アスワンの王子
迷宮の1 愛の旅立ち






 「鼠のデイパック?」
 くすんだ灰色の小さなザックを、ヨウシャはコリナから受け取った。
「そう、鼠のデイパックよ。これをあげる」
「ありがとう」
 鼠と聞いてはなんだか気味が悪かったが、コリナの誇らしげな、だがどこか寂しげな表情が、ヨウシャに「ありがたく受け取ろう」という気持を芽生えさせた。
 これはとてもいいものよ、ホントは手放したくないんだけど。でも、あなたにならあげる。
 コリナはそう言っているようだった。
「もしかして、とても大切なものじゃないの?」
「ええ、とても大切なものよ。だけど、どうでもいいものでもあるの」
 コリナはヨウシャに、鼠のデイパックのいわれを語った。
 コリナが売春婦になろうと決意したとき、その前に普通の乙女として、純粋な気持ちを忘れないうちに、旅に出ようと思った。
 売春婦になれば登録される。そうすれば純粋な気持ちで旅をすることはできないから、今のうちに行っておくといいと、先輩の売春婦からも勧められた。
 どうして純粋な気持ちでいられないのか。
 登録されたからと言っても、コリナのことを誰も知らない始めての町で、コリナが売春婦であることを知る者はいないし、普通に旅をすればいい。本来ならそうなのだが、「売札交換所」の役人は転勤があるから、コリナのことをそれと知る役人にどこで出会うとも限らない。可能性としては高くない。しかしゼロではない。
 売春婦であることが人に知られたところでどうということはない。ただの旅人だ。
 にも関わらず、どうしても人目を気にしてしまう。その気持こそが、「純」を失ったということなのだと、先輩は言った。
 コリナは旅に出た。
 その先で、怪しげな露天商から買ったのが、この「奇跡の鼠のデイパック」だった。鼠の皮で作った製品なんてほとんど出回っていないから、相場がわからない。高いのか、お買い得なのかなど判断できなかった。
 露天商は道端に粗末な敷物を敷き、その上に座り込んで、商売をしていた。品物はこの「鼠のデイパック」がひとつだけだった。
 最初は露天商の持ち物だと思った。そう、その人を商売人だとすら思えなかった。散歩中に疲れたのでシートを敷き、荷物を横に下ろして座り込んでいる。そんな風情だったのだ。
 前を通り過ぎようとして、コリナは呼び止められた。
「お嬢さん、この奇跡の鼠のデイパックを買って行きなさい」と。
 歳をとっているのか、若いのかすら判断できかねる、奇妙な声だった。どこか遠いところから、かすかに、だが、地表全体を包むように、声が振ってきたという。それは細かな霧雨がやさしく身体を包み込むようですらあった。
「普通のデイパックとして使えばいい。大切にしまい込んではダメだ。普段使いに使いなさい。なにかのきっかけでこのデイパックは奇跡を呼ぶ」
とても信じられない。かつがれているだけだ。そう思ったのに、心のどこか奥深いところでコリナは納得していた。
 そして、言われるままに買い求めたのだった。

「で、奇跡は起こったの?」
「いいえ」
「。。。。。。」
「でも、確かに感じるの。このデイパックは奇跡のデイパックだと。頭の中では『でまかせよ』って思うんだけど、心が感覚で奇跡を理解しているの」
「だけど、なにも無かったんでしょう?」
「今まではね。でも、ヨウシャ、あなたが持っていたら、何かが起こりそうな気がする」
「うん。いずれにしても、ザックがそろそろくたびれてきてるから、くれるんなら、もらっていっちゃう」
「そうして。デイパックもそれを望んでいるわ」

 こうしてヨウシャと月光は旅に出た。

 もともと森の中に作られた町だ。家やちいさな畑などが途切れると、そこは再び深い森。鬱蒼と茂った枝葉のために、街道はどことなく薄暗い。
 風で枝葉が揺れると、時々太陽の光がわずかな隙間から地面に届く。その細い光の筋は、しかし、強く地面を照らして輝いてさえいた。察するに、天気は良く、森の懐に抱かれていなければ、かなり熱いに違いない。雨の日も、よほど激しい風雨でない限り、旅人が濡れることはないという。冬は厳しい寒さや風雪からも守ってくれる。
 まさしくこの街道は、大いなる森によって旅人を保護してくれているのだった。
 だがそれも森が切れるまでのこと。そのあとには過酷な砂漠が待っている。
 月光が元気をなくし始めたのは、森が途切れて木々がまばらになり、それら木も次第にその身長を低くして、黒く弾力のあった地面が、固く白く乾いてきた頃だった。「最後の小川」を渡れば、いよいよ荒涼とした本格的な砂漠地帯になる。
 ヨウシャと月光は「最後の小川」に足を突っ込みながら休憩をとった。
「ねえ、大丈夫?」
半ば血の気の引いた顔色の月光に、ヨウシャが問う。
「ああ、なんだか、疲れた。疲れたと言うより、力が入らない」
「どうしたの?」
「クヨンキの紐のせいらしい」
「クヨンキの紐って、ペニスに巻いて呪いを封印しているアレ?」
「別に封印しているわけじゃない。精気を少しずつ奪い、周囲に放出する作用があるだけだ」
「じゃ、じゃあ、月光の元気は、無駄に浪費させられてるの?」
「そうだ。だが仕方ない。これを外せば俺はセックスの妖怪になってしまう。キミとはただ快楽追求のためにだけ交わるだろう。キミだって嫌じゃないはずだ。だけどそれでは、愛を育むことなんてできない」
「妖怪みたいなセックスでもいいじゃない。愛し合えばいいんだから」
「いや、だめだ。妖怪じみた呪いのセックスは愛とは言えない。俺はキミより年上だから、愛のあるセックスがどんなものかわかっているつもりだ」
 ヨウシャは少しムッとした。それならわたしは、ただの淫乱だって事? 違う。わたしだって、アクアロスとの甘くせつないセックスを知っている。
 だけど。。。。
 いつの間にか恋人との交わりのような、何とも言えない心の安らぎを、セックスから得ることはなくなっていた。
 いずれにせよ、愛し合う者同士が交わらなければ、ノモキスの迷宮への入り口は開かない。入り口が開かなければ、その中に湧く清水は飲むことができない。
「わかったわ。わたしが愛のあるセックスを知らないみたいに思われてるのは心外だけど、とにかくここは、精気を失いながらも頑張らなくちゃいけないわけね」
「そうだ」
「じゃあ、ともかく休みましょう。この小川の水、冷たくて結構美味しいわ。元気が出るわよ」
「ああ」
 正味水が流れている部分の幅は、1メートルあるかないか、その両側は大小取り混ぜた石がごろごろしている河原で、それを含めても2メートル程度の幅しかない。水の深さは真ん中でも膝くらい。月光はズボンをまくり上げて「最後の小川」をゆっくりと往復したあと、それを眺めていたヨウシャの横に座った。
「ふう」と、月光は深くため息をつく。
「疲れたのね?」
「そう。。。かもな」
昨夜の妖怪じみたセックスを繰り広げていたときとは別人のようだ。
「今夜はもうここで野宿しようか?」と、ヨウシャは提案する。
「いや、しかし、この先三日も歩かないといけない。少し休んだら、ちょっとでも先へ進もう」
「無理して、少しくらい先に進んでも一緒だよ。別に、5日かかってもいいじゃない。倒れたら何にもならない」
「ありがとう。だけど、ここに野宿するかどうかは、少し休んでから決めよう」
「いいわ、もちろん」
 月光はそっと瞼を閉じ、ヨウシャに軽くもたれかかった。
 その体重の重みと、体温の温もりを、ヨウシャは心地いいと感じた。やがてヨウシャに預けた月光の身体からふっと力が抜ける。月光は寝息を立て始めた。

 月光が目を覚ましたとき、日は傾き始めていた。
 まぶしい西日は地平線の下へ潜り込んでいて、地上に残った昼の陽の名残はもうわずかしか残っていない。夕暮れから夜に向かってこの世が色彩を失っていくのとは反対に、月光は体力を回復したらしく、頬に赤味がさしていた。
「どお?」
ヨウシャが優しく耳元でささやく。
「大丈夫。数時間前まで疲れ果ててたのが嘘みたいだ」
「よかった」
「ああ、ありがとう。でも、本当にここで野宿するより仕方ないな」
「そうね」
 砂漠に出れば、一定間隔をおいて、旅人が一夜を過ごすための小屋が点在する。粘土を焼いて作った煉瓦を組んで「壁と屋根」をしつらえただけの小屋だったが、砂漠の夜は急激に気温が下がるし、毒虫の脅威もある。粗末でも旅人には必要な小屋だった。
 一方、ヨウシャと月光がいるのは、果てとはいえ森の中。ここでは盗賊の心配もなければ、毒虫もいない。安心して野宿をすることが出来る。
「そうと決まれば、晩ご飯だ」
 月光は薪を集めて河原の出来るだけ傾斜の少ない場所に放射状に並べ、さらにその上に同心円状に薪を組んだ。薪に巧みに火をつけて、炎が安定すると、平べったい石を探してきて薪の上に載せた。
「どうするの?」
「乾燥食料をかじるだけじゃ味気ないだろ。火を使えるときはちょっと調理しよう」
 革袋に水を汲んで、中に乾燥食料を放り込む。
 石が温まった頃には、乾燥食料も充分水分を吸っていた。
「乾燥前の生の状態そのままというわけにはいかないが、こうすればまずまず食べられる」
 戻された肉や野菜が、焼けた石の上に載せられる。ジュ、という音と、立ちのぼる水蒸気。たちこめるいい匂いに、ヨウシャは急に空腹を覚えた。
 さらに月光は、ザックからバケットを取りだして2センチほどの厚さにスライスし、なにかペースト状のものを表面に塗りつけると、バケットを枝にさして、火の周囲の地面に突き刺した。こうしてバケットは炎でじわじわ暖められる。
 ささやかだが、アイディアで贅沢になった晩餐を二人は楽しんだ。
 のどが渇くと、小川の水をすくって飲んだ。これが冷涼で喉を洗い流し、とても美味しい水だった。
 周囲がすっかり暗くなる頃、二人は食事を終えた。残り火がかすかにくすぶっている他は、全く明かりがない。
 月光の手が、ヨウシャの肩を抱き、引き寄せた。
「今日はありがとな。俺が足手まといになっているな」
「そんなことない。今まで、一人で旅をしていたから気付かなかったけれど、誰かが一緒にいてくれているのって、とても心強い」
「こんな俺でも?」
「もちろんよ」
 月光はヨウシャの肩に回した手に力を入れて、引き寄せる。
 ヨウシャも身体の力を抜いて、それに応じた。
 相手の目が、自分の目の前にある。
 少し見つめ合って、それから唇と唇が接近し、二人は目を閉じた。
 重なり合う柔らかで暖かい感触。
(ア、アクアロス。。。。)
ヨウシャは旅に出て初めて、恋人以外の男の人に触れながら、恋人のことを思いだした。
(ごめんね。あなた以外の人と)
 さんざん淫乱なセックスをしておきながら今更こんなことを思うなんて。
 身体ではなくて、心が官能しているからだと、ヨウシャはまだ気が付かない。
 月光が舌をネットリと絡めてくる。アクアロスに(悪いな)と感じながらも、ヨウシャは心の襞の震えを押さえることが出来なかった。されるがままに任せる心地よさに酔いしれる。
 手が胸に。
 乳房全体を掌で軽く圧迫しながら、時折乳首にかすかに指先が触れた。指紋の凹凸が感じられるほどのソフトタッチ。その指がわずかに動いただけで、ヨウシャの乳首は敏感に反応した。触っているかどうかわからないほどの小さな刺激が、かえって感度を高めてしまう。
「あ、ああん」
気持ちよさのあまりよがり声をあげそうになるその瞬間、月光は乱暴に乳房を掴んだ。
「い、いやあ〜」
 優しい行為から乱暴な行為への急激な変化に、思わず叫び声をあげるヨウシャ。だが、叫び終わる頃には、得も言われぬ快感に包まれている。緩急のあるバストへの愛撫に、ヨウシャはすっかり興奮を高められていた。
 ヴァギナがうずく。早く、ぐちゃぐちゃにいじりくりまわして欲しいと、身体が訴える。
 月光の顔を見ると、月光はなんだかまだちょっと冷静そうな表情だ。
 ヨウシャはいったん月光から身を放し、ズボンの上から、手を添えた。いや、手を添えるまでもない。そこは、ドンといきり立っていて、かちんかちんだった。
「してくれる?」と、月光。
「うん」と、ヨウシャ。
月光はズボンを脱ぎ、ついで上半身も裸になった。それを待つ間に、ヨウシャも脱ぐことにする。
 雲が切れ、顔を出した月は、新月を終えたばかりで、華奢な弓のようだ。
「全部脱いだわ」
 ヨウシャの身体が闇の中で、微妙に輪郭線を浮かび上がらせている。申し訳程度の月の光のおかげだろう。満月だとこんなに神秘的にはならない。
「月だ」と、月光。
 月光は仁王立ちになり、ヨウシャは月光をくわえようと、腰をかがめた。
「なんだか、気のせいかも知れないけど、さっきより大きくなっていない? そりゃ、さっきは服を着たままだったから、チャンと比べた訳じゃないけど」
「ああ、大きくなってるよ。俺の名前の由来と関係があるんだ」
「げ、月光?」
 そういえば、さっき雲が切れて、わずかとはいえ月の光が地上に降り注ぎ始めた。
「月の、光?」
「そう、我が一族は月の光より生命エネルギーをえてるんだ」
「じゃあ。月の光を浴びないと死んでしまう?」
「そんなことない。俺達一族だって、食べて、寝て、普通に生活している人間だよ」
「じゃあ、月の光って?」
「ちょっとむつかしいかな。生命エネルギー。生命力とも言うよ。生きようとする、命あるものが本来的に持っている力、というか、生きようとする積極的な意志のことだよ」
「じゃあ、それがなくなるとどうなるの?」
「気分が鬱になったり、行動をするのが面倒くさくなったり、脱力感と無力感に襲われる。思考能力が低下して、ぼんやりしてくる。食欲が落ちて、結果体力も落ちるが、そのことに気が付かない。どんどん生命力が低下して、抜け殻のようになってしまう」
「じゃあ、月の光を浴びて、元気になったのね?」
「そう」
 ヨウシャはペニスを右手で掴み、丁寧に舌で舐めた。ゆっくりとしたスピードで、だが確実にラブジュースがペニスの先からわき出してくる。それを舌ですくい、亀頭全体に塗りつけるように舌を動かした。
 う、とか、いい、とか時折月光が声を発する。
 左手の掌を玉を支えるようにあてがい、やわらかくもむ。月光の興奮度が急上昇し、ペニスがピクピクと反応する。
 ヨウシャはそれが嬉しくて、ペニスを深くくわえたり、吸ったりした。のどの奥を塞ぐ感覚に時折むせそうになるけれど、愛しいものを身近に感じて、苦しさなんかすぐに忘れてしまう。
「だめだ」
ガクッと、月光はその場に腰を落とした。快感のために立っていられなくなったのだ。
 足を前へ投げ出し、後ろに両手をついて、月光は地面に座る。
 ヨウシャは月光の両足を持ち上げて、そのまま月光の頭の後ろまで持っていった。
 アナルまで丸見えになる。
 竿の先からアナルまで、何度も何度も舌を往復させる。月光の腹筋がヒクヒクしているのがわかる。全裸の月光に月の光が注ぎ込まれ、ますます月光のは大きく固くなっていく。
 ペニスの根本にはクヨンキの樹皮で作られた紐がまかれている。多少の伸縮性はあるらしく、怒張したペニスの付け根にピタリと張り付いている。が、いかにも頼りなげで、今にも切れるのではないかと、ヨウシャはハラハラした。
 余計な心配かも知れないが、そうでないかも知れない。
 万が一を考えれば、あまり紐に負担がかからないうちに、フィニッシュに持ち込んだ方がいいだろう。
 もうすこし弄ばれていたかったけれど、「入れて」とヨウシャは催促した。
 四つん這いになってお尻を突き出す。
「わかった」
月光は腰の位置を落として、ヨウシャの中に入った。
 ヨウシャの身体はもう充分受け入れ態勢が整っていたとみえ、熟れて濡れたヴァギナは太くて固い月光を受け入れた。
 何度かゆっくり月光がピストンすると、ヨウシャはもう恍惚にとらわれている。
 息が激しくなり、言葉にならない言葉が出る。
「いいのか? このまま最後まで?」
月光が言った。
「もちろんよ」と、ヨウシャが答える。
いったん月光はヨウシャの中に自分のものを深く突き立てた。
 そしていよいよ、フィニッシュに向かって激しくピストンをしようとした、まさにその時。
 ヨウシャの身体に異変が起こった。
 巨大イチゴの禁断症状が現れたのだ。
 その苦痛がどんなものか、月光には計り知れない。
 膝と肘を崩し、地面に伏しながら、苦悶の声を上げる。小刻みに始まった痙攣が急激に激しくなる。正しくはそれは痙攣ではない。苦痛のために身体が震えているだけだ。それが見るものにはまるで痙攣のように映る。
 それでもヨウシャと月光の性器はつながったままだ。
 驚いた月光が抜こうとしたが抜けないのだ。それどころか今までに増して激しく月光を締め付けた。河原にうつぶせになったヨウシャの上に、つながったままの月光が覆い被さるような体制。
 月光にはわかっていた。禁断症状を解消するには、少量のイチゴを与えればいい。
 だが、身動きのとれない月光。
 ヨウシャの膣が、苦悶のためか、恍惚のためか、奇妙な動きを開始した。太く張りつめたペニスと、それを締め付けるヴァギナ。そこに動きは存在しないはずだった。だが、ヨウシャのヴァギナは波打つような運動を始めたのだ。
 これで感じないわけがない。
 深く結合したままで摩擦から得る快感を享受できるのだ。意識的にこれを行うことが出来ればまさしく奥義。月光は全ての意識を開放した。
 ヨウシャが禁断症状で苦しんでいることはもちろん、自分がセックスしていることも自覚できない状態だ。おかげでアッという間に射精に導かれ、ヨウシャから離れることが出来た。
 背中にのしかかっていた月光の体重が無くなると、ヨウシャの華奢な身体は激しい苦痛のために飛び跳ねた。
 苦悶の表情が見て取れる。
 月光は自分のザックをつかむ。イチゴを取り出す。スプーンでその実の一部をこそげ取る。
 ヨウシャの元にとって返して、ヨウシャを押さえつけ、イチゴを口の中にねじ込んだ。
 ヨウシャは間もなく落ち着きを取り戻し、また、歪んだ表情もしだいに元に戻ってゆく。
 荒かった息が整うのに、どれくらいの時間を要しただろう。
「ふう、助かった、ありがとう」
 ヨウシャが言葉を発し、月光は深くため息をついた。月光はそれまで息をするのを忘れていたんじゃないかとさえ思った。

 「で、俺は太陽の神と契約したんだ」
と、月光は言った。
 なかなか寝付けなかった二人は、あれからボソボソとお互いのこと語り始めていた。
 傍らには、小川からすくった水の入ったマグカップ。冷涼で甘美な水が、酒以上に二人の雰囲気をくつろがせる。かすかな酔いが、辺り一面に広がったような錯覚すら覚えた。
 酒なら、飲んでいる二人だけがまわりの世界から切り離されて酔ってしまう。だが、この水はそうではない。二人を取り巻く全てのものを酔わせている。そして、ヨウシャと月光を包んでいるのだ。
「月だけではなく、太陽からも生命力がもらえるという契約だ」
「だったら、どうして昼間は元気が無く、月が出た途端にパワーが増したの?」
「騙されたんだ。俺が太陽の神だと思っていたそいつは。。。。」
「太陽の神ではなかった?」
「そう」
「じゃあ、何だったの?」
「実は、...言いにくいんだけど、君たちの一族を守護する、淫から生命力を授けることを司る神だったんだ」
「私達を守護する?」
「そう。キミは何もなくて、突然セックスの虜になってしまったんだと思っている?」
「ううん。そういう血筋だって、お母さんに聞かされた」
「そう、それだよ」
 月光の血筋、太陽光の血筋、淫の血筋、その他にいくつもの特殊な血筋が存在するという。
 それは運命であり、受け入れ、昇華し、そして生きなくてはならない。
「じゃあ、あなたは、私達の血筋によって、騙され、呪いをかけられたの?」
「まあね。だからって、キミのせいだとも思ってないし、当然恨んでもない。それどころか、こうして一緒に旅してくれて、ありがたいと思ってるよ」

 (わたしは月光と因縁があった。それも、お互いの運命をも司る因縁が)
 だけど、どうして、私達の血筋の守護神が、月光の血筋のものに、のろいなどかけたのだろう。
 それに、契約って、何だろう。
 契約という限りは、ギブアンドテイク。太陽光の神から、生命力を与えてもらう代わりに、月光は何を渡したのだろう?
 その何かが欲しいために、淫の神は「太陽光の神」を名乗り、月光を騙し、そして奪い、さらに呪いまでかけてしまった。
 ヨウシャにはわからない。
 そもそも、神だの生命力だの言われても、ピンとこない。
 ただ、ヨウシャは旅に出ていつの頃からか、宇宙を感じるようになっていた。特に、今日。暗闇の中に抱かれると、まわりの全てが大宇宙だと感じる。だから、旅に出る前よりは、少し、神の存在を知覚できるようになってるかも知れない。

 先のことはわからない。
 まずはイチゴの中毒から開放され、そして、月光は呪いを解除する。これが目的だ。
 そしてわたしは、アスワンの王子の元へ急ぐ。
 わかっているのはこれだけだ。


 

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