4.
明け方近くまで真也とミコはセックスをしていた。休んでは交わり、交わっては休み、時にはまどろみながら、それでもお互いの身体を求め合った。 窓の外の光がうっすらとカーテンを染めていた。真也はそっと起き上り、「お先に」とバスルームに入り、シャワーを浴びた。ミコはまどろんでいて意識がはっきりしないのか、それとも面倒臭いだけなのか、喉の奥で何か声を発したが、はっきりした言葉にはならなかった。 シャワーを終えた真也がベッドに戻ると、裸体にタオルケットを巻きつけるようにして、ミコは寝息を立てていた。汗の跡が肌に残っている。真也は丁寧にそれをタオルで拭ってから、もう一度タオルケットをミコにかぶせた。 自分も横に潜り込む。 こうしてふたりとも本格的な眠りについた。再び目覚めたのは午後になってからだった。 |
ミコが先に目覚めた。トーストを焼き、コーヒーを入れる。その香りに真也も目を覚ました。ミコの手による朝食の準備が整うのを待つ間、真也はパソコンのスイッチを入れてメールチェックをする。 つまらないDMが来ているだけだった。 「どう?」 パソコンの画面を覗き込むミコ。 「だめ」と、真也。 就職活動関係のメールは皆無だった。 二人で午後の朝食を取り、片付けを終えるとミコは、「じゃあね。気が向いたら夜にまた来る」と言って真也の下宿を出て行った。 土日に連絡してくるせっかちな企業も皆無ではないが、基本的には週末は色々な動きがストップする。就職活動中の者にとって、一息つける瞬間である。 しかしまた同時に、何の動きもないのに時間だけは過ぎていくから、焦りの色が濃くなることも事実だ。 息を抜くのか、焦りを募らせるのかは、本人の性格に左右されるといえよう。 真也はどちらかといえば「焦る」タイプの人間だったが、かといって週末で更新もされない各企業のホームページをサーフィンしても仕方ない。こんなことばかり続けていたらそれこそノイローゼになるぞと、努めて気分転換に励むことにしていた。 |
それにしても、人間味のない日が続いているなと思う。 かかってくるかどうかわからない電話のために常に神経を張り詰め、就職活動における「常識」に縛られた行動をする。それはまるで、ロボットのようにお決まりの生活だ。 ボロボロになるまで自分の全精力をかけて何かに集中的に取り組む。そんな日があっても悪くない。それはむしろ人間的と言えるだろう。例えば、学園祭の直前に何日も徹夜をして準備する、などがそれにあたる。疲労困憊しつつも胸いっぱいに充実感・達成感を吸い込み、全てが終わった後はその場に崩れ落ちるように眠る。 だが、学園祭なら出口が見えている。そこが就職活動と違うところだ。いつまで続くかわからない就職活動に神経をすり減らす毎日は、命をカンナで削り取っているようなものだ。ギリギリの精神状態の中で自分を追い込んでいく日々。 これも「内定」の二文字でやがては開放されるのだろうか。 だとしても、そんな「開放」を求めて就職活動をしているのじゃないぞと真也は思う。 たかが就職じゃないか。 どうしてそこまで追い込まれなくちゃならない? 1人の人間を精神的に壊滅直前にまで重圧をかける権利などないはずだった。 人がいなくて組織など成り立つはずがないのだから、組織はもっと人を大切にすべきだ。それとも、自社で採用すると決まった人間には大切にするのだろうか。 真也にはそうは思えない。人事の担当者までもシステムの中に組み込まれて、人を人として見ることが出来なくなってるんじゃないのか? 真也は半ばやけになりながら、心の中でぶつぶつ呟きながら歩いていた。 買っておくものがいくつかある。食料品や日用品だ。 とにかく電話が鳴ったらすぐに出なくちゃいけない。そのためには、出来るだけ電話に出られないシチュエーションを作るべきではない。となれば、買い物などは、電話の鳴る可能性の低い土日にしておかねばならない。 実際は、買い物中の携帯電話なら出ることは可能だし、電話が鳴った瞬間にすぐ出ることが出来ないのは、授業中くらいのものだろうが、真也は追い詰められれば追い詰められるほど、神経質になっていた。 |
「あれ? 小野くん? 小野……ええと、真也くんでしょ?」 すれ違いざまに女性から声をかけられた。大通りを駅に向かって歩いているところだった。街路樹が歩道と車道を区切っているが、片側4車線の道路に面した歩道なので遮蔽物は無きに等しい。気持ちのいい風が吹き抜けていた。歩道の横は洋風の庭園。洒落たレストランの庭だ。食事をしながら植栽を観賞できるようになっている。通行人がそれと意識せずに目をやればそれなりに絵になる風景である。道路の向こう側にはガソリンスタンドとスーパーマーケットがあった。 真也は映画のワンシーンを見ているような錯覚にとらわれたが、これはもちろんスクリーン上の風景ではない。声をかけてきた女性は通り過ぎずに真也の傍で立ち止まっているし、そもそも名前を呼ばれているのだからあきらかに自分が遭遇した出来事である。 ええと、誰だったろう? 見覚えがあるような、無いような……。 身長は150センチを少し越えるくらいで小柄。胸のふくらみを乳首ギリギリまで露出させたキャミソール。ラフな六分丈パンツはローライズで、おなかがチラチラと露出している。明るい茶髪のボブは肩でサラサラと揺れ、前髪だけが目の位置できちんと刈りそろえられていた。肌は白く頬はうっすらとしたピンク。外国製の人形みたいだ。 キャミソールの素材は何だろうと真也は考えた。 ふわふわヒラヒラしていて、今にも乳首が見えそうだ。 乳首にシールを貼るなど胸の突起を隠すための特別こともなされていない。それどころか乳輪の端っこがはずみで見えたり隠れたりした。気が付いていないのか、それともわざとやっているのか。わざとやってるとしたら少しイカれていると真也は思った。視線が釘付けになる。 年齢は同級生プラスマイナス2歳くらいか。 肌の露出が「何も知らないあどけなさ」と「知り尽くした妖艶さ」を同時に物語っていた。 「憶えていない? それとも、最初からわたしなんて無きに等しい存在だった?」 「あ、いや、その……」 真也は戸惑うばかりだ。 どなたでしたっけと訊けばいいのだが、そうしなかったのは下心のゆえんだ。「ああ、○○さん、懐かしいなあ」とでも言えれば、この魅惑的な少女と親しい仲になれるかも知れない。 「きゃははは! わかんなーい?」 少女は突然笑い、踊るようにくるくると回った。回転にあわせて髪がふわふわと揺らめく。 何がおかしいのだろう? 状況を楽しんでいるとは思えなかった。そもそも楽しめる状況ではないはずだと真也は思う。 「2年3組、柳麻里絵。何年ぶりの再会かしらね。高2以来だから、4年、ううん、5年かしら」 高2の時の同級生? 真也は首をかしげた。記憶の箱の中をひっくり返せば彼女の名前が片隅に残っていたかもしれないが、今の麻里絵のファッションや容姿のインパクトが強く、「あの頃、こんな女の子いたっけな」という観点でしか脳みそが回らない。 「そうよねえ。わたしは小野くんのこと、ちょっとステキだなとか思ってたんだけど、小野くんはわたしのことなんか眼中になかったのよね。あーあ、なーんか悲しいこと思い出しちゃった」 さっき楽しげに笑っていた彼女が、急にしょんぼりとうなだれた。 だからといって、真也にはどうフォローしていいかわからなかった。 |
結局、一緒にお茶を飲むことになってしまった。 「じゃあ」と軽く手を上げて身を翻せばそれで済んだのかもしれないが、タイミングがうまくつかめなかった。 彼女に促されるままに広い道の辻を曲がると、ギリギリ車の行き違いが出来る程度のまさしく路地と呼ぶにふさわしい道だった。2階建ての木造住宅やせいぜい4階建てくらいまでのビルがごちゃごちゃと両脇に建ち、新聞販売店やコンビニや自家製の豆腐屋がその間に収まっている。真也と麻里絵が入った喫茶店も、地元の人しか入りようがないような店構えだった。 しかし、外見とは裏腹にインテリアは良い。天井からの照明は薄暗く、各テーブルに置かれたステンドグラスの傘を載せたスタンドの明かりがテーブルを照らしていた。アンティークな小物があちこちに飾られている。 今度は1人で来ようと真也は思った。心を落ち着かせて考え事をするには絶好だ。 真也はホットコーヒーを、麻里絵はソーダ水を注文した。ソーダ水というのがいかにも前時代的でこの店にぴったりだなと思った。落ち着いた雰囲気のこの店に麻里絵のファッションは不釣合いだと最初は感じたが、慣れてみるとそうでもないような気がしてきたから不思議なものである。 「ごめん、本当によく憶えていないんだ」と、真也は言った。 「しょうがないわよ。それまで地味だった女子高生が急にプッツンして不良の烙印押されて自主退学。ある日忽然と学校から姿を消したんだもの」 さっきまではしゃいでいた女の子が、急にしんみりした口調になった。 いったんプッツンしたものの、少しは落ち着きを取り戻した、そんな現在の彼女を物語っているようだった。 |
麻里絵はポケットからタバコを取り出して、火をつけた。 真也は「あ」と言葉がでかかったが、やめた。麻里絵は二十歳を過ぎている。自分と同級生なのだ。何も咎め立てする必要など無い。 テーブルに肘をついて前かがみになり、グラスを持ち上げずにストローを唇にはさむ。乳首が見えた。真也は左右を見たが、彼女の胸元が見えるのは正面に座っている自分の位置からだけとわかってほっとした。 ミコのそれよりも大きく、前にプックリと突き出している。ミコがこんな状態になるのは感じているときだけだが、麻里絵はこれで普通なのだろうか。 「こうして向かい合って座っても、何も話すことなんて無いわね」 ため息混じりに、麻里絵が言う。 「なんだよ。そっちから誘ったくせに」と、真也は呟いた。 別に不機嫌になってるわけではない。もう何年も交流のなかったかつての同級生と偶然出会い、懐かしさのあまり誘われた喫茶店。しかも、自分には彼女がかつての同級生だったかどうか定かな記憶が無い。なのに、誘いに応じてしまった。そして、いざ向かい合ってみると何も喋ることが無い。なんとなくおかしかった。 笑いたくなるほどだ。 「なにニヤニヤしてんのよ」 「別に」 「あ、そう」 麻里絵はタバコを灰皿に押し付けると、すぐ2本目に火をつけた。 「小野くんは吸わないんだ」 「ああ、興味ないし」 「ふうーん。じゃあ、タバコを吸う女ってどう思う?」 「なんとも思わない。興味ない」 「あ、そ。アナタって本当に面白みのない人ね。そんなんじゃ全然会話が続かないわよ」 詰まらなそうに麻里絵はタバコをぷかぷかとふかした。 「別に俺はキミと会話をしたいと思っていたわけじゃないよ」 「そんなことわかってるわよ」 「じゃあ、これを飲んだら、出よう」 真也は伝票に手を伸ばした。特に話題も無く麻里絵とこうして過ごすのが不快なわけじゃないが、麻里絵のご機嫌がどんどん傾いているようだ。これ以上一緒にいてもしょうがないと思った。 「待って」 真也が伝票を手に取るのと、麻里絵が真也の手首を掴むのが同時だった。 「お願い、もう少し一緒にいて」 「それはいいけど、そっちこそ俺といて不愉快そうだから……」 「そんなことない。一人にしないで。一緒にいて」 真也を見つめるその瞳の奥に、満開の花がまもなく散ってしまうことを嘆くような悲しみが漂っていた。 な、なんだってんだよ、この子……。 |
笑ったり、落ち込んだり、懇願したり。 誰しも感情の起伏というのはあるが、麻里絵のそれは落差が激しいように真也には思えた。 落差といっても、幸せの絶頂から「電話一本」で奈落の底なんてことはこの世にはいくらだってあるだろう。だが、麻里絵の場合はそんな外的な原因があるわけじゃない。全て彼女の中で起こっていることだ。 情緒不安定……? 躁鬱……? ノイローゼ……? いくつかの単語が真也の脳裏を掠めて行った。 伝票に伸ばした真也の手を麻里絵は離そうとしない。 「ね。こっちに来てくれる?」 真也たちの座った席は、2対2の4人がけだ。なんとなく向かい合って席に着いたけれども、横並びになることも可能だ。 「いい、けど」 「だったら、お願い」 甘えている、というのではない。麻里絵が得体の知れない何か──恐怖に近い不安のようなもの──に怯えているように真也には思えた。 「わかったよ」 頷く真也。麻里絵はようやく手を解いた。 隣に座った真也の耳に、麻里絵は唇を寄せる。 「見た?」 「え? 何を?」 「だから、わたしのオッパイ。見たよね? ね?」 全く。それがどうしたというんだ。 「ああ、見たよ。だって、しょうがないだろう? 見えるんだから」 「うふふ。見たのね、ふふ」 楽しげに麻里絵は笑う。 「小野くんはこの近くに住んでるの? それともお勤め?」 「住んでる。まだ学生だ」 「そっか。大学に進学してたらまだ学生なのね。ふーん」 そうなんだ、とかろうじて聞こえる程度の音量で呟く麻里絵。 「柳さん、だっけ……、は働いてるの?」 「ま、ね」 「OL?」 「うーん、自営業みたいなもんよ」 「自営業? 独立してんの?」 彼女の奔放さは、何者にも縛られないところからやってくるのか、なるほどな、と真也は納得しかけた。 「ていうか、娼婦なんだけど」 「ショーフ?」 一瞬、どんな漢字を当てればいいのかわからなかった。 「別の言い方をしたら、売春婦よ」 「え?」 「援助交際、っていったらわかりやすい?」 「あ……」 「ちょっとワケアリで、しばらく休業するけど……」 何がなんだかよくわからなかった。 わからないけれども、真也と麻里絵は1時間後にはラブホテルにいた。 真也が麻里絵を買ったわけではない。麻里絵が真也を誘ったのだ。 「稼業はお休みだけど、エッチはしたいんだ。ね、しない?」 「何を言ってるんだよ」 「ね、セックスしようよ。ね、ね」 隣に座らせた真也の股間に麻里絵は指を滑らせる。真也はあっという間にその気にさせられた。恋愛感情のかけらも持ち合わせていない女に、ちょっと触られただけで欲望が制御できなくなってしまっている自分に驚いた。 麻里絵はファスナーを下ろし、トランクスの前穴に人差し指を突っ込んでくるんと指を回す。真也の固くなったペニスがビュンと飛び出した。自分のモノなのにまるで手品を見せられているみたいだと真也は思った。 「ほら、この子もしたいって言ってる」 「触るからだろ」 「ね、しようよ、お願い。でなきゃ、ここでフェラしちゃうぞ」 「ばか、やめろ」 「休業中なので、お金は要らないわ」 近くに住んでいるのなら小野くんの下宿がいいと麻里絵は言ったが、真也は断った。いつミコが訪ねてくるかわからない。ふたりの交わりの最中にミコが来たら、言い訳のしようがない。いや、それ以前の問題だ。ミコ以外の女性が真也の部屋にいるなど、とんでもない話である。 こうして二人は駅裏のラブホテルに入った。 |