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午後1時を回った。事務系の職場なら黙々と業務を再開しているはずの時間である。だが、我が部署は「営業」だからそういった風景は見る事が出来ない。 昼休みが12時から1時に取れるとは限らないし、そもそもこんな時間に社屋にいる営業マンでは仕事振りも高々しれている。 だが、私は、居る。 私が無能な営業マンだからではない。 課長職について一年あまり。これまでは肩書きにかかわらず外を飛び回っていたものだが、さすがにそれでは「管理職」としての責務が果たせなくなってきたのだ。部下たちに適切な指示を与え、様々な業務の現状を把握し、進捗状況をチェックし、課内全体の様子を掌握しなければならない。 だから私は午後の業務が始まってしばらくたってからはじめて外回りをするようにしている。というより、外回りを自ら行うために、これだけの仕事をほぼ午前中で片付けるのだ。だから私は他課の課長連中と一緒にして欲しくないと思っている。 |
私の名刺には「営業一課 課長 萩原広大」と印字されている。いたってシンプルだ。顔写真はもちろん、社屋の全景や、イメージ写真としての風景などを名刺に刷り込むのが我が社でも流行っている。若手の社員は取引先により強く印象を持ってもらうために積極的に取り入れている。が、私はやらない。名刺に装飾を施す連中を批判する気は無いが、名刺はシンプルな方がいい。名前を売ってこその営業だ。私はこれまでずっとそうしてきた。 年齢は42歳。課長昇進は我が社としては遅いほうだ。だいたい30代後半に課長になる者が多い。これくらいの年齢で課長職につけなければ、もうそこから先の昇進は無い。 私も半分は諦めていた。それなりの業績はおさめていたが、やはり上の評判がよくなかったのであろう。たてつくことも多かった。 そこへ、辞令。本社、営業一課、課長を命ず。支社や出張所の営業を統括するわけではない。それは営業統括部の仕事だ。本社の営業課も支社のそれと同じく営業統括部の下にある。とはいえ本社の営業一課といえば花形である。我が社の命運を担っているといっても過言ではない。現場に出ない営業統括部に比べて、我が社の一番大きな売り上げを担っている部署だぞという誇りもある。そんなところに配属をされ、私は確かに少しいい気になっていた。 課長職につけないまま40を迎えたときは、出世コースからはずれ、いずれ年下の上司に業務命令を出されるのかと思い、暗澹たる気持になったが、それが辞令一枚で年上の部下を使う立場になるのだから、有頂天にもなる。 だが、実際はそんなものではない。社員としても人間としても「先輩」である年上の部下を使うというのはそれなりに気を使う。 |
とはいえ、先輩だからといって全てが尊敬できるわけではない。 「ただ年齢だけを重ねやがって」と、軽蔑の対象にしかならないような男も当然いる。 梅田善助がそうだ。 「萩原課長、お昼のニュースはご覧になられましたか?」 何がお昼のニュースだ。情報収集は大切だからテレビを見るなとは言わない。だが、昼休みはとっくに終わっている。こんなところでニュースを話題にする暇があったらさっさと契約をとってこい。そもそも営業マンがどうして社員食堂などを使う暇があるのだ? アポとアポの間に外食をしろ。私は梅田を叱責しそうになった。 だが、この男に何を言っても無駄だ。若い頃にとった契約がたまたまずっと続いているからそれなりの成績を保っているが、このご時世いつ取引先がコケるかしれたものではない。そんな不安も持たずに梅田は安穏と御用聞きを続けている。出世にも興味を示さない。 「そのお顔では、ご覧になられていないようですね」 「なんだ」 「暁中学校でいじめによる自殺、だそうです。課長のご子息が通われている学校ではなかったでしょうか?」 「ああ、そうだが、息子が自殺したわけではあるまい」 「それはそうですが…」 梅田は私の反応が不服だったようだ。 「・・・そうですか。失礼します」 |
馬鹿馬鹿しい。息子に何かことがあればニュースなどになるまえに学校から私に直接連絡があるはずだ。 いじめによる自殺などいまどき珍しくも無い。それがたまたま息子の通う中学校だっただけで、いちいち報告するにはあたるまい。 放っておいても、そのうち学校から保護者会だのなんだの召集があるだろう。いま騒いだからといって何がどうなるわけでもない。 全く、この男は、それくらいのことがわからないのだろうか。 私が興味を示さないとわかったからか、梅田は自分のデスクに戻って書類を作りはじめた。日付と数量を打ち直してファックスするだけで自分の給料が出るのだから呑気なものだ。 私は新商品のパンフレットと見積書をカバンに詰め込んだ。この契約は部下に任せておけない。そろそろ出かけよう。 |
部下に任せずに自ら出向いた売り込みだが、結果は芳しくなかった。 全く、狸親父め。私は心の中で悪態をつかずにいられなかった。 見積書をお預かりして検討させて頂きます、ときた。 これ以上安くすれば、商品の質を落とすしかない。納入後のメンテナンスも精いっぱい値引きしている。ライバル社がこれほどの値引きをしているとも思えないし、既に手を引いているとの独自情報もある。 本気で契約する気があるのか? やれやれ。 簡単に取れる契約とも思っていなかったが、さほど苦労するとも考えていなかった。取引の規模もさほど大きくない。が、相手先は老舗で堅実だ。押さえておけば「安定した売り上げの一角」を担う事になる。成約にこぎつけて、「目の付け所が違うだろう?」とでも言えば部下にもしめしがつく。 そう考えていたのだが、甘かったようだ。私の営業黄金期は終わったのかもしれないなとふと弱気にすらなってしまった。 私は車を路肩に止め、携帯電話を手にした。「このまま直帰する」と伝えるつもりだったのだ。社の方になにか特別な事が無ければの話であるが。タイミングを見計らったように、着メロが鳴る。会社からだった。 「なんだ?」 阿部という部下からだった。それなりに目をかけていた奴だ。有能なのだが、最近どうもてこずっているらしい。新規の契約が取れない。 「お前には特別に課長裁量のところまで自由にやれ、と言ったはずだぞ」 阿部は、一度一緒に来てください、と言った。 「俺が今さら行って何になる。お前は俺の裁量を使い切ってるんだろう? 俺が行って、契約内容が何も変わらなければ、相手は機嫌を損ねるだけじゃないのか?」 「それはそうですが・・・・」 「いいか、組織の歯車になるな。お前はお前の個性とか人間性とかを生かして、口説き落とすんだ。相手に『阿部さんだから契約させていただきました』って言わせるんだ。いいな」 阿部はがんばります、と言った。 |
私は面倒なことが嫌いだ。 だから、ほとんどの部下に課長裁量まで使いきれ、と言ってある。 弱音を吐いた部下に「組織の歯車になるな」というのは私の殺し文句でもある。 これで契約が成立すればそれで良し、うまくいかなくても悔やむことは無い。もとはゼロだったのだ。 わざわざ私が出張って行ったからといって取れないものが取れるわけではない。課長なんぞ契約のときに挨拶に顔を出せばいい。 |
私はなんだかイヤな感じがして、直帰を中止し社に戻ることにした。このイヤな感じを察知できるかどうかもサラリーマンに必要なセンスだ。案の定、部長から呼び出しがあったとメモが机の上に載っていた。直帰してれば部長の呼び出しを無視したことになってしまう。社に戻ってよかった。 営業部長の坂崎は、本社に3課ある営業課を総括し、かつ営業本部長も兼任している。営業担当の取締役でもあり、常務の席が近いという噂もある。だから色々と神経を回している。腹心の3人を部長補佐にし、3課ある営業課に睨みを利かせていた。 取締役室を訪ねると、坂崎は言った。 「キミの子供の通う学校で、いじめによる自殺騒動があったそうじゃないか」 「はい。外回りの最中にカーラジオのニュースで聞きました。自殺があったと報道されているだけで、マスコミにはまだ詳しいことは何もわかっていないようです」 「自宅には何か連絡が入っていないのか?」 「妻からの連絡はありません」 「うむ・・・・」 部長は天井を見上げて腕組みをした。 「なにかあったらすぐに知らせたまえ」 「なにか、と言われますと」 「なにか、は、なにか、だ。いいな」 「はい」 いやらしい男だと思った。万が一、このいじめに私の息子が関わっていたら、その父親が自分の部下ということになる。あるいは、私の息子もいじめのターゲットにされていていずれ自殺でもしようものなら・・・。そんなことに思いをめぐらせたに違いない。それらが出世の妨げになってはかなわないとでも考えているのだろう。 |
部署に戻ると、阿部が同僚に弱音を吐いているらしかった。 うまくいかなかったのだろう。 それとも、私の悪口でも言っていたのか、私の姿を認めると立ち話をやめ、そそくさと自分の席に戻って行った。 そろそろ「お前には課長裁量まで任せる」だの「組織の歯車になるな」だのに神通力がなくなってきたのかもしれない。ほとんどの部下にそう言っているのだから仕方あるまい。課長はいざという時にも手を差し伸べてくれない、などと私の悪口も広まっているのだろう。 それならそれでいい。 私の悪口を言ったところで、部下達は私から逃れることは出来ない。せいぜい次の人事異動を期待するだけだ。 自ら動くのが面倒くさいのは事実だが、営業は最初から最後まで一人でやりとげるべきだと思っている。そうすることで名前が、顔が、看板になる。取引先の担当者に自分を深く印象付けることが出来る。こうして太いパイプで結ばれた関係は長続きする。だから今さら私は方針を変える気はない。哲学として私はこうしているのだ。 私の哲学を理解するか、それとも自分が楽をするための詭弁だととるかは、それぞれの人間の才覚だ。 ダメな奴はだめなまま一生を終えるがいい。その程度のことで会社は傾かない。 |
帰宅途中の車の中でラジオのニュースを聞く。 亡くなったのは、蓑田貞夫といい、息子と同じ中学2年生だった。私はこのニュースではじめて自殺した子の名前を知った。 息子の通う中学校での自殺騒動には続報がなされていた。 遺書が見つかった、というのだ。 それによるとやはりいじめが原因で、一部の生徒の名前も書かれているという。 ならば、早く真実を究明して欲しいものだ。 それにこの報道によると「遺書が見つかって、『やはり』いじめが原因らしいとわかった」というのだから、それまでは自殺の原因はいじめらしいという類推でしかなかったのだ。 では、なぜそんな類推や憶測が流れたのか。 誰かがいじめの現場を見たとか、公然と行われていたとか、そういうことであろう。 いじめの事実が既に学校現場では認識されていたのだ。いじめの存在を把握していたのに学校側は手を打たなかったということの証である。 学校の手落ちだなと私は思った。 |