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先生との再会の前のことを少し書きたいと思います。
すっかりHな身体になってしまった私にとって、H無しで日々を過ごす事は、拷問に近いものがありました。
小学校卒業したての頃は、オナニーで乗り切ってましたが……。
私は元々、同い年の子よりも、Hな子なのかもしれません。幼い顔をして、心の中では、誰か私とHしてくれる人、気持ちよくさせてくれる人、いないかな……。なんて思ってました。
そんな時、都合が良かったのが、ちょっとした援〇≠ナした。
私は気持ち良くはなりたいけど、セックスまではしたくは無かったので、それでもいいという人とだけ会ってました。
気持ち良くなれて、ちょっとしたお小遣い稼ぎ……。罪悪感のようなものはあまりありませんでした。
中2になったある日、常連のお客さん≠ノ「僕のステディになってほしい」と言われました。その人は年は30半ばで、某大学病院のお医者さんでした。
親もそこの大学病院の教授で、その人はいわゆる将来を約束されたエリート医師……。手先が器用でHが上手な人でした。
ある日、どうしても見せたいものがある、と高級マンションの最上階に連れて行かれました。
「この部屋、僕たちが会うために買ったんだ。普段から君の好きなように使っていいし、お小遣いも毎月50万渡す、ここにある洋服やバッグも好きなように使っていいし、買物で必要だったら50万とは別で渡すよ?」と言われました。
ただ、彼の言う条件があって、「僕以外の男とは絶対に会わない」でした。
そういう事を言うのにその人には、結婚を約束した婚約者がいて、それなのに私を専属として囲いたいようなことを言ったので、ちょっと頭にきて「お金や地位で相手をどうにでもできるなんて思わないで」と断りました。
その人は私の言葉にムッときたのか、「君だって、その年齢で男といいことしてお金もらってんだろ? 若いから援交なんていってるけど、結局は未来の売春婦だよな?」
そんなふうに罵られて、すっかり気持ちが冷めてしまって、援交はやめました。
その頃、私の家では、私が全く勉強しないので、勝手に塾に手続きをしてしまい、仕方なく私は駅前の塾に通うことになりました。
そこで……先生と再会することとなったのです。
1年半ぶりに先生に会って、嬉しいのと動揺と……、初日の授業は全く耳に入りませんでした。
授業が終わって先生に「学校は?」と聞いたら「……ちょっとわけあって、辞めたんだ」と言いました。
辞めた理由は「自分でも良くわからない……。ただ、未羽のいない学校はつまらない。生きてるって実感、全然無くて、欝っぽくなった」と言っていました。
先生と再び、前のような関係になるのに、長い時間はかかりませんでした。
授業の後、塾の倉庫に鍵をかけて、お互いの身体を貪るように求め合いました。
「未羽……しばらく会わない間に、こんなカラダになって……。もう、あの頃の子供だった未羽じゃないな……」
……そして、立ちバックで初めてのセックスをしました。
もう、股にまで滴り落ちるほど濡れていたので、あまり痛くなく、グチュグチュに音を立てて、喘ぎながら、イってしまいました。
その日は、初めてなのに何度もセックスをして、何度も果てしないくらいお互いを求め合いました……。
(ロマンス&ラブトーク掲示板より 2013年2月1日)
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未羽さんも、紆余曲折があったんですね。挿入はしなかったとはいえ、幼くして性の快感に目覚めての、援〇。外野から見ると、足りない何かを性的な快感で埋めようとしていたんですね。そして、きっと先生もそうなんでしょう。内にある哀しい部分を慰め合える関係、そんな気がしてきました。下衆の勘繰り、すいません。でも、2人が本当に幸せになるためにも、あるいは、別々の人生を歩むためにはばたくにしても、乗り越えないといけないことだと思います。
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