 |