第3話 プレゼント「青空」   =6= 



 事業説明会の翌日。
 僕たち「風の予感」スタッフは事務所に集合していた。
 これから一斉に「被害者聞き込み調査」をするためである。
 事務所の奥、接客部分とはパーテーションで仕切られた、スタッフ用のスペースで、僕たちは打ち合わせをしていた。
 実際に外回りに出るのは、僕、清花、秋月、吉備の4人である。
 何かあったときのために社長は事務所に待機。社長にしては珍しく、今日一日は外出せずに、ずっと事務所に詰めているつもりのようだ。
 杉橋は相変わらず「便利屋」として、バンで僕たちと社長の間を行き来して、必要なことがあれば段取りを整えてくれる。
 「じゃあ、よろしくお願いします」
 社長が一同を見回したときだった。ハプニングが起こった。
 激しく入り口のドアが開いたかと思うと、「こらあ、誰もおらんのかあ!」
 奥まで叫び声が響いた。
 社長が「どうやら、乗り込んできたみたいですね。吉備チャンに契約書には『ここの住所』を書いてもらいましたから」
「え? 本部が乗り込んできた?」と、心配そうな恵子。
「何とかなるでしょ。録画よろしくね」
 社長はパーテーションの向こうに消えた。
「どんなご用ですか? 最初から乱暴な口を利く人の依頼は、受けないことにしているんですが」
「貴様、なめてるのか?」
「うちは探偵事務所で、ヤクザの事務所じゃありません。お引き取り下さい」
 モニターには二人の男がうつっていた。さっきからドスの効いた声を発しているのは背が高く禿頭。もうひとり静かに佇んでいるようなひょうひょうとした男は一言も発しない。
「黙れ黙れ! 用があるから来てるんだ!」
「ほう。。。。では、依頼をお伺いしましょうか」
 静かな方の男がアタッシュケースから紙の束を取りだした。見覚えがある。愛の泉の契約書だ。男は社長にその契約書を黙ったまま付きだした。
「これは、当方で日常使っている書類とは違いますが。。。」
 モニター越しだが、緊張感がピリピリ漂ってくる。
「住所、ここだろう?」
 静かにしていた方の男が口火を切った。
「名前は、なし。どういうつもりかね?」
 男は契約書に書かれた「住所」を指さして、それから書類をパンパンと叩いた。
 だが、社長は意に介さない。
 「用件はそれだけですか? だったら、帰った方がいいですよ。住所なんて誰でも書けるし、誰かが私どもに嫌がらせをしようとしたんでしょう。こういう商売ですからね、恨みを買うこともあるかも知れません」
「もう既に買ってますよ。我々にね」
「しかし、関係のない話です」
 社長は毅然と言い放った。
 パーテーションのこちら側で、僕たちは清花の指示で着替えていた。
「そろそろ、ええんちゃうか」と、秋月。
「そうね」と、清花。
「本当にいいの? こんなのただのコスプレですよ」と、僕は言った。
「いいのいいの。経費は依頼者に請求するんだから」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「とにかく、行きましょう。いつまでも社長一人で対応させるのはかわいそうだし、これは『風の予感』で受けた仕事なんだから」
 僕たちは黒づくめの格好をしていた。黒いスーツ、黒いスラックス、黒いサングラス、そして、黒の蝶ネクタイ。
 パーテーションの脇からぞろぞろと出た僕たちは、背後から二人の男を取り囲んだ。
 気配に気が付いて振り返ったやかましい方の男が「うわあ、なんだお前たちは!」と、叫んだ。
「当探偵事務所の探偵諸君です。文武両道、切れ者ばかりの精鋭です。ご依頼があれば直ちに解決いたします。依頼なさいますか?」
 舐めきった社長の台詞だったが、男達はひるんだ。
 まるでテレビか映画に出てくる「絵に描いたような」コスチュームだが、本物の探偵がこんな格好で調査するわけがない。「探偵」が「探偵」だとばれた時点で、それはもはや「探偵」ではない。
 末端の販売員の名簿が手にはいるとは思っていなかった社長は、「上層部」から崩していこうと考えた。そのためには、向こうからこちらに乗り込ませるのが早道だ。だから社長は、契約書の住所に「ここ」を書くよう吉備に指示した。
 まんまと愛の泉はひっかかったのだ。
 もちろん、愛の泉が乗り込んできたときのための対抗策は練っておかねばならない。
 その対抗策が、こんなユニフォームによるこけおどしである。
 相手が何人で来るかとか、極道関係とつながりがあるのかについては、全く不明だったが、「ユニフォーム」と「人数」で圧倒できれば、誰が乗り込んできても勝てると社長は踏んで、「どうせなら探偵事務所らしくやりましょう」と、こんな衣装を揃えたのだった。
 録画した画像を再生すればわかるけれど、社長は乗り込んで来た二人を確認すると、すぐにモニターに向かって親指を立て、合図をした。だから我々はすぐに着替えたのだ。
「出てくるタイミングは皆さんにお任せしますから」
そう打ち合わせがしてあったのだ。
「貴様ら、はめやがったな」
 禿男が一歩前進して、社長の胸ぐらを掴んだ。
 秋月が踵をトンと鳴らした。録画を中断しろ、と言う合図だ。
 リモコンは僕が持っている。
 スイッチを切り、僕も床をトンと踏む。
 オッケーの合図だ。
 次の瞬間、秋月の強烈なパンチが炸裂し、禿男は床に崩れていた。
「ふっ。話し合いで解決する気はないようだな」
 残った方の男が、殺気を放ち始めた。
「もともとそんなつもりはなかったんじゃありませんか?」
社長が一歩前進する。どちらかといえば、ダンディな優男、という感じの社長が、一歩前進して間合いを詰める。意外だった。この距離なら一撃必殺が可能になる。
 相手と自分の距離を瞬間に測った男は、強烈な右ストレートを社長の顔面にたたき込んだ。
 わずかな動作で社長はそれをかわした。わずかな動作、すこし顔を左に振っただけだ。社長の頬と、その横を通り抜けた男の拳との差は、おそらく1センチもない。
 「あ」
 男が声を発してタタラを踏む。その足を秋月は払っていた。その場にひっくり返る男。
 おそらくこれがリングなら、ロープの反動を利用して反撃することも出来たろう。しかし、ここはオフィスである。目の前に壁。足をもつれさせた男は壁への激突を避けようとしてさらにバランスを崩したのだった。
 「本当はこんなことはしたくなかったんですけど、油断したところを再度向かってこられても困りますから」
 社長は仰向けにひっくり返っている男の横にしゃがんで、鳩尾にパンチを放った。
「ぐう!」
 男は苦悶の表情を浮かべるが、目の輝きはまだ失っていない。
「悪いけれど、戦意を喪失するまで、やらせてもらいますよ」
 社長は男の右手を持ち、人差し指を握り、関節の曲がる方向とは逆にひねる。
「わ、わかった、や、やめてくれ」
 隣では、同様に、秋月が禿男をいたぶっていた。立ち上がろうとしたところへ、秋月の膝蹴りが炸裂し、完全に動きを封じ込められたらしい。
 お互いをかばい合おうとしたのか、頼り合おうとしたのか、オフィスに乗り込んできた二人の男は、じりじりと移動して接近した。
 僕たちはさらに男達に近づいて包囲した。
 なるほど、ユニフォームというのは不気味な迫力がある。ただ、全員が同じ服装をしている、と言うだけなのだが。
 この中の誰かが強烈な一発を放てば、全員が同じパンチを持ってるという錯覚に陥らせることが出来る。
 一歩町中に出れば嘲笑の対象にしかならないであろう、テレビドラマの「探偵」であっても。
「さ、どういうことか、説明してもらいましょうか。それとも、警察に引き取りに来てもらいましょうか」
 僕は再び録画を開始した。

 思った通り、二人は愛の泉の人間だった。
 禿男は、石川啓司。手塚や山田の上の「総代理店」。もう1人は、さらに石川の上の「支部」で、足利健太と名乗った。
 「名前の無い契約書」を持ち帰らされて愕然とした山田は、なにやら胡散臭さを感じ、上の石川に相談をし、石川がさらに上の足利を伴って、契約書の住所を尋ねてきたのだった。
「で、ご用件は?」
「あ、あんたらは、いったい何をしようとしてるんだ?」
「表の表札を見ませんでしたか? ここは探偵社です。だったら決まってるじゃありませんか。依頼に基づいて調査してるんです」
「な、何を?」
「それは言えません。でも、良かったじゃないですか。弁護士事務所が被害者の会を設立する、とかじゃなくてね。もっとも、これ以上、我々に手出しをするんでしたら、一部始終をマスコミに流しますよ。そうしたら、あなた方も終わりでしょうね」
 僕はポケットの中からビデオのリモコン装置をとりだした。
 「ほら、あそこ。カメラが設置してあるでしょ?」
 どちらかと言えば一方的に攻撃したのは、「風の予感」の方なのだけれど、その部分は録画していない。だが、そのことに気が付いていない男二人は、「やられたのは俺達だ。ビデオがマスコミや警察に流れれば、不利になるのはお前たちだ」と、主張できたはずだ。しかし、そんなことに思い当たらなかったのは、普段から怪しげな方法で勧誘していたからに違いない。
 それに、このコスプレとしか言いようのない我々の風体が世間にさらされたら、むしろ笑いモノになるのはこちらだ。
 「な、何が望みだ」
 静かだった方の男が言った。
「別になにも。これ以上我々の邪魔をしなければ、それでいいですよ」
「わかった。おい、帰るぞ」
 禿男に声をかけ、二人はのろのろと立ち上がった。
「おい、ちょっと待てや。こんだけ大騒ぎしとって、ただで帰れると思うてるんか」
 二人の前に立ちはだかる秋月。
 大騒ぎしたのはむしろこちらだが、秋月は平然と言い放つ。
「ど、どうしろと」
「詫び状を書いてもらおか。それから、二度とここには足を踏み入れへんと、念書もな」
 僕は気の毒になった。
 これまで僕は、どちらかというと、風の予感の仕事において「人情」だの「優しさ」だのを感じていた。人の死という悲しい出来事を商売の種にしようというのだから、これらは欠かせないことだ。
 だが、今回は。
 それとは正反対のことを徹底して感じさせられた。それが良くないとは思わない。やはり仕事である限りは、ある種の厳しさや、徹底が必要なのだ、それは普段は優しさに包まれた「風の予感」においても変わらない。そう感じた。
 念書には、「今後、私たち石川啓司と足利健太が『有田探偵事務所』に足を踏み入れたときは、すなわち家宅不法侵入・暴力・恐喝が目的であると断じて、警察への通報はじめ、あらゆる法的措置に訴えることに意義を申しません」とまで書かされていた。
 はたしてこんな念書に、効力があるのかどうかは知らないが、ともかくこの男達には効き目はあるだろう。
 「彼らが被害届を出したり、あるいは本部が乗り込んできたりしなければいいんですけれどね」と、社長は言った。
「そんなこともありうるんですか?」と、吉備が訊く。
「ま、大丈夫でしょう。彼らは、見かけ通りの小心者で、見かけ以上に馬鹿のようですから」
「ヤクザ関係、は、大丈夫でしょうか?」と、清花。
「ううーん。愛の泉と組関係と、とこかにつながりはあるかも知れませんが、あの二人では上層部を動かすことはできないでしょう。事情を説明すれば、逆に彼らが失態の責任を問われるでしょうから。もしかしたら、彼らそのものが、組関係者かもしれませんが、だとしても下っ端に違いありません。単に、組に入れるお金を稼ぐ糧にしているだけでしょう。今日のことはやはり上には報告できないでしょうね」
 そんなものなのかな、と僕は思った。
 「さ、予定より少し遅くなりましたが、聞き取り調査に向かって下さい。あ、その格好は着替えて下さいね」
 言われなくてもそうする。
「和宣、一緒に行こうか?」と、清花。
「え、でも、。。。」
 割り当ては一人ずつなされている。一緒に行動するということは、僕も清花も二人分を担当することになり、効率が悪くなる。
 僕がそのことを指摘すると、社長が口を挟んだ。
「構いませんよ。気の合う者同士で調査に挑んだ方が効率がいいかも知れません」
「ほら、社長もそう言ってる」
「じゃあ、そうするかな」
 清花と二人で行動できることが、嬉しいと感じている僕。
「そうそう、和宣クン、仕事の内容を忘れないで下さいね」と、社長。
「え?」
「我々は被害者の会を結成するわけじゃないんですから、全員を回る必要はないんですよ。死者の気持ちを調査する、その根拠が見つかれば、聞き取り調査はそこで終了です」
 なるほど、そうだった。僕は割り当て全員を回るつもりになっていた。単に重ならないように割り当てただけなのだ。
「ところで、秋月さんと恵子さんは、一人で回るんですか?」と、僕。
「ええ、そうです。二人も格闘技の心得がありますから」
 え?
「じゃあ、清花、君も何か格闘技を会得してるの?」
「清花チャンと和宣クンは、口で勝負して下さいね。ひとそれぞれ、得手不得手あるものですよ」
 社長はそう言って僕たちを見送ってくれた。
  



  

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