アスワンの王子
 封印解かれし時





「結婚するまでは決して身体を許してはいけないよ」
 ヨウシャに彼が出来たと知ったときから、母のリュディはヨウシャに繰り返し言い聞かせていた。
 ヨウシャ、14歳。大人から見ればそれはママゴトのような恋かもしれない。けれど、身悶えしそうなほどの熱い恋をするには十分な年齢だった。
「結婚するまでは決して身体を許してはいけないよ」
 母の口調はとても優しい。軽くて温かくい真綿で包み込むような声だった。
 けれど、母の目は険しかった。「淑女のたしなみ」をといているような表情ではなかった。
 母のその表情は、厳しい戒律を言い渡しているかのようだとヨウシャは思った。

「心の底から愛し合っていてもダメなのですか?」
「もちろんよ」
 ヨウシャの胸は痛んだ。
 ヨウシャは彼であるアクアロスに既に唇を許していた。回数を重ねるごとに、アクアロスはヨウシャを次々と求めてきた。はじめのうちは、服の上から軽く胸を触られるだけだった。そのうち乳首をつままれたり、乳房を揉まれたりするようになった。
 ヨウシャの胸が痛んだのは、戒律を犯しつつあるからではない。心のままに求め合うことを禁じられたからである。
 友達の中には、そういった行為を不潔と決めつけ全く受けつかない子もいる。けれどヨウシャには不潔などとは思えなかった。触られることが嬉しくもあり、気持ちいいようにも思えるのだった。
 ある日ヨウシャは、アクアロスに服の裾から手を差し込まれた。直接胸を触られた。
 ああ、その時の感触。
 服を通してではなく、そのまま触られることの気持ちよさ。
 肌と肌が感じあう何とも言えない触感。
 それからはエスカレートする一方だった。キスから胸を直接触られるまでにあれほどの時間を要したのに、スカートの中に手を入れられ、下着をおろされ、ヴァギナを指で弄ばれるようになるまでは一瞬だった。幼い快感を感じながら、ヨウシャもアクアロスのペニスを手に取っていた。誰に教わったのでもない、でも何故か触わり方を知っている自分がそこにいた。

 寒い季節が訪れるにはまだ時間がある。ある日、ヨウシャは素肌に服とスカートだけをまとい、下着を付けずにアクアロスに会った。下着をずらしたりとったりされる時間がもどかしく思えたからだ。触られるのが嬉しくてしょうがなかった。下着を付けていなければアクアロスの手はすぐにヨウシャの感じる部分に障ることが出来る。
 逢えばろくに会話も交わさず、すぐに身体を求めてしまうことに少しばかり気がひけていたアクアロスは、下着を着けていないヨウシャに、彼女もまた強くそれを求めているのだと気づいた。その日はスカートの中に顔を突っ込んで、ヨウシャのヴァギナを丁寧に嘗めた。この時、ヨウシャは知った。指で穴のまわりや穴の中を愛撫されるよりも、もっと気持ちいいことがある、と。
 立っていられないほどではない。けれど、足がカクカクした。
 アクアロスは何度か「入れたい」と言ったけれど、ヨウシャは承知しなかった。恐かったのだ。入れられるのがイヤなわけじゃない。自分だってそれを望んでいる。けれど、ただ恐かった。

 ヨウシャはアクアロスの愛撫が忘れられなくて、何度か自分でしたことがある。指一本が精一杯だった。今、目の前にあるアクアロスのそれは、固く膨らみきっている。こんなのが入るわけがないと思うのだ。
 そのかわり、ヨウシャはアクアロスを口で受け入れた。何故そんなことをしたのかわからない。誰に教わったのでもない。ただ、しゃぶってみたい衝動に駆られたのだった。
 突然、アクアロスはヨウシャの口の中に発射した。それを飲み干したとき、私たちは少しだけ結ばれたんだと感じた。恐いという気持ちが失せ、「少し」ではなく、本当に結ばれたいと思った。
 指一本しか入らない私の中に、ねじ込まれたい!
 ヨウシャが少女から女へ変化しようとしている様子に、母のリュディは気が付いた。だから忠告を与えたのだ。
「結婚するまでは、決して身体を許してはいけないよ」と。
「無理よ」と、ヨウシャは答えた。
「私たちは、明日にでも結ばれるわ」
 母は悲しそうに笑った。
「でも、ダメなのよ。わかって・・・」
 14とは複雑な年齢である。まだまだセックスを不潔視する友達もいれば、もう結婚している友達もいた。宿街で客をとることもできた。セックスに喜びを感じられない子もいたし、深みにはまっていく子もいた。
「あなたは特別なのよ」と、リュディは言った。「特別なの。だからどんなに愛し合っていても、決して結ばれてはならないの」
 母の口調は、戒律を解くそれから、もっと深刻で悲しげなものになっていた。
 ヨウシャにはもちろんその理由はわからない。わからないから、母の言うことをきく気はなかった。
 セックスは不潔なものじゃない。愛し合う二人が当然行き着くところ・・・。
 セックスを汚らわしいものと思っている友達だっているけれど、一方で経験している友達だっている。これから経験しようとしている子もいる。自分だけが親から強く止められる訳がわからなかった。

 かつてアスワンの国では奇妙な病が流行した。
 病、と言っても、日常生活に差し障りはなかったから、気付くのに少しばかり時間がかかってしまった。
 しかし、2年にも渡って子供が産まれないとなると、誰もがおかしいと気が付きはじめる。望んでもなかなか子供を授からない夫婦、というのは珍しいことではない。だから、自分たちがその病にかかっていることに、なかなか思い当たらなかった。しかし、国の全てで2年間にもわたって全く子供が産まれなければ、これはおかしいと言うことになる。
 精子も卵子も衰弱していて、その原因は不明だった。
 大司祭と予言者と医学者が何日にも渡って検討して出した結論は、「治らない病ではない。ただし、早くても15年、ともすれば20年かかる」というものだった。15年も子供が産まれなければ、出産適齢期の女性は、その機会を逃してしまう。また、15年の世代の空白は、国を滅ぼしてさえしまうかも知れない。
 当時の平均寿命は50歳、もし60を越えて生存すれば、「最長老」と呼ばれ、長老の任を解かれて村の「相談役」のような立場になった。ちなみに村の責任者は「長老」であり、健康に支障がない限り文字通り最年長者がその任に当たっていた。
 最長老は不在の時もあれば、そうでないときもあったが、二人以上同時に最長老がいたという記録はほとんどない。そんな時代であった。
 したがって、15年もの世代不在は大事である。
 大司祭は祈りの洞窟にこもり、35日間休むことなく祈願をしたという。この厄災を取り除き賜え、と。36日目に、1人の男と3人の女が、どこからとも知らずこの国に現れ、大司祭の死体が発見された。
 1人の男と3人の女は村人達の取り囲む中で性技を尽くし悶え狂ったという。このとき3人の女は妊娠したのだが、にも関わらず臨月まで村の男達と交わり続け、男達の病は徐々に回復していった。また、1人の男は次々と村の女に精液をそそぎ込み、やはり回復の道を辿ったのだった。
 これらは全て公衆の面前で行われた。それは見るものの身体すらとろけさせるほどの壮絶なシーンで、噂が噂を呼んで見物人が押し掛けた。しかも、見物した者はみんな「明日は自分」と望まずにはおれなかったという。
 さて、どこからともなく現れた女3人が産み落とした子が男1人、女1人、そして女の双子が2人。この子らは「直系」と呼ばれ、一番裕福な家で育てられた。どこからともなく現れた1人の男と3人の女は、女たちの出産を機に姿を消してしまった。
 そして直系が生んだ、または生ませた第1子がやはり直系の血を受け継いでいた。直系の血、それは類い希なる性へのきわめて強い執着を持った、言い換えれば淫乱の血である。しかも直系は、ただ色を好むだけでなく、例外なくその相手を虜にしてしまうという才を備えていた。
 誰に教わるでもない、細胞の中に刻まれた記憶として。
 肌を重ねるごとにその記憶は蘇り、やがて天に舞うがごとき快感を得る。そしてその時期を過ぎると、性奴への坂道を転げ落ちるがごとく他のことが見えなくなり、やがて食するを忘れて交わり悶え続け、間もなく命果てるのだ。
 その性を少しばかり封印する方法が発見された。直系は性の交わりの他にも優れた能力を持っていることが多く、セックスに明け暮れ死んでいくのを惜しまれたからである。ただし、その封印は完全なものではない。少しばかりの封印である。魔法術の限界がそこにあった。
 封印は、初体験とともに解ける。それほど強い封印ではないので、初体験の後は細胞の記憶が呼び起こされるからだ。だが、結婚後であれば別である。「生涯この人と」という気持ちと、そして結婚という制度が、性奴への坂道を転げ落ちることをわずかに引き留めるからである。
 大陸のあちこちに国は散在している。国によっては「結婚するまで交わらない」のが当たり前の所もある。例の1人の男と3人の女はいくつかの国に現れたという。結婚まで求め合わないのが当たり前の国では、人前で激しいセックスを披露するこの4人は不貞のやからとしてすぐに追い出されてしまった。けれど、アスワンの国のように、幼い頃から心の赴くままに性の悦楽を教授する国もある。こういう国では性奴を生み出してしまった。結婚後であってもフリーにセックスするのが慣習になっている国は滅んでしまったとさえ言われている。
 4人は性の悦びを伝える伝道師でもあり、同時に、誰とでも寝ることへの戒めを説いてまわったのだとも言われた。

 ヨウシャがこの話を聞いたのは、アクアロスと夜をともにした翌日だった。本当はいつものように、肌ふれあった後、家に帰るつもりであった。でも、帰れなかった。朝帰りである。
 自分の身体の中に進入してきた大きなもの、その違和感がやがて快感の余韻となって、いつまでもいつまでも消えなかった。
 ひとつになれたという充足感が、じんわりと全身を包んでいった。
 肩を抱きやさしく愛をささやくアクアロスの横で、ヨウシャはますます身体が火照っていくのを感じていた。
「ねえ、もう一度。もう一度抱いて」
「ああ」
 そんなことを繰り返しているうちに、朝になってしまったのだ。
 回数を重ねるごとに、違和感が消え、それを上回る気持ちよさ、アクアロスとの一体感、細胞がとろけるような感覚が波のように押し寄せる。波はだんだん高くなり、そのなみに全てが飲み込まれたとき、昇り詰める。それがイクというものだと、すぐに理解できた。
「本当に初めてなの?」と、アクアロスは訊いた。
 ヨウシャの村では処女が珍重されるような風習はない。アクアロスがこんなことを訊いたのは「初めての女の子は痛みにさいなまれ、快感どころではない。このことで一生セックスを忌み嫌ってしまうこともある。だから処女の女を抱くときはとりわけ優しく、丁寧に、固く閉ざされた肌をゆっくりと解きほぐすように愛撫しなくてはならん。セックス嫌いの女がいたら、初体験をした男の責任だ」と教わっていたからだ。
「初めてよ・・・。優しくしてね」

 夜を徹してお互いの身体をとろかせながら、二人は何度も何度も昇り詰めて朝を迎えた。
 心地よい疲労感に包まれていたのが、いざ帰ろうとすると足腰が立たなくなるほどの強烈な脱力に見舞われていた。ヨウシャは這うようにして家に戻った。



「したわね」
 リュディはヨウシャの様子を一目見て全てを把握した。
 ヨウシャは黙ってうなずいた。
「わかっていた。わたしには、すべてわかっていたのよ・・・こうなることは。ああ・・・」
 リュディは視線をヨウシャからそらし、力無くつぶやいた。
「・・・・お母さん」
 母の表情に深く刻まれた悲しみの色。
「お母さんが悲しんでいることはわかるわ。けれど、それがどうしてなのかわからない。わたしたち、愛し合ってるのよ」

 母は語らねばならなかった。直系の血、その伝説を。そして、封印破られし後、セックスに猛り狂うその血を沈めるための、唯一の方法を。
 リュディは思う。食べることも寝ることも忘れ、セックスに明け暮れて狂い死んでいく方が幸せかもしれない、と。だが、最愛の娘のそんな無残な姿を見ることなど出来ない。救ってやらなくては。
 だがそれは、ヨウシャにとっては過酷な選択でもある。
 母は、唯一の方法を語り終えた。それは同じく直系の血を引く男と交わることだった。
 それはまるで地獄と天国が交互にやってくるような、激烈な交わりであるらしいこと。しかし、この激烈さをもって血を封じることが出来るであろうこと。ひとつのショック療法だ。
「直系の血を引く、男の人って?」
「アスワンの王子」
「アスワンの、王子様?」
「そうよ」
「会いに行けばいいのね」
「でも、問題があるのよ」
「問題?」
「しっかり、理性を保ちなさい」
「理性を?」
「旅の目的は何なのか、忘れてはダメよ。日々あなたはセックスの虜になっていく。やがて、それだけのために生きるようになるわ。理性だけがそれを引き留める。理性で身体を制御して、時間を稼いで、全ての理性を無くす前に王子に会いなさい。でも、」
「でも?」
「身体の求めに応じることも大切よ。そうしないとあなたはまた別の意味で狂ってしまう。」
「狂ってしまうの?」
「そうよ。あなたの感度は日々増していき、身体の欲求も強くなる。それを無視すること、それは自我の崩壊を招くのよ。」
 ヨウシャは背筋が寒くなるのをはっきりと自覚した。
「わたしは、どうすればいいの?」
「やりたいときは、やりなさい。そして、そうではないときは、理性を強く持って、本来の目的を見つめなさい。失いそうになったら、思い出しなさい。そして、全ての理性がさいなまれてしまうまでに、王子と交わるのよ」
 ヨウシャはどう答えて良いのか分からなかった。
「さあ、行きなさい。王子の所へ。あなたの細胞は今も少しずつ侵され初めている。早く、行くのです。」

 こうしてヨウシャの旅は始まった。
 

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