想い出ライブラリー

-6-

 

 ゆっくりとしたスピードで、ピエロが運転する汽車は森の中を進んでいた。
 森は、どこまでも、深い。
 この世に、限りなく続く森など存在しない。やがてそれは終焉を告げる。森の終わりが接しているのは、村かもしれないし、海かもしれないし、砂漠かもしれない。けれど、いま私がいるこの森には終わりなどないような気がした。 どこまでも、どこまでも続く森。にもかかわらず鬱蒼とした雰囲気は無い。保たれた木々の一定の密度は決して太陽の明るさを減殺することなく、しかしその終わりを感じさせなかった。
 こんな森の中に、いったい誰が線路を敷いたのだろう。何の目的で鉄道を敷設したのだろう。運賃収入はどうなっているのだろう。路盤の保守はどうなっているのだろう。安全運行のためのシステムは維持されているのだろうか?
 そこまで考えて初めて、私はこれが実在しないものだと気が付いた。
 心の中の風景。
 忘れようとして忘れられない想い出。
 人は記憶を失わない。
 永遠の引き出しにしまいこむだけなのだ。
 そんなことをぼんやりと考えているうちに、私は眠ってしまった。
 乗り物に乗るとどうして眠くなるのだろう? 中でも鉄道は格別だ。一定のリズムでやってくる揺れやわだちのリズム。それはもしかしたら羊水の中で聞いた母の心音に近いのかもしれない。

 私は公園のベンチで目が覚めた。そのベンチは、さっきプラットホームになってしまった不思議なベンチだった。ここから私はピエロの運転する汽車に乗ったのだ。だが、今はもうそれがプラットホームだった面影も無ければ、線路もどこにも存在しなかった。
 目が覚めたとはいえ、さっきまでの旅が決して夢の中の世界だとは思えなかった。私は確かにピエロの運転する汽車で旅をし、思い出のひとつに触れ、そうしてここに戻ってきたのだ。
 隣には、保健室にいたときからずっと私に何かを話しかけようとしていた異形のものが座っていた。グロテスクであることに変わりは無いが、決して不気味だとは思わない。悪意を感じないのは相変わらずだが、それ以上になんだか親愛の情とでも言うべきものまで漂わせていた。
「そうそう、あなたのお話を聞くって言う約束だったわね」
「それより先に、メールに返信してあげなさいよ」
と、彼か彼女かはわからないけれど、その異形の者が言った。
 私はその化け物に、ピエロと同じ人格を感じた。
「ほら、彼が待ち焦がれているよ」
 私の手には携帯電話があった。汽車に乗った途端にふっと消えていったあの携帯電話だ。哲西からのメールを着信中だった。
 その後、彼からはあわせて3通のメールが届いていた。

「今から、会いに行く。そうしたら、大切な話をするわ」
 私はそうメールに打ち込んだ。大切な話、それは彼に告白をすること。私自身の身の回りのことや、異形のものの気配を察知できる特殊な状況のこと、それから今日体験した不思議な出来事についても話そう。
 そう思いながら文面を読み返す。大切な話だなんて、そんなの「告白」以外にありえないじゃない。思わず顔が赤くなる。
「話したいことがあるの。会いに来て」
 私は文章を全部消して、そう書き直そうとした。
 女の子から告白するんだもの、彼を呼びつけるくらいでちょうどいい。彼ならきっとわかってくれるだろう。それが私流の照れ隠しなのだと。
 文章を打ち終えて「送信」しようとしたまさにそのとき、また彼からメールが届いた。
「返信が来ないので心配してる。何かあったんだろう? どこにいるの? すぐに行くから、場所だけ教えて、そしてその場を動かないで」
 ああ、何もかも彼には伝わっているんだ。
 返信がないままに打ち続けた彼の合計4通のメール。返信がないだけで、彼は全てを理解してしまったのかもしれない。
 隣に座っていた異形の者がそっと私の携帯電話を取り上げた。
「え? なに?」
 異形の者は「いつまでもじれったいことやってるんじゃないの」と私に伝えてきた。それは声ではない。意識が勝手に私の中に流れ込んできたのだ。
 異形の者は携帯電話に現在地を打ち込み、さらに「待ってます」と付け加えて、送信ボタンを押した。
「世話が焼けるね、君は」とでも言いたげな優しい笑顔とともに携帯電話を返してくれた。

 時間の流れがどうなっているのか結局のところ私には良くわかっていなかった。
 汽車で不思議な世界をトリップしている間に学校は放課後を迎えていた。
 私は公園まで来てくれた哲西とともに、学校へ戻った。
 最初は「学校にエレベーターなんて出来るわけ無いじゃないか」と言っていた哲西も、私の話を聞くうちに「もしかしたら、そういうのもあるのかもしれないなあ」と言い始めた。
「今から、行こうか?」
 私は彼の手を掴んだ。
 彼は力強く頷いた。
「行こう。キミがそうと信じていて、キミの話を聞いた僕もなんだか本当にエレベーターがあるような気がしてきた。信じる二人が行けばきっとそこにはある」と、彼は言った。
 私の周りに集まってきたあれやこれやの異形の者たちの気配も「そうだそうだ」と応援してくれていた。
「なんか、騒がしいな」と哲西が言った。
「騒がしいって、わかるの? 確かにその通りなんだけど」
「よくはわからないけど。でも、いるんだろう? 他の人に感じない気配がキミには感じる。前から何度かそう言ってたじゃないか」
「うん。友達とかは気味悪がるので、なるべく言わないようにしてたんだけどね」
「僕には時々言っただろう?」
「言った。本当は引いてるんだろうなとか思ってたけど、とりあえず聞いてくれるから」
「とりあえず聞いてたんじゃないぜ」
「今なら、それがわかる。けど、今まではただ甘えさせてもらっていただけなの。聞いてくれるから、話す。そうしたら少し気が楽になるから」
「なんだかちょっとがっかりだなあ。僕は僕なりに真剣だったんだから」
「だから、今ならわかるって言ってるでしょ」
 夕暮れの道を私たちは手をつないで学校へ向かった。どちらが先に手を握ったのだろう。覚えていない。気が付いたらそうなっていた。ごく自然な行為だった。
「こうしているとなんだか言葉にならないものも伝わりそうな気がするわ」と私は言った。
「こうしているとって?」
 彼は手をつないでいることを意識していないようだった。
「こうよ」と、私は手を力いっぱい握ってやった。
「いててて」
「わかった?」
「わかったってるって。もう。そんなこといちいち口にするのは恥ずかしいだろ」
 気が付かないフリをしているのは彼の照れ隠し。もちろん私にはわかっていた。わかっていていじわるをしたのだ。
「じゃあ、私が感じたり見たりしている変なモノも、そのうち感じるようになるかもね」
「いや、僕は怖がりなのでそれは勘弁して欲しい」
「あら、私の理解者になってくれるんじゃないの?」
「理解者になるつもりはないね。…恋人にならなりたいけど」
 へえー。言うときは言うじゃない。私は少し感心した。この人なら本当に安心だと思った。
 彼の目を見る。哲西は知らん顔をしていた。まったく、何につけても照れるやつだ。こんな調子だと、私がもし「抱いて」などと言おうものならどんな反応を示すだろう。
 私たちは手をつないだまま校門をくぐった。校内で恋人同士が仲良くしている姿など珍しくない。クラブ活動や生徒会活動、その他もろもろでまだ多くの生徒がそこここに居る。けれど、彼ら彼女らは私たちの姿になど目も止めようとはしなかった。
 校舎は目の前だ。

おわり

 

あとがき

 うーん、綺麗にまとまりましたね。
 おっと、自我自賛してもはじまりません。あとがきとまいりましょう。

 僕の作品には「あとがき」のあるものとないものがありますが、あとがきのある作品もページを改めています。にも関わらず、この作品だけは「あとがき」も本文中に付け加えています。それは、「あとがき」も含めて作品を構成するからです。
 本当はエレベーターをおりたときに風子が出会った不思議なあの空間が「メモリー図書館」であることを、作品本文中のどこかで語りたかったのですが、どうしても入れることが出来ませんでした。そこで、あとがきにそのことを記述することとしてページを改めることをしませんでした。(あとがきそのものも、この作品は最初から書くつもりでいましたし)

 あれ? この作品は「想い出ライブラリー」であって、「メモリー図書館」じゃないぞと気が付いたアナタ、その通りです。
「メモリー図書館」という作品は実在します。どのような作品だったかはほとんど覚えていません。主人公が不思議な世界(部屋?)に迷い込み、そこにはいくつかの絵が飾られていたと思います。それは主人公がこれまで生きていた中で出会ったいくつかのシーン。つまり、想い出です。
 その作品がどんなテーマであったかももはや覚えていません。また、主人公がどういう状況下でメモリー図書館を必要としていて、そこに入り込んだことによって主人公がどう変わっていったかも忘れてしまいました。
 随分昔に出会った作品であり、そのインパクトの強さのためか先日不意に思い出したのですが、ストーリーが全く記憶に無く、イメージだけが残っていたのです。その気持ち悪い状況を何とかしたいと思い、自分なりの解釈で改めて「想い出ライブラリー」という作品を書くにいたりました。

「メモリー図書館」との出会いは、国語または現代国語の教科書でした。小学校か中学校の授業で出会ったのです。
 僕は読書家ではなく、むしろ活字は嫌いでしたし、せいぜい小学校の頃に読んだのは眉村卓さんのジュニアSF、中学校に入ってから辻真先さんのミステリーやSF、当時読んだのはソレくらいです。あとは教科書に掲載された作品ばかり。
「メモリー図書館」はファンタジーの範疇に入る青春小説だと思いますが、そんな系統の作品には触れたことも無く、ましてや教科書で取り上げられる作品といえばだいたい相場が決まっており、異色中の異色でありましたから、僕としては精一杯の拒絶反応を示したわけです。
 考えてみればこれも変な話で「くもの糸」だって現実的な話ではもちろんないわけですが、それは平気だったんですね。鬼や悪魔が出てくる作品だって教科書にはあったと思いますしね。おそらく「文学」やあるいは「童話」や「児童文学」というものなら受け入れられたのでしょう。
 しかし、ファンタジー青春小説なんて、これが最初で最後。なにしろ教師がボンクラだったらしく、きちんとした解説も何もないままに、消化不良で授業が終わったように思います。(もっとも、これだって児童文学の範疇だったのかもしれませんが、作品を再読できないので、もう判然としません)

 改めて読んでみたい気がしますが、作者も何もわからない。
 消化不良に終わってしまった作品をなんとか消化したいと思って書いたというのが、第一の目的ですが、もしかしたらどなたかが「メモリー図書館」に関する情報を提供してくれないかな、というスケベ心もあったわけなのです。というわけで、何かご存知の方がありましたらお知らせくださいませ。

 こんなところで義務教育の国語に対する批判をしても仕方ないとも思いますし、何しろ昔の話ですから今となっては的外れではないかとも思いますが、それでもあえて書いておきましょう。
 解析されきった「文学」や、最初から子供向けとして書かれた「童話」「児童文学」なら、学校の先生もさほどの読解力がなくても苦もなく授業として取り上げることが出来たのでしょう。しかし、「メモリー図書館」のような作品がふいに教科書に掲載されると、その世界観やテーマをきちんと生徒に伝えて理解させるだけの実力が少なくとも僕が受けた授業の教師には無かったのだと思います。
 そしてそれは、僕だけのことではなく、多くの教師がそうではなかったのかと思ったりもするのです。
 そしてもっと大きな問題は、文学というのは感じ方は人それぞれであり、そもそも「きちんと伝えて理解させる」ことなど不要であり不可能でもあり、作品から色々なメッセージをその人なりに受け取ることこそが大切なのだと思いますが、「その人なりに」ではテストをしたりして点数で評価することが出来ません。そういったあたりに今の学校教育、とくに(現代)国語の教育システムに問題ありだと思ったりするのです。
 さて、みなさんはどのようにお考えでありましょうか。

 

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