第5話 ティーンエイジャー「青春の光と影」 =1=
一雨ごとに秋の色合いが濃くなっていく10月。 沢村美代子あてに大きなダンボール箱が届いた。美代子は高校3年生。まだ学校に行っている時間である。放課後は学校が主催する補習を受けた後、そのまま塾へ行き、帰ってくるのは10時を回るはずであった。美代子は推薦入試を受けない。目の前に迫った大学受験に最後の追い込みをかけているところである。気を抜けない。 母、幸代は困惑した。なにしろ心当たりのない荷物が自分の娘宛に届いたのだ。しかも、本人に確認できるのは、夜遅く帰宅してからである。 「いやあ、代金はもういただいていますし、住所もお名前も間違いないでしょう?」 トラックから玄関先までダンボールを運び込んだ作業服の男は言った。 「もしよろしければ、設営しますけれど」 ダンボールに貼られた伝票は、確かに美代子宛だった。しかし、世の中には悪質な商売もあると聞く。注文を受けずにかってに発送しておいて、後に代金を請求するというやり方である。クーリングオフが可能な期間が経過するまで、送り主は「確認しますので」などとのらりくらり逃げ回るのだ。 「いえ、設営は結構です。何かの間違いかもしれませんし、とにかく本人に確認するまでは梱包は解かずにおいておきます」 「いや、間違いじゃないですよ。わざわざお金を払って他人に荷物を送るなんて悪戯は考えられないでしょ? もちろん、爆弾なんかじゃありませんから」 「あの、いったい、これは?」 「パソコンですよ、パソコン」 「でも、うちの子は、そんなものを注文しただなんて、一言も言ってませんでしたから」 「そうおっしゃられても困るんですよ。私は配達するようにと言われて持ってきただけなんですから」 「ええ、ですから、お預かりということで」 「ま、じゃあ、設営はご自分でされるということで。なあに、最近の若い人はメカに強いですから。そんなに難しい配線もありませんし。とりあえず、ここにはんこをお願いできますか?」 「あ、はあ、わかりました」 幸代は腑に落ちないまま印を押した。 「ところで、このパソコンって、いったいいくらするんでしょう?」 「そうですねえ。ピンからキリまでありますけど、沢村さんは周辺機器も合わせて購入されてますから、35万円、ってところでしょうか? いや、だいたいですよ。私はお届けするだけですから、いくらで買われたか正確なところまでは」 「いえ、だいたいでいいんです。だいたいで」 トラックは大小いくつかのダンボール箱を沢村家に残して走り去った。 郊外の住宅地に建つ庭付き一戸建て。いわゆる新興住宅地である。静かな午後の空気を揺さぶって、トラックの姿が消えた。 |
「35万円のパソコンですか。高校生が一括で払える額にしては大きいですねえ」と、社長が言った。 「あら、そんなことないわよ。わたし高3のときは、もっと貯金あったもの」と、清花。 「ええ? まさか」と、僕。 「だって、お年玉とか使わずに貯金するじゃない。そしたらたまるわよ。小学校1年生から高3まで12年間、アベレージで2万円ずつためてたら36万円になるわ」 「いや、高3のお正月はまだ迎えてないから、34万円だよ」と、僕。 「そんな本質に関係ない細かいことはどうでもいいの。とにかく、不可能な額じゃないってこと。むしろ、高校生がローンを組んだ、なんて話の方が怪しいわよ」 「高校生が親の許可無くローンなんて組めるのかい?」と、僕。 「だから、そんなことがあったら怪しいって言ってるのよ。現金一括払いなら、ちっとも変じゃない。貯金の管理はお母さんがされてたんですか?」 清花は会話の矛先を依頼人「沢村幸子」に向けた。 「あのこが高校に上がるまでは」と、沢村幸子は言った。「おっしゃるとおり、お年玉は私が管理していました。高校に上がったときに、通帳と印鑑を美代子に渡しました。必要なものに使いなさいって」 「日常から、金銭感覚は普通だったと、判断されたんですね?」と、社長。 「ええ、そうです。主人と話し合って、お小遣いを廃止する代わりにアルバイトを認めました。で、それまでの娘名義の貯金も全て娘に管理させようということにして」 「で、お嬢さんがパソコンを買った。わたしは真っ当な買い物だと思います。なにも心配する必要はないんじゃないですか?」と、清花。 「ええと、立花さん、沢村さんは『風の予感』が何をするところかわかっていてお越しなんですよ。人生相談に来られたんじゃない。話を最後まで伺いましょう」と、社長がディスカッションを遮った。 そうだった。 こんなところで意見交換をしていたら、いったい誰が死んだのかもわからない。 風の予感は「死者の気持ちを調査する」調査機関なのだ。 「アルバイトといっても、週に数日、コンビニで働くくらいの地味なものでした。携帯電話の通話料を払ったらほとんど残らないなんて言ってましたし。 で、パソコンでしょう? まあ、それだけなら、お年玉を取り崩せば買えますし、パソコンくらい扱えないと就職どころか大学での勉強にも差し支えるような時代ですから、娘の口から『確かに買ったよ』って聞いたときは、それならそれでいいと思ったんです。ちゃんと報告しなさいって注意して、それで終わったんです。 でも、パソコンだけじゃなかったんです。 新しいオーディオ一式が届いたり、服装やアクセサリーがブランドものになったり、いつのまにか車の免許も取っているし、とにかく金遣いが荒くなって」 「う〜ん、荒くなったと言っても、全部品物になってるんですよね」と、清花がまた沢村さんの説明を遮る。 「え? それはどういう意味ですか?」 「ゲーセンやクラブやカラオケやらで、遊び歩いてるわけじゃないんでしょう?」 「いえ、そういうこともあるみたいです」 「でも、補習も塾もアルバイトもあって、そんなに遊べるもんですか?」と、僕。 「多分、帰宅が遅くなるのに、適当に理由を付けていたんだと思います」 「じゃあ、娘さんは、嘘をついていたんですか?」 「全てが嘘ではないと思います。娘の通帳をこっそり見たんですけど、毎月ちゃんとアルバイト料は振り込まれていますし、全国統一模試の成績表も持って帰ってきてますから」 「成績といいますか、順位とか偏差値はどうでした?」と、社長。 「だいたいいつも同じくらいでした」 「周りみんなが必死になって勉強してるんですから、いつもと同じということは、勉強もきちんとしているということになりますね」 僕にとって受験勉強はまだ過去の話じゃない。リアルに脳裏に焼き付いている。成績を下げないということがどれだけ大変か、身をもって知っている。もっとも、せっかく合格しても通学していなければ偉そうなことは言えないのだが。 「私も主人も、いろいろと話し合いをしたんです。その結論は、やっぱり親に隠している何かがあるということになりました」 「可能性はありますね」と、社長が頷いた。 「それで、よくないとは思ったんですが、興信所に調査依頼したんですよ」 「あらあら」と、清花が言った。 いったん興信所に調査依頼をしておきながら、あらためて「風の予感」にやってくる? つまりは、誰かの死が関係していた、ということか。僕にはまだ話の全容がつかめなかった。 |
沢村幸子は、高3の娘美代子の素行調査を興信所に依頼した。その結果わかったのは、沢村美代子の資金源が援助交際だということだった。 高額の品物はもらったお小遣いをためて買い、服やアクセサリー類はねだって買ってもらったものだった。 夜の町で遊ぶといっても、友達同士でフラフラしているのではなく、援助交際の相手と付き合っていたのだった。 「本当はこういう調査依頼も同じ興信所に引き続き頼んだらいいのでしょうけれど、、、、と、いいますか、あらためて別の所にお願いするのは、どちらにも失礼な気がするんですが、わたし、『援助交際』の調査報告書を受け取ったとたんにカーッと頭に血が上ってしまいまして、興信所の方を罵倒してしまったんです。 もちろん、経費はその後振り込みでお支払いしたんですが、あれから一度もお会いしていません」 「なるほど、わかりました」と、社長。「でもお母さん、うちは確かに探偵業の看板もあげていますが、今回は『オフィス風の予感』へのご依頼ですね」と、社長。 「ええ、そうです」 「私どもは、お亡くなりになられた方の、語り尽くせなかった思いをお調べして、遺族や縁のある方に報告する、という業務内容なんですが」 「ええ、ええ、存じています。調べていただきたいのは、娘のボーイフレンドについてなんです」 ボーイフレンド? 僕は首をひねった。今までの話と美代子の彼氏と、どこに接点があるのだろうか? 「娘が援助交際をしているということは内緒にして、担任の先生に相談したことがあるんです」 「はい」と、社長が居住まいを正した。ここからが肝心なところだと直感したのだろう。 「最近、特に帰りが遅くて心配している。そこまでやらないと大学には行けないのですか? それとも、娘は何か他のことに気を取られているんでしょうか? って」 「それで、先生は、どのようにおっしゃられましたか?」 「受験勉強は人並み以上にがんばってるようだけれど、その割には成績が伸びないようだって。でも、志望校の合格範囲には入っているので、ペースを落とさなければ大丈夫でしょうということでした。 そして、先生は考えすぎかもしれないけれどと前置きをして、娘がしていた指輪が気になる、とおっしゃいました。 娘の学校はアクセサリーや服装に、あまりうるさいことをいわなくて、美代子よりずっと派手な子もいっぱいいますが、娘の身につけていた指輪がとても高価なものだったので、高校生が学校に付けてくる類のものじゃないと、先生は注意されたそうです。そういうのは結婚式やパーティーなどによばれた時にこそふさわしいんじゃないのかしら、とまあ、そんな風にやんわりと」 「ふうん。。。」 そんなものかな、と僕は思った。よくわからない。 「それで、お嬢さんは?」 「気を付けます、とはこたえたそうです。でも、結局、ブレスレットや髪留めや、どれをとっても高価なものばかりを身につけてくるようになったとかで、先生がいわれるには、どうやら娘のボーイフレンドが死んだ後から、そういうことになっていたみたいだと」 「彼氏がいない淋しさを、もので補おうとしたんですね?」 「ええ、先生もそのことに思い当たって、それ以後、注意しなかったそうです」 社長とお母さんとの会話が淡々と続く。僕と清花は傍聴するだけだ。 「では、娘さんのボーイフレンドの気持ちを調査する、というご依頼になるわけですか」 「そうです」 「死因は、何だったのでしょう?」 「喧嘩です。お腹を殴られて、内臓破裂だそうです」 「お嬢さんのボーイフレンドは、普段からそういうことを?」 「いえ、詳しくは。。。。」 「そうですか」 社長はこのあと、経費のことや調査期間のことなど、事務的な話をした。 「今、ご説明したように、調査費用は決して安くはありません。それに、ご本人、つまり娘さんはこんな調査を望んではいないかも知れません。それでもご依頼なさいますか?」 「はい。お願いします」 「余計なことかも知れませんが、知って、どうなさるおつもりですか?」 「援助交際なんてことをやめさせたい、これは親として当然の気持ちだと、おわかりいただけますよね。けれど、叱りつけてやめさせるのが正解でしょうか? ボーイフレンドの死が原因になっているのなら、その心の溝を埋めないことには、援助交際はやめてもまた違う何かに娘は寄りかかってしまうでしょう。援助交際をやめさせることと、一歩先へ進むこと、同時にしてやらないといけないんです。そのためには、彼が美代子のことをどう想い、どう愛し、そしてできれば将来のことを考えていたとか、いなかったとか、そういうことを知る必要があると思います。親として、大切な人を亡くして自分を見失っている我が子に出来ることって、コレくらいしかないんですよ」 「わかりました。お引き受けしましょう」 社長は胸を張った。いや、実際には胸など張っていない。話題が話題なので、どちらかといえば小さくなっている。でも、僕には胸を張ったように見えた。心を動かされて行動を起こそうとするとき、社長は笑ってもいないのにやわらかく微笑んでいるような印象を相手に与える。堂々となどしていないのに自信ありげに見える。なぐさめの言葉など吐かないのに慈愛に満ちている。沢村さんにとっては、さぞ社長の姿が頼もしく見えただろう。 僕が「風の予感」のスタッフに加わって、5つめの案件。 天寿を全うして惜しまれながらも多くの人に暖かく見送られる死もある一方で、このように「生者の生き様」そのものを変えてしまう死もある。あらためて身の引き締まる思いがした。 |
僕たちと沢村さんとの面会はこうして終わった。 僕たちが話した場所は、相変わらず町中の喫茶店だった。せっかく事務所を開いたというのに。 沢村さんが去った後の店で、僕と清花と社長は、コーヒーのおかわりをした。 「さて」と、社長が口を開く。 「この案件は清花チャンと和宣クンに担当してもらうとして、例の件、決心はつきましたか?」 「え? 例の件って?」 清花はとぼけたけれども、僕はピンときた。「オフィス風の予感」を近く会社組織にするから、同時に正社員として働かないか、と僕や清花は誘われていた。 現在、「風の予感」の名刺には「(有)オフィス風の予感」と印刷されているが、ハッタリである。有限会社ではない。社長の名前が有田なので、その一文字を取って「(有)」、いわば屋号であると社長は豪語する。 それを本物の「会社組織」にしたいと社長は考えてる。 社長は結婚を機に、などと言っているけれど、それは照れ隠しのためのいいわけだろう。たまたまタイミングが重なったに過ぎないはずだ。 心が殺伐になりがちな今の世の中に、潤いをもたせたい、そのためにはアングラな形ではなく、「風の予感」の活動を堂々と世に出したい。社長はそう思っているに違いない。 「正社員」の話が秋月や恵子にも行ってるのかどうかは聞いていないが、僕と清花はそろって声をかけられた。 清花は大学を中退しているし、その後派遣で働いていたが、今は「風の予感」がメインのようだから何の問題もないように思える。けれでも清花は「少し考えさせて欲しい」と返事したらしい。 僕はほとんど大学に行っていないとはいえ在学中で、入社するとなると「中退」することになり、やはりどうするか決めかねていた。 「入社の件ですね」と、僕は言った。 清花は、僕が調子を合わせてくれると思ったのだろう。せっかくすっとぼけていたのにと言わんばかりに僕はジロリと睨まれてしまった。 「だって、かわいそうじゃないか。社長の口から何度も、結婚するからとか、会社を興すからとか、そんな晴れがましいこと言わせるのは」 「うう、よく言ってくれた、橘クン」と、社長は手で目を覆い、泣き真似をした。 社長は自分自身のことになると、とてもシャイなのだ。 「だから、からかうと面白いんじゃない」 「でもなあ、入社するとそれこそ日本的なサラリーマン社会の上司と部下の関係になるし、からかうなんてなあ。。。」 「じゃ、じゃあ、決心してくれたんですか!」 社長の嬉しそうな顔。でも、残念ながら、僕もそこまでは決めかねている。 そう言うと、社長は少しがっかりしたようだった。 「立華さんはどうですか?」 「社長をからかえなくなるんなら、やめとく」 「そんなことはありませんよ。会社組織にしたからといって、それは形式の問題で、私達の関係に変わりはありません」 あ〜あ、清花のからかいに、社長はマジで答えてるよ。ま、それだけ真剣なんだという証だ。 「わかってるわよ、そんなこと。でも。。。。。」 僕には清花の気持ちは分かっている。 彼女がこの仕事をするきっかけになったのは、恋人の交通事故死である。この仕事を続けるということは、彼の死をきちんと受け入れて自分なりに整理するか、ダラダラといつまでもこの世にはもういない恋人の影とともに生きるか、どちらかを選ぶということなのだ。誤魔化せない。 もちろん、選ぶとなったら前者しかない。清花はまだそこまで割り切れていない。というか、割り切ってしまうことへの決断が出来ない。だから悩んでいるのだ。 「では、こうしましょう。今回の案件が終わるまで待ちます」 それがいい、と僕も思った。 僕は、こんな殺伐とした世の中で、こんなにもヒューマンな仕事があるのだろうかと、この仕事にやり甲斐や悦びを感じている。けれども、まだこの仕事に自分の全てを捧げる自信も覚悟もない。 でも、この案件を終えたら、決断しよう。この仕事が自分の本来いるべき位置なのかどうかを、自分で評価しよう。 「わかりました」と、僕は応えた。 「え、ちょっと待ってよ」と、清花。 「なに?」 「本当に、それでいいの? 入社の誘いを断って、かつアルバイトとして仕事を続けるのは辛いわよ。私が社長なら、和宣にはもう仕事はまわさないわ。入社を断った奴に仕事はさせない、という意味じゃなくて、お互い気まずいだろうから」 「うん、それでいい。僕もそのつもり。入社しないんだったら、この仕事から手を引く」 後から思えば、僕の気持ちはこのとき既に決まっていたのだ。 「そっか。うん、そうなんだ、和宣。ふうん。。。。」 「なんだよ、ふうん、って」 「なんでもない。ただ、出会った頃に比べて、随分、成長したんだなって、なんか感じちゃった。わたしは全然変われてないのにね」 どう? 俺のこと惚れなおした? なんて冗談めかして言えればどれだけいいだろう、なんて思いながら、結局言えなかった。 「わたし、どうしようかな」 「あのですね」と、社長が僕たちの会話を遮った。 「入社を断っても、あなた方が優秀な調査員であることにはかわりはありませんから、アルバイトとしても仕事を依頼しないなんてことは、僕は考えていませんよ、念のため」 そうなんだ。 気まずいからお付き合いを終わらせる、これはむしろ清花的な考え方なんだ。 「この仕事は誰にでも出来るものじゃないと思っています。ふたりとも、感性が豊かですから、かけがえのない人材なんです。だからこそ、正社員に誘っているんですよ。そこのところ、誤解のないようにね」 社長は依頼人の前では決して見せない笑顔で、伝票をつかみ、席を立った。 「ごゆっくり」 後ろ姿がそう語っていた。 清花が「一緒にやろうよ」と言ってくれたら、きっと僕は簡単に決断するだろうな、なんて思いながら、コーヒーをすすった。 と、同時に。 もしかしたら、清花もそんな風に考えているかも知れないと思った。 短くなった秋の太陽が、もう街を紅色に染めようとしていた。 |