第4話 スーベニール「未来の子供達のために」  =6= 



 「あの、さっきの女性、葵さんじゃないですよね?」と、僕は訊いた。なぜこんなことをしているのかについても当然興味があったが、それ以上にどうやったらこんな写真が手に入るのか不思議だった。
 「これは、投稿写真ですわ。電子メールで送って下さるの。デジタルカメラで撮影した、何もかも丸見えの写真ですから、加工しないと掲載できないんです」
 「もう少し詳しく教えて下さらない?」と、清花。
 「詳しく、と言われましても」
 「終わらせてしまいたい仕事って、このことですよね。仕事というからには、お金になるんでしょう? 投稿された写真を加工してホームページに掲載することが、どうしてお金になるんですか?」
 「ああ、そういう説明ですね。簡単に言いますと、このページの人気が出て広告掲載の依頼が来た、とそういうことです。ですから、収入は広告なんです。随分と興味をおもちのようですから、もう少し詳しく説明しましょうか?」
 「お願いします」と、清花が言った。

 始まりは、葵双葉が個人ホームページを始めたことによる。
 個人でホームページを持つことは極めて簡単だ。プロバイダ契約に、多くの場合セットでホームページスペースがついてくる。プロバイダが提供するサーバーの一部を契約者に割り当ててくれるのだ。ホームページ用のファイルを作ってサーバーにファイルを転送すれば、その瞬間からインターネットで閲覧可能となる。
 プロバイダ提供のサーバースペース以外に、広告収入で運営する無料レンタルサーバーもいくつか存在するし、もちろん有料で借りることもできる。
 個人ホームぺーに掲載される内容は様々だ。日記、自己紹介、ペット紹介、お気に入りの紹介(本、作家、アーティスト、映画、スポーツ、料理、その他)、趣味について、友達関係、サークル活動、創作発表(詩、小説、エッセイ、写真、絵、音楽、陶芸作品や押し花を写真に撮ったもの、その他)、旅行記、相談、ヒーリング、自作のゲームやプログラム・・・。
 とにかく、ありとあらゆるものがある。
 大きく言ってしまうと、テーマ性のある交流の場だ。趣味や好きなことを自由に発表し、意見を述べ、そこに同好の士や賛同者が出入りするようになり、意見交換が始まる。やがて長年の友達のように親しくなり、雑談が始まる。相互に興味をそそられれば実際に会うこともあった。

 「インターネットの主目的を『情報収集』だなんて言いますよね。確かにそれが本来の使い方かも知れませんけど、そんなのは本当は一部の人。みんな遊びでネットにつないでいますわ。人との交流を楽しんでいるんですのよ」と、双葉は言う。
 双葉のテーマは、家族だった。
 大恋愛の末の結婚。彼の両親にも可愛がられた。幸せの実感。
 けれど、不安も大きかった。
 所詮赤の他人同士が暮らし始めるのだと言われることも多く、また実際に周囲の不幸な結婚も目にしている。
 嫁・姑問題。これは妥協したり我慢したり根気よく話し合ったりすれば、つまり自分が努力すれば解決できるだろう。
 けれど、それぞれの両親同士が上手くいっていない例を聞かされれば、さすがに考え込まざるを得ない。大好きだった彼のことで悩んでいる友達もいる。結婚前と結婚後では全然違う、というのである。
 きちんとセットした髪しか見せたこと無かったのに結婚したら寝癖がついていても平気だとか、私の前で鼻をかみオナラをするとか、風呂上がりに裸で歩き回るとか、ありとあらゆるものがある。そんなの一緒に寝起きしているから当たり前じゃないというものから、結婚前に一度も性交渉が無く、私のこと大切に思ってくれているんだと理解していたのに、初夜で失敗して以来ずっとセックスレスでるという深刻なものまで。
 「いろいろな話が耳に入りますでしょう? だから、不安になるんですよ。でも、わたしは、心の奥の方、本心では実はちっとも心配なんかしていなくて、彼との生活をワクワクドキドキ待ち望んでいた、ということに気が付いたのです」
 そのきっかけが、彼の両親との住居交換である。
 双葉と旦那は新居を決め、そこに旦那の両親を案内した。「私達はここで新しい生活を始めます」と。
 まだ家財道具は一切運び込まれていないガランとした空洞だったが、大きな窓から太陽光線が差し込む明るい部屋だ。光と希望に溢れた空間だった。
 「いいじゃないか」
 「ほんとにね」
 彼の両親は口を揃えて褒め称えたという。
 数日後、双葉は彼の家を訪ねた。
 式が近づくと、打ち合わせせねばならないことも多数出てくるせいもあったが、事実上は「彼の家がデートの場所」になってしまっていた。
 初めて彼の家を訪ねたときは緊張したものだが、両親と上手くいきそうだという予感が、訪問することを楽しくさせていた。
 「双葉。ちょっと大切な話があるんだ。いや、深刻だとか重大だとかいうことでもないんだけど、重要なことなんだ。驚かずに聞いて欲しい」
 ある日、未来の旦那から真剣な口調で言われた。何だろうと思っていると、彼の両親が住居交換の話を持ちかけてきたというのだった。
 「なに、それ?」
 それは、彼の両親が新居に住み、代わりにこれまで彼の両親が暮らしていた古い家に自分達が入居するということだった。
 突飛な発想に一瞬気を失いかけた。あの明るい部屋で、彼と二人の新しく楽しく、そして愛し愛される生活を幾度となくイメージしてきたのだ。それがガラガラと崩れた。古びたどこか陰気くさいこの部屋で、新婚生活を始めるというのか?

 「でも、今から考えますとね、このときわたしの意識変革、っていうと大げさなんですけれど、もうそれが始まりかけていたんです」
 双葉は思った。とにかく理由を聞いてみようと。
 彼の両親が最初に心配したのは、子供のことだった。
 駅に近いマンション。便利だが、人も車も多い。エレベーターの事故だって心配だ。人との付き合いが希薄なマンションで、いさかいも絶えないときく。曰く、ピアノの音がうるさいだの、子供が暴れて階下に響くだの。
 子供は暴れるのが商売だし、音楽のひとつも習わせたいと思うのが親心だ。
 彼の両親はふと思いついた。今住んでいる古い家なら、全く問題ないと。
 決して広くはないが、子供の二人や三人が両親とともに暮らすには充分だし、近所は昔からの顔なじみばかりだ。
 彼の両親は話し合った。
 「じゃあ、息子とその嫁と同居するのですか?」と、彼の母は言った。
 「まっぴらごめんじゃ」
 「では、私達が新しい家を探さないといけませんね」
 「うむ・・・。そうだ、あのマンションがあるじゃないか。あのマンションをわしらが買おう。老後のためにためておいた金があるじゃろう? 老人ホームに払うくらいなら、あの綺麗なマンションを買おうじゃないか。
 大事にとっておいたって、わしらにもう金は必要ないぞ。
 だが、子供達はどうだ? マンションを買う金が浮けば、生活は楽になるし、もっと他の所に金をかけられる」
 彼の両親がそんなやりとりをしたと彼に聞かされて、双葉はなんと自分本位な理屈を並べ立てたものだと思った。けれど、同時に、詭弁だとも思えなかった。理屈が通っているような気がしたからだ。
 しかし、素直に「はい、わかりました」と言えない。ある面、的を得た提案であることがわかっていながら。
 なぜだろう?
 少し考えて、理由がわかった。
 自分の心があることに捕らわれていたからだ。
 「新婚夫婦が新しい住居を構えて新しい生活を始める」という、自分の中の常識感が、彼の両親の提案に拒否反応をしてしていたのだ。
 双葉と彼のディスカッションが膠着状態になっていると知るや、将来の義父が言った。
 「もうわしら夫婦に思い残すことなんてほとんどない。孫が生まれて、その成長をどこまで見れるか、それぐらいだ。わしとこいつとどちらが先に死ぬかは知らん。だが、わしもこいつも、老人ホームで新しい恋をしたいなどとも思っていない。全ての力を出し切って人生を驀進する年齢でもない。時代が移って、世の中は腹の立つことばかりが増えた。いや、年寄りの愚痴だ。時代はいつも動いている。年寄りは取り残される。
 ならば、老後なんていらん。あの明るい部屋で、ただ静かに想い出達に囲まれながら過ごしたい。そう思うようになったよ。
 先にどちらかが死ぬ。
 老人の悲惨な一人暮らし?
 冗談じゃない。どこが悲惨だ? わしらにはどんなものにも代え難い想い出がある。
 独居老人の孤独な死?
 いいじゃないか。何日も死体が発見されずに、あの部屋で佇んでいるんだ。
 人から見たら孤独かも知れないが、人生の最後にあがくのは潔くないね。死んだら物みたいにすぐに焼かれて埋められるのも気に入らん。
 想い出に抱かれて死んでいく。いいじゃないか」

 彼の父の言葉のひとつひとつが双葉の心を動かした。
 死に様ぐらい、自分の望む形でいいじゃないかと思った。
 そう思うと、この古い家での新婚生活が急に現実味を帯び、色彩を伴ったイメージが湧いてきた。
 都合のいい理屈ばかり並べていたように思えた彼の両親の言葉が、本当に思いやりのある慈愛に満ちたものに変貌していく。
 「ようするに、気持の持ち方。自分の心をどの位置に置くか、それだけですわ」
 この気持を多くの人に伝えたい。そうすれば、不幸だと思いこんで落ち込み、それ故に悲惨な精神生活を送っている人の何人かが救われるに違いない。
 かといって出版のあてもなければ、講演の依頼など来るはずもない。
 自費出版について調べてもみた。流通面が不安だった。自費出版がベストセラーなみに出回るとは思えなかった。
 部数も必要だ。街角の小さな書店にも並ぶだけの部数を作らないと、人々の目に止まらないだろう。それだけ部数を印刷する費用などとてもない。小冊子にまとめて、あちこちに配る方法もあるが、労力が追いつかないだろう。
 そこで始めたのがホームページだった。
 費用はほとんどかからない。そして、読者は無限なのだ。
 具体的には、プロバイダとの契約料金が月々1200円、電話代はテレホーダイ(夜間定額サービス。特定の電話番号への通話は、23時から翌朝8時までつなぎ放題)で1800円。それだけである。
 これを20年続ければ相当な金額になるが、印刷物のように「所定部数を出版すればおしまい」ではなく、いつまでも維持できるのが魅力だ。
 発表の機会を得ると、もっと色々書きたくなった。
 日々の生活が本当に幸せだと思えた。ならばそのことを日記形式で書き綴ろう。
 感想や意見や相談のメールが来るようになった。ホームページを持つ者同士の交流も始まった。これはごく自然な流れだった。

 ある時、性生活についての意見交換が始まり、一助になればと自分たち夫婦の性交画像を修正の上で掲載した。
 ためらいはなかった。ある種カウンセラーのような気持になっていたんだと、そのときの精神状態を双葉は告白する。
 それから時折、メールで画像が届くようになる。せっかくだから必要な修正を施して掲載した。
 「なんとなく方向性が変わってきているのに気が付いてはいたんですよ。でも、わたしもそういうの、嫌いじゃなかったので、つい調子に乗ってしまったのね」
 募集記事は載せなかったが、投稿有り難うございますというようなコメントを同時に掲載したためか、投稿や告白文がそこそこ届くようになった。
 なかには勘違いした輩もいたが、無視すればことすんだ。
 しかし、掲載された画像だけを注目すれば、誰がどう見たって立派なアダルトページである。写真に添える記事はきわめて真面目だったが、内容がどんどん過激になっていくことには変わりない。
 アブノーマルとされる領域のものも、その心境や自分のしっかりした意見が添えられており、なるほどと思えた。他人の恋愛なんて全てアブノーマルであり、自分の恋愛にアブノーマルなんて無い。そう思った。だから掲載した。

 転機は、広告掲載希望のメールが届いたときだった。
 正真正銘アダルトページのバナー広告で、広告料を出すから掲載して欲しい、というものだった。
 双葉の迷わなかった。
 なにも真面目に性を論じるだけが全てじゃない。そこに興味本位や別の目的があってもいいじゃないの。それでこそ癒されることだってあるのだから。そんな思いで広告を掲載した。
 ホームページの構成を変更し、新しく「投稿写真と体験告白」のコーナーを創った。どうぜバナー広告にはえげつないものもあるのだから、このページ自体をエロ目的で見られても構わないと思った。18禁のマークを掲載した。このマークは全く意味が無く、ともすればローティーンからの投稿まで届く。
 迷ったけれど、色々な目的の人がアクセスするのはインターネットでは当然のことだし、ページのコンセプトがしっかりしていて、それにあったページ作りを自分がしていけばいいのだから、事実上制限をしなかった。
 作者が女性であるせいもあり、アクセスは急激に伸びた。評判になれば広告も増える。「広告募集中」と一言書くだけで、結構な申込みがあった。とりたてて営業活動をしたわけじゃなかった。いまや旦那の月収を上回ろうかという金額を稼ぎ出してくれる。
 広告主がいて、常連読者がいて、投稿者がいる。商業雑誌とあまり変わらない状況になったため、仕事としてホームページの更新に取り組まなくてはならないようになった。

 「と、まあこういうわけなのよ」
 「趣味、というか、ある意味善意で、世の中の役に立てばと始めたんでしょう? それが仕事的になって、苦はないの?」
 清花の口調が「です・ます」調から変化していた。飾らない本音の告白に、清花が双葉に親近感を抱いたのがよくわかった。
 同時に、双葉もそうだった。
 正確に言えば、双葉が僕たちに対する印象が「突然の訪問者。調査員」から友達的な感情を抱く仲に変わったのを感じたからこそ、清花は言葉遣いをくだけさせたのだ。
 こういう面が清花のすごいところであり、僕のだめなところだ。
 僕は清花の変化でやっとこれらを伺い知ることができたに過ぎない。
 「苦は、ないのよね。むしろ、楽しいもの。まわりの同年代の女の子に比べて、わたしってスケベなんじゃないのかって、ずっと思ってたんだけれども、やっぱりそうなんだなって感じてるし」
 今まで淡々と「そういうの嫌いじゃないです」と言っていた双葉が、この時初めて恥ずかしそうに俯いた。
 「そんなことないよ」と、清花は言った。
 「葵さんがスケベなら、わたしなんかドスケベかもよ。ねえ、もっと見せて」
 清花がパソコンを覗き込んだとき、双葉は今までにない笑顔を見せた。かげりも緊張もない笑顔だった。
 女同士きゃーきゃー騒いでいる横で、僕はまた下らないことを考えていた。
 双葉のやっていることは、SOHOなのか?

 帰りの新幹線で、僕は清花に叱責された。
 「もう、せっかく仲良くなれたのに、肝心なところでまた和宣は別のことを考えていたでしょう?」
 「また? またってなんだよ」
 缶ビールで少しいい気分になりかけていたので、うっとおしくなって反論した。
 「姫路の時だって、そうだったじゃない。榊原さんから聞いた弥生さんの情報、聞き逃してたでしょう? ホテルに帰ってからわたしが教えてあげたんじゃないの」
 「うっ」
 確かにそのとおりだ。僕は詰まった。
 しかし、そんなに攻められるほどのことか?
 「なら言うけど、二人して同じことを見聞するなんて無駄じゃないか。姫路の時だって二人でふんふんと聞いていたら、列車ダイヤのことに気が付かなかったし、さっきだって、清花と葵さんが仲良くなるきっかけを作ったのは僕だぜ」
 「列車ダイヤのことなんて、鉄道ミステリーじゃあるまいし、役にたつかどうかわからない無駄な思考かも知れないわよ。それに、葵さんとだって、きっと別の話題で仲良くなってみせたわよ」
 「あ、そ。結局僕が悪いんだね」
 「そんなこと言って無いじゃないの。取材の相手が大切なことを言い始めた途端に、意識を別の所へ向けるのはやめてって言ってるだけ」
 清花の主張はもっともだ。姫路の時のそれは、どうしても心に引っかかったし、とても重要な気がした。けれど、双葉の家では僕は完全にどうでもいいことを考えていたのだから。
 「ごめん、気を付けるよ」
 僕は謝った。そもそも清花に反論したことが間違いだ。
 言い争いの構えを見せていたのに、僕が急に謝ったものだから、清花の方が拍子抜けしたようだ。振り上げた拳をおろせなくなってしまい、「まあ、わかればいいのよ、うん、わかればね」なんぞと窓に向かって言っている。
 「わかったから、情報交換しよう」
 「交換じゃないわ。わたしが教えてあげるのよ」
 「うんうん、その通りだよ」
 ちょっとなだめないとまずいか。
 「ま、それはいいけど、帰ってからにしようよ。なんだか疲れちゃった」
 「わかった」
 「じゃあ、明日10時。事務所でどう?」
 「いいよ」

 清花はリクライニングを倒し、目を閉じた。
 にもかかわらず、すぐに「あ、そうだ」と叫んで、上体を起こした。
 「な、なんだよ」
 「調査に関することはチャンと教えてあげるけれど、これは貸してあげないからね」と、黒いセカンドバックから封筒を取り出す。そこには一枚のフロッピーディスクが入っていた。
 「それ、なに?」
 「へっへー。葵さんにもらったの。ホームページに掲載する前の写真。つまり、無修正なんだよ。見たい? でも、見せてあげない。ほら、この封筒、『ドスケベの清花ちゃんへ』だって。おかしー」
 何が「おかしー」なのか、僕にはちっともわからなかった。
 「別に見たくないけど」
 「あら、そう?」
 写真が見たくないわけじゃないが、清花と葵がそうしたように、一緒に写真を見ながら騒ぎたいという気持ちにはなれなかった。
 「残念。これをネタに当分和宣と遊べると思ったのに」
 清花は本当に残念そうだった。
 僕の手から飲みかけの缶ビールを奪って一気にあおると、やがて本当に眠ってしまったようだ。
 



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