銀河鉄道999

第5話 宇宙盗賊リゲル (前編) 

 

「天使の雫」を出発したカゲローとリドリームは、言葉少なだった。
 特にカゲローにとっては、ショックな思いをひとつ、胸に抱え込むことになった。それは、こういうことである。

 人生というのは、良い時ばかりではない。いや、むしろ、良くない時の方が多いかもしれない。しかし、明るい未来を信じ、夢を描き、前向きに歩いていくものだ。そうすれば、おのずと道は拓ける。
 そう考えていたカゲローにとって、「天使の雫」で癒された人たちの絶望的な未来は、ショック以外の何者でもなかったのだ。

 あの温泉へ連れて来られた人々は、そして、これから命あるうちに連れてこられる人々は、我が身が朽ちる様子を味わいながら地球に残された人達に比べたら、まだ幸いなはずだ。
 逃亡防止のために、まるで囚人のように手枷足枷はつけられているものの、また傷口の大きさ深さによっては強烈な痛みを生じるものの、パラジウム3が確実に洗い流され、進行が食い止められるのだ。そして、医療措置を受けられ、傷口の平癒までは世話をしてもらえる。
 しかし、その後の人生については、自分たちで何とかしなくてはいけない。中には、「一度は救われたって、後の人生に光明を見出せないのなら、地球から離れることなく、運命を受け入れたほうが良かった」と思うものも、少なくないはずだとカゲローは思う。

 そして、それがもし、自分だったら……。
「いや、僕はあくまで前向きに生きる!」と、言い切ることができるだろうか?
 カゲローは自問自答した。そして、その答えは……。
「そうでありたい、とは思うけれど、自信はない」だった。

 そして、カゲローは思い出すのだった。リドリームが呟いた一言を。
「わたし達に、なにができるかしらね……」
 真剣に考えようとカゲローは思った。

 もし、自分が科学者だったら。
「天使の雫」の温泉と同じ成分の水を人工的に作り出す。
 もし、自分が医療関係者だったら。
 パラジウム3によって爛れた、あるいは朽ちて落ちた肉体を癒し、再生する方法を研究する。
 もし、自分が行政機関の人間だったら。
 彼らのリハビリや就職や人生設計に対して、何が出来るか考えて、実行する。

 しかし、無職で旅人のカゲローは、そのどれでもない。
「なにができるかしらね……」の問いかけに、カゲローは「僕なんかに、何もできやしない」と「僕なんかでも、きっと何かできる」の両方の答えが脳裏に浮かんだ。
「何かしなくちゃいけない」という思いと、「何をしていいかわからない」という現実。
 そして、カゲローはふと思い出すのだった。リドリームから届いた一通の手紙を。

「あなたには大切な使命があります。地球でお待ちしています」

 結局、地球には辿り着くことはできず、火星での待ち合わせとなったが、「そういえば、大切な使命」とは、なんなのだろう?
 地球を現在襲っている厄災から救うことではないと、リドリームは確か、言った。でも、それも含んでいるとも言った。
 それには、いくつかの解釈ができるが、自分が何かをなすことによって、結果として地球も救われる、と考えるのが、一番ありえそうだ。しかし、なるべきことをひとつひとつやり遂げていくうちに、地球を救うというミッションにも出会う、ということかもしれない。他にも、政治家や宗教家など、指導者として地球を含む世界を統括して……というような方法論もあるだろうが、自分がそんなタイプの人間には思えなかった。むしろ自分が世の中を変えるなら、ゲリラとしてだろう。

 そんなことをツラツラと考えていると、「カゲロー。背もたれに身を隠していなさい。通路に出てはダメよ」と、リドリームが言った。
 小声だったが、いかなる抗弁も許さない、強い語調であった。
 表情も深刻だ。
「え? なに?」
 状況がまるでわからないが、それでもカゲローは、わからないなりに空気が凍り付いていくのを感じていた。
「非常事態よ。列車強盗かもしれない……」
「列車強盗だって!?」
 思わず大声を立てるのと、それまで何もなかった空間に有り余る圧迫感とともに人の気配を感じたのが、ほとんど同時だった。

 カゲローの背中側から近づいてきていた人影は、向かい側に座っていたリドリームの視野には随分前から入っていたはずだ。しかし、カゲローは気付いていなかった。それほど気配を感じさせなかったのだ。しかし、それはカゲローの傍に来た途端に圧倒的なものとなった。
 ガッチリした体格の男が、俊敏な動きでカゲローに銃口を向けた。
「な、なんだお前は!」
「黙ってじっとしていろ」と、男は静かに言った。「危害を加えるつもりはない……。抵抗しなければ、な」
「銃を向けられて、じっとしていられるわけ、ないだろ!」
 カゲローは立ち上がった。しかし、男は左手でそれを一蹴する。舞いのような掌の動きを視線で捉えたと思うと、次の瞬間には胸をバンと叩かれ、カゲローは吹っ飛ばされ、息もできなくなった。
 優美でゆるやかな動きに見えたが、その掌は強烈だった。
 吹っ飛ばされたカゲローは、背中を座席の背もたれに打ち付けた。まだ呼吸が元に戻らず、ゲホゴホと咳き込んでいる。

「黙って、じっとしていろ、と言ったはずだが……」
「わかったわ……。で、何が望み?」と、少女っぽい顔立ちからは想像できないほどの鋭い眼光で、リドリームは男を睨みつける。
「俺はリゲル。宇宙盗賊だ。銀河鉄道株式会社に要求がある。999号と乗客は、人質だ。……乗務員は、前の車両……、のようだな」

 カゲローのデイパックが微妙に震えている。
 中に入っているシュナイデンナイフが、また発光・振動しているのだろう。シュナイデンナイフは持ち主が危機にあるときや、攻撃の意志を持ったときに、そのパワーを開放するために、このような現象を見せる。
(まだだよ、まだだ……)
 カゲローはナイフに話しかけるように、心の中で呟いた。

 この男と対決するような事態になるのか、ならないのか、まだわからない。男は「危害を加えるつもりはない」と言っている。しかし、999号や乗客が人質となるなら、それは既に危害を加えられている、とも言えるだろう。
 カゲローはこの、リゲルと名乗った宇宙盗賊が、強敵であることを察知していた。掌が胸にふわりと当たっただけで、あれだけの衝撃を受けたのだ。何らかの体術を会得しているのは明らかだ。その上に、銃。単なる脅しでもなかろう。
「すぐに済む。……そう、すぐに済むはずだ」
 リゲルはカゲローに背中を見せ、通路をまっすぐ前方へと進み始めた。
 その背中に、リドリームが言う。
「銀河鉄道は、そんなに甘くないわ。特に、不法者にはね。アナタの思い通りになんか、ならない」
 リゲルが立ち止まる。
「それはやってみなくちゃわからないさ。俺はいままで、自分の意志を曲げたことはない。全て思いを通してきた。今、生きているのが、その証拠だ。意志を通すか、殺されるか。それが俺の生き方だ」
 リゲルは振り向きもせずそう言うと、再び車両の前方へ向かって、歩き始めた。

 ようやく息の整ったカゲローは、席を立ち、通路に出て、リゲルの背中に「待てよ」と言った。カゲローはひとつの意志に彩られた確固たる表情をしている。
「お前は俺に、何の用もないはずだが」と、リゲルはまたもや振り返りもせずに言う。
「ねえ、リドリーム。彼は確かに『危害をくわえるつもりはない』と言った。それは嘘じゃないと思う。けど、僕たちは今、脅威にさらされてるし、迷惑もこうむっている。ルール違反をしているのは向こうで、こちらは何も悪くない。こういうときも、黙ってなくちゃいけないの? 男なら、すべきことがあるんじゃないの?」
「カゲローの思うようにすればいいわ。結果は、運命のみが知っている」
「うん」
 カゲローはリゲルの背中に銃口を向けた。
「僕にだって、やらなくちゃいけないことがある!」
「ほう」と、リゲルは感心したように言う。
「今はまだ、それがなんだかわからないけれど、旅を続ければやがてそれははっきりする。だから、旅の行方を邪魔されたくはない」
「わかった」と、リゲルは言った。「ならば、引き金を引け」

「う!」
 カゲローは言葉を詰まらせた。引き金を引け、と言われて、そのトリガーにかかった人差し指がジンジンと痺れてくる。
 リゲルは立ち止まっただけで、振り向いてはいない。だから、リゲルはカゲローが銃を抜いたことさえ知らないはずだ。なのに、「引き金を引け」だって? カゲローの動作を視野に入れてなくても、リゲルにはそれが読めるというのか?
 彼はこれまで意志を押し通してきたと言った。それは、すなわち力でねじ伏せて来た、という意味だ。くぐった修羅場もひとつやふたつではない、ということだ。そして、今もこうして生きている。
 相手の動きを読むことくらい、造作もないことなのだろう。そうでなくては、生き残れない。
(こんな相手に、勝てるのか?)

 身じろぎもできないカゲロー。引き金を引くことも、銃をおさめることもままならない。なんらかの動作を起こせば、待ち受けるのは「死」だと、直感していた。自分が引き金を引く動作に入れば、リゲルは振り向き様にカゲローを撃ち抜くだろう。
「賢明だ。最初に言ったように、黙ってじっとしていろ。そうすれば怪我ひとつすることはない」

 その一言が、カゲローの闘志に火をつけた。
(ここまで言われて、黙っているわけには、いかない!)
 もともと悪いのはリゲルである。どうやって999号に乗り込んだか知らないが、自分たちを人質に、ルールを無視して、意志を押し通そうとしている。しかも、「お前の腕では、戦っても俺には勝てない。だから黙って言うことを聞け」と言われてるのだ。

 本当にそれでいいのか?
 自分は弱いから、腕が未熟だから、戦えば多分負けるから、そんな理由で、引き下がっていいのか? 悪者に我が物顔をさせておいていいのか?
(いいわけ、ない!)

 勝てそうも無い相手だからと、その都度、引き下がっていたら、自分は永久に勝てない。誰とも戦わず、逃げるだけの人生を送ることになるだろう。
 リゲルだって、今は百戦錬磨かもしれないが、最初の戦いに挑んだときは、未経験の初心者だったはずだ。その彼が生き残っているのだ、自分にだってチャンスはある。そういうチャンスを生かした者だけが強くなれるのだ。

(俺に与えられたチャンスって何だ? どこに、勝機がある?)
 カゲローは考えた。答えは目の前にある。自分の構えた銃は、トリガーを絞るだけでリゲルに命中する。しかしリゲルは、後ろ姿だ。リゲルが自分を狙撃するには、身体を捻ってから狙いをつけ、そして弾を射出しなくてはならない。いくらリゲルが百戦錬磨でも、そのスピードには限界があるはず。
 にも関わらず、リゲルは余裕だ。彼には、実力と実績に裏打ちされた自信がある。その根拠はなんだ?
 リゲルは、自分が死なずに、確実にカゲローを倒す方法を知っているということだ。
 どうすれば、それができる?
 振り向くことが、カゲローの銃から打ち出される弾道から逃げる動作とイコールであればいい。リゲルなら簡単に弾道を予測できるだろう。
 そして、振り向いた瞬間に確実にカゲローを撃ち抜けばいい。

 その相手に勝つためには?
 裏をかけばいい。

 普通、一発で相手を仕留めるには、頭か心臓を狙うだろう。だが、一発目で仕留めることにこだわらなければ、どうだ? リゲルが振り返りながら頭か心臓を狙うのは至難の業だとしても、身体のどこかに当てるだけなら容易なはずだ。きっとそれだ。リゲルはカゲローの弾を避けながら、一発目をカゲローのどこかに当てればいい。それだけでカゲローは、もう戦う意思などくじかれてしまう。そのあとで、頭なり心臓なりを改めて撃てばいい。
 この作戦を成功させるには、まずはカゲローの銃弾を確実に避ける必要がある。
 どうすれば、それができる?
 カゲローは結論を出した。
 しゃがめばいい!
 リゲルはしゃがみながら振り返るつもりなのだ。

 一方、カゲローは、相手を殺すことを目的とはしていない。やはり初弾で、頭や心臓を打ち抜く必要はない。リゲルが戦闘不能になりさえすればいい。ならば、しゃがんでも身体のどこかに命中すればいいのだ。最初から頭や心臓を狙おうとすれば、避けられる。だから、しゃがんでも当たる場所に照準すればいい。
 よし! 狙うのは、尻だ。

 カゲローの闘志に火がついてから、この結論を得るのは、一瞬だった。思考の過程をあとから振り返ると、随分色々な経過を辿っていることがわかるが、この時のカゲローは、ほとんど直感的に、あるいは本能的に、結論を出している。
 実際には、リゲルが「そうすれば怪我ひとつすることはない」と言い終えるたのとほぼ時間差なく、カゲローはリゲルの尻を狙うべく、銃口を下げた。

 しかし、カゲローがトリガーを引くことはなかった。それより先に、銃声が響いた。

(俺は弾を発射していない。なのに、響く銃声……。それは……)
 カゲローは負けを悟った。
 綿密な計算の上での策だったが、それでも、初心者はベテランに叶わなかったのだ。

 自分の肉体に、まだ痛みはない。
 意識もしっかりしている。
 だが、これは、重大な局面にあって、ものごとがスローモーションやコマ送りのように進んでいく、あの状態なんだろうと、カゲローは考えた。
 自分はまもなく、強烈な痛みに襲われ、銃弾を受けたその部位からは大量の血を噴き出し、そして徐々に意識が薄れて、やがて何も考えられなくなってゆく。
 それすらも、スローモーションやコマ送りのように自分は認識しながら、やがて絶命するのだろうか?