母と子の饗宴  by M吉





 




 M吉です。今頃こんなけったいな名前ですが、おやじが付けてくれたのですから仕方ありません。今18歳で大学受験の勉強中です。  今日も父が出張中です。11時になると母の寝床に行くことにしています。

 僕の記憶が始まった5歳の頃から、母は僕を可愛がってくれていました。お風呂は一緒に入り、体を洗ってくれながらお乳も触らせてくれていました。
 父は出張が多かったので、居ない時には母と一緒に布団で寝ていました。そのときは抱いてくれていて、キスもしてくれるし、お乳も吸わせてくれていました。それは中学から、時には高校生になったときまで続いていました。

 中学の終わり頃から、僕のオチンチンを触ってくれたり、それが立った、といって笑っていました。
 高校の1年の時、一緒に寝ているときお乳やおチンチンをさわりあって二人でふざけあっていました。母の乳はおやじのものと思っていたのですが、張りがあってとてもすてきですよ。この時母は39歳でした。

 僕が思い切ってお母さんのあそこを触りに行きました。指を入れるとぬるりとしていました。
 そりゃもう僕も17歳ですから、セックスのことは知っていました。
 お母さんは驚いて「あっ、いやっ……何するのよ。……ああ、くすぐったいじゃないの……」と嫌がっていましたが、僕の方が力がありますからそのままお触りを続けました。

 その日はそこまででしたが、その次に父が出張のとき、母の床に入って行きました。母さんのあそこを触るのは一度経験したものは今夜もしたくなりますよね。
 この夜は母さんのあそこを触っているうちに、僕はむらむらとしてきました。寝ている母さんの足を開かせて、その間に入り、僕を押し込んで行きました。

「あっ、何をするの……、いけません……」と喚いています。でも、走り出したら止まらないのです……。一杯に入っていきました。
「やめて……」
 そんな事では止まるわけはありません。

 動きはじめました。頭の中に火花が散っています。身体が痺れそうです……。
 そのまま母の上にうつ伏してしまいました。その日は「M吉は仕方ない子ですね……」で終わりました。

 父は月に3回くらい出張に出かけます。そりゃ覚えたことですから、必ず母の部屋に行くようになります。
「母子がこんなことしてはていけないのですよ。本当にいけないM吉」
 段々母のお叱りが小さくなっていきます。
 母子相姦というのでしょ、いけないことは知っています。でも走り出したら止まらないのです。

「いけませんよ……」といいながら、母さんは受け入れてくれます。母さんの中に入っていって、しばらく往復運動をしていってやがて頭の中に火花が散って果てるのがたまりません。
 ところが、母の方も、その前に体を震わせて僕にしがみついてくるのです。

 終わった後、僕のペニスを綺麗に拭いてくれます。
「M吉ちゃんが出すのはタップりで元気がいいのよね……」とほめる様になります。
「おやじのはどうなの……」と聞くと「ううん、この頃、駄目なのよ……。もう二年はしてくれていないのだもの……」
 そうだったのか、だから母は嫌といいながら僕の相手をしてくれているのか……。

 大学の受験に必要だから僕の戸籍謄本を取り寄せました。それを見ていると母は後妻で僕を産んでくれた母ではなかったのです。
 母とセックスを結ぶのに、一抹の不安はあったのですが、そうでないことが分かったので益々調子が出てきました。
 一晩に二発はするようになりました。母も寝床では浴衣の下は裸で待っているし、絶叫して果てるようになりました。

 今母は40歳です。僕のペニスを拭きながら「これなら出来るかも知れないわね……、あなたの子供を身篭って……」とつぶやく事があります。
 さあ、今夜も11時になりました、ぼつぼつ母上の所へ忍んで行きましょうか……。
(メールによる体験告白より 2009年12月12日)

 
 母親と息子のセックスだなんて、まあ、なんておぞましい。ていうか、浪漫は自分の母親とエッチするなんて、想像もつかんもんな。けど、この投稿、おかんの息子への台詞がなんか変。まるで継母みたい。継母と息子の関係だったら、ちょっと燃えるなあと思っていたら……、なんと、やっぱりそうだったんだ。納得です。がんばりなはれ。

 
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