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「そんな馬鹿な話があるか! うちの真人に限って!」 私はそう叫びそうになった。 けれど、「うちの子に限って」などと口にするのは、いかにも恥ずかしいことである。私は思いとどまった。 しかし、妻が私のかわりに叫んだ。 「先生、真人はね、蓑田君て子が自殺をしたその日から、ショックで塞ぎこんでいるくらいなんです。真人が自殺に追いやったなんてことはありえません」 「相手を自殺に追い込もうなどと思っていじめる子はいません。みんな、軽い気持で、冗談半分で、面白がってするものなのです。その結果、自殺ということになればいじめた張本人が落ち込むのは普通の反応じゃないでしょうか。ショックで塞ぎこんでいるからいじめなどしていない、というのは当てはまりません。むしろ、いじめていたからそういう風になるのだと解釈するのが自然です」 私は担任教師の断定口調にいささかムッとした。 それ以外にありえませんとばかり言い切り、他者の言葉を聞こうとしないのは、いかにも教師らしい態度だった。もっとも、悪い意味で、だが。 いじめがあったのも、そのことが原因でその子が自殺したのも、これは事実かもしれない。だからといって、「あなたのお子さんのせいですよ」と言われて、黙っている親がいるものか。 「真人が、真人が、そんな、そんなこと、・・・・するわけが、そんな・・・・、何かの間違いです・・・」 妻はいくつかの言葉を途切れ途切れに発しながら徐々に感情を激させ、やがてワッと泣きながらテーブルに顔を突っ伏した。 お茶汲みのための小さなテーブルで、あちこちにシミがついていた。 そのいかにもうらぶれた机が私をみじめな気持にさせた。 |
「自殺の原因はいじめだと断定できるのですか?」と、私は質問した。 この時の私の精神状態は、こうである。 担任教師が親を呼び出してまではっきり宣言するのだから、真人が自殺した子をいじめていたのは、ほぼ間違いないだろう。だが、殺人を犯したわけではない。 にもかかわらず、一方的に「あなたのお子さんが悪いのです」とでも言わんばかりの教師の態度が気に入らなかった。 学校側には責任は無いのか? もし、いじめの事実を学校側が認識していなかったのなら学校側の管理責任が問われなくてはならないし、いじめを認識していながら自殺者を出したというのであれば適切な生徒指導ができていなかったことになる。 いずれにしても学校が責任を回避することは免れないはずだ。 |
「遺書が残されていました」 「そのことはニュースでもききました」 「そうですか」 「しかし、遺書の中身までは報道されていません」 「警察と協議をして遺書の中身は公表されないことになりました」 「そこに、真人の名前でもあったのでしょうか」 「はい。数人の名前がはっきりと」 鼻をすする音だけをさせていた妻が、突然、口を開いた。 「嘘。そんなの嘘です! もし、本当だと言うなら、それを見せてください!」 「今のところ、それは警察の手にありますから、実物は無理ですが・・・・。どうしてもと言うのなら、コピーがあります」 「見せていただきましょう」と、私は言った。 いったん席を立った教師が持ってきたのは、A4の用紙一枚だった。 「お待たせしました。ちょっと手を入れていたものですから」 手を入れるとはどういうことかと思ったが、差し出されたコピーを見て合点がいった。文面が真っ黒に塗りつぶされているのである。そして、唯一残された場所に、「萩原真人」の名前があった。 「な、何ですか、これは!」 妻の表情が険しくなった。 「こんなものでどうして真人がいじめの張本人だと判断できるんですか。ひどい、ひどすぎます。これじゃあまるで、私達に言いがかりをつけるために細工されたようなものじゃありませんか!」 声を荒立てる妻の名を私はそっと呼び、肩に手を置いた。 「他の生徒の名前も書かれています。警察の調査も終わっていません。ご遺族の許可もありません。今はこれしか……」 教師は渋い顔をした。その意味を私はつかみあぐねていた。全ての文面を明らかにしたら、おたくのお子さんのやったことがあからさまになるのですよ、でもそれが出来なくて残念だ。そういうことなのだろうか。それとも、私たちの知りたいことの全てをお教えすることが出来なくて申し訳ありません、なのだろうか。 私は前者のような気がしたが、それではあまりにも自分がひねているようで、もう考えないことにした。 私は話題を変えることにした。 「自殺、そして発見された遺書。それまでいじめのあったことを学校は知らなかったのですか?」 「知らない、ということではありませんでしたが」 「こんなことになる前に手を打てなかったんですか?」 「蓑田君が教師に報告や相談をする、ということはありませんでした。いじめの現場を教師が目撃することもありませんでした。噂、に近い状態でしたから」 「じゃあ、誰が誰をいじめていたのか、全く学校側はつかんでいなかったと?」 「いえ、先ほども申し上げたように、全く、というわけではありません」 「どうして当事者を呼び出して、問いたださなかったんです?」 「噂だけでそこまでは出来ませんよ。人権というものがあります」 「つまり、教育現場で不適切なことがあるという噂を耳にしたにも関わらず、学校側はなんら対応をしなかった、ということですね」 「とんでもありません。なんら対応をしていないなどということは」 「では、どのようなことをされたのでしょう?」 「全校集会やホームルームなどで注意を促しました」 「それは、一般論として、でしょう?」 「一般論としても注意をしましたし、そのようなことがあれば知らせるようにとも言いました」 「つまり、あなたはそれで十分だったと思ってらっしゃる」 「十分だとは思っていません。しかし、できることは全てやったつもりです」 「もう結構」 私は音を立てて立ち上がった。 「行こう。もう何も話すことはない」 「ちょっと待ってください」 それまで穏やかに喋っていた担任教師は、私が立ち上がるのを見て、急に語調をこわばらせた。 「まるであなたは、全ての責任が学校にあるような言いぶりだ。あなたのお子さんは何も悪くない、あなたがたがこれまで施してきた教育も全く問題などなかった。そう思っておられるんでしょう。そのような甘い認識しかお持ちでないから、お宅のお子さんはいじめなんかするんだ!」 私は神経がスーッと冷たくなっていくのを感じた。怒りすら沸いて来なかった。氷のように感情が冷えていった。 「いや、本当にもう結構ですよ。これ以上何を話しても無駄のようだ」 さあ、行こう、と私は妻を促した。 |
退出する私と妻の背中に、「ちょっと待ちなさい。話はまだ終わって・・・」と、担任のあがきが聞こえたが、後ろ手にドアを閉めて立ち去る我々を彼は追っては来なかった。結局、彼は何を言いたかったのだろうと私は思った。「あなたのお子さんのいじめが原因で級友が自殺したのです」と伝えたかっただけなのだろうか? そうではないような気がした。よくわからなかった。 給湯室から出ると、会議室にいた二組の夫婦と1人の母親が私と妻を見た。彼らはこれから担任と面談するであろう3人の生徒の保護者達のようだ。 給湯室での私達の担任教師とのやりとりは、最初は会議室には伝わらなかったろうが、お互いが声を高めた部分については聞こえていたに違いない。そして、ここに呼び出されているのは「いじめに加担した」生徒の親なのだと悟ったはずだ。 これから彼らは「あなたのお子さんがクラスメイトを死へ追いやったのですよ」と宣告されるのである。このうち何人が、「学校は責任は放棄して、我々だけを責めるのですね」と毅然とした態度がとれるだろうか。そう思うと私は彼らが気の毒になった。 会議室から廊下に出ようとした所で、後ろから声がかかった。 「あの、お名前、を」 私は振り返ったが、誰がその声を発したのかわからなかった。 「2組の萩原と申します」 私は誰ともなしに言って、頭を下げた。 「被害者の会」などというものよくを聞くが、この調子では我々で「加害者の会」でも結成しなくてはならないのではないかとすら思えるのだった。 みじめだった。 私をみじめにさせたのは、彼らの私に対する視線だった。まるで「お互い傷を舐めあう仲ですね」と語りかけられているかのようだった。我々に少なからず非があるのは確かだが、だからといって、何かに怯えた小動物が肩を寄せ合うようにしなくてはならないのかと思うと、みじめ以外の何物でもなかった。 「お前は人様の子を死へ追いやったいじめの張本人の親だ。殺人者の親だ」と罵られる方がよほどマシだと思った。 息子の所属する教室に行くと、真人をはじめ4人の生徒がいた。 何かを喋るでもなく、するでもなく、ただぽつんと椅子に座って、それぞれが異なる方向を向いている。学年主任とやらも教壇の横に椅子を持ち出してただ黙って座っているだけだった。 「真人、帰ろう」 私は息子に声をかけた。 真人は何も言わずに立ち上がった。 「あなたは、萩原君の?」と、学年主任が私に向かって言う。 「父です」 「ああ、面談は終わられたんですね。ご苦労様でした。お引取り頂いて結構です」 なるほどな、と私は思った。 ようするに、真人達ここに集められた生徒は、問題児である。その問題児の両親を学校に呼び出す。その間、問題児を監視する者がいなくなる。よって、学校に一緒に呼び出し、教師の管理下においておこうということだったのだ。 下司なやり方だ。 |
学校を出た真人は無口だった。 私も何も喋らなかったし、妻はまるで言葉を失ったかのようだった。 まっすぐ家への道のりを辿りながら、途中で何人もの通行人を追い越した。 振り返ると、真人も妻も、私と同じスピードで歩いていた。 普段は次々と人を追い越すような速度で歩くことはない。早く帰宅せねばならない事情など何も無かったが、ともかく我々だけの巣へ戻りたいという焦げつくような思いが私達を支配していた。 どんなに足早に歩いても、トボトボ歩いているような惨めな想いが消えなかった。 「と、とうさん・・・」 真人に呼ばれて、私は立ち止まり振り返った。 「なんだ?」 ぶっきらぼうな返事だったが、口調は努めてソフトを装ったつもりだ。 「どんなことを言われた?」 「おまえも中2だ。想像はつくだろう」 「あ、はい・・・」 生意気盛りの年齢だ。「ああ」と答えるつもりだったのだろう。だが、途中で「はい」と言い直した。自分が原因であることを身に染みて感じているのだ。 「なら、いいじゃないか」 「うん・・・」 はい、の次は、うん、か。 すっかり気弱になってガキに逆戻りだな。今の真人に頼るべきものは親しかない。 いつもの生意気な態度が「いい加減、俺を一人前だと認めろよ」という自己主張の発露だとすれば、それがすっかり無くなって子供に戻ってしまった真人は、私にとってはただもう哀れな存在でしかない。 「僕はこれからどうしたらいい?」 「そうだな」 私は再びゆっくりと歩き始めた。真人も私の歩調に合わせてついてくる。その後ろから私と真人をしっかりと見つめる妻の視線を感じた。 「これから考えよう。急いでも仕方ない」 真人は返事をしなかった。 「数学じゃないんだ。公式も無い。正解も無い。お前は答えが出ればらくになれると思っているのかもしれないが、世の中には答えのないことの方が多い」 今度は「はい」と息子は返事をした。 |
その夜は真人の好物であるピザを配達してもらった。 食べ盛りの中学生と働き盛りの中年を擁する我が家では、3人で5人前は食べる。ピザの他に、フライドポテトやチキンナゲットなどのサイドメニューも取り揃え、デザートにアイスクリームも注文した。 「どうして・・・?」 真人は不思議そうな顔をした。 食事抜きの罰を与えられても仕方ない立場なのに、豪勢に出前が並んだ食卓に、真人は恐縮した。 「食え。基本だ」と、私は言った。 今夜の夕食に関して、私は何も言っていない。妻の一存でやったことだ。だが、私には妻の気持が痛いほどわかった。食べることは生きることの基本である。何かをするにしても、考えるにしても、まずは食べることだ。気持ちが萎縮しているときほど食べなくてはならない。 「うん。食べる」と、真人は言った。 もとより食欲など沸いていなかったであろう。だが、真人は食べた。精神が落ち込んでいても、腹は減る。ただそれを空腹と認識する余裕が無いだけだ。食べれば食べられる。 しかし、それだけではなかっただろう。母親の気持が真人にも伝わったのだ。多少の無理はしたかもしれない。とにかく真人は食べた。 |
「ごちそうさま、ありがとう」と、真人は言った。 そして、「部屋に戻っても、いい?」と、私に訊いた。 「ああ。構わん」 「え、ちょっと、アナタ・・・」 妻は夕食後にいわゆる家族会議みたいなものをしたかったんだなと私は思ったが、「少しづつでいい。これからのことを考えよう。今日はもうこれでいい」と、私は言った。 「そうね」と妻も同意した。 結局のところ、家族3人で深刻な顔を付き合わせたって何も結論は出ない。妻だってそれはわかっている。ただ、何もしなくていいのか、という焦りがあるだけなのだ。 |
真人は食卓を立ったが、私と妻は座ったままだった。 妻は取り皿を片付けることも、ゴミをすてることもせず、じっとしていた。 「真人、ちゃんと食べたじゃないか」 「それだけが、救いだわ」と、彼女は言った。 「コーヒーでもいれてくれないか」 「そうね」 |