遥かな草原の香り
=5=     

 

「いかがですか?」
 衣裳部屋を出るなりパーオに声をかけられた。
「何だか、とても気持ちいいわ」と、あたしは正直に答えた。
 最初に「ドン」とパワーの圧力を感じたとき、それは圧倒的な何かだった。しかし徐々にそれが変化していった。今は宇宙的な快感だの火事のように燃え盛る炎だのといったインパクトの強さはまるでない。ただふうわりと心地よい。
「違和感は、ありませんか?」
「ええ、ないわ」
 あたしはゆっくりと深呼吸をした。
「本当に気持ちよさそうね」とパーメが言うのと、「おお」とパーオがため息を漏らすのが同時だった。
「ううーむ。確かに気持ちよろしいでしょう」と、パーオはさらに腕組みをしてあたしを見つめる。「わたしにもそれはわかります」
 深呼吸をしたとたんに、あたしは身体中が温かくそして爽やかな空気で満たされたような気がした。それは単なる空気。だから、目には見えない。けれど、粒子のようなものがぐんぐんあたしの中に入ってくるのがわかった。
 あたしは「見えるの?」とパーオに訊いた。
「目に見える、というのとは少し違いますが、まあ、見えます。私も多少の能力者ではありますから」
 いったい何が見えるというのだろう。あたしと同じく粒子のようなものをパーオは見ているのだろうか。でもこれは見えるというより、感じる、に近い。
「あなたの周りに、源力がたくさん集まってきています」
「源力?」
「自然界に浮遊する、パワーの源というか、エネルギーというか、そういう物ですね」
「はあ…」
 ちょっとよくわからないなという顔をしたのだろう。パーオは解説をしてくれた。
「例えば、森の中で深呼吸したときや、温泉に入ったとき、身体の芯に残っていた疲れがジワッと抜けていって、さわやかさとか、力が湧いてくるとか、そんな感じを受けたりはなさいませんでしょうか? あるいはそうですね、真夏の日差しの中で熱くてたまらないときに、大きな木の陰の下に座り込んで風を受けたら、汗がすっと引いていくとか」
 それはきっとあたしがこのセーラー服を身につけたときに持った「草原の春風」というイメージと同じ事を言っているのだと思った。
「そう、そんな感じで気持ちのいいものがフワフワと身体を満たし、そして通り抜けてゆくわ」
「そう。それが源力ですよ、聖娘さま」
 源力、力の源。
「それが、聖娘様の能力です。源力が自由に操れれば、死鳥と戦って、この国を守ることが出来るのです。誰にでもある力じゃありません」
 パーオは「誰にでもある力じゃない」の部分を力を込めていった。
 あたしがこの世界に召還された理由を語っているかのように思えた。
「これから逢ってもらうテレヌルのパイロット、それから医者のフルダも能力者ですが」
 そこまで言って、パーオはいったん言葉を切った。表情がかげった。
「実は二人とももうボロボロなのです」
「ぼ、ボロボロって…?」
 あたしは不安になった。ボロボロとはどういうことなんだろう。黒死鳥と戦うというのはそういうことなんだろうか。
「黒死鳥と戦うために我々が作ったものは、その人の能力をより引き出す装置です。そのために人間としての限界を超えてしまったのです。限界を超えるとどうなるかおわかりになりますか? 身も心もエネルギーを放出するだけ放出し、疲弊しきった抜け殻だけが残ります。残酷なことだとはわかっていました。しかし、それしか選択肢はなかったのです」
 パーオは悲壮な口調だった。
「どうボロボロなのかは実際にお会いいただければわかります」
 そう言った後、あたしの表情に気がついたのだろう、パーオは付け加えた。
「いえ、聖姫さまは別です。もともと持っている能力が違いますから」
 それが本心なのか、それとも過酷な戦いを目の前に控えたあたしへの気休めなのか、あたしには判断がつかなかった。

 廊下をしばらく歩くと、ワイワイ騒ぎながらこちらへ向かってくる一団とすれ違った。あたし達を、というより、赤い作務衣の男を認めると、全員が立ち止まって敬礼をした。服装・態度ともに明らかに軍人だった。
 ついさきほどの戦いで黒死鳥を追い払ったからだろうか、気分は高揚しているように見受けられた。
「チルマのパイロットたちなんです」
 パーメが教えてくれた。
 あたしは、(なあんだ)と思った。黒死鳥に対して足止めはしたものの、エネルギー切れで結局は撤退。その後に登場したテレヌルとやらが実際には黒死鳥を追い払っている。まるで戦いに勝ったが如く盛り上がる必要がどこにあるのだろう?
 しかしすぐにあたしは考えを改めた。彼らの足止めがあったからこそ、テレヌルの発進までの間に村が襲われたりすることもなく、よって被害が出たりなどしなかったのだし、チルダのパイロットもテレヌルの搭乗員も同胞であるのだから戦いに勝った喜びを分かち合うのはごく普通の事だろう。
 彼らはあたしたちが横を通り過ぎるまで立ち止まったまま敬礼を続けていた。あたし達が行き過ぎるとヒソヒソ話がはじまった。後ろから「聖娘様」とか「まさか」とか、そんなささやきが聞こえてくる。
 パーオの耳にも届いていたはずなのに、彼はそれを無視した。
 あゆみを続けながらパーオが言った。
「我々のもてる科学力の全てを結集した戦闘兵器、それがチルマです。ただし、それでは人間同士の戦争には勝てても、死鳥には対抗できない」
 そして、ひとつの扉の前で立ち止まった。
「ここが戦闘兵器の格納庫です」
 パーオはドアの横にあるキーボードをぽんぽんとたたいてから、ノブを引っ張った。ドアの中はひたすらに広く、戦車形態をしたチルマがおそらく30機以上と、それを取り囲むように鉄骨や機器類がひしめいていた。男は格納庫と言ったが同時に整備工場でもあるようだった。
「先を急ぎましょう」
 扉を閉じたパーオに促されて、さらに廊下を進む。そして立ち止まる。
「聖娘様のIDは371#045です。開けてみて下さい」
 先ほどの格納庫の扉は無機質なものであったが、今度はそうではなかった。扉には、白い大きな丸と、その丸の一部を覆い隠すような黒い丸が描かれていた。
 ただ描かれているだけではない。扉の表面に立体造形として施されている。その造形をさらに二等辺三角形が囲み、底辺部を二本の手が支えていた。その手はまるで祭壇の前で神様に貢物を捧げるように、掌をこちらに向けていた。三角形の底辺はふたつのその掌にのっかっているのだった。
 何かを象徴しているようだとあたしは思った。
 白い丸は太陽。大地にエネルギーを注ぎ、あたしたち人類を温かく見守っている。黒い丸は黒死鳥、または禍全般。太陽の恵みを遮り人類によくないことをもたらす。
 それとも、太陽と月だろうか。
 日蝕の様子かと一瞬思ったが、そんな単純な意味合いではないだろう。例えば、人生には光も影もある、というふうにも解釈できた。こう思うと、二本の手は自然だ。全てを包含した三角形が何者かによって支えられているのだから、いわば「全て運命という名の手の内にあるのですよ」ということだ。そしてそれらは神からお見通しなのである。
 そこまで考えて、まあどうでもいいや、と思った。
 格納庫と同じように、扉の横にはテンキーがある。あたしは「371#045」と頭の中で反芻しながら手を伸ばした。

「あ、ちょっとお待ちください」と、パーオが言った。「IDを打ち込まずに、直接ドアノブに手を触れてみてください。25000マクル以上の能力者なら、ただノブに触れるだけでいいんです。試してみて下さい」
「ニマンゴセン…、何?」
「25000マクルです。マクルは源力を取り入れたり増幅したり放出したりなどの総合的な能力の単位ですが、簡単に言えば人間の生命力とでも言えばよいでしょうか」
 マクルなどという単位は初耳であったし、25000という数値がどの程度のものなのかもわからない。
 テンキーに伸ばしかけた手をあたしはストップさせた。
「直接、ドアノブに。お試しください」
 あたしの能力を計測するという目的もあるのだろう。
 わかった。それならその企みにのってあげようじゃない。
 あたしは黙ってうなずき、ノブに手を触れた。

 その瞬間。
 あたしの周りを包んでいた温かくて優しくて爽やかな力が、あたしの肌に集まって、身体の中に取り込まれていった。その力は全身からノブに触れた手に流れてゆく。
 気持ちいい。
 あたしの身体を流れていった、それは、何なの?
 緊張と弛緩、興奮と安らぎ、覚醒と恍惚、昇天しそうになるほどの快感。
 セックスで絶頂を迎える寸前の状態に少し似ていた。性感帯だけじゃなく、身体のどこに触れられても電流がビンビン走るあの心地よさ。頭が真っ白になって脳みそが溶けていくあの感覚。
 似ていた、というのは、それと全く同じではなかったからだ。
 快感の度合いは同等かそれ以上なのに、ものすごく穏やかで柔らかい。肉体の快感などは通り過ぎて、それよりも高みにあるもの。まるで魂そのものが官能にいざなわれているみたいだ。

 ドアはあっけなく開いた。とてもセキュリティーが施されてるとは思えなかった。
 促されて中に入ろうと足を一歩前に出した。
 ぐちゅっと音がした。
 うそ…。
 性器がたっぷりと濡れていた。

 部屋の中の様子はさっきのメカニックな格納庫とはうってかわっていた。例えて言うなら、大きな病院の中にある診療室のひとつ。ベッド、薬品類の並んだ棚、書架。壁には埋め込み式の計器類があり、いくつかのラインも伸びている。デスクの上にはうすっぺらい書類と聴診器。サイドデスクには包帯やガーゼやピンセットや、薬品の入った小瓶に綿棒、そして何に使うのかよくわからない小さな道具達。白衣を着た女性が二人。看護婦だろう。
 軍服の男が一人いたが、場にそぐわないとは感じなかった。戦闘で怪我をした軍人が診療室を訪れる。不思議でもなんでもない。
 ただひとつ、普通の診察室にはこんなものは存在しないぞ、というものがあった。
 部屋の中央を占めるそれは、乳白色の球体だ。
 それが何なのかはあたしにはピンときた。テレヌルに違いない。絶大なパワーを振りまいて黒死鳥を追い払った秘密兵器。
 意外と小さい。直径は1メートルを少し上回る程度だろうか。
「これがテレヌルです」とパーオが言った。
 やはり、とあたしは思った。
「まだ、中に?」とのパーオの問いに、「はい、総司令官。かれこれ30分になります」と看護婦の一人が答えた。
 途中ですれ違った軍人達が大げさな態度を取ると思ったら、パーオは総司令官なのだった。
「危険だ。フルダ先生を」
 声色が急激に切羽詰ったものになる。
「しかし総司令官、先生も…」
「先生が限界なのはわかっている。しかし、これ以上は」
「わかりました」
 緊迫した空気が伝わってくる。
 看護婦は受話器を取り、二言三言会話を交わした。そして、「すぐに来て下さるそうです」と報告した。
 パーオは頷いた。
 しかし、「すぐ」のはずがなかなか医者は現れなかった。無言の中でじりじりと時間だけが過ぎてゆく。やがてやってきた白衣の男は、腰がほとんど90度曲がった老人だった。一歩、また一歩と足を進めるたびに杖を突き直す。
 これではいくら先生が「すぐ」に行動しても時間がかかるはずだ。
「先生、もう30分以上も、反応がありません」と、看護婦。
「そうか。しかし僕に残された力で、テレヌルが開くかどうか」
 声はしわがれてたが、口調は意外と若々しいように思えた。この風体なら「わしの力で出来るかのお?」とでも言いそうなのに、一人称が「僕」とは。
 あたしは不思議な気分にとらわれた。何か違和感を感じだ。
「しかしこのままでは、先生」と、パーオ。
「そうだね、うん。やってみよう」
 老医師が、カプセルに手をかざした。
 とりたてて力んだりしているようには見えないが、眉間のしわがぐんぐん深くなっていった。

 カプセルは真っ二つに割れた。
 そのとき、二つの悲劇が起こった。
 カプセルの中からは血まみれで全裸の女性が現れ、床に崩れて落ちた。
 看護婦が駆け寄り白いシーツで彼女をくるみ、二人がかりでベッドの上に運び上げた。
 悲惨だった。とても女性とは思えなかった。全裸だったので、シーツでくるまれるまでの一瞬、男性器がないがのわかった。だから女性と判断できた。しかしそこには女性らしい柔らかなカーブはひとつも存在しなかった。皮と骨だけだった。もし血を流していなかったらミイラと見間違えたかもしれない。限界以上の能力を引き出すとは、つまりこういうことだ。肉体を削り、命を削る。
 もうひとつの悲劇は医者のフルダに起こった。
 彼もやはり床に倒れたのだ。
 くぐもったうめき声が「うっうっ」と室内に響く。この声がなかったら「老人が老衰で死亡した」と言われても納得できるとあたしは思った。
 看護婦がフルダの口元に耳を近づける。
「やはり、源力注射を? そうですか…」
 看護婦は力なく呟いた。
「他に方法はないのですか? 源力注射は結局のところ命を縮めます」
 もう一人の看護婦が叫んだ。
「他に、方法は、ない」
 それだけ言い残し、フルダは意識を失った。

 パーオがかいつまんで説明してくれた。
 まず、マクルという単位について。
 簡単に言うとこれは人間が持っている生命力のことである。あたしはこれを自然界から取り入れ自分の中で増殖したり一点に集中したりして放出することが出来る。これは誰でも持っている能力なのだそうだ。なぜなら、生命力だから。
 例えば、ものを食べてそれをエネルギーに変えたりする能力もマクルである。あたしたちはこうやって自然界からの恩恵を受けることなしに命をつなぐことは出来ない。
 常人の場合、個人差はあるもののこれが少ない者でも700、多い場合は1500程度だという。
 5000を超えると能力者とされる。
 マクルは誰もが持っているものだが、以前パーオが「誰にでもある能力じゃない」と言ったのは、能力者の基準である「5000」を超える者、という意味だ。
 ちなみにパーオは7000だという。能力の発現の仕方は様々だが、パーオの場合は源力すなわち自然界に浮遊するパワアを認識し、その流れを知覚することが出来る。
 フルダは20000。これくらいになると源力を自由にコントロールして生身で闘うことが出来る。
 テレヌルに搭乗していたのはパインという19歳の少女で、マクルは30000。確認されている能力値としては最大で、テレヌルは彼女が搭乗することを前提に開発された。
 なにしろテレヌルは能力を限界いっぱいに引き出すための器である。中にいる人間の命の灯を吸い取ってエネルギーに変換し、敵を倒すための道具なのだ。マクル値が30000を超えている場合はこのような場合でも自然界に浮遊する源力を必要な分だけ吸収できる能力があると考えられていたし、またパインも最初はそうだった。もともとパインの能力に合わせて開発された器なのだから、そこに悲劇は起こらないはずだった。
 しかし、戦闘は過酷を極め、度重なる出撃にパインは衰弱した。
 さて、常人の平均値が1000だが、人間は活動にともなって疲労する。疲労とはマクル値が減っていくことを意味する。これが「0」になるとどうなるか。あたしは死ぬのかと思ったが、そうではないらしい。パーオの説明によると、普通は「0」にはならない。なぜなら、身体が本能的に休息や睡眠を欲するからだ。そして「0」とは、疲れ果ててその場で昏睡してしまう状態のことで、こうなると疲労を回復するまで全く動けなくなる。やっかいなことに食事をとるエネルギーすらない状態なので、意識不明のまま肉体を削って回復のためのに使うことになる。飲食によってエネルギーを得られるまでに回復する頃には、やせ細ってしまっている。多くの場合、精神も蝕まれている。
 そして、源力注射。これがなぜ人の命を縮めるのか。
 それは、この注射によってマクルが補われるのではないからだ。1アンプルでおおよそ「100」の効果があるといわれているが、「100」を補充するのではなく、「100」を無理やり引きずり出すための薬品である。
 すなわち、「0」の者にこれを3アンプル注射すれば見かけ上「300」になるので、なんとか目を覚まして最低限の食事を取ることが出来るようになる。しかしこの「300」は無理やり引きずり出されたパワーであるから、「−300」になっている。意識不明の昏睡よりもさらに悪い状態になるのだ。
 本来なら身体を構成するべき血や肉や骨を削り、精神を蝕んで、ようやく得ることの出来るパワーなのである。
 たとえ命を削ってでも外からのエネルギー補給を受け入れる状態まで持ち上げないとパインの回復は見込めない。だから、余計に悪くなるとわかっていても源力注射をするしか方法がない。看護婦と医者のやりとりはそういう意味だったのだ。
 最近では度々やってくる黒死鳥の脅威のために、パインはマクルが完璧に回復するまもなく出撃していたという。テレヌルは25000以上のマクルがないと操れない。このためパインは出撃前に、20アンプル、30アンプルと服用した。回を重ねるごとに量が増え、今回は50アンプルを打っていたという。
 ちなみに女性の場合、男性経験によってこのマクルは上昇するとされている。
 特に能力者の場合はその上昇度合いが突出していて、解析の結果、パインがバージンを失えば3000マクルを得られたと推定されていた。
「早く恋人を作れと言っていたのだが、戦いに明け暮れて恋愛する暇などなかった」
 パーオの呟きに、「バカ! 何ひどいこと言ってるのよ!」とあたしは叫んだ。
 恋人を作れって言ったって、それはパインの幸せのためじゃない。戦いの能力に利用するためじゃない。
「女をバカにしないで」
 男を知らないまま戦闘で心と身体をぼろぼろにしてしまったパイン。ミイラみたいな状態になって、愛してくれる人なんて現れるわけないじゃない。男に抱かれる幸福も快感も知らないままあんな死体以下の状態になるなんて、ひどすぎる!
 知らず、涙が出た。
 パーメがそっとあたしを抱きしめてくれた。

つづく

 



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