ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

8.

 バスルームからはいやあな匂いがした。
「どうして……戻ってきたのよ」と、麻里絵は言った。「一週間たったら来てって言ったのに……」
 麻里絵はごく普通の表情をしていた。まだ禁断症状は現れてはいないらしい。しかし、短い発作があったのか、それとも、急に気分が悪くなり、そしてすぐに回復したのか。
 毛布は吐瀉物で汚れ、水着にも汚いしみが浮き出ていた。 「一時的なものよ。でも、これから、わたし……、もっとひどい状態になるわ……」
「そんなこと言ってる場合じゃない」
 手錠のかけられた手首には血がこびりついていた。暴れたのだろうか。
 真也が汚れた毛布を片付けようと手を伸ばすと、麻里絵は真也の手首をつかんだ。 「こんなの、1人で出来るわよ。余計なことしないで」

「うるさい!」
 真也は麻里絵の手を払いのけた。麻里絵の握力は常人の半分もなかったであろう。簡単に振り落とされてしまった。彼女にどれほどの体力が残っているのかと思うと真也は不安になった。
「俺をこんなことに俺を巻き込みやがって!」
「ごめ、ん、なさい」
「いいんだ。そのかわり、俺の好きなようにさせろ」
 麻里絵は、小さく、ありがと、と言った。

 真也はいったん麻里絵の手錠を外した。傷薬などは持っていない。とりあえずハンカチで巻いておく。
 テーブルに使っていたコタツの天板をバスルームの外に出した。水はペットボトル一本と半分が空になっているが、果たしてどれだけ飲めたのかわからない。相当量は口の端からこぼしているだろう。ロールパンがひとつとカロリーメイトの一片が無くなっている。だが、嘔吐していることを思えばこれも体内に摂取したとは思えない。どんどん体力が奪われていくわけだ。チョコレートは口にしていなかった。
 真也はシャワーからお湯を出して麻里絵にかけた。
「あ、毛布……」
「どうせ洗濯するんだ。任せておけ」
「うん、色々ゴメンネ」
 排水溝の蓋を開け、麻里絵を洗いながら毛布の上の吐瀉物も少しづつ流し込む。麻里絵の水着を取り、丹念に洗う。
 軽く迷ったが「清潔にしておかなくてはいけないところだしな」と自分に言い聞かせ、真也は麻里絵の股間にも手を伸ばした。麻里絵は嫌がりもせず身を任せている。
「ちんちん、大きくなってるよ」と、麻里絵が指摘した。
「うるさい」と、真也は一喝する。
「わたしもね、性欲だけはあるの。時々、ものすごく気持ちよかったセックスのことを思い出すわ」
「クスリを抜くのが先だろ」
「だけど、そんな風に触られると感じるわ。苦しさも紛れるの。だから、したかったらしていいのよ。どうせ私なんか男の玩具だし。もうほとんど壊れてる女だから好きにしていいのよ」
「わかった。立ち直ったら死ぬほどセックスしてやる。だから今は大人しくしてろ」
 麻里絵はゆるやかに笑った。

 真也は濡れた毛布も廊下に放り出し、頭から爪先まで綺麗に洗ってやった麻里絵をタオルで丁寧に拭った。そして、予備の青いビキニを着せてやった。
 左手のハンカチを外す。傷跡は残っているがさらに出血しそうな状態ではない。だが、この上から手錠をかけるのは無理だろう。真也は右手首にタオルを巻き、その上から手錠をかけた。右手が拘束されれば不便だろうが、自分が付いていてやるのだから問題ない。
(そう。俺がここに、一緒にいれば、それでいいんだ)

「ごめん。また具合が……」
 麻里絵が苦しそうに声を絞る。
「わかった。見られたくないんだろう?」
 真也は空調を「乾燥」にしながら床の水分を丁寧にタオルで拭い、新しい毛布を敷いた。それだけ済ませるとバスルームを出て行った。
 その途端、ガチャンガチャンと音が鳴り出す。麻里絵が暴れているのだろうか。手錠とパイプが激しく音をたてているのだった。
 真也は毛布を洗濯しながら、なんとか麻里絵の衰弱を防ぐ方法はないかと考えた。水しか受け付けないのなら、栄養のあるジュースを与えるしかないだろう。幸いキッチンにはジューサーミキサーがある。スーパーマーケットにもう一度行って、果物をいっぱい買ってこよう。

 麻里絵の状態が好転したのは6日目の早朝だった。
「小野くん、ねえ、小野くん、ねえってばあ」
 麻里絵の声で真也は起こされた。
「ねえー。聞こえるー? 寝てるのー? 小野くうん!!」
 何事かと思って真也はバスルームに急いだ。
 麻里絵の肉体からはすっかり肉が落ちてげっそりしていたが、信じられないほど明るい表情をしていた。
「どうした!」
「ん。お腹、すいた」と、麻里絵は言った。

 ロクに卒論には手がつけられなかったが、真也は麻里絵の回復後のことに関して勉強をしていた。この別荘には書斎があり、パソコンも備え付けられていた。インターネットが可能だったのだ。残念ながら真也は自分のIDやパスワードを覚えていないし控えてもいなかったからメールチェックは出来なかったものの、ネットサーフィンは可能だった。そこで、麻里絵のための回復食について、情報を収集していた。
 絶食後にいきなり普通食を食べることは出来ない、くらいの知識は身につけていた。
 断食の後は、重湯にはじまり、3分粥、5分粥と徐々に胃を慣らしながら普通食に近づけるのだが、麻里絵はフルーツジュースはこれまでも摂取している。だから3分粥から始めて問題はないだろう。
 4時間後にはまた「お腹すいた」と麻里絵がいい、今度は5分粥に温野菜サラダをつけてあげた。いきなり生野菜は良くないと思ったからだ。

「お肉が食べたい。お刺身も食べたい。てんぷらも食べたい」
「もう少し我慢しろよ」
「でも、お粥はもういや」
「わかった。次は雑炊にしよう」
 雑炊には卵と葱と海苔を入れた。ポテトサラダを作った。
「ケチ」と、麻里絵は言った。
「仕方ないだろ。胃だって衰弱してるんだから」

 別荘の中をウロウロしているだけだった麻里絵が、「外に出たい」と言ったのは、クスリが抜けて3日目の朝だった。食べることと寝る事以外はすることがなく、それ以外の時間二人はずっとソファーに座って身を寄せ合っていた。それぞれの温もりを肌で感じながら、テレビを見たり、あまり意味のないおしゃべりをしたりをしていた。洗濯などは麻里絵が眠った後に真也がしていた。
「うん、散歩しよう」
 真理絵だけではなく、真也も身体がなまっていた。山道をゆっくり歩くだけでも息が切れた。
 人影は無く、どちらともなく唇を重ねあった。
「ちょっと自信がなかったけど、もう大丈夫。セックスして欲しい」と、麻里絵が言った。
 散歩を終えた二人は、トーストとコーヒーとスクランブルエッグの朝食を取った。そして、すぐベッドになだれ込んだ。
 麻里絵の肌の弾力はまだ衰えていたが、真也はそんなことはまるで気にならなかった。二人で過ごした時間、ずっと麻里絵を抱きたいと言う欲求を抑えていたことに真也は気がついた。
 真也は繰り返し繰り返し麻里絵を激しく突き、何度も何度も熱いエキスを放出した。麻里絵は乾いた砂のようにいくらでもそれを受け入れた。
「こんな長い間セックスしなかったのは、童貞を失って以来だ」と、真也は言った。
「わたしだってそうよ。一日に3人も4人も相手してたんだもの。取り戻さなくちゃね」
 お昼ごはんを食べてセックスし、夕食を食べてまたセックスをした。いくら交わっても欲求が衰えなかった。乾ききっていた。失ったものを取り戻すかのように二人は求め合った。

 眠る、食べる、セックスする、散歩する。森の中に点在する別荘達はお互いを干渉することなく、ふたりの時間は穏やかに流れた。気が向いたときに気が向いたことをすればよかった。真也は学校からも卒論からも就職活動からもバイトからも開放され、あれだけギチギチと精神を締め上げられていたのが嘘のように思えるのだった。

 現実から逃避したかりそめの時間であることはわかっていたが、たとえかりそめであっても、隣には生身の女性がいつも居た。居心地が良かった。救いのない世界から、救いしかない世界に来たような気さえしていた。
 いくつかの夜が明け、食事や洗濯も麻里絵がするようになった。費用を全て麻里絵が出しているので、真也は「気にせずリハビリをしたらいい」と言ったが、生きるのに必要なことをするのがリハビリなのだと麻里絵は答えた。
 麻里絵は普通に食事が出来るようになり、散歩の時間も長くなった。真也の借りた車で一緒に買い物に行ったりドライブを楽しんだりもした。夜は貸し別荘に帰って来た。真也も下宿に帰るということは無かった。
 気が付いたら、別荘で迎える12日目の朝になっていた。

 ベッドの中で真也が目を開けると、隣の麻里絵はそれを待ち構えていたように声をかけた。
「この別荘のレンタル期間、2週間なの」
「あさってまでだね」
 真也が麻里絵の世話のために想定した時間は1週間だった。けれど、いつのまにかダラダラといついてしまった。クスリが抜けた後のリハビリに付き合ったのもあるし、それよりなにより、居心地が良すぎた。だが、そろそろ潮時だろう。就職活動も卒論もほったらかしだ。自分が本来いるべき場所で何が起こっているのかさっぱりわからない。誰とも連絡を取っていない。もしかしたら取り返しの付かないことになっているかもしれないと思うと、背筋が凍った。
 いっそのこと、ここでの生活が永遠に続けばいいのにとすら思う。

「うん。でも、小野くんは明日、出て行って欲しいの。わたしも出て行く。住む所を探さなくちゃいけないから。夜は1人で戻ってくるわ。そして、片付けたりとか、ね」
「それなら、俺も手伝うよ。車だって必要だろ?」
「レンタカー、返すでしょ? その時に、わたしは自分で借りるから。それに、明日の夜は……」
 麻里絵は携帯電話を手にとった。
「これ。営業の電話をしたいの」
「営業?」
「わたし、これでも常連さんが何人もいるの。だけど、2週間も音信不通だったじゃない。だから、こっちから連絡するの」
「私を買ってくださいって?」
「そうよ。わたしはそれで生活してるんだもの。でもね、そんな電話をしているところ、真也には見られたくないの」
 売春の顧客に電話をするところを見られたくないと言われれば真也も引っ込まざるを得なかった。

 それにこんな生活をいつまでも続けられるはずもなかった。もとの生活への復帰を遅らせれば遅らせるほど戻り辛くなる。辛いから一日また一日と日が伸びる。そうしてますます戻り辛くなる。
 麻里絵から出て行ってくれと言われたのをきっかけにしないと、もう腰が上がらないだろう。邪険にされても出来るところまで一緒にいてやりたいのが情だが、ここらへんで区切りをつけるべきだ。
「わかった。そうしよう」
「そのかわり」と、麻里絵は言った。「今日はエッチしまくろうね」

 昨夜の交わりの後、二人は全裸のまま一緒に眠っていた。ここのところずっとそうだ。どちらかというと「外出のときだけ」服を着ていた。散歩から戻るとどちらからともなく脱ぎ、あるいは脱がされ、玄関や居間やベランダや食堂や、寝室以外のところでもとにかくセックスした。
 麻里絵はミコと違って夜はきちんと睡眠を取った。ミコはたまに訪ねてくると明け方まで真也と抱き合っていた。そのかわり週末だけだ。毎日ではない。
 夜、熟睡すれば、アサイチから女を抱くのは真也にとってなんでもないことだった。たとえ前日、一日中セックスしていたとしても……。

「全然衰えないのね」と、麻里絵は真也のペニスをきつく握り締めながら言った。「わたしたち、毎日やりまくってるのにね」
 麻里絵は握った手を上下にゆっくりと動かし始めた。
 真也は麻里絵の恥部に指を滑り込ませる。指を巧みに曲げることによって愛豆と穴の中の感じる部分を同時に攻めることを麻里絵に教わっていた。

「麻里絵も、ぐしょぐしょ……」
「でも、やりすぎで腰はガクガクなの。小野くんはビンビンじゃない」
「疲れているなら、やめておこうか?」
「いや。今日はずっとするの。どうせわたしなんて男の玩具だもの。いつかは壊れるんだから。今日、壊されたっていい」
「じゃあ、ハメたままで一日過ごさない? きっと壊れるよ。僕もキミも」

 愛の巣とでも呼びたくなるようなこの別荘を出れば、麻里絵はまた違った男に日々抱かれる。それくらいなら!
 真也の中に破壊衝動が生まれた。真也は麻里絵の中に取り返しの付かないほどの何かを残したいと思った。麻里絵の肉体に刻印をきざみつけるように。
 前にも一度こんな気持ちになった事がある。いつだっただろう?

 

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