ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

13.

 そうか、ついに内定が出たか。
 真也は独り言を言った。

 あれほど待ち望んだ内定だったが、飛び上がって踊りたいような気分にはならなかった。そのかわり、心の底からじんわりと温かさがこみ上げてきた。
 苦労の甲斐があったなあと思い、同時に、苦労という言葉に値するほどのものはなにもなかったなとも感じた。空回りする自分と、ただ流れていく時間のランデブーだったような気がした。

 テレビや新聞で就職難について報道される度に、自分の身にもそれは厚く重くのしかかっているのを実感したものだが、いざ就職が決まってみれば、他人事のようにすら思えた。

 たったひとつの就職先にめぐり合うのが早いか遅いかだけなのだ。正文の言ったことがようやく本当に理解できた気がした。

 なにはともあれ彼女に知らせておかねばと、真也はミコに電話をかけた。携帯電話を手に取り、いつもの癖で、リダイヤルをする。真也がプライベートで電話をする相手なんてミコしかいないし、自分が最後にかけた電話もミコだったから、いつも通りのことをするのに、何の疑いも持たなかった。
 内定通知のメッセージを留守電に貯えていてくれた電話には、面倒だから短縮登録などはいっさいしていない。ええと、ミコの電話番号はなんだっけ?
 電話の相手は「はい」とだけ言うと、黙り込んだ。いつものミコとは様子が違う。

 久しぶりに自分の部屋に戻り、あれこれと忙しく所用を済ませていたのだろうか。それとも、もう眠っていたのだろうか。まだ酔いが醒めていないのだろうか。
 いつもとは違うミコの声と電話の対応に、真也は一瞬のうちに色々なことを想像した。しかし、自分が電話をかけた先は、本当にミコではなかったのである。

「あ、ミコの彼ね。ええと、真也さん」
 半ば不信に満ちた「はい」から、急激にその声は明るくなった。
 電話に出たのが香織だとわかった。目の前で一緒に飲んでいたときと、電話で聞く声とは少し感じが違う。だが、声の響きというかイントネーションというかリズムというか、そういったものから、それが香織であることを真也は悟った。
 でも、どうして? 自分は彼女に電話をかけたことなど、ない。

「さっきは不機嫌な声出してごめんねー。ディスプレイ、確かめずにとっさに電話に出たもんだから、しまった! って思って。わざといやあな声で出ちゃったのよ」
 香織の声に真也は、飛行機雲の浮かぶ青空と、その下に広がる草原をイメージせざるを得なかった。それほど、鮮やかで爽やかな声だった。
 真也が作り出した風景の中で、香織は手を振って走り寄ってくる。美少年と見まがうばかりの透き通った美しさ。真也のイメージはどんどん膨らんだが、どうしてそんなことになるのか、まだこの時点では理解できなかった。

「どうしてキミが?」
「リダイヤルしたでしょ? メモリーに入れるのに携帯あずかったじゃない。そのとき、こっそり自分にかけておいたの」
「どうして、そんなこと?」
「そうでもしないと、電話なんてどうせくれなかったでしょ?」
 確かにその通りだと真也は思った。香織に電話をする用事など何もない。
「で? なに?」
「なにって、別に用はないよ。キミに電話するつもりじゃなかったんだから」
「ミコにするつもりだったの?」
「そうだけど」
「ふーん、さっき会ったばかりなのに」
「関係ないだろう、キミには」
「関係はないけど、友達じゃん」
 まいったな、と真也は思った。

 電話を切って、あらためてミコにかけなおす。内定のことを話すと、「おめでとう。明日、何かおごるよ」と彼女は言った。
 だが、それ以上、何か会話が弾んだわけではない。報告をして、おめでとうという言葉をもらった。それだけだ。

 内定の報告を終えて目的を達したはずなのに、真也はなぜかすっきりしなかった。
 本当は今すぐにでも会って「ありがとう、ミコが励まし続けてくれていたおかげだ」とかナントカ言いながら抱きしめたかったんだ。電話を切ってから真也はそう思った。

 けれども、思索にふけっている暇はなかった。すぐにまた電話がなったからだ。
 香織がリターンコールをしてきたのである。
「さっきは、どうも」
「なんだよ、今度は」とでも言いたかったが、せっかく電話をくれたのに邪険にすることも出来なかった。「島崎さんって言ったよな。どうして彼じゃなくて僕なんだ?」
 寂しいのなら、話し相手が欲しいのなら、恋人に電話しろよ、そう言ったつもりだったが、果たして香織に通じたのかどうか。
「なによそれー。せっかく電話してあげたのにー」
 頼んだわけじゃない。真也は心の中で呟いた。

「ミコに電話してたんでしょ? 違う?」
「そうだけど、勘、いいんだね」
「まさか。常識よ、常識」
 真也はドキリトした。電話をする相手はミコぐらいしかいない、というのを見抜かれていると感じたからだ。
「で、どんな話をしたの?」
「たいしたことじゃない。帰ってきたら内定通知が留守電に残っていた。ずっと心配してくれていたし、報告しとかなくちゃと思ってね」
「わあー。それはおめでとう! 良かったじゃない!!」
 香織はまるで自分のことのように喜んでくれた。
「でもねー。わたしと島崎さんだって、それなりに心配してたし、応援してたんだから、ミコだけにしか報告しないなんてズルイよー」
「ああ、それは悪かった」
「いいわよ、いいわよ。気にしないで。そうそう、お祝いしなくちゃね。これからそっち行くよ」
「え?」

 断りきれなかった。「明日、なにかおごるよ」というミコよりも、「これからそっち行くよ」の方がはるかに内定を祝ってくれているようで、ぐっときたからだ。ミコとの電話を終えて、何か物足りなかったのはコレなんだと、真也は思った。

 それから1時間後。香織はピザとワインを持って真也のアパートを訪ねてきた。
 電話のやりとりでは香織の勢いの良い口調にのせられて何も考えていなかったが、お互い別に恋人のいる男女が、ふたりっきりでひとつの部屋にいるのはまずいんじゃないだろうか。香織の姿を見て始めて真也はそう思った。
 時計を見れば9時30分。ピザを食べてワインを飲みながらたわいないおしゃべりをするだけなら、さほど問題のある時間ではない。けれど、ピザを食べてワインを飲みたわいないおしゃべりをするだけの時間しかない。
 こんなことを考えるのは、香織をひとりのオンナとして意識してしまったからだと、あとになって真也は気がついた。

 ワインはすぐに空になった。ピザは8等分されていて、まだ2枚ずつ食べただけである。それほど食欲がないのは、さっきまで居酒屋で食事をしていたからだ。
 居酒屋でのアルコールに気持の良い程度に酔い、そしていったん醒め、再び呑む。こういう場合はどうしても酒量が増えるようだ。居酒屋での軽い酔い程度ではもはやお酒を飲んだという実感がしない。
 香織も同じらしく「もう少し飲もうよ。何かない? それとも、買って来ようか?」
「缶ビールならあるよ」と、真也は返事をした。
「それでいい、いい」
 香織は席を立ち、勝手に冷蔵庫を開けた。缶ビールを2本取り出して嬉しそうに持ってくる。なにしろ狭いアパートだから一目見回したらどこになにがあるかなどすぐにわかる。

 そして香織は「公務員って面白いわよ」と、唐突に言った。
 どうして突然そんなことを言ったのだろう。真也は首をひねったが、10分ほど前に「公務員って言ってたけど、香織さんはどんな仕事をしているの?」と質問したのを思い出した。
 そのときは、「香織さん、なんてやめて。香織でいいわ」と返されて、会話が違う方向へ進んでしまったのだ。
「どう面白いの?」
「つまんないところが、面白い」
「へ?」

 真也は一瞬、顔が引きつるのが自分でもわかった。「馬鹿にしてるのかよ」と言いそうになった。しかし、酒の席での会話に真剣になってどうするんだと、自分をいさめた。
 香織は馬鹿にするつもりなど毛頭なかったらしく、真也の反応などとは無関係に悲しいような寂しいような表情をして目を伏せた。
「致命的な失敗さえしなければいいの。犯罪もしちゃだめよね。だけど、あとは適当でいいのよ。前任者のやってきた仕事をそつなく引き継げばね」
「公務員だって今は大変なんだろう? 税収が落ち込んでるって言うし」
「だけど、首にはならない。リストラされない。もちろん、何か新しいことを始めようってがんばってる人もいるわよ。だけど、わたしには関係ないもの。所詮、傍観者。だって、がんばってもがんばらなくても、給料は一緒だもの」
「おいおい……」

 酔って語る単なる愚痴だなと真也は思った。しかし、愚痴とは本音である。この子は本当はもっとダイナミックに仕事をしたいんだと真也には思えた。
 そうこうしているうちに、さっきから何度か口に出そうとして言いそびれていた「そろそろ帰らないと電車なくなるんじゃないのか?」という台詞をとうとう言い出せないままになってしまった。

「眠くなってきちゃった。ねえ、寝ようよ」
 あまりにも自然に香織の口から「寝ようよ」と言われたものだから、真也は仰天した。
「何を意識してるの? わたしなら平気よ。友達じゃない」
 どう返事していいのか真也にはわからなかった。キョロキョロと部屋の中を見回した。まったく意味のない行為だとはわかっていた。
 友達だから、なんだというのだ。同じ部屋で寝ても何事も起こらない、ということだろうか。友達なんだからセックスしたっていいじゃない、なのだろうか。判断が付かない。

「でも、布団はひとつしかないから」
 やっとの思いで言葉を紡ぐ。そうだ、ここには布団が一組しかない。だから、香織は泊まる事が出来ない。電車がなくなったってタクシーがある。
「深夜のタクシーってぶっそうなのよ。そんなものに押し込めて返そうとしないでね」
 見透かされているなと真也は思った。
「いいじゃない、同じ布団で。ミコだってここにしょっちゅう泊まって一緒に寝てるんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ、気にしなくていいじゃない」
 いや、だからこそ、ダメだろ? 彼女と一緒に寝ている布団で、他の女と寝るなんて……。

 ともすれば美少年にすら思えるなどと印象を抱いたことを真也は後悔した。アルコールで肌をほてらせた香織は小悪魔だ。ひとつの布団の中という誘惑にズルズルと引き込んでゆく。
 一緒に眠って手を出さずにいられる自信は真也にはまったくなかった。
 彼女の身体に手を触れた途端に「何するのよ。わたし達は友達でしょ」とひっぱたかれるのだとしても、きっと手を出してしまうだろう。なぜなら、「抱きたい」という気持をもう抑える事が出来なくなっていたからだ。
 それにどちらかというと、「何を遠慮してるのよ。友達なんだから、セックスしようよ」と言われそうな気がする。
 事実、そのとおりになった。

 先に手を出してきたのは香織だった。
「まだ柔らかいね。でも、その割には大きいじゃない」
 ジャージの薄くない布越しに掌をそっと添えただけなのに、その微妙な振動に真也のペニスは膨張した。
「あは、感じてる、感じてる」
 香織は一人で喜んでいる。

 何のためらいもない香織。最初からそのつもりでここにやって来たのか、それとも、アルコールのせいなのか。真也には判断がつかなかった。
「ねえ、真也も触ってよ、わたしの、ここ」
 導かれるままに手を伸ばす。そこは太腿の付け根だった。いつのまに脱いだのか、香織は下着すらつけていない。
 自分にも彼女にも恋人がいる。そんな状況で香織に手を出すことはためらわれるが、あとほんの数センチのところには彼女のクリトリスがありヴァギナがありアナルがある。もはやブレーキのかけようがなかった。

「遠慮しないで。友達じゃない」と、香織は言った。
 香織は腰を少しだけ動かした。真也の指先が香織の性器のどこかに触れた。濡れていた。まるでイチゴジャムに手を突っ込んだかのようだった。甘い香りが漂ってさえきそうだった。
「あなたのこと、ミコから何度も聞かされてたの。で、ずっと思ってた。こんな風になりたいって。あなたと寝たいって」
「え?」
 指先で香織のヴァギナの周りをくちゅくちゅと弄びながら真也は訊き返した。
「それは、どういうこと?」
「だから、今回の飲み会、セッティングしたのは、本当はわたしなの。わたしと島崎さんで励ましてあげるから、ミコはその就職にしくじって落ち込んでるって言う彼氏を連れておいでって。本当はわたしがあなたに会いたかっただけ。だって、ミコの彼氏だもの。ミコの話を聞いているうちに、この人と寝たいって思ったの」
「どうして?」
「だって」と、香織はいったん言いよどんだ後、意を決したように、だけど小さい声で呟いた。
「ミコ、いっつも自慢するのよ。彼のは大きいし、長持ちしすぎるって。ううん、ミコは自慢してるつもりは無いの。わたしたち、よくお互いのセックスのことを話すから、その一環よね、単なる世間話。だけど、なんか本当に凄そうで、一度してみたいなって。そう、最初は『一度してみたいな』だったのよ。だけどそのうち、そういう好奇心みたいなのじゃなくて、ミコの話の中のあなたに惚れちゃったみたいなの。だからもう我慢できないの」
「会ってもいないのに、惚れるのかい?」
「そうよ、悪い?」
「悪くはないけど、会ってみてイメージと違ったら? とんでもない変な奴だったら?」
「ミコがそんな人と付き合うわけないじゃない」
「じゃあ、言い直すよ。変な奴ではないかもしれないけど、おそろしく自分の趣味とは相容れなかったら?」
「馬鹿ねえ。だったら飲み会だけで終わらせればいいじゃない」
「あ、そうか」

「ねえ、いつまでそうしてるの? 真也も脱いでよ。こんなに大きくなってるじゃない。わたしに感じてくれているんでしょ? それとも、身体は反応しても、わたしとするの、いや?」
 真也は決して香織を抱きたくないわけではなかった。
 これほどまでに慕ってくれているのだ、むしろ「おいしい話」と飛びついてしまいたかった。にも関わらず、イマイチ乗り気になれないのは、ここで香織を抱いたら自分が崩れてしまうのがわかっていたからだ。

 ミコと付き合っていながら、柳麻里絵とエッチ三昧で過ごした。現実からもうひとつの現実へトリップしたかと思うほどの快感に満ち溢れた日々だった。しかしそれらは、自分に対して言い訳が出来る。彼女が麻薬中毒になっているという特殊な状況下であったからだ。人助けだ。
 けれど、今回は違う。人助けでもなんでもない。自分に言い寄ってきた女の子をしめしめと抱くのである。

 ミコという恋人がいながら、他の女とセックスをする。香織と交わればもはや麻里絵の場合も「あれは特別」などとは言い訳ができなくなるような気がした。抱かれてくれる女が傍にいたから抱いた、それだけになってしまう。香織を抱けばもう自分はミコ以外の女となんのためらいもなくセックスするようになるだろう。

「わかったよ」と、真也は言った。
 布団からいったん出て、全裸になる。その様子を見た香織も、立ち上がる。真也が指で確認したように、下半身は全裸だ。真っ白な肌に張り付いた陰毛がたまらなく淫靡に見えた。
「胸も、見てね」
 真也の視線に気付いた香織はそう言いながら、上半身の衣服も脱ぎ去った。
 全裸になった2人は吸い寄せられるように近づき唇を重ねあった。
 真也と香織のお腹の間に挟まれた真也のペニス。香織はそっと握る。
「ああ、本当に大きいのね。すごいわ。ほし、い……」
 香織は身体をかがめて欲棒の先端にもキスをした。いとおしいモノに優しく触れるように。
 真也は思った。時に少年のような香織も、十分に男の味をしっている。この棒が香織の身体に最高の快感を与えることを彼女の細胞が覚えている。さもなければこんなキスは出来ない。

 香織は時間をかけてじっくりと真也のペニスを愛撫した。
 先からカリ、棒、そして玉を経て、裏筋から肛門に至る。
 何度も何度も往復させながら、しかしその行為はちっとも激しくならない。うぶ毛で作ったハケでなぞられているようだ。あとほんの少しだけ刺激が強ければ声が漏れそうなほど感じるのに、その直前でじらされる真也。
 唯一の例外は、細めて尖らせた舌先で肛門と尿道をフイにつつかれるときだけだ。

「あう、うっく」
 ほんの一瞬。もしかしたら今のは痛いという感覚だったのではないだろうか。そう思ったとき、とっくにそれは消えている。普段外からの異物に触れない場所に触れられた。そう自覚するまでのわずかな時間に香織の舌は移動していた。
 ああ、もっと。
 それがなんだったのかせめて確かめることが出来るまでの間だけ、触れていて欲しい。
 ヒクヒクと痙攣してはおさまるペニスのその律動に、真也自身がとまどっていた。もはや自分の肉体の一部ではない。なにひとつ自由にならなかった。力の限り強く握られ、激しくピストンされたい。高熱にうなされてみる夢のように、真也の欲望は頭の中だけで渦巻いた。

「真也、ねえ、真也ったら」
 股間をしゃぶりながら香織が甘味料をタップリまぶした声を出す。
「わたしにも、して」
 して、と言われてもどうしていいかわまらない。自分は立ったままだし、香織はしゃがんでいる。
 真也は香織の頭に掌を載せた。
 短いせいで固そうに見えた香織の髪は、けれどふんわりとした綿毛のようだった。指先に巻きつけようとしてもすぐに逃げる。
 真也の指の動きにあわせて、香織も真也の陰毛を弄んだ。
 真也の指が香織の耳に届く。触れるか触れないかのわずかな接触で香織の舌が真也の性器を嬲ったように、真也も香織の耳をすっと撫でた。

「あ、ん」
 香織が声を漏らす。
 耳への愛撫で感じてるんだ。そう思うと真也はたまらなくなる。愛液がふつふつと湧き出しペニスの先端を濡らす。
「したい」
「したいの? 何を?」
「キミの中に、入りたい」
「いいわ、入れて。でも、まず指からよ。それから、たっぷり舐めてね。わたしがそうしてあげたように。気が狂ったように悶えるまで舐め続けてね。そしたら、いれてもいいわ」

 

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