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校舎の屋上で見たあの巨大でおぞましい黒い鳥のようなものが「黒死鳥」で、あたしはそれを退治するために祈りによってこの国に召喚されたんだ、ということはなんとなく理解できた。だが、理解はできたけれども、納得なんてできない。 自分の身に突如起こった事象を否定しても始まらない。それがどういうものかもなんとなくはわかる。けれど、「祈りによって召還された」ことをどう解釈すればいいのか。 あたしは元いた世界で、それなりに幸福に、それなりの友人に囲まれて、とりあえずは平穏に過ごしていた。 それがいきなり呼び出されたのである。135年前という過去にこの国を救ったという理由だけで。 よく考えたら、135年前にあたしがこの国を救った、という逸話自体が疑わしい。何らかの方法で時間移動が可能だとして、135年前に確かにあたしがこの国を救ったのなら、あたしにはその記憶があるはずだ。 しかし、それが無いということは、この肖像画に描かれているあたしは、あたしじゃない。 このおかしな事態について、いくつか考えられる事はできる。 ひとつ。135年前の逸話そのものがデッチ上げで、あたしを納得させるための材料として肖像画も捏造された。 ふたつ。逸話も肖像画もホンモノだとして…、パーオやパーメはもちろん、その回りの人間だって、135年前に生きていたわけじゃない。語り継がれてきた伝説があるだけだ。だから、当時の伝説の手がかりとなる肖像画によく似たあたしが、聖姫とやらに祭り上げられた。 みっつ。肖像画の中のあたしは、肉体はあたし本人ではないが、輪廻転生によって魂はあたしそのもの。あたしには前世の記憶はないが、伝説と肖像画によって、この国(村?)では受け継がれている。 よっつ。過去の出来事は全て実際にあったこと。ただし、あたしに関しては単なる人違い。けど、人違いのというのなら、あたしはどういう基準で選定されて召還されたのだろう? いずれにしても、一時の動揺が収まって冷静に考えられるようになると、どうにも納得できない事ばかりが頭に浮かぶ。 そんなあたしの表情を見て取ったか、「ゆっくりとお話をして差し上げましょう」とパーオは言った。 |
パーオはまず世界の成り立ちから話しはじめた。 それによると、ここはあたしの住んでいる世界とは別の世界である。やっぱりな、とあたしは思った。あたしは空に吸い込まれるように連れ去られたのだ。普通ならやがてそのまま地上に叩きつけられるだろう。竜巻に飲み込まれ、やがて竜巻から放り出されたかのように。けれど、あたしは安息なベッドの上で目覚めた。普通ではありえないことだ。あたしがそれまで存在していた世界とは何か別の力がそこには働いていると考えることができる。 このような「別の世界」は並行的にいくつも存在することが既に証明されているのだとパーオは言った。 ふうーん、そうなのか。あたしが居た世界ではそういうお話は絵空事だった。こっちの方が科学が進んでいるのかもしれない。 次にパーオは、あたしが見た黒く不気味な物体について説明してくれた。 「あれは、死鳥です。中でも黒いものは黒死鳥と呼ばれています」 死鳥と呼ばれるおぞましい巨大な妖鳥は世界を飲み込もうとしている。長い長い歴史の中で、思い出したように人々を襲ってくる。 学校の上空に現れて、あたしがこの世界へとばされたきっかけとなったあの黒い鳥は、死鳥の中のひとつ、黒死鳥である。 死鳥が現れる周期は明らかでない。135年前以前の襲来については確かな記録がない。歴史書の中で「災害」とされているもののいくつかは、この死鳥のせいだろうと言われている。 死鳥はいくつも存在する平行世界を自由に行き来でき、さらに時間までも越えることが出来るのだという。あるいは不死身。または生まれ変わり? 人間の寿命では、どれが本当かを計り知ることは出来ない。 詳しいことはわかっていないのだ。 わかっているのは、倒すことが出来なくても撃退しなくてはならないということ。さもなくば、町を破壊し尽くし、人々を殺戮し、文化を蹂躙していくからである。但し、死鳥が襲ってくる目的はわかっていない。 歴史書によると、ある時は神と畏怖されある時は悪魔と忌み嫌われていた形跡があるそうだ。 そしていま再び、死鳥のうちの一つ黒死鳥がここ数ヶ月の間に何度か現れたというのだ。小さな厄災はもたらされたが、決定的な攻撃はまだ受けていない。応戦によって持ちこたえてもいるし、黒死鳥もまだ偵察の域を出ていないような感じもするらしい。 「神学者や歴史学者が色々と研究していますが、とりあえず我々は死鳥を撃退して、国と人を守らなくてはならないのです」 |
「く、来るわ…」 パーメが怯えた口調で言った。 それまでゆったりした表情であたしに語りかけてくれていたパーオも、表情を一変させる。それは厳しい戦士の目であり、また同時に冷徹な司令官の目でもあった。 カタカタと言う音は、パーメの上と下の歯が当たって発せられているものだった。パーメは震えている。さっきまでの明るい彼女からは想像も出来ない。頬は蒼ざめていた。死鳥の所業がどんなものか知っている彼女だから、恐怖心も大抵のものではないのだろう。 外が急に暗くなり、窓を振動させる低いが大きな音が、世界を包み込んだ。 あたしは学校の上空に現れたそれを思い出した。大空を包み込む真っ黒で重量感タップリのそいつ。あたしの部屋に差し込む光を遮るには十分だ。暗くなるのも当然と思えた。 窓の外に延々と広がる山脈の海。その上空に奴は停泊した。よく見ると、実にゆっくりした動作で羽に当たる部位を上下させているのがわかる。なるほど、鳥なのだ。死を呼ぶ黒い鳥。黒死鳥。 「ど、どうなるの、あたしたち」 あたしは急に不安に襲われた。黒死鳥が人類にとって厄災だというのなら、あたしもパーオもパーメも何らかの攻撃を受けてこのまま滅びてしまうのだろうか。 「見ててください。戦いが始まります」 パーオは両手を広げて頭上にかざした。 それが合図だったのだろう。窓の外には戦闘機が展開した。肉眼で追えるのもあるし、猛スピードで旋回したり目の前を横切ったりで、あっという間に見失うのもある。スピードも性能もパイロットの技術も相当なものなんだろうなとあたしは思った。 正確に数えることは不可能だけれど、おそらく全部で20機は下らない。 それにしても、ここはどういう世界なんだろう。 あたしは戦闘機に関して詳しい知識を持っているわけじゃないけれど、今、空を舞っている20数機の機体達は、相当な技術力で作られたものだと思う。 あたしがいるこのお城の窓から見下ろした村(国らしいけれど)からは想像出来ない。だって、どう見たって農業中心の生活のように思えるし、車やバイクの類も見当たらないもの。 しかも、戦いを始めるときの合図。そう、パーオが両手を頭上に広げたあの瞬間から、戦闘機は現れた。あれは間違いなく合図だろう。けれど、パーオは何も叫んでいない。ましてインカムなんてつけていない。スイッチを押したわけでもない。なんらかの機構が働いたのではなく、気合ひとつで戦闘が開始されたとしか思えないのだ。 並行して別に存在する世界からあたしを呼び出した、そんな世界観からすると、まるで剣と魔法のファンタジー世界。そこにあの戦闘機群。 ファンタジーと最新の科学力が融合したのが、この世界なの? |
「か、勝てるの?」 パーメが小さく呟いた。 彼女は胸の前で握り締めた拳を小さく震わせながら、心配そうに窓の外を見つめている。 あたしが「この世界」について思考をめぐらせている間も、彼女は戦況だけを見つめていたのだ。そりゃあそうだろう。あたしには不思議な世界観でも、ここで起居する彼女にとっては日常なのだから。 「いや、勝てない。せいぜい追い返すのが関の山だ」 空を覆った黒死鳥に向かって戦闘機たちは光の束を投げつけていた。 だが効果はあまりなさそうだ。全体が大きいので確かなことはいえないけれど、黒死鳥のその姿態はまさに「微動だにしない」状態だった。エネルギーの固まりのような閃光をそのボディに幾本も受けているというのに、黒死鳥は柳に風なのだ。 勝てない、と呟いたパーオの額に刻まれた深刻な皺。 「だが、今までは勝てなくても、これからは…」と、パーオはあたしを振り返った。 「これからは?」 「聖姫様、あなたが倒して下さるでしょう」 「は、はあ? あたし?」 あまりにも真面目な口調でパーオが言うものだから、あたしは腑抜けた声で返事をしてしまった。 やっぱりそうか、という諦めに近い思いと、なんであたしが、という不条理な気分が半ばした。 パーオは相変わらず同じトーンで、「そうです。聖姫様。あなたはそのために召還されたのですから」と言った。 |
どうもあたしは、この世界に飛ばされてきたときから、なんとなく予感というか予想というか、「ああ、巻き込まれてしまったんだな」という思いはあった。 これは現実じゃないとパニックを起こすことも可能だったのに、心の中のどこかが妙に冷静で、世界を分析していたりもした。 普段から「騒いだり喚いたりしたって、どうしようもないじゃん」って感じの冷めた部分をあたしは持ってはいたけれど、事の大きさに関わらずそういう持ち味って変わらないものなのかなあ。多分、そんなことはないだろう。 だったら、あたしが凶悪犯人に誘拐されて、全身をロープで縛られて喉元にナイフか何かをあてがわれ、犯人が両親に身代金よこせという電話をすぐ傍でしていたとしても、同じだろうか。 きっと、こんなに冷静に受け止められないと思う。 違う世界、などという既に等身大ではない事象に取り込まれてしまい、おそらくもう自分を見失っているのだろう。新しい自分を確立しないとどうしようもないと感じているのだろう。 ショックが大きすぎると、取り乱すことも人は忘れてしまう。きっとそういうことなのだろうな。 誘拐犯に囚われて命の危険を感じれば取り乱すくせに、人類の命を背負って戦えと言われれば、ああそうなのかとか思ってしまう。 しかし、どうやって? あたしには武術の覚えもないし、火器も扱えない。 普通に考えたらあたしがあんなの倒せるわけがない。 けれどここには、あたしが戦って黒死鳥を撃退したという135年前が残っている。あたしはいったいどうやって戦ったんだろう? |
そうこうしているうちに戦況に変化が現れた。 ただ闇雲に光の束を投げつけていた戦闘機群は攻撃をやめ、撤退を始めた。 「エネルギーが切れたな」と、パーオ。 それまでただ攻撃を受けていた黒死鳥が、バサッと揺れた。羽を上下させた、そんな感じだった。 空気が膨大なハンマーとなって戦闘機群を叩きつける。機体はバランスを崩し、失速し、急降下を始めた。 「あ、いやああ、みんな死んじゃう」 パーメが悲壮な叫び声をあげた。 「大丈夫だ」 戦闘機は森へ向かって落下しながら、驚くべきことに姿を変化させていった。 翼をすぼめ、操縦席が中央部に引っ込み、尾翼部分もまた中央部に寄った。各部位が中心に集結していく。同時にその中央部分からせり上がったそれはまるで戦車の砲台。さらに砲身が斜め上方へと伸びてゆく。 落下速度が急激に緩やかになったと思ったら、機体下部から猛烈なエアーが地上へ向かって叩きつけられていた。 ホバークラフト? どのような原理と装置を使っているのかは判断がつかない。機体下部はこの位置からは見えないからだ。戦車へと変化したそれは既にあたしたちの視線より下にある。しかもキャタピラがいつのまにか装備されていて、気体を噴出しているであろう戦車のお腹に当たる部分はキャタピラに遮られてもいた。 「すごい、変幻自在なんだ」 感嘆してあたしが言うと、「自在ではありませんよ。最初から設計されたとおりにしか変幻できません」と冷めた声でパーオが答える。 ともあれ、墜落という事態は免れそうだった。 「助かるのね」 ため息混じりにパーメが声を漏らす。 「戦士の命はね。でも町はどうなるかわからない。すぐ体勢を立て直して、ヤツに打撃を与えねば、町を攻撃されるかも知れん」 パーオは深刻の度を増している。 森林の中に着地したらしい20数機の戦車たちは、しかしパーオが期待するような攻撃はしなかった。思い出したようにボンボンと砲撃の音が数回し、空中戦で見たときと同じような光の束が黒死鳥に向かって飛んでいく。 「時間稼ぎだ。もともともうエネルギーはさほど残されていない」 パーオの悲痛な台詞にあたしは質問をする気にならなかったが、おそらく戦車隊が撤退を完了するまで、残された最後のエネルギーを黒死鳥に打ち込むことによって、向こうからの攻撃をさせないようにしたのだろう。 ということは、あの光の束のエネルギーもそれなりにダメージを与えているんだろうか? ピクリともしない黒死鳥からはそんなものは微塵も感じられないのだが。 「うむ、チルマは撤退完了した」 出撃を指示したときと同じように、パーオは無線も何も使わずに、「撤退完了」を感じたらしかった。 「チルマ?」 思わず聞き返すあたしに、「戦闘機から戦車に変化したアレのことです」と、解説してくれた。 「ホバークラフトみたいなことをしてあんなふうに落下をセーブできるなら、わざわざ戦車にならなくてもよかったのに」 直感的な感想を述べると、「飛行形態のままでは森の中は走れません」とパーオは答えた。 「でも、森が荒れるわ」と、パーメが悲しそうに呟いた。 「やむをえません」と、パーオが返事する。 「それより、アレは? アレでは対抗できないのですか?」 「今、出撃命令を出した。だが、アレはまだパイロットが十分じゃない」 アレ、とはいったいなんだろう。パーオとパーメの会話に口を挟む余地がなく、あたしはぽかんとしているばかりだ。 「アレですよ、聖姫さま」 パーオは窓の外を指差した。 そこには、乳白色をした球体が浮かんでいた。大きさは…、球の直系はおそらく大人の身長にわずかに及ばないくらいに見えた。ここからの距離感が掴みきれないので確実な所はわからないけれど。 「あれは、テレヌルです」 「テレヌル?」 「まあ、見ててください」 テレヌルはすぐに淡い光に包まれた。 テレヌルを包んだ光は徐々に膨張し、光沢を激しく放ちはじめる。 やがて臨界点に達したかのように、まばゆい光をまき散らしながら急激に大きくなり、そしてフラッシュアウト。 あたしは視界を失った。 白以上の白。 どれくらいの時間がたっただろうか。白が徐々に本来の空の風景の中にとけ込んでいった。そこにはもう黒死鳥の姿はなかった。 「あそこですよ」 パーオが指さした方角に黒い点が去っていくのが見えた。 「だが、ヤツは逃げたにすぎないのです。また襲って来ます。倒すことが出来るのは、聖娘様、あなただけなのです」 |
つづく |