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部屋にはゆったりとした空気が流れていた。パインが亡骸のような姿で横たわり、パーオとパーメが悲壮な表情を浮かべ、看護婦たちが絶望的な治療に眉をひそめ、医者か患者かわからないようなヨボヨボのフルダが苦悩に満ちていた、あの数瞬前の空気はどこにも無い。 あたしが放出したパワァが全てを癒し、元通りにしたのだった。 そういえば、病室には二つの種類があったなとあたしは思う。 回復への道筋が見えていて希望に満ちたそれと、ゆっくりと死の階段を下り行く絶望的なそれ。 友達が交通事故で入院したその病室は前者で、明るかった。彼女はベッドに身を横たえていたけれど、それはギプスに固められた足を吊られていたから起き上がることが出来なかっただけで、「いやあ、失敗失敗」と照れ笑いする彼女には、明るい希望の色しか見えなかった。 授業のノートのコピーを渡そうとすると、「せーっかく勉強の無い世界に来たのに、やめてくれ〜」と彼女はふざけるのだった。 一方で、曾祖父の病室は暗かった。体力をすっかりなくして目の光も衰え、お迎えが来るのを待つばかりだった。 しかし、暗いのはあたしだけで、大往生ともいえる年齢に達した曾祖父を取り囲む親戚達の表情は決して絶望的なものではなかった。みんな覚悟していたのだ。そうだ、あの時は「死の階段を下り行く絶望的なそれ」ではなかったのだ。「天に召されるそのときを静かに待っていた」のだった。 そう思うと、あたしは絶望的な病室というのを体験したことがない。 ミイラのようにひからびたパインの姿、それが唯一の経験だった。 |
あたしのパワァの放出で救われた人たち。絶望的な病室はその瞬間に、明るい春の太陽が輝く空間となった。 しかし、それでもあたしたちは戦いの渦中にいる。そのことに気付かされたのは、カツカツと冷たい音を発して近づいてくる足音だった。 医務室がノックされ、あたしたちの誰も返事を返さぬうちに、無造作に扉は開いた。そこには、軍服姿の恰幅のいい男がいた。 「パクラーレ将軍!」 名を呼んだのはパーオだった。 その声につられて全員が敬礼する。 外来者のあたしには、この世界での上下関係がわからない。それにあたしはもともと「目上の者に敬意を払わない」不良娘で、そういう感覚が欠落していた。にも関わらず、厳粛な気持ちになったのは、やはりその場の雰囲気だろう。 あたしは小さく黙礼した。いまさら敬礼でもなかろうと思ったからだ。 |
「いったん消滅、あるいは撤退したかに思えた黒死鳥は17時間の距離に再び出現した。戦闘態勢を整えられたし」 パクラーレ将軍は事務的に言い放った。 そして、その後に表情は苦渋に彩られた。 「とはいえ、もう打つ手はないのだろうな」 「いえ!」 力強く答えたのはパーオだった。 「聖姫様の測定は既に終了しております。圧倒的に我が方に有利です」 「そうか、ならいいが……。しかし、この娘には戦いの経験はないのであろう? 能力があるのと実践にて戦えるのとは違う」 「将軍! いかに将軍といえど、聖姫様に『この娘』などと言う言い方はおやめ頂きたい」 確信に満ちた光をギラギラとみなぎらせたパーオの目に、将軍はたじろいだ。 「あ、いや、これはすまぬ……、とはいえ、最新鋭の技術を駆使した我が方の軍隊が苦戦しているのだ。いかに逸話に登場する聖なる姫といえど、いきなり実践に投入して勝機はあるのか?」 「そ、それは……未知数です」 「うむ。未知数だ。これまで我が軍はかろうじて黒死鳥を追い払ってきた。だが、ダメージを与えることは出来なかった。そして、我が軍はその都度傷ついた。黒死鳥襲撃のたびに打撃を受け、回復できぬままに再び戦いの場に立たねばならなかった。黒死鳥の目的も、正体もわからぬまま、ただやみくもに戦ってきた。このままではいずれわが国は滅びる」 「私に聖姫様をしばらく任せてもらえませんでしょうか?」 口を挟んだのはフルダだった。 「貴様は、何者だ?」 老人から青年医師に変化を遂げたフルダを、将軍はそれと認めることが出来なかった。 「元戦士、そして医師のフルダです」 「なに? フルダ先生は老医師のはず……」 説明役を買って出たのはパーメだった。パーメはフルダがパワァの使いすぎによってその姿を老人に変えていたこと、あたしの力の解放によって失ったパワァを再び得て、元の姿に戻ったことなどをかいつまんで説明した。 「そうか、聖姫様とやらの力はそこまで偉大だったのか」 「私が聖姫様に、この戦いのことを責任を持ってお教えします。黒死鳥の来襲まで17時間とのこと。それだけあれば、説明とトレーニングには十分です」 「よし、わかった。君に任せよう」 「はい」 「だが、ひとつだけ心しておいて欲しい。我が軍が17時間後に出撃できるチルマはもう残りわずか5機だ。テレヌルはパインの専用機しかない。君たちは生身で戦うことになる。やれるか?」 フルダはにやりと笑った。 「チルダもテレヌルも必要ないでしょう。私と聖姫様で、この戦いは終焉を迎えるに違いありません」 「ん、その言葉、忘れるな」 |
「少し話そう……」と、フルダは言った。 「え? でも」と、あたしは戸惑う。「17時間後に戦いを控えてるんでしょ?」 いくら能力値が高いとチヤホヤされても、あたしは戦い方なんて知らない。少しでも何かを教わっておかなければ……。そんな焦りがあたしの中に巣食っていた。 そして、自分で少しおかしくなった。 (この世界にあたしは何の義理も無い。なのに、どうしてこんなに戦う気になってるのかしら) すっかり戦士気取りだ。使命感に近いものがあたしの中にあることに気が付いた。 「17時間……。十分な時間だ。食事をして、風呂に入って、眠っても、まだ余りある」 「なるほど、そうなんだ」 試験前日の一夜漬けなんて、もっともっと短い時間でやっていたな。あたしはクスリと笑い、フルダが不思議そうにあたしを見た。 建物を出たあたし達は、森の中を歩いた。作戦司令部とでもいうべきその建物は高台にあり、川沿いに広がる街を見下ろすことが出来たなと、あたしは思い出す。フルダは黙って街とは反対の方向、つまり森の中へと進んでゆく。あたしは黙ってそれに従った。 木漏れ陽、小鳥のさえずり、風の音、森の匂い。見上げれば木々の枝葉の向こうに見える青空と白い雲。晴れと晴天の境目は、確か空に浮かぶ雲の量が何パーセントかで決まったよな、と理科の授業を思い出す。 この、のんびりした世界のどこに、壮絶で凄惨な戦いがあるというのか。 あまりにものどかな気分に、あたしは眩暈がした。平和すぎる眩暈。 あたしが元いた世界は、もっと毎日がピリピリしていた。 平和なんかじゃない! あたしは自分に言い聞かせた。戦士パインのベッドに横たわるあの姿。あれのどこが平和なのだろう。 街の人は、軍隊は、そして政治をとりしきる人たちは、いったいどんな気持ちで毎日を過ごしているのだろう。街の様子や人々の表情を知らないあたしには、全く想像できなかった。 「手をつなごう」 フルダがそっと手を伸ばして、あたしの指先に触れた。 あたしは磁石に引き寄せられるようにして、彼の手をぎゅっと握った。 彼に触れた掌の部分から、温かいものがあたしの中にじゅわわ〜っと染込んでくる。 あたしは急に恥ずかしくなった。 性的な興奮に似たものだったからだ。 セックスをしているわけでもない。にもかかわらず、愛する人と身体の一部が触れ、熱くなる。それは性器が深く密着した状態よりも、こみ上げてくるものがあった。 は、恥ずかしい…… この感覚はいったいなんだろう。乳首が立って、小さなブラジャーからぴゅんとはみ出した。戦闘服として与えられたそれは、ハーフカップともいえないようなブラで、こんなささいな変化でさえあたしの乳首を隠しきれない。 Tバックの細い布に湿気がいきわたり、溝に食い込んだ。 歩きにくかったが、あたしの手をとったフルダの歩速は変わらない。 違和感がどんどん快感に転化されてゆく。 フルダはチラリとあたしを横目で見、やさしく微笑んだ。まるであたしの身体の変化を全て察知しているかのようだった。 |
あたしとフルダは水辺に座った。小さな池。池を取り囲んだ木々の樹齢がいかほどになるのか想像もつかない。原生林。水面を覆い隠すほどに大きく張り出した枝と茂った葉に遮られ、おそらく航空写真からでもこの池を見つけるのは難しいだろう。 水は恐ろしいほどの透明度だ。思わず手を水に浸した。冷たい。あたしはとっさに手を引っ込めた。ナイフで切られた、そう感じたからだ。 自らひっぱり上げた手は、もちろん傷もついていないし、血も流れていない。けれど、ジンジンとした。 鮮烈、とはまさにこのことか。 (鮮烈、なんて単語、劣等性で不良のあたしが、どこで覚えたのかしら) まったく記憶が無い。けれど、そのフレーズがふっと沸いて出たのだった。 池の水深は相当のようだった。しかも、岸辺から急激に深くなっている。水深5メートルくらいのところまでは底部が見えたが、でも良く考えるとそこが水面から5メートルだなんて何の根拠も無い。もしかしたら2メートル程度かもしれないし、20メートルもあるかもしれない。 とにかく水は澄んでいて、池は深かった。 |
「僕達は心の力、つまり意志の強さで戦うんだよ」 ポツリとフルダが言った。 「自然界に満ち満ちているエネルギーを自分に取り込んで、というか、正しくは放っておいても僕達の中にエネルギーが染み込んで来るんだけれど、僕達能力者はそれを自分の意思でコントロールすることが出来る。この現象は色々な言葉で説明されているよね。魔術とか妖精の仕業とか。でも、これが源力。この世のありとあらゆるものを同化させ、放出する。それが僕達の能力なんだ」 わかったような、わからないような説明だった。 「じゃあ、黒死鳥すらも、自分の思い通りに出来る? それがあたしの戦い方?」 「残念ながら、それには聖姫様の能力値をもってしても不可能でしょう。いずれ無限大のパワーを手にすることが出来れば理屈の上では黒死鳥すらもコントロールすることは出来ると言われている。でも、我々には源力の限界がどこにあるのかもわからないし、黒死鳥を制圧するためにどの程度の能力値が必要かもわからない。けれど、聖姫様のパワーを持ってすれば、おおよそこの世のほとんどのものを味方につけて戦うことが出来るでしょう」 (味方につける? 戦う?) あたしは違和感を感じた。自分の能力の高さによって多くのものを味方につけることができるのに、能力の及ばないものとは戦うの? もしあたしが黒死鳥の能力さえも凌駕していたら、それは味方になるというのに? なんだか理屈が通らないような気がした。 仮に、もしその理屈が通っているとしたら、自分より能力の劣るものは自分の意思どおりに操れる、いわば僕<<しもべ>>ということか? あたしは疑問をフルダにぶつけてみた。 「僕にもよくわからないんだよ。だけど、これはわかっている。源力は何かを自分の配下に置き、自由に支配する能力のことじゃない。これは確かだよ。パワーを吸収する能力であると同時に、感応して一体化する、ということでもあるからね。だけど、キミの言うとおり、さらなる力を身に付ければ、黒死鳥だってこの世に存在するエネルギーではあるんだから、そこからもパワーを吸収できるはずだよね。だけど、だったら戦う必要がなくなるのか、それとも、戦った場合に確実に勝てるのか、それとも、そこここに存在する木々や草花などと同じように僕達に生命力を分け与えてくれるのか。そのあたりのことはまるでわかっていないんだよ」 フルダの返事は結局のところ答えにはなっていなかったけれど、あたしはもっと大切なことに気が付いた。 彼の言葉遣いがいつのまにかタメグチになっていることだ。 あたしにはその方が嬉しかった。聖姫さまなどともてはやされても実感がわかない。それよりも、今は戦いの仲間として、普通に喋ってくれる方が心強かった。 そしてそれは同時に、フルダがあたしを戦士として認めた、ということの証でもあった。 「やるしかないのね?」 「そう、やるしかない。宇宙の真理に反することになるのかもしれないけれど、生き物が自分たちの生命を守ろうとするのもまた真理だからね」 それはあたしにもわかるような気がした。 |
施設に戻ったあたし達には、豪華な食事が用意されていた。 傍らには、パーオとパーメ、そしてパインがいたことが何より嬉しかった。 パーオとパーメは、あたしのいた世界でもよくお目にかかるものと大差のない「ランチ風定食」を食べた。パインは湯気の立ち昇るスープをゆっくりとすすっていた。病人食には違いなかろうが、そこにはパインに必要な栄養素が過不足なく溶け込んでいるのがわかった。なんの説明も受けていないのに、スープの中身がわかるなんて、これもあたしの能力なのだろうか? そこに溶け込んだ様々な栄養素があたしに「入ってるよ」と語りかけてくるのだった。 あたしとフルダは特別なメニューだった。 まず量が尋常でない。 こんなにたくさん食べられるものかと思ったけれど、箸を付けてみるとスルスルと胃の中に入って行った。 味もすごかった。舌や口腔内と一体化してとろけるような感じだった。これを美味しいと表現できないこともない。けれど、これを「美味」とするなら、あたしが今までそう感じながら食べてきたものは全て否定されなくてはならなかった。あたしは「美味しい」と思わないようにした。 食後のデザートとドリンクは、分け隔てが無かった。甘くて酸っぱい果実が供された。果肉だけが取り出されていたので、元が何かはわからない。蜜柑に似た柑橘類ではあるのだけれど、あたしが知っているどの柑橘類とも違った。ドリンクは、コーヒーか紅茶が選べた。病み上がりのパインには刺激がきついのではないかと思ったが、彼女はコーヒーだった。 「好きなの。これだけは外せないの」 医者のフルダが苦笑いをした。 出来れば止めさせたいのだが、仕方ない。そんな表情だった。 「聖姫さまとフルダさんは、このあと、入浴と休息を」 パーオが言った。 食事を終えて、パーメに促されるままに席を立とうとしたとき、フルダが呼び止めた。 |
「申し訳ありません、聖姫さま。我々は貴方様に謝罪しなくてはなりません」 フルダの口調が、タメ口ではなくなった。 一瞬あたしはがっかりしたが、他の人がいるから体面を繕っているのだと思った。 「聖姫様ほどの能力値があれば、実は元の世界に自分の力で戻ることも、おそらく可能だろうと思われます」 「な、なんてことを!」 顔面を蒼白にしながら、パーオが叫んだ。 「大丈夫ですよ。たとえそうだとしても、聖姫様は我々を見捨てはしない」 フルダの力強い台詞に、あたしは頷いた。 いつのまにかあたしには、この戦いを放棄してまで、元いた平和で安穏な世界に戻りたいとは思わなくなっていた。戦わねばならないと決意は固まっていた。 フルダは結局のところ、そのことを確認するためにあたしを森の散歩に誘ったのじゃないだろうかと感じた。 彼がどの時点で、何を根拠に、それを確信したのかはわからないけれど、何の迷いもなく言い切るフルダの態度がとても嬉しかった。タメグチで話しかけられたときと同様に。 友情。団結。信頼。戦友…… いくつかの言葉があたしの意識の中を交錯した。 元の世界の校舎の屋上で、怠惰にたむろしていたあたしにはついぞ芽生えなかったそれらの気持ち。 青臭く、照れくさいのも事実だけれど、それはとても気持ちの良いものであることを知った。 |
つづく |