銀河鉄道999

第4話 天使の雫(前編) 

 

 鉄道用語に、「運転停車」というのがある。乗務員の交代や物資の補給など、鉄道は様々な理由で運行中に「停車」をするが、乗客用のドアは開けない。旅客取扱上は「通過」として扱われる。こういった「停車」のことを「運転停車」というのである。

「カゲローさん、リドリームさん、申し訳ありません。次の駅は、『運転停車』のはずだったんですが、臨時停車をすることになりました」
 運転停車だの、臨時停車だの、唐突に言われてカゲローはキョトンとしていたが、リドリームには鉄道用語の知識も、999号の運行スケジュールも頭に入っていたようだ。カゲローの表情は意に介さず、車掌とのやりとりを進めていく。

「次の運転停車は、確か、2603補給基地……。通称、フィラメント分岐点だったわね」
「はい、そうです。太陽系辺境惑星のひとつです。太陽系外へ出る列車の多くがここで相互に接続し、たくさんの人が列車の乗り換えをします。物資も補給します。999号は特殊な目的の列車なので、本来は物資の補給だけで、旅客取扱いはしないのですが……」
「そう……。つまり、臨時に誰かが乗る、または降りるのね」
「臨時にお客様が20名ほど、乗車されます」
「ダイヤの変更を原則として認めない銀河鉄道が、例外の取扱をするなんて。よほどのことなんですね?」
「その通りです。ご説明します」
「カゲローも、よく聞いておきなさい」と、リドリームは険しい表情を彼に向けた。カゲローは、リドリームのその表情に、命に関わる何かが起こっているのかもしれない、そう思い、背筋を伸ばした。

「これは、カゲローさんが、地球へ立ち寄ることができなかった原因、地球を襲った厄災に関係していることなのです」
 車掌は深刻な表情で語った……ような気がしたのは、カゲローの主観である。もとより、車掌の表情は読めない。
 カゲローは、地球に何が起こっているのか、以前受けた説明を思い出していた。

 地球人が宇宙に飛び出し、地球人以外の知的生命体と初めて遭遇したのは、もう遥か昔のことである。それは戦争の歴史でもあり、交流と協力の歴史でもあった。今も多くの勇者の物語が語り継がれている。
 知的生命体の多くは、その命の源である母なる星において、何らかの閉塞状況が起こったり、それが予想されたりした場合にとるべき道として、宇宙への旅立ちを選ぶ。そして、自分達以外の知的生命体の存在を知らぬまま、それぞれの知的生命体は宇宙開発を続ける。

 やがて、未知の者同士が出会う。

 初めから侵略目的で一方的に戦闘をしかけたり、しかけられたりすることもあった。理解を深めようと努力をしたこともあった。その結果、それぞれが住むべき範囲を決めてお互い干渉しない取り決めが行われることもあれば、同一の宙域に共存することもあった。助け合って宇宙開発を進めることも、共通の敵と戦うことすらあった。
 そして最近、地球を源とする知的生命体は、また新たな知的生命体と遭遇した。彼らのことを、地球人は水人族と呼んだ。身体の全てが水分でできていたからだ。

 水人族の肉体は、全てが水分で構成されていた。地球人でいう骨格や筋肉にあたる部分も、濃度や粘度の異なる水分だった。体内に特殊な濃度のコアを持ち、その引力によって彼らは体形を保持していた。コアは地球人の心臓にも相当しており、コアの内部ではパラシウム5という液体核物質が核融合をすることで生存のためのエネルギーを得る。
 とはいえ、水人族も飲食をする。エネルギーはコアから供給されるが、新陳代謝によって老廃物が排泄されるから、それを補わなければ、身体はどんどん縮んで干からびてしまうし、地球人と同じく、ビタミンやミネラルは必要だったからだ。
 パラシウム5が核融合を起こし、エネルギーが取り出されると、パラシウム3という物質に変わって、排泄される。そのパラシウム3が、地球人にとって、大いなる厄災だった。

 水人族を地球に招いた日を境に、地球人の身体に異変が起こった。皮膚がドロドロになって崩れ落ちる奇病が発生した。皮膚の次は筋肉も骨も侵され、やがては死に至る。
 原因は不明だったが、やがてそれは、パラシウム3によるものらしいこと、パラシウム3は微粉末で、空気中を漂ってどこにでも飛んでいってしまうこと、従って、地球を隔離しなければ地球を源とする地球人類の全てが滅亡してしまう可能性さえあることなどが判明した。

「この肉体に付着したパラシウム3洗い流し、かつ化学反応を起こして確実に分解する『温泉』が発見されたのです」
「その温泉があるのが、次の停車駅、辺境惑星「天使の雫」にある銀河鉄道の駅、『天使の雫』」と、リドリームが付け加えた。

「天使の雫には、一週間に1本だけ、フィラメント分岐点から、湯治客を乗せた列車が出るわ。でも、一年に一度だけ、運休する。それが999号の運行日」と、リドリーム。
「運休するかわりに、999に客を載せるの?」と、カゲロー。
「そのとおりです。カゲローさん」と、車掌。
「それはいいことだよ」
「いえ、それが、いいことばかりでは、ないんですよ」
 車掌は、さらに説明を付け加えた。

 そもそも「天使の雫」に湧く温泉は、噴出量がきわめて少ない。飲料水にすら事欠くような、水資源の少ない星である。水資源の存在が確認されたことで、人類の移住可能な星の候補になったが、その後の調査で、あまりもの水の少なさに、本格的な移住は断念せざるを得なかった。そもそも、移住のための宇宙開発が開始されたのは、地球上のさまざまな資源が不足・枯渇し始めたからであり、しかし、開拓されたどの星も決して資源は決して潤沢ではない。むしろ、キャパシティーを定めた上で、かろうじて人が暮らしていると考えた方が現実に合っている。
 まれに、特定の資源が豊富な星もあるが、宇宙空間を横断して大量に輸送するには、時間とお金がかかりすぎた。

 さて、その天使の雫だが、そのわずかの水が、温泉としての効能が高いことがわかり、たった1軒の湯治宿が設けられ、週に1度だけ銀河鉄道が運行されることになった。だが、この星で湯治が許されるのは、一週間にたった20名。となれば、当然、超上流階級に限られる。
「地球の存亡に関わる緊急事態なんだから、金持ちとか貧乏とか、そんなものは関係ないはずだ」
 カゲローはムキになって、叫んだ。
「その通りよ、カゲロー」と、リドリームは同意する。「でも、肝心の温泉が少ないという事実は、ゆるぎようもないわ」
 悲しそうに目を伏せるリドリームだった。

 カゲローは、銀河鉄道から貸与される情報端末で、天使の雫について、勉強をしていた。

 宇宙からの赤外線写真で、地中に水があるのは確認できたが、探査隊員が地表に降下し、調査に調査を重ねたが、地表に水は確認できなかった。持ち込んだ飲料水が底を尽き、探査を諦めた時、唯一の噴出孔を偶然、発見した。噴出量はわずかだが、途切れることなく水は湧き出している。それは、小さな水溜りにいったん保持されるが、水溜まりから流れ出す川はない。そのまま地中に吸収されていることがわかった。
 この時点で、彼らは飲み水を使い果たした。この水の成分は完全には分析されなかったが、少なくとも飲用して害はなさそうである。探査隊員は、湧水を飲んだ。身体に異常も現れなかったので、他にも噴出口を探したが、発見できなかった。そのかわりに、彼等はこの水が、身体に非常に良いことに気がついた。過酷な宇宙空間で、普通は体調は崩しがちになる。ところが、どんどん気力・体力が充実してくるのだ。分析しきれていない何らかの成分が作用しているとしか考えられなかった。

 そうした経緯を経て、天使の雫は、湯治場として開発されることになった。
 大気に触れると変質することがわかり、水は空気を遮断したタンクに溜められることになった。一週間で、ようやく7〜8人が同時に入浴できるくらいの湯船を満たす量になる。その時点で、入浴に適した温度に加熱をして、湯船に注ぎ、湯治客に供するのだ。
 湯治宿を管理運営する従業員の飲料水もこれで賄われるし、この水を使って若干の野菜も作ることになった。肉や穀物は輸入できても、新鮮な野菜だけは、高級湯治場としては、どうしても現地産のものが欲しいということになったからだ。だから、湯船はせいぜい4〜5人用が限界だった。

 その後、水の量を増やす試みが繰り返し繰り返しなされた。他の星からも大量に運んできたし、地中の水脈を人工的に操作もした。そして現在、ようやく20人の受入が可能になったのである。

 しかし、と、カゲローは思う。
 このような遅々とした努力だけでは、とても地球に住む人類全てを救うことはできない、と。

 天使の雫について記された資料には、「地球人が地球だけで暮らしていた頃なら、この水は『万病に効く』とか『不老不死温泉』などと言われていただろう」と結ばれていた。ちなみに、成分の完全な分析は未だに為されていない。どうしても解読しきれない謎がこの水にはあるとのことだった。成分の科学的な組成については、わかっている。しかし、いくつかの分子はあまりにも複雑であり、どのような作用が引き起こされるのか、またどういった過程でこのような分子が構成されることになったのか、それがわからないのである。

 999号の車体がきしみ、速度を落とし始めた。
 資料に集中するあまり、カゲローはしばらく車窓を見ていなかった。速度の低下に「まもなく停車か?」と窓外に視線を向けると、目の前に星が迫ってきていた。
 臨時停車をするフィラメント分岐点だ。
 多くの列車が離合集散する駅だけあって、これだけ近づくと、様々な形式の車体が並走し、またはすれ違っていく様子が見える。
 999号はぐんぐん地表に接近する。空中に伸びた線路は、数えきれない。その末端部に着地する列車も、今まさに宇宙空間へ飛び立とうとしている列車もある。
 999号はさらに車体をきしませて、減速していく。もう視界には、線路と駅施設しか入らない。周辺の景色すら視野の外だ。
「すごい駅だね。リドリーム」
「そうよ……」
「町も、大きいんだろうなあ」
「いいえ。町らしい町は、ここには無いわ。太陽系の辺境惑星。もしかしたら、もうわずかに、太陽系の外かも知れない。誰もこんなところに住みたいとは思わないわ。鉄道運行上、必要だから設けられた駅。ここに降り立った旅人は、必ずどこかへ旅立つ駅。別れるための出会いしか無い処……」
 リドリームが寂しそうに呟いた。

 そう言えば、先の駅、ドリームワークプラネッツが、地球圏最後の星だと説明を受けた。そのことをカゲローは思い出していた。
 太陽系の端の端だとされるこの星は、日常的に地球との交流がある「地球圏」では、もうないのだ。冥王星を含むエッジワース・カイパーベルトのさらに外側、準惑星エリスなどが所属する領域である「散乱円盤天体」のひとつである。

 車掌が「え〜、間もなく、『フィラメント分岐点』、『フィラメント分岐点』です。10分間の臨時停車です」と言いながら、車両を端から端へと歩いた。
 そして、カゲローの横を通り過ぎる時、「降りないで下さいよ。乗る人が乗ったら、すぐに出発ですから」と、念を押した。

 カゲローは999号が駅舎の下に入り込む前に、窓を開けて、上空を見た。
 夜空である。
 そして、遠くにまるでフィラメントのような細い光の筋があるのに気がついた。
 直観的に、それが太陽だと感じた。
 そのことをリドリームに言うと、「そう、その通りよ。宇宙空間の何かが作用して、太陽があのように見えるの。そして、注がれる光は圧倒的に少ない。だから、太陽に面していても、夜空のように見えるの」と、リドリームは答えた。
 それが、この駅の名の由来だ。

 フィラメント分岐点の各ホームには、たくさんの人たちがいた。
 だが、999号がホームに近づくにつれて、他の番線の状況は見えなくなり、そして、やがてホームに横づけされた999号の窓から、カゲローは異様な光景を目にすることになる。
 そこにいたのは、宇宙服に身を包んだ人の群れだった。
 正確に数えたわけではないが、これが999号に臨時乗車する20名だろう。

「どうして? どうして、あんなひどいことを?! 彼等は被害者なのに!」
 カゲローが叫んだ。
 宇宙服は、まだしも理解できる。彼らの表面に付着したパラシウム3は、空気中を浮遊する。その結果、他の人の体表に付着して、さらに被害者を増やすかもしれない。だから、完全に彼らをパッケージしてしまう必要があるからだ。
 しかし、その宇宙服の一行は、まるで囚人のような扱いを受けていた。
 軍服に身を包んだ係官10名ほどに取り囲まれた彼等は、手錠をかけられ、その手錠同士が鎖でつながれていた。しかも、足には重りまでついている。

 カゲローは自分の目を疑うように何度か手で擦り、窓に張り付くようにして再度、ホームを見た。
 軍服の連中に促され、ゆっくりした足取りで、彼等は列車の乗車口へととりついてゆく。 「どうして? どうして、こんな酷いことを!」
 カゲローはもう一度、叫んだ。
「ねえ、車掌さん。なんとかならないの? あの人たちは犯罪者なの? そうじゃないんでしょう?」
 車掌は、悲しげな光を目に宿らせるだけだ。

「仕方がないのよ」と、リドリームは言った。「もし、あの人たちが、自棄になって逃げたり、服を脱いだりしたら、被害が広がってしまう。完全な管理下に置くには、こうするしか、ないのよ」
「自棄になる? 逃げる? 温泉治療を受けられるのに、そんなこと、するわけない。その考え方、おかしいよ」
 カゲローは叫んだが、リドリームは首を静かに横に振った。
「温泉治療で、彼等は命は取り留めるかもしれない。けど……。その先には、過酷な運命が待っているわ」
「過酷な運命? 自棄になってしまうほどの?」
「そう……」と、リドリームは言った。そして、カゲローの目を見た。 「地球はまだ汚染されていて、多くの被害者がいるわ。だから、温泉治療を終えた彼等は地球に戻れるわけじゃない。せっかく治療したことが、無駄になってしまうから。でも、だからと言って、行くところも無いの。命があっても、居場所がない……。地球に居たまま朽ち果てた方がマシ、そう考える人もいるらしいわ」