第2話 ピュアーラブ「雨よ流して」 =5=
6月12日 雨 昨日に続いて学校を休んでしまった。ズル休みだ。 こんなことをしていちゃいけない、と一瞬考えた自分がおかしかった。死を決意した人間にズル休みもくそもないだろう。両親も僕がいじめられていることを薄々勘づいているみたいだった。「休む」と僕が言えば、「そう」と返ってきただけだった。 昨日、鈴鹿涼子がやってきて、両親のそれは確信に変わった。 鈴鹿涼子がやってきたのは昨日の夕方だった。放課後、学校帰りに立ち寄ってくれたのだろう。母親に案内されて僕の部屋にやってきた彼女は制服姿だった。 僕は布団の中から「ごめん、気分がすぐれないんだ」とだけ言った。 鈴鹿涼子は「何もかもわかっているわ」とばかりに頷いた。 それから彼女は、母親としばらくリビングで話をしていた。 僕は自分の部屋を抜け出して、廊下でリビングの扉に身を寄せるようにして話の内容を聞いた。 話題が話題なので、どうしても声が小さくなりがちなのだろう、全てを聞き取ることが出来たわけではなかった。 彼女は小学校の時にいじめられっ子だった。いじめっ子本人やその親、学校側などを交えての話し合いがもたれた。そしてとりあえず目に見える行動としてのいじめはなくなった。けれどもいじめがなくなったからといって、彼女がクラスにとけ込めたかとういうとそれは違う。攻撃されなくなっただけで、自分の居場所が無いことは確かだった。 中学進学にあたり、彼女は転居した。彼女の小学校時代を知る者が同じ中学に上がったら、いつ何がきっかけでいじめが再発するかわからないから、誰も行かないところへ行って、一から友達関係を築く、という理由だ。 彼女の場合はそれでいじめの継続から回避されたとのことだった。 「でも、それは運が良かったんでしょうね」 話し合いでとりあえずいじめが無くなるという保証はないし、進学に際してそれまでの自分を誰も知らない所へ行けるとも限らない。親の仕事の都合もある。さらに、引っ越した先ではいじめられないなんて保証はない。 「それに、わたしが小学校で受けたいじめと、中学校で行われているいじめではその陰湿さはまるで別のもの」 そんな会話だった。 これがきっかけになったのだろう、両親は夜遅くまで話し合っていた。結論は、とりあえず担任と話し合う、ということだった。 それでどうなるというのだろう。 そんな想いもあったけれど、もしかしたら死ななくても済むかも知れないというかすかな望みがないでもなかった。 鈴鹿涼子は、彼女を取り巻く人々の努力によって、事実救われたのだ。 そして、一夜が開けた。 父親はいつもよりゆっくりしている。 「半日休みをもらったんだ。母さんとちょっと出かけてくる」 学校へ相談に行くのだろう。 母親が戻ってきたのは午後2時を回っていた。授業があるので結局昼休みまでまたされた、お父さんは学校からそのまま会社に行った。そう母親は言った。そこで何を話し合ったとかいうようことは一切口にしなかった。 「遅くなったわね。お昼ご飯、食べたいものがある?」 僕は母親がテーブルに残していってくれた朝食を、実はさっき食べたばかりである。だからお腹が空いていないと告げた。 僕は自分の部屋でその日、座ったりゴロゴロしたりしながら、本を読んで過ごした。 夕方鈴鹿涼子が訪ねてきてくれたのを、彼女が母親に挨拶する声で僕は知った。 父親も帰宅し、二言三言会話が交わされたようであるが、直ぐに僕は「ちょっとこい」と父親に言われた。 ダイニング兼用のリビングに顔を出すと4人分の食事が整っていて、鈴鹿涼子も僕たち家族と夕食をとった。 「お茶は?」「おかわりは?」 「いいえ、もう充分です」「ごちそうさまでした」 などというホンのわずかの会話だけが交わされた。妙な食卓だった。 食後僕は部屋に引っ込み、彼女もついてきた。 「ねえ、わたしに、何かして欲しいことがある?」と、彼女は言った。 「じゃあ、明日、なにか本を持ってきてよ。同じ本を何度も読むのももう飽きちゃった」 「どんな本がいいの?」 「何でもいいよ」 「マンガと小説、どっちがいい?」 「ううん、両方かな? 時間だけはたっぷりあるから」 彼女は僕の部屋に来て、もしかしたら、僕の家にきて、初めての笑顔を見せた。 |
戸隠からバスと長野新幹線を乗り継いで慌てて帰路につき、僕と清花が警察署に着いたのは昼過ぎだった。 杉橋は既に檻(?)から出されて、僕たちより先に着いていた社長と一緒に刑事課のソファーに座り、お茶なんぞをすすっていた。 正直言って拍子抜けだ。 清花もあきれ顔でため息をついた。 僕たちも座るように促され、彼らの向かい側に座った。それでソファーは満員になった。 いかにも「たたき上げ」という感じの、初老だが精悍な顔つきの刑事が、パイプ椅子を引き寄せて我々の側に座った。何故かパイプ椅子を前後逆さまにして、背もたれに腕をのせている。 「探偵、なんだって?」と、初老の刑事が言った。 清花はとっさに社長の目を見た。社長は(そうとしか言いようが無いじゃないか)という表情で苦笑いをしている。 「俺達刑事も、調査する、ということでは似たようなものだ」 刑事はどこからか煙草とライターを取りだして、口にくわえて火をつけた。 「だが、便利屋なんぞに、調査の一端を担わせるなんてことはしない」 「面目ありません」と、社長が頭を下げる。 ちっとも面目ないなどとは思ってないくせに。普段の清花を見ていたらわかる。利用できるものは何でも利用してしまえ。それが「オフィス風の予感」のモットーだ。(と、今なら僕も断言できる) 「テレビドラマでは、情報屋なんてのが出てくるがね、現実はそんなもんじゃない」 現実は情報屋なんていないんだ、ということなのか、それとも現実の情報屋とはあんなんじゃない、と言っているのか、僕には判断が付きかねた。 「杉橋さんは、いったいなんの容疑で。。。」と、清花が言った。 「通報があって、ストーカーの疑いで任意同行してもらった。挙動不審と言ってもいい」 「任意同行で一晩泊めるんですか?」と、今にも清花が言い出しそうだったが、社長の目がそれを制止しているようだった。 「で、疑いは晴れたんですね?」と、社長。 小声ではあったがとてもはっきりした口調だった。 「ええ。お帰り頂いて結構です。お手数をおかけしましたな」 「では、失礼しよう」 社長は淀みない動作で立ち上がった。僕が初めて自宅を訪れたときの印象とは全く異なり、颯爽としていた。 確かに自宅では神経が弛緩するのは当然で、外へ出ればそれなりにしゃんとするのが普通だ。だが、社長のそれは「明」と「暗」、あるいは「陰」と「陽」。自宅と外出先、というのとは少しばかり違うようだ。 「行きましょう、杉橋さん。それから立花さん、橘くん」 「はい!」 ハキハキと清花は答えた。この社長にしてこの社員有り、という感じだった。ここまでハッタリも徹底していると気持いい。 |
僕たち4人は警察署を出て、近くの喫茶店に入った。 「風の予感」のメンバーではない杉橋は、よそ者然とした顔で座っている。適度に遠慮し、適度にリラックスして。 清花は警察官の視線が届かない場所に達した頃から精気を失っていた。いつもの闊達さはなく、「借りてきた猫」という表現がふさわしい。 僕は彼女に出逢ったときのことを思い出していた。顔面に血を流しながら、それでも警察などには連絡しないで欲しいと、僕に懇願したあのときのことを。 世間を騒がせるような犯罪はしていないにしろ、調査のためにしてきた様々な行為は必ずしも合法ではなかったことは、僕にも理解できる。僕ですら家宅不法侵入をやった。 警察などに関わることは、すなわち今後の仕事がやりにくくなることを意味するのだろう。 大失態を演じた、というわけだ。 もちろん他人事ではない。清花に比べたら僕は確かに新米かも知れない。段取り的なことに関わっていないと言えば、その通りだ。しかしだからといって僕には責任はありませんなどと言い切れる立場だなんて理解もしていない。 4人の前に飲み物が届けられ、それを待ちかねたように社長は口を開いた。 「これを見て下さい」 と、僕たちの前に一枚の名刺を差し出す。 「有田探偵事務所。失せもの発見、浮気・素行調査、失踪・行方不明捜索他」と記入されている。 「これはまあ、ハッタリなしの、名刺です。それから、これが僕の免許証。これで名刺に記入された僕の名前も住所もデタラメでないことは確認してもらえました」 失態を叱責されるものと、僕は覚悟をしていた。しかし社長は僕が初めて会ったときと変わらず『ですます調』でのしゃべりを崩さない 豹変したのは清花の方だった。 「社長。申し訳ありませんでした!」 両手をテーブルについて頭を下げる清花。それっきり頭を上げない。 「橘くん、わかりますか?」 社長の視線が僕を捕らえた。いったい何が「わかりますか?」なのだろうと考えて、僕はハッとした。 ハッタリなしの名刺。身分を証明する免許証。そこには有田社長の「事実」はあるが、風の予感の「真実」はない。 しかし僕たちは「有田探偵事務所」ではなく、「オフィス『風の予感』」の名の下に活動を展開している。 「警察沙汰で『風の予感』の名前は出せない、と」 「そういうことです」 遅ればせながら僕も「すいませんでした」と謝った。 「うん、今回は大事にならなかったから、いいけどね。警察が本気を出せば、こんな商売どうにでも出来るから、気をつけて下さいね」 「はい」 神妙な顔つきで返事する自分がいることに、何だか不思議な気がした。 「で、立花さん?」 「はい。。。」と、清花。 「杉橋さんはあくまで便利屋さん、外部の人間だからね。今回チームを組んでもらうように指示したのは僕だし名刺も用意したけれど、対外的にその方が都合がいいという判断をしたときに使ってもらう、そのいう僕の意図がきちんと伝わらなかったかな?」 「いえ、そんなことは、ないです」 「ん、じゃあ、仕事の分担とか、人の配置とか、本末転倒しないように考えて下さいね」 「申し訳ありませんでした」 「それとも、今回の仕事、重荷かな? なんだったら、秋月を合流させてもいいんですけれど」 それまでじっと頭を下げたまま会話を続けていた清花が、このときゆっくりと顔を上げた。「秋月」というところで反応したように僕には思えた。 「そんなことありません。私達だけでちゃんとやれます」 訴えるような目、悔しそうに曲がった唇。こんな清花を見たのは初めてだった。 原因は「秋月」? 秋月って誰だろう? 男なのか、女なのか。 僕は「風の予感」のスタッフとはいえ、清花と社長以外のメンバーは知らない。どういう人員を擁しているのか僕は知ろうともしなかったし、そんなことを考えもしなかった。 僕は初めてそのことに興味を持ったけれど、さっきの今では訪ねることは出来ないだろう。それどころか、今後チャンスが訪れるかどうか。 あんまり気にせずに、社長と別れてすぐ清花にでも訊けば良さそうなものだけれど、変に気を回しすぎるのが僕の欠点かも知れない。 「じゃあ、僕は僕で抱えてる案件があるから出かけるけど、君たちはどうします?」 「ついでですので、ここで打ち合わせをします」と、清花。 「そう。じゃあ、支払いは済ませておきます。追加注文は自分たちで払って下さいね。もちろん経費にして構いませんよ」 社長はレシートを掴んで立ち上がった。 社長の後ろ姿を何とも複雑な表情で見送ってから、清花は杉橋を睨み付けた。 「ドジ!」 さっきまでの面もちが嘘のように変化していた。杉橋を「ドジ」と攻めるその表情の奥には、苦笑いさえ浮かべている。 「ごめんね、清花ちゃん」 杉橋までも冗談めかして応じた。 「そうよ。あなたのところなんて、私から注文がなかったらすぐ潰れてしまうんだから、しっかりしてよね」 「はいはい」 二人ともなんて切り替えが早いんだろう。僕は呆気にとられていた。 「で、首尾は?」 「例のノート、手に入れました」 「ええ? ほんとですか?」 僕は思わず叫んでいた。 山下君が死の直前からのことを書き記した日記。弔問客が出入りする中でいつの間にか消えていたノート。これがキーになるだろうということは僕たちの共通認識だった。それがこんなに簡単に見つかるなんて。 「どうやって見つけたの?」 「簡単ですよ。まずクラス名簿を手に入れて、その中の何人かに当たりました。で、山下君が一番親しくしていた人って誰だろうって訊いたんです」 そうか。親しくしている人になら日記の存在を明かしていたかも知れない。だとすれば、その人がそのノートを持ち去った可能性は高い。 「ついでに、いじめの中心人物は誰だったかとか、そのへんのことも訊いたんですけどね」 「で?」と、清花。 「いつのまにかいじめグループの中に、『変なヤツが俺達のことをかぎ回っている』って情報が流れて、それで通報されちゃったようですね。ま、後ろ暗いところがあるということです」 「そうね」 「で、クラスの人たちの中で、いじめが始まって以来山下君は孤立していたんだけど、山下君への態度がちょっと他の人たちとは違った女の子がいた、ということに気が付いてる人がいてね」 「ふんふん」 「鈴鹿涼子という同級生です。それで、逢ってくれたんですよ」 |
杉橋は鈴鹿涼子との会話を再現してくれた。 「そうですか。あなたが山下君と・・・」 「時が解決してくれることもありますし、努力を積み重ねた人もいます。でも、自殺してしまう子もいるんですよ」 「はい」 「私もいじめられっこでした。だから、私なんかで何か出来るとも思ってなかったけれど、でも彼が死を考えていると知って、なんとかできないかとも思ったんです」 「そうですか。。。。」 「結局、ダメでしたけれど。 それまで何度か私は彼の部屋にも出入りをしていたので、比較的簡単に部屋に入らせてもらったんです。で、机の上にノートがあるのを見つけたんです」 「それを持ち帰ったんですね」 「はい」 「どうして? 彼のご両親にも黙って持ち出したんでしょう?」 「ええ。何気なく手に取っただけだったんですが、ページをめくると、私のことがびっしり書いてあるので」 「他の人に見られたくなかった?」 「というよりも、私のために書き残してくれたもののような気がして」 「わかりました。で、今、そのノートはどこにあります?」 「。。。。。。。」 「教えてくれませんか? 彼のご両親も、見かけないノートがあったことだけは記憶しています。でも、息子さんの自殺があり、原因がいじめだったらしいということで、ご両親の周りはドタバタしてしまって、遺品の整理もままならなかったそうです。ようやく落ち着いて、それで『そういえば、そんなものがあったなあ。どこへ行ったんだろう』と言うことになったそうなんですよ」 「ご両親がそのノートを探してらっしゃるんですか?」 「いいえ。ちゃんとした記憶がないんです。勉強のノートだったかも知れないし、机の上に放り出してあったから、他の本やノートと一緒に立てかけたかも知れない。ただ、肉親なんだからでしょうねえ。ちょっとひっかかるものがあるようです」 「そうですか」 「あなたのことがたくさん書かれているんじゃ、返してはもらえないでしょうね」 「山下君のご両親に依頼されて、探してらっしゃるのですか?」 「いいえ、ノートのことだけじゃないんです。ただ、調査しているうちにノートの存在が明らかになりましたので」 「いったい誰が、どうしてそんなものを。。。」 「ごめんなさい。それは言えないんですよ」 「そう。。。。ですか」 「どうかされましたか?」 「もし、いじめていた人たちの誰かが気に病んで、それでこういうことをしているんだったら、私も彼も少しは救われるような気がしたんです」 「そうかもしれませんし、そうでないかもしれませんね」 「でも、ごめんなさい。ノートはもう無いんです」 「処分してしまった?」 「彼と一緒に葬ったんです。今では私の心の中に存在するだけです」 「そうですか。どんな内容だったんです? 差し支えなければ教えていただけませんか」 「多分、差し支えます」 「ごく、私的なことまで書いてあった、そういうことですね」 「。。。。。。」 「あなたは、彼のことを?」 「。。。。わかりません」 「ねえ、杉橋」と、清花。 「なんでしょうか?」 「そのノートはもう無いんでしょう? でも、手に入れたって、さっき言ったわよね」 「これです。コピーですけどね」 杉橋はコピーの束をテーブルの上に、ドン、と置いた。 「え?」と、清花。 僕にはピンときた。清花はいつもの勘が戻っていない。やはり社長に叱責されたのがきいているのだろう。 「わかった」と、僕は言った。「盗掘、しただろ?」 「そうです。鈴鹿涼子は、処分したかという私の質問に、イエスともノートも言わなかった。一緒に葬った、と答えた」 「そう。お骨と一緒に、墓に。。。。」 ようやく清花にもわかったようだった。 僕たちはノートのコピーをまわし読みし始めた。 |