第5話 ティーンエイジャー「青春の光と影」  =4= 



 「そうですか。直接コンタクトしますか」と、社長は言った。
 社長はむつかしい顔をしている。眉間には皺。だが、口元は優しく笑っているようだった。
 沢村美代子は、厳密に言えば依頼者でもなければ、調査対象でもない。だが、実際にはそれに近い。依頼者が美代子の母であり、死者は美代子の恋人。恋人の死後、我が娘が極端に変化していく様に心を痛めた母親が依頼してきたのだ。救うべきは対象者は美代子である。まさしくこの案件の当事者といえた。
「タブー、ですよね。本来は」と、僕は言った。
「そうです。タブーです」と、社長。「私が勤めていた探偵社をやめることになったのは、直接コンタクトが原因だった、このことは二人とも知っていますよね」
 僕は頷いた。もちろんそれは、社長がなぜ探偵社をやめたかという出来事を知っているという意味ではない。当事者への直接コンタクトが何たるかを知っている、と言う意味だ。多分清花も頷いたろう。僕の横に並んで社長に対面している清花の表情を、確認したわけではなかったけれど。
「でも、社長は、だからこそ『風の予感』をはじめたんでしょう?」
 清花が透き通った声で言った。とてもはっきりとした、微塵の迷いもない意志が感じられた。
「そうですよ。だから、ダメだとは一言も言ってないでしょう? けれど、アプローチが難しいことは事実ですからね。十分、配慮して下さいね」
「はい」
 そうは答えたものの、さて、どうしたものか。社長が探偵社を辞めた原因が直接コンタクトにある、ということは確かに知っている。けれど、知っているのはその事実だけで、前後を含めたエピソードは知らない。「タブーを犯したことを、後悔はしていませんし、結果としてはそれでうまくいったんですよ。でも、それでもタブーなんです。だから僕は、自分でなっとくのいく仕事をしようと思って探偵社をやめ、風の予感を始めたんです」と、社長が語ったのはそれだけだったからだ。
 社長はその時、懐かしいものを見るような優しい目をしていたけれど、同時に悲しい表情もしていた。だから僕たちは、それ以上の事を聞くことが出来なかった。
 作者注:社長の過去のエピソードは「第4話」に収録されています。って、まだ発表していませんね。順序が逆になりましたけれど、第5話が終わり次第、順次掲載予定です。と、書いたものの、第4話には収録されませんでした。番外編でお楽しみ下さい。

 メールの返事が来た。
 お会いするのは構わない。都合のいい日を打ち合わせしましょう、とのことだった。携帯電話の番号が掲載されていた。思案の末、ホームページの閲覧者としてではなく、僕たちが何者で何をしているのかを伝えた上で会うことにした。用件を述べて拒否されるのならそれはそれで仕方ない。嘘をついて面会しても心を開いてはくれないだろう。電話は清花がした。美代子は会うといった。「だって、メールで約束したでしょ?」
 場所と時間を決めた。

 待ち合わせの喫茶店に美代子は時間通りやってきた。大切な人を亡くして荒れている、どこかにかげるがある、そんなイメージを僕は抱いていたけれど、見事に裏切られた。日常に埋もれてダラダラと暮らしている大人達よりも、ずっと輝いて見えた。錯覚だろうか。
 電話でおおよそのことは伝えてある。僕たちは簡単に自己紹介と挨拶をしながら、オーダーをした。しかし、それらが終わると、何から話をしていいのか見失ってしまった。しばらくの沈黙の後、おもむろに美代子が言った。
「母に心配をかけたのは悪かったと思っています」
 ふううん、いい娘だな、と僕は思った。
 美代子の母が行ったこと・・・探偵社に娘の素行調査を依頼したり、その後さらに僕たちを雇って死んだ恋人についてまで調べさせたり・・・それら全てを承知の上で、彼女は僕たちと対面している。
 普通、親にそんなことをされたら、自分に非があるかどうかなど無関係に感情的になるものだ。美代子はもうそんな段階を乗り越えていた。全てを認め、受け入れていた。
 そして、賢い娘だ、とも思った。
 何者ともわからない僕たちに対して、どうして最初から「悪かったと思っています」などと言えるだろう。だが、そう言うことで、彼女は僕と清花の「気持の殻」を破ったのだ。そう、僕たちは身構えていた。どう美代子と対峙しようかと、それなりに思案していた。けれども美代子は、最初からしおらしい態度をとってみせることで、僕たちを味方に付けたのだ。
 それが計算ずくの賢さなのか、それともそれが彼女の自然体なのか、僕には判断できない。しかし、多分後者だろう。
「母は、運が悪いんですよ。探偵を雇えば、ヘボ。私はすぐ尾行されていることに気が付いたんです。そして、つぎに雇ったのがあなた達。あなた方のことには気が付かなかったけれど、こうして正面から逢いにきちゃう。ほーんと、高い調査費用を払ってさ、本人に気付かれてたんじゃ、なんのための調査かしらね」
 美代子はクスクスと笑った。
「僕たちは別にあなたを調査したわけじゃありませんから、気付かないのも無理ないですよ」
「そうですよね」

 「母には心配をかけましたけれど、もう大丈夫です。私は私のやるべきことをやっていますから。母もそのうちわかってくれると思いますよ」
「ならいいんだけど。でも、『そのうち』じゃなく、お母さんにはなるべく早くわかってもらえるように努力した方がいいと思うわ。そうして、安心させてあげなくちゃ」
「そうですね。それはそうなんですけど・・・・」
「少なくとも援助交際はやめた方がいいわ。もともとはそこが出発点なんだから」
「あ、それはもうやめています。今はそんなことに時間を費やしていられませんから」
「え? もうやってないの?」と、僕。
「なによ、その残念そうな言い方。まさか和宣、客になろうってんじゃなでしょうね」
「バカ言うなよ」
 僕たちのやりとりを聞いて、美代子はまたクスクスと笑う。なるほど、この笑いは乗り越えた者にしか出来ない。全ては終わり、そして始まっているようだった。

 「基本的にはね」と、清花は身を乗り出した。
「あなたの生活が荒れている原因がボーイフレンドの死だと知ったあなたのおかあさんが、わたし達に依頼してきたの。彼の死について調べてくれって。それで、あなたを救おうとしたのね」
「はい」
「あなたはどれくらい、彼の死のことを知っているの?」
「ううーん、ホームページに発表していることが全てなんですけれど・・・」
「多分、お母さんが期待していた調査結果はふたつよ。ひとつは、『あなたの彼はとてもとてもあなたのことを愛していた。だから、あなたが援助交際なんてことをしていると知ったらきっと悲しむ。だからやめなさい』。もうひとつは、『あなたが思うほど彼はあなたのことを深く愛してはいなかった。だから、彼のことは早く忘れて、新しい彼をみつけなさい。きちんとした恋愛をするためには、援助交際何てしてはダメ』」
「僕たちの仕事は、そういう結果を導き出すための証拠や証言を集めることなんだ」と、僕は付け加えた。
「そうか。そうですよね。自分の娘が身体を売ってお金をもらってるなんて、ショックですもんね」
「ショックだけじゃないわ。将来のために、そんなことはやめさせたい、そう思うのが普通よね」
「でしたら、母にはこう伝えて頂戴。私と彼は本当に深く深く愛し合っていました、って。証拠や証言が必要なんですよね。だったら、わたしがそう言った、ということで、いけませんか?」
「うーん、本人の証言ではなあ。第3者の目で見たものでなくちゃ普通は納得しないよ。それとも、誰が見てもそれとわかる証拠でもあるのかい?」
「そしたら、彼とやりとりした手紙、はダメですか? 交換日記もしていたけれど」
「どこでそんなものを手に入れたって説明すればいいのかしら?」と、清花。
「わたしからもらった、って、ダメですよね。そういうのは。うーん、わたしの家に忍び込んで手に入れた。これは話にならないか。ふうん、探偵さんも大変ですよねえ」
「交換日記は、どこにあるの?」と、清花。
「わたしが持っています。ちょうど私が書く番だったんですよ。彼の番だったら、きっと、彼のご両親はわたしにはくれなかったと思います。大切な遺品ですから」
「じゃあ、こうしようか。その交換日記を僕たちが彼の家からもらってきた」
「お、ナイスアイデアね、和宣」
「そうだろ? もっともこれは、あなたが交換日記を我々に譲ってくれる、という前提がないと成り立たない話なんだけどさ」
「いいわ、譲ります。母がそれで少しでも安心してくれるなら」
「じゃあ、わたし達はあなたのお母さんに、『ふたりはとても愛し合っていました』って報告するわよ」
「もちろん、それでいいわ。そして私はおかあさんに説教されるのね。『援助交際なんて彼を裏切るような真似はするな』って」
「さあ。どんな説得のされ方をするのか、そこまで僕たちは関知しないよ」
「ところで、援助交際をやめたきっかけってなんなの?」と、清花。
「お金がなくなったんです。普通のサラリーマンが頻繁に女の子を買い続けるだけのお金を持ってると思います?」
 あ! 言われてみればその通りだ。
「私はその頃には、欲しい物は手に入れていたし、本当はお金なんてどうでも良かったんです。最初はお金でつながっていた人だけれど、その人には実は随分癒されていたんです。だから、お金なんていらないから、これからもお付き合いして欲しいってお願いしました」
「それで、その人は、なんて?」
「断られました。僕には妻子がある。お金の関係がなくなればそれは浮気になる。家庭が崩壊する。ですって。へんな理屈ですよね。お金で女の子は買ってもいいって思っていたくせにね」
 また美代子はクスクスと笑った。
「ところで、その交換日記、やっぱり中身には目を通すんでしょうね」
「そうね。気は進まないけれど、仕方ないわ。どんなことが書いてあるかわからなければ、それが本当にあなたと彼が深く愛し合ったことを証明しているかどうかわからないもの。ううん、あなたに絶対の自信があれば、あえて読まなくてもいいのよ、わたし達は。けれど、あなたのお母さんに対しては、『交換日記の文面を検討の結果、二人は深く愛し合っていたと言い切ることが出来ます』って報告をすることにはなると思うの」
「そうよねえ。そうしたら、母も当然、読むか。そうか・・・」
「それは辛いよなあ」と、僕は言った。「もし、君がいやなら、僕たちはなんとしても別の証拠を捜すけれど」
「でも、時間はかかるんでしょう? それまで母は安心できないって事になるわ。だから、わかりました。やっぱりお譲りします。かなり恥ずかしいけれど」
「まあ、そうでしょうね。わたし達は読まないわ。そのかわり、ちょっとだけ内容を教えてくれない? 二人が一番愛し合っていたとわかるような書き方をしているところ。それをもとに報告書はデッチあげるから」
「ええー!!」
 喫茶店であることを忘れたかのように、美代子は大声を上げた。そして、「恥ずかしい」と、うつむいた。みるみる顔が赤くなってゆく。
「やっぱり、読んで下さっていいです。とても口では言えません。エッチなこといっぱい書いてあるもの・・・・ああん、もう、こんなのやっぱり親に見せられない。・・・・でも、仕方ないよね。援助交際なんかして、心配させたんだから・・・・」
 美代子は自分自身に言い聞かせるように、「もう、なんとでもして下さい」と、言った。
 性行為がすなわちめいっぱいの愛情表現だと思いこんでしまうところがまだ高校生だな、と僕は思った。けれど、それも悪くない。そんな時期があってこそ、その先があるのだから。
 僕は決心した。性的なこと以外で「愛」を表現している部分を僕は見つけだして、そこだけをコピーし、屁理屈だろうがなんだろうが思いきり理論武装をして、彼女の母親には提出しよう。親には絶対に知られたくないこと、親だからこそ知られたくないことが、誰にだってあるのだ。
 もっともそんなことが本当に出来るのかどうか僕には自信がなかった。だから、口には出さなかったけれど。

 「それで、美代子さん、あなたは今、何をしているの? これから何をしようとしているの? あなた、さっき『やるべきことをやっている』って言ったわよね。それは、何?」
 清花が美代子に訊いた。
「ホームページを作って、多くの人に問いかけることです」と、美代子はきっぱりと言った。
「少年法が少年を守る。その理念はわかります。けれど、本当に守っているのかしら。わたし達の場合、被害者だって少年なんです。でも、ちっとも守られてなんかいないんです。彼は死んでしまったんですよ。それに、彼を失ったわたしの心は誰も守ってくれなかった。癒してくれなかった。
 少年を守るって言うなら、犯罪を犯させないようにすることが先決でしょう? だったら、少年の犯罪は大人達よりも厳しく処罰をして、絶対に犯罪を犯してはいけないっていう気持を植え付ける、っていう方法だって考えられるんじゃないかしら。
 ううん、少年だけじゃないんです。加害者の人権は守られても、被害者のケアはちっともなされていませんよね。情報だって満足に提供されませんし。とくに、少年の場合は名前もわからないんです。
 誰がやったかを知って仇討ちをしようなんて言うんじゃないんですよ。名前を知って、その名前を恨む。それだけでも気持は救われるんですよ。死んだ者は戻らないし、情報が与えられたからって無念が晴れるわけじゃないですけれど、被害者側の人間が、真相を知らされずにわけわからないまま放置される今のシステムって、やっぱりおかしいんです」
 美代子は熱弁した。息が切れるほどに。
 インターバルを置いて氷水をぐいっと飲んだ美代子は、先を続ける。
「でもね、わたしがいくら熱くなって大声で叫んだって、誰も相手にしてくれないんです。新聞や雑誌に投稿したこともあるんです。けれど、ほとんどがボツですし、たまに取り上げられても、紙面の都合って言うんでしょうね、削除されたり修正されたりして、結局私が言いたいこととは少し違ってきたりするんです。
 そんなとき、ふと、思いついたんです。パソコンを買ってすぐに私はプロバイダ契約をしてネットサーフィンを始めたんですけど、それはまあ、気を紛らわすため、みたいなものだったんです。でも、サーフィンしていると、本当に色々な人が色々なホームページを作っています。じゃあ、わたしもホームページを作ろうって。
 自分で作るページなら、自分が思ったことを、修正されたりせずに、そのまま全て載せることが出来るじゃないですか。
 ホームページって、やってみると本当にとても簡単に出来るんです。
 どうやって私のページを見つけるんでしょうね、いつの間にか、同じ様な境遇の人からメールを頂いたりするようになりましたし、励ましのお便りも来るんです。逢ったことのない人と真剣にメールで意見交換をしたりってこともありますし。
 こうして、少しづつなんですけど、私の想いが伝わって行くんです。他の人の想いも伝わって来るんです。輪がどんどん広がっているのを、実感してます。本当ですよ。
 大切な人を殺されたり傷つけられたりしたこともない人によって、机上の空論で法律って作られているんですよね。そんな人がいくら勉強会や研究会を開いたって、私達を救くう法律やシステムなんてできっこないんです。自分たちで立ち上がらないとね」

 「全くもう、君達はむちゃくちゃですね」
 社長は自称まずいコーヒーをのみながら、心底あきれかえったようだ。
「直接コンタクトをしたばかりか、当事者から証拠の品まで譲ってもらって、それで報告書を書くなんて」
「ま、それが『風の予感』の欠点でもあり、いいところでもあるわけよね」と、清花はしれっとして言った。
「いいところであるのは私も認めますがね。勝手に欠点は増やさないで下さい」

 そして、僕と清花は、風の予感の社員になることを決意した。
 正直言って僕はもう「どっちでもいいや」と、いうのが本音である。
 僕がアルバイトであろうと、正社員であろうと、そんなことは本質には何の関わりもない。僕はこの仕事がやっぱり好きで、社長が好きで、清花も好き。それが真実で現実で本音なのだ。
 だったら、どっちでもいい。どっちでもいいなら、社長の希望を叶えてあげよう。そう思った。
 こうしてめでたく「オフィス『風の予感』」は、正社員を2名迎え、また「有限会社」となった。そして、社長は来春、結婚をする・・・らしい?
   




第5話 ティーンエイジャー「青春の光と影」 おわり

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