杜の庵 第2部
エピソード1 去り行く命 生まれる命

 

 冬がやってきた。
 雄大な大雪山系の大自然に抱かれている、と言うこと以外にこれといった魅力のない地であり、なんらかの冬のレジャーがあるわけじゃない。「杜(もり)の庵(いおり)」も、これから春まで、ほとんど冬眠状態に入る。
 しかし、客足が絶えて無くなる、というわけでもない。

 バス乗務員の宿泊が無くなったので、「休業」してもいいのだけれど、開けてさえいれば、いくばくかの客が来る。このことは、これまでの経験からわかっていた。
 これまでは、バス乗務員を泊めるための営業で、いわば一般客は「ついで」のようなものだったが、過去の統計をとってみると、この「ついで」がなかなか馬鹿にならないのである。
 大規模なホテルや旅館なら、ほとんどゼロに近い客を泊めるために「営業」すれば、その経費だけで赤字であるが、「杜の庵」はもともと夫婦2人が生活している。水光熱費など、出て行くものは出て行くのである。
   そう考えると、わざわざ「休業」の日を設けるまでも無い。出たとこ勝負で、予約があれば営業、無ければ休業、それでいいじゃないかということになった。

 ただし、訳ありの客の率が増えることは確かだった。
 わざわざ、何も無いこんな地を選ぶのである。
 訳ありでなければ、酔狂である。
 


 この日は、週末でもないのに、二組の客が重なった。
「やれやれ。助かった」と、庵の主(あるじ)は呟いた。
 たった一組の客、というのは、どうもやりにくい。
 二組以上の客がいれば、こっちが済めばあっち、あっちが済めばこっちと、「私共は接客業ですから」というポーズも含めて、それぞれの客と一定の距離を保ちながら、しかし茶や酒の相手をすることができる。
 一組しか客がなければ、この一定の距離を保ちにくい。なにしろ、接客の相手はその人だけである。
「では、ちょっと仕事を」と、席を立とうにも、仕事の対象がその人だけなのだから、その人が「まあ、いいからいいから。気を使わないで下さい」なんてことになったら、席を立つことができず、とことんお付き合いをしなくてはならない。
 客の話を主が聞く。それがこの宿の特徴でもあり、ウリでもあるわけだけれど、オーナーと客として、あるいは人と人としてであっても、踏み込んではいけない場所がある。そこに立ち入らないことによって「客が心地よく語る」環境が整うのである。

 予約は、一週間ほど前にまず、女性からあった。一人旅である。予約受付の電話では、小さな子供のいる家族連れでもない限り年齢までは聞かないが、若い感じだった。20代前半、いっても20代後半だろう。
(こりゃあ、訳ありだな)
 主は思った。もちろん、訳ありだからといって、断ったりはしない。が、いざ当日になって、頭を抱えることになるかもしれないな、とは考えた。
 その2日後、今度は男性から予約電話が入った。こちらも一人旅で、声の感じでは中年っぽかった。
 その男性が人数を言う前に、「もしかしたら、一人旅かな」と主は感じたけれど、あえて「ご夫婦ですか? それとも、ご家族ですか? あまり大きな部屋はないのですが」と言った。
 男は、「いえ、妻は今回は同行しません。私、1人です。1人でも大丈夫ですか?」と問うた。
「もちろん大丈夫ですよ」と主は答えた。

 少なくともこの会話で、この男は独身中年男性ではなく、既婚者であることが判明した。相手が既婚か未婚かなどはズバリ訊けないので、さも予約業務の一環のような顔をして「ご夫婦ですか?」などという言い方をするのである。
 既婚者で、妻を自宅に残しての一人旅。こっちは酔狂の方だな、と主は感じた。


「杜の庵」を終点とする一日3本のローカルバスが無くなって、かわりに都市間連絡の特急バスが止まるようになった。一日7本。おかげで、バス廃止による客の減少は心配しなくても済んだが、これまでには無かった悩み事ができた。
 さすがに一日3本なら、宿泊者が夕方の最終バスで来ると予想がつく。しかし、7本となるとそうはいかない。しかも、往復だから都合14本だ。
 旭川と帯広を結ぶ路線なので、どちらが「上り」でどちらが「下り」なのかわからないが、8時から17時まで、旭川発が23分、帯広発が47分と、綺麗にダイヤが揃っている。ただし、11時台、13時台、15時台は無い。ようするに、朝夕が1時間おき、昼間は2時間おきという単純なパターン運行なのだ。
 だから、宿泊客がやってくるのは16時か17時の便に普通は絞られる。それでも往復で4本の候補があるのだから、これまでのように到着の頃合を見てスタンバイでは、神経が休まらない。これからは、実際に客の顔を見てから動くことになるだろう。

 そのようなわけだから、今日のように、同じ便で全ての客がやってくると、ほっとする。
 受付も説明も一度で済むし、なにより宿泊者同士の顔合わせになるのが有難い。定員何百の大規模ホテルならそんな気を使わなくてもいいが、こんな小さな宿では、たとえ客同士であっても、「今日は自分の他にこんな人が泊ってるんだな」と認識しあって、気配りをしてもらわないと、良い雰囲気というのは出ないものなのだ。
 それにしても、訳ありと酔狂である。はてさて、どうなることやら。
 中年男性と20代女性のそれぞれの旅人に、主は宿泊者カードを記入してもらいながら、「夕食ですけど、アレルギーや嫌いなものがあったら、教えてもらえませんか?」と、どちらともなく声をかけた。


 一人旅の20代女性と中年男性は、ひとつのテーブルに向かい合って座っていた。これは中年の余裕、というものであろうか。男から女を誘ったのである。
「お嬢さん、ご一緒にいかがですか? 今夜はどうやら我々ふたりきりらしい。なのに、知らん顔して別々に食事というのも味気ないでしょう」
 温和な表情を浮かべ、優しく誘う。
「美味しいワインでもご馳走しましょう。もっとも、ここにワインがあれば、の話ですけどね」
「あら、ワインぐらいおいてありますわよ」と、主(あるじ)の妻が言った。
「もっとも、お客様のお口にあいますかしら」と、付け加える。
 半ば皮肉であったが、オープンな皮肉はもはや皮肉ですらない。会話のための潤滑油である。
 実際、一人旅どうしが別々のテーブルで、黙々と食事をするシーンは、見ていて辛い。ここがリゾートやレジャーが満載の地であればともかく、食事と風呂を済ませれば、あとは寝るしかない。唯一、それ以外の過ごし方があるとすれば会話であり、客同士が言葉を交わすきっかけとなるのは、一堂に会する夕食時しかないのである。
 かといって、一人旅の男と女。宿側から、「一緒にいかがですか」とはなかなか言いにくい。どちらも「一人がいい」と考えていれば、どちらに対しても無理強いになってしまう。しかし、客の片方が誘ったとあらば、0%から一気に50%へと飛躍する。万が一、女性客が断ったとしても、それをフォローする術は森の庵側でいくつも用意していた。

「いやいや、これは失敬。それでは、シェフおすすめのワインをいただきましょう。万が一、私の口に合わなかったら、無理矢理私の口を合わせることにしますよ」
 女性客はクスっと笑い、静かだが和やかな雰囲気で食事は始まった。

 静かな食卓だった。2人とも、大声で話す、ということがない。食事の間に間に時折交わされる会話には、主にも妻にも届かないが、2人の口元からは時折笑みが漏れている。
 食事の進展にあわせて新たな皿を出しては引き、これを繰り返すうちに、デザート、そしてコーヒーとなった。コーヒーを供したのち、主はわざわざ丸椅子を運んできて通路側に置き、2人それぞれに対して90度になる位置に座った。
「ご馳走様でした」
 主が何か言う前に、女性客から声が掛かった。
「この場所で、この料金。それでいて、コレだけの食事を頂けるとは、思ってもみませんでしたよ」と、男性客も後に続く。
「お粗末さまでした」と、主は決まり文句を言って、笑った。「コーヒーはおかわり自由です。どうぞごゆっくり」
「あなたも、一緒にゆっくりされたらいかがですか?」と、男性客。
「そうさせて頂きます。こうやって、お客様とお話しするのが、唯一の楽しみなんですよ」
「それはそれは。ご飯を食べるとあとはすることがありません。お相手、お願いしますよ」と、男は言った。


「実は私、妻の母親の葬儀の帰りでしてね」
 と、男はコーヒーを一口すすりながら、言った。
「何しろ、義理の母ですから、仕事もそれなりに休みをとったんですが、これがまたすごい田舎で、なかなか訪ねることも無かったんですよ。だから、行っても顔見知りがいない。することもない。一足先に退散してきたという次第で。せっかくとった休みですから、どうせならさらに強烈な田舎へ旅でもしてみようかと。一人旅、っていうのも実は初めてで。恥ずかしながら、『一人旅』という響きには憧れすら感じます」
「私も、一人旅です……」
 自分も何か言わなくてはならないと思ったのか、それとも相槌のひとつとして自然と口を付いて出たのか、女性客も言葉を発した。しかし、それだけで口をつぐんでしまった。自分の旅について、多くを語りたくないのかもしれない。
 そうと悟ったのかどうか。男性客はもっぱら自分が語りの中心になることを決めたようだった。


「妻の実家は壮絶な田舎で、新幹線とローカル線を乗り継ぎ、さらに1日数本というバスに乗って1時間と25分、さらに歩いて20分はかかるんですよ」
 男はゆっくりと語り始めた。

 そこは、山肌に張り付いた小さな集落だ。弔問客のせいでこの村の人口は少なからず増加していた。
 妻の実家であるから妻の知り合いは多いが、私にとっては知らない人の方が多い。その中の一人に「お疲れのところ申し訳ないが」と頼まれ、私は受付に座っていた。
 新たな弔問客も途切れた頃に、やはり知らない人から「お手数をおかけしました。あとは私が……。どうぞ、中へ」と声をかけられ、私は一礼をして立ち上がった。玄関をくぐり、会場となっている広間へ入る。既に読経ははじまっており、木魚が一定のリズムで坊主によって打たれていた。私は一番後ろの座布団のうち、まだ主の決まっていないところに腰を降ろした。

 セレモニー会場で形どおりだが無難な式を滞りなく済ませる。そんな葬儀しか知らない私にとって、亡くなられたご本人が生まれ育ち、そして人生の大半をすごしたまさしくその家で執り行われるそれは、初めての経験であった。旅立つ故人を私のように偲ぶ弔問客が広間にいる一方で、台所では食事の準備が進められている。同じ村の女性たちが弔問客の接待のために、慌しく動き回っている気配が感じられた。

 喉の奥に言葉を詰まらせ、一人の女性が前のめりになった。
 亡き人への思慕がそうさせるのだろう。
 いたたまれなくなったのか、その女性はゆっくりと席を立った。
 ハンカチで顔の大半を隠していたが、30代後半くらいの年齢と見受けられた。妻の兄弟姉妹とは面識があるが、彼女はその中の一人ではない。もしかしたら親類縁者ではないかもしれない。私は妻の母の温厚な笑顔を思い出していた。あの笑顔を再び見ることができない。そう思うとこみ上げてくるものがあっても仕方ないと私は思った。

 席を立った女性が障子を開け、広間から出て行った。広間に沿って廊下があり、これらは障子で仕切られているのだ。そして、女性は廊下に立つと、静かに障子を閉ざした。その直後のことだった。廊下から大きな音が響いた。広間を出て行った女性が転倒したものと思われた。読経と木魚だけの静寂が破れ、障子の傍に座っていた数人の人が立ち上がって、またその向こうに消えた。
 かすかだが、「大丈夫ですか?」などの声が聞き取れる。哀しみのあまり気を失って倒れたのか、それとも足を滑らせたのか。

 私は最初からこの場にいたわけではない。受付という仕事を申し付かったからだが、途中から広間に入ることに居心地の悪さを覚えていた。そこで、私も席を立つことにした。私には救急法の心得が有る。なんらかの役には立つだろう。
 広間を後方から出て、回り込むようにして広間の横に沿った廊下に辿り着く。
 そこに、女性は倒れたままだった。
 回りに集まった数人は、彼女を助け起こそうともしない。それどころか、手で口を押さえて声を押し殺している。まるで笑いをこらえているかのようだ。いったい何をしているのだろう。私は小さな声で、どうなさったのですか? と問うた。

「あ、足が、足が……」
 足がもつれた様子である。
 私は足音を立てないように気を使いながら彼女に近づき、手を差し伸べた。
「あ、お気遣い無く。今は立てませんので」
「もしや足をくじかれましたか? それとも、まさか骨折などということは」
「いえ、慣れない正座で。足が痺れて……」
 手を床についてようやくのことで身体を起こした彼女は、しかし立ち上がることはできず、その場で胡坐をかいた。黒い膝丈のスカートから白いパンティが見えているが、どうやらそのようなことに構っていられる状態ではなかったらしい。
 痺れた足先に手を伸ばした彼女は、「はう!」っと声を上げて顔をしかめ、今度はゆっくりと自らの足先に手を伸ばした。
 木魚と読経のリズムが少し乱れたような気がした。

 誰かが身振りで「中へ……」と促した。さしたる怪我もなさそうであり、彼女の痴態をこれ以上見守ったとて、彼女に恥をかかせるだけである。廊下に一人彼女を残して、我々は広間へ戻った。救急法の心得は役に立たなかった。

 私が元の座布団に座ると、「し、静かに!」と誰かがささやいた。
「ジュースのみたい。喉、渇いたよお」と、子供の声がした。
「静かに!」と、繰り返された子供を叱る声は、遠慮がちではあったが、最初のそれよりもトーンが上がっていた。
「だって、だって……」
 子供は涙声になりつつある。後姿しか見えないが、子供は小学校にあがったかどうかというところだろう。喉も渇くだろうし、退屈もするだろう。しかし、いたしかたない。
「もうすぐ終わるから、我慢しなさい」
 坊主の肩が振るえ、木魚のリズムが狂った。さすがに「終わる」だの「我慢」だのと言われては、子供相手のこととはいえ坊主も立つ瀬がないだろう。とはいえ、そのようなやりとりに心を乱すようでは、修行が足りないのではないか? 私はつまらないことを考えながら、やがて一定のリズムに戻ってゆく木魚に耳を傾けていた。

 そこに、異質の音が響いた。
 誰かが、屁をしたのである。
 出物腫れ物ところ嫌わずとはいうものの、やはり場所が場所だけに憚られる。屁は明らかに途中で止められていた。通常、屁というものは徐々に音が大きくなり、最大値になった直後に、ふっと終息する。しかし私には、最大値にならないまま、放屁の主が肛門に力を込めたように思われた。
「おかあちゃん、誰かヘエこいた」
 小学校高学年くらいの男の子の声がした。それはひそひそ声ではなく、普通の音量だった。
「これ」
 隣の母親が、子供の手を叩いたようである。ぺしっと音がした。
「だって、屁、こいたよ!」
「静かにしなさい!」
 うるさいのはお前が子供を叱る声だ! そう思ったときに、中断された屁の残りが放たれ、その音が部屋に響き渡った。最大値にまで至ったその音は、安心したように音量を落とし、ふっと終息した。
 それ見たことか。屁など途中で止めるものではない。1度で済む恥を、2度もかく破目になったではないか。
「ぷっ、くっ」
 誰かが笑いをこらえた。これは大人だ。
 まったく、なんということだ。屁のどこがおかしいというのだ。誰だって屁くらいこく。葬儀のもっとも中心的存在である読経の最中であるから、中座する決断もつかず、しかしこらえきることもできず、やむを得ずのことではないか。
 冷静にそう考えれば、屁の主を無作法と責める事だってできないし、まして笑うなどということになるわけがない。まったく、嘆かわしい。

 そう思った私だったが、粗相をした。
 足を痺れさせて倒れた女性が戻ってきたのである。
 彼女が小刻みに身体を震えさせながら足の痺れに耐える様子を思い出してしまい、息が漏れてしまったのである。いや、それだけではない。私は彼女が、前のめりになった様子を思い出していた。そのときの私は、彼女が悲しみに耐えかね、いたたまれなくなったのだと思っていた。それは誤解だった。彼女は足の痺れに耐えかねたのだ。そのことが、私の感情に拍車をかけたのである。私の耳には「くけ」と声が届いた。自分が発した声とは思えなかったが、間違いなくそれは自分のものだった。前の方に座っていた妻が気付き、私は怖い目で睨まれた。
 笑いの連鎖反応が起こりつつあった。数箇所で、ぷ、だの、く、だの、口元まで出かかって押し留められた声が漏れる。みな、必死に耐えていた。その苦しげな漏れ息、おそらく屁に端を発するものだろう。それらは私の声に刺激されてしまったのだと思われた。私が「くけ」などと言わなければ、きっとその場で終わっていた現象だと思われた。
 しかし、私は断じて宣言するが、屁に笑ったのではない。足を痺れさせて倒れてしまった女性のその滑稽な姿を思い出して笑ってしまったのだ。
 誰かの閉じた唇の間から空気が漏れている。無声音の中に、稀に有声音が混じっていた。それは気弱な小動物があげる呻き声のようにも思われた。その方向を見ると、一人の男性が腹を押さえて必死に耐えていた。
「ぷ〜」と、誰かが吹き出した。
 木魚のリズムが止まり、チ〜ンと鉦の音が鳴り響いた。私はそれに救われた。意識を全面的に葬儀に戻すことに成功した。少なくとも私はもう笑いの連鎖反応に引き込まれることは無いだろう。助かった。もともとそこは鉦の鳴るところだったのか、それとも、わざと坊主がそうしたのか。もし、わざとであったのなら、それはなかなか人間の深いところまで見抜いていると思った。修行不足ではないかなどと疑った私は、心の中で坊主に詫びた。

 出棺である。
 棺の蓋が開けられ、弔問客が順に花を捧げる。妻の母は、色とりどりの、美しいが悲しげな色合いに染めらていった。
「うわ〜。いいなあ〜。お花がいっぱい〜」
 幼稚園くらいの女の子が、羨ましそうに言った。彼女の無邪気な感想に、周囲の大人たちは複雑な表情をした。死と、死者を送り出すことについて、説明を試みようとした大人もいた。いや、その大人が彼女に何かを囁いたわけではない。そうしようとしたように私には見えたというだけだ。しかし、大人は彼女に結局何も言わなかった。
 タクシー2台と、ワゴン車が1台、さらにマイクロバス1台が用意されていた。霊柩車に続いて、焼き場へ向かうのである。
 1台目のタクシーには妻の父と妻の兄、兄嫁、そしてその子が乗った。2台目のタクシーには、妻の妹と婿と子、そして妻も乗った。私はこの場に残るつもりでいた。「喉が渇いた」と子供たちのように声に出したりしないが、正直何か飲みたかった。広間には座卓が整えられ、料理や酒が運ばれつつある。血筋の遠い者なのか、あるいはそもそも血縁のない者なのであろう、まだ準備の整いきらない広間で、茶を飲んでいる弔問客も既にある。さすがに、私がそのようなことをするのはためらわれた。せめてタクシーやバスを見送らねばならないだろう。
 退屈な室内から開放された子供たちは、徐々に元気を取り戻し、付近を走り回り始めた。
 じゃんけんぽん、あいこでしょ、とか、テレビのヒーローの決め台詞とか、わあ〜〜という単純な嬌声などが響き渡っている。
 中学生くらいになるとさすがにじっとしているが、小学生以下の子供たちはいつのまにかみんな仲良くなっており、一緒になって小さな円を描いてくるくる走り回っていた。その中の一人がこけて、今にも泣き出しそうに表情が崩れてゆく。そこに手を差し伸べたのが中学生の女の子だ。
 余所見をしながら走っていた入園前くらいの男の子が私の足にぶつかった。私は彼を見下ろし、彼は私を見上げた。
 照れくさそうにエヘヘ〜と笑う彼が可愛らしく、私はその子を抱き上げた。するとその子は、この世の全ての幸福を身に纏ったような素晴らしい笑顔をした。

 マイクロバスは座席が微妙に足らないのか、余っているのか、誰誰さん、乗りなさいよ、いえ、私はいいから、などとやりとりがある中、まだ発車しない。
「ほら、乗るわよ。何をしてるの、早く!」
 呼ばれたのは、私が抱いている男の子だった。
 母親は私のところにやってきて会釈をし、私はその子をそっと地面に降ろした。バイバイ、と手を振ろうとしたら、その子が私の足にしがみついた。
「あらあら、すみませんねえ」
「いえいえ」
 私がその子の頭を撫でると、彼は私のその手をキュっと握った。握られたのは右手の人差し指だ。そのたった1本の指を、彼は掌全体で力を込めて握り締める。
 しょうがない、付き合ってやるか。
 私はその子を抱き上げて、マイクロバスに向かった。母親は一礼をして、先にバスに乗り込んだ。

 その後、髭の初老の小柄な男に背中を押されるようにして、走り回っていた子供たちもバスに押し込まれた。補助席も含めて満席になり、折りたたみ戸のステップにまで立っている人がいる。そうして、ようやくバスは出発した。

 こんな細くて曲がりくねった道を、マイクロとはいえよくバスが走るなと思った。木々の枝が窓を叩く。狭い道だと思ったが、路肩は案外しっかりしているようだ。人や車が踏みつけないから、草が生えたりしているだけで、本来は道の一部なのかもしれない。
 焼き場には5分ほどで到着した。

 焼き場の建物の前は、住宅地の中にしつらえられた公園くらいの広さだった。私はバスから降りて、腰を伸ばし、空を見上げた。綺麗な青空に雲がポカリポカリと日向ぼっこをしている。のどかな午後のひと時だ。
 多くの大人は建物の中に入ったが、私は入らなかった。中学生の女の子は他の大人たちに従ったが、走り回っていた子供たちは、やはりここでも同じことを始めた。入り口の脇にジュースの自動販売機があり、缶コーヒーを買って飲んだ。タバコにも火をつける。
 読経中に「ジュース飲みたい」と言った子が、うらやましそうに私を見ている。
「おいで。好きなのを買ってあげよう」
 声をかけると、他の子供たちまでわらわらと集まってきた。
 千円近い出費だが、それが私には嬉しかった。
 小銭はそれほどなかったが、ジュースの自動販売機も千円札が使えるようになって久しい。一人ずつリクエストを聞き、ボタンを押して、ジュースを取り出してやる。私は幼稚園の先生になったような気分だ。幼い子供には、リップを開けてやり、「こぼさないように気をつけろよ」と言いながら缶を渡してやる。大きな窓越しに見える焼き場の室内では、お盆にいくつもの湯飲みが載っていて、喪服の女性がみんなに配っていた。子供たちには茶よりジュースがいいだろう。私も甘い缶コーヒーに救われた。渋い茶では気が滅入りそうだ。

 ジュースを飲み終えると、子供たちは元気にまた走り回り始めた。誰かが何かを言ったわけではもなかろうに、けんけんぱ! とか、ジャンケンポン、とか、色んな声が聞こえる。
 焼き場の建物から、一人の女性が出てきた。妻の妹だ。若干青い顔をしている。
 私たち夫婦と、妹夫婦は、住んでいるところが比較的近いので、ふたりとも旦那そっちのけで普段から行ったり来たりしていた。私も気楽にしゃべれる間柄である。
「あれ? 大丈夫?」
 友達のように口を利いて、ああ、葬儀会場に到着して以降、こういう喋り方をしたのは初めてだなと思った。
「ええ。ちょっと人に酔ってしまって」
 彼女のお腹が膨れていた。
「あれ? もしかして、2人目?」
「そうなんです。目立ちますか? いま、7ヶ月なんですけど」
 お腹の子を話題にする彼女の頬に、血の気が戻ってきた。木のベンチがあり、私は彼女にそこへ腰掛けるようにすすめた。
 そういえば、妻ともあまり雑談を交わしていない。仕事に終われて疲れ、帰宅したら、食事、風呂、就寝とお決まりのコースを辿るのが常だった。もっと色んなことを話していれば、妻は義妹の妊娠のことも、口にしていたに違いなかった。

 去り行く命があれば、生まれる命もある。
 飽きもせず走り回っている子供たちを眺めながら、そう思った。
 いつ建物の外に出ていたのか、中学生の女の子が、「すみませんでした。ありがとうございます」と私に頭を下げた。弟にジュースを奢ってあげたお礼のようだった。


「そんな葬式、そういえば久しく出ていませんねえ」と、主が言った。「セレモニー会場に時間通りに行って、型どおりの式典を済ませて……そう、だいたい1時間くらいですね。で、そのまま帰る、と。これなら、子供を連れて行く必要もありませんし、去る命を感じることは出来ても、次世代の命を感じることはありません」
「そうなんですよ。私もそのことに気が付きましてね。命が引き継がれるものだと思えば、老人が死ぬことなど、悲しいことではありません。人間、誰だって、年老いて死ぬんですから」
「そんな風に感じたから、葬式をうっちゃって、旅なんかに出てしまったんですか?」
 黙って聞いていた女性客が、口を開いた。
「いやあ、うっちゃってませんよ。葬式はちゃんと出ました。そう言いましたでしょ?」
「あら、そうですね」と、彼女は舌を出した。


「いやあ、ここに来て良かった」と、男は言った。「葬式の話をしているのに、全然しめっぽくならない。しかも、私の感じたそのままのことをしゃべれて、実に気分がいいです」
「『杜の庵』とは、そういう宿なんですよ、はい」と、主が言った。
 妻がコーヒーのおかわりを運んでくる。
「ところで、夜更けまでにはまだ間があります。お嬢さんの一人旅は、どういった理由で?」
 主が訊き辛かったことを、男はサラリと言う。女性の一人旅は、その動機を訪ねにくい。なんでもない場合の方が実は多いが、何でも無かった場合、地雷を踏んでしまう。
「ん〜」と、彼女はしばらく天井を見つめ、それから「ま、失恋ですか。ありきたりですよねえ」と、妙に明るい声で言った。
 ほら、地雷を踏んだ!
 主は一瞬身構えたが、しかし、彼女の明るさは、無理に作ったものでもなければ、自らを嘲笑しているわけでもなかった。単純に過ぎたこととして振り返っているようであった。さすがに「人の死」という話題の後では、失恋で暗くなってはいられない。お互いがちゃんと生きているのだから。
「思い出でも愚痴でも未練でも、何でも語ってしまいなさい。自分を見つめ直すための一人旅かもしれないが、そのためには、誰かに語って聞かせるのが一番だ」
「そうですね」と、彼女は言い、語り始めた。
 ひとこと、「途中で泣いちゃってもいいですか?」と、前置きをして。




 

 続きは当分おまちください。

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