「ステージの上でセックスはもうしないんですかあ?」 老師の予言通りだった。ヨウシャとロセリが街から戻ると、オリエーと名乗る入団希望の女の子が既に銀竜詩人を訪ねてきており、スズナスの面接を受けているところだった。 「あれ、あたしがやりたかったなあ。あたしだったら、もっともっと凄いことになったって、自信があるんですよ。昨日の人を降ろしてあたしにやらせてもらおうと思ってきたんですけどねえ」 「悪いがヨウシャを舞台から降ろす気はない。ステージでセックスもさせない。そんなことをしなくても、彼女の芸は観客を惹きつけて、官能を植えつけるだろう」 「じゃ、じゃあ、あたしの為に、やってる所を見せる出し物を組んでよ。あたし、セックス大好きなの」 口はばからない娘は、おそらくヨウシャと同年代か、ひょっとしたら年下だろう。たった一枚の薄い布を身体に巻き、胸の上で留めているだけ。肩と腕は完全に露出している。しかも、布はかろうじて足の付け根に届くほどの長さしかなく、下方では留めていないので、はだけて陰毛が見えている。 破廉恥きわまりない姿で、並の女なら「少し頭が弱いんじゃないか」と思わせるところだが、その神々しいほどの美しさと肉体のきらめき、そして自信の現れが、彼女がただものでないことを物語っていた。 髪は短く刈りそろえられ、眉も耳も人目にさらされている。光沢のある肌、紅い瞳、薄い唇。 スズナスの前に立ち、手足をピシッと伸ばしたその緊張ある姿勢は、彼女の艶香にクラクラとなって思わず手を出した男をも跳ね飛ばしてしまいそうだ。 「セックスが好きなら、売春婦にでもなれ」 スズナスとオリエーのやり取りを聞きながら、ヨウシャはオリエーの魂の奥深くに潜んだ計り知れないほどの才能を感じていた。ヨウシャでさえそうなのだから、彼女にどれだけの可能性があるかなどスズナスはとっくに感じていたはずだ。 にもかかわらず、スズナスは態度を硬化させた。 「強がらなくても良いわ。ほら、触らせてあげる。ね、そしたらきっと、あたしの良さがわかるから」 砂糖菓子を蜂蜜で包んだような声を出し、オリエーはスズナスの手を取り、自分の股間に導いた。 「ほお」 スズナスの硬い表情が崩れた。 オリエーの股の間でスズナスの手がどうなっているのか、ヨウシャにはわからない。けれど、スズナスの顔を顔を見れば、それは決してなまなかのテクニックを披露しているのではないということがヨウシャにはわかった。 「俺が間違っていたようだな」 「でしょ?」 「こんなでは、売春婦にもなれまい」 |
その数瞬後には、オリエーはスズナスに抱かれていた。 「あー気持ちよかった。もう、サイコー。ねえ、あたしの男になってよ」 「団員同士の恋愛は禁止されている」 「だって、しちゃったじゃない」 「・・・というのはウソだが、俺達はまあ心の渇きを身体で癒しあってるんだよ」 「って、それ、誰とやってもいいってこと?」 「本人同士が望めば、だが」 「やったあ。あたしのセックスに耐えられる人、何人いるかしら? ちゃんとイカせていくれたらもっといいけどね、あなたみたいに」 オリエーはスズナスの胸に顔をうずめた。 「そんなにすごいの?」と、ロセリが訊いた。 「ああ。入れてるだけで、もみくちゃにされた。この子の穴の中には神と悪魔が住んでいる。普通の男なら2秒ももたないな。その中をガンガン突いてやらないと、この子は感じてくれないし」 「むちゃくちゃ感じたわよ。サイコーだった。ホントよ」と、オリエーはニコニコだ。 「だが、ロセリ、キミほどじゃない」 「ええー!! このお姉さん、もっと凄いの?」 オリエーの驚愕の表情は見物だった。 「いいかい? 我々の芸の厳しさは尋常じゃない。死ぬほど厳しい。いや、死んだ方がマシだって思うことのほうが多い。それに耐えるには、やはり死ぬほど気持ちいいセックスが必要なんだよ」 「じゃ、あたしが必要だってことだね?」 「入団を許可しよう」 「真剣な顔してなにハッタリ吹いてるんだか、ホントに、もう」 ロセリはため息をついた。 「そうなの?」と、ヨウシャ。 「死ぬのは一番楽なことなのよ。だから、死ぬより厳しいっていうのは、全然ちっとも厳しいことじゃないの。生きることのほうがよほど辛く苦しいのに」 なるほど、とヨウシャは思った。 「ようするに、あの子が欲しかっただけなんだわ」 やはり何らかの才能のようなものをスズナスは認めたのだろうとヨウシャは思った。 「手を、見せてくれ」と、スズナス。 「はい」と、小さな澄んだ声で応じるオリエー。 「なんだ、急にしおらしくなって」 「団員になったからには、上の人には従わなくちゃ」 「ほう、古風なんだな」と言いながら、スズナスはオリエーの差し出した手を取った。 「やはりな」 「なにが、やはりなの?」と、ロセリ。 「さっき、オリエーの指先が俺の身体に触れた。それでわかったんだが・・・」 スズナスはオリエーの左手の人差し指を掴んで、ロセリの目の前に突き出した。 「あ!」 オリエーの指先には硬くて厚いタコができていた。 「弦楽器をやってる手だ」と、スズナス。 「まあ、ね」と、ちょっと自慢気にオリエーが言う。 「ちょっと、やってみてくれ」 スズナスは銀竜をオリエーに手渡した。 |
スズナスが奏でる楽器、銀竜。基本的にはギターと同じ構造である。ネックの部分に伝説の生き物「銀竜」があしらってある。但し、弦は5本。フレットも低音部がふたつ少なく小ぶりである。従って、ギターよりも扱いやすいが、難易度の高い曲になると逆に難しくなる。 オリエーは調弦をした。 「弦はあってるぞ」 「ううん、これではやりにくいの」 竜の形をしたネックの先端部分についた「つまみ」をクイクイと回しながら、ときどき弦をはじいては音を確かめる。 ボン、ビン、ビャン、キン、カン。 太い弦はずしんと響いて大地に染み入るようだ。そして、細い弦になればなるほど明るく浮き足立った音色になる。つまみを回しては弦をはじいて、その都度、耳に神経を集中させる。くりかえして同様の行為を行い、ピッタリとした音にしていくのだ。 調弦の為に導き出される音は、もちろんメロディーではない。思い出したように、ポツン、ポツンと奏でられる単音だ。にもかかわらずヨウシャは、その音に惹きこまれていった。そこにはストーリーも主張も何もない。けれど、単体の音そのものが、どんどん研ぎ澄まされていっているのだ。 「これでいいわ」 オリエーは左手でフレットを押さえずに弦を開放したまま、右手を、じゃん、と振り下ろした。5本の弦がいっせいに跳ねて、和音を紡ぐ。ノーマルなチューニングで同様の事をすれば、和音にならない。だが、指の短いオリエーはそのハンディを克服するために、どの弦も押さえない状態でベースの和音が弾けるように特殊な調弦をしたのである。 次にオリエーは、右手の5本の指の隙間を空けて、もう一度手を振った。5本の弦はそれぞれの指で5回ずつかき鳴らされ、わわわわわんっと、広がりを見せた。池に降った雨粒のひとつひとつが次々と水面に波紋を広げ、波紋と波紋が交錯して、そこからまた新たな広がりを見せる。そこへさらに新たな雨粒が落ち、また小さな波が外側へ向かって同心円状に広がってゆく。オリエーの奏でた音は、そんな水面のようだった。 強い風に乳白色の霧が押しやられ、目の前に広がった風景に喜びながらも、風の悪戯にスカートの裾と帽子をとっさに押さえる少女。表情はしかめっつら。けれど、風はだんだん優しくなり、真横に飛び去っていたはずのピンクの花びらは、やがてゆっくり舞い落ちるようになる。 地面の穴から顔を覗かせたモグラ。あら、こんなところに穴があったのね。少女が表情をほころばせる。ああ、こっちにも、あっちにも。 ゆっくりとした、けれど、あきらかな迫力で遠くから何者かが迫ってくる。身体が大きく、獰猛な動物のようだ。いっせいに頭を引っ込めたモグラたち。少女が穴を覗きこんでも、もう気配はない。 それより、わたしも逃げなければ! でも、恐怖で足がすくんでしまった。一歩も動けない。 いつのまにか演奏が始まっていた。チューニングの音色に耳を傾けているうちに、ヨウシャは紡ぎ出される音たちに魅了され、曲が始まったことに気がつかなかったのだ。知らず、眼を閉じれば、脳裏に情景が展開する。 禍々しいリズムと共に現れたのは、異形の怪物だった。 オリエーは右手の掌で5本の弦を「ばじゃああんん」と叩いた。耳の奥に不協和音がひびき、びいいん、びいいんと余韻が残る。 ばじゃああんん、ばじゃああんん、ばじゃああんん。 それと同時に、水晶を銀のスプーンでこづいたような、キラキラと輝く音が、奏でられている。 キラキラ、コロコロ、キラキラ、コロコロ・・・ いつ始まったのかわからないそれは、徐々に音量を増していく。ただしそれは、大音量と言うのではなく、あくまでも、やさしく、つつましやかに。 ばじゃああんん、ばじゃああんん。キラキラ、コロコロ・・・ 不気味に聞こえた筈の「ばじゃああんん」が、徐々に和音として整っていく。叩く瞬間に押さえているフレットの位置が少しずつ変えられているのだ。 どこか現実感に乏しかった「キラキラ、コロコロ」が、しっかりと足のついた音に変化してゆく。これまで左手の指でフレットを強く押さえることで発していた音が、押さえながら右手で弦をはじくというオーソドックスな方法にとって変わられつつあったからだ。 異形の化物は音に合わせて体積を縮小させ、その醜い容姿を愛らしい小動物へと変化した。ウサギだった。どうやら呪いをかけられていたのだろう。 地面からは新しい草花が芽吹き、蕾をつけ、葉を伸ばし、そして色とりどりの花が咲いてゆく。あちらにも、こちらにも。花は少女の周囲から咲き始め、それがどんどん広がっていった。やがて、地平線まで届くお花畑。 草花をかき分けて再びモグラが顔を出し、バッタが跳ね、コオロギが歌い、蝶が舞う。呪いの解けたウサギが蝶を追いかけ、臆病なリスが羨ましそうにそれを見つめる。 ぽかぽかと心地よく恵みを与えてくれる太陽の下で、少女は動物たちの賛歌を聴き、そして、いつのまにか一緒になって歌っていた。 |
演奏を終えたオリエーを、銀竜詩人のメンバーは、情熱のこもった拍手で取り囲んだ。 「すごい、すごいよ、キミ」と、ホトケノは特に感嘆したようだ。 「ふううん、スズナスも色々な音色を出すけれど、ここまでのことが出来るのねえ」と、ロセリも驚きを隠せない。 左手の指で弦を押さえて右手の指ではじく。ただそれだけのことでも、反響が大きく透明感のある音色、ああやはり弦楽器だなと思える標準的な音色、くぐもったような音色、瞬間的に飛び出してあとに余韻を残さない音色。・・・・そして、それぞれの中間的な音色。 それに加えて、右手で弦をはじかずに、左手で弦を押さえ、そして離すだけで音を出す奏法。フレットを、伸ばした指で叩く奏法。左手の指で押さえたフレットの両側を右手の指で弾き、1本の弦から二つの音を同時に出す奏法。弦を爪弾かず、突っつく奏法。 ありとあらゆる技術を自由自在に操って物語を生み出す。それがオリエーの演奏。 「オリエー。お前、初めてじゃないだろう?」 感嘆と賞賛で彼女を取り囲むメンバーの中でタダ一人、スズナスだけが怖い顔をしていた。 「ううん、銀竜ははじめて・・・」と、オリエー。 「銀竜は、はじめて?」 宿の低い天井を見上げたスズナスは、何かを思いついたように目を光らせた。 「そうか、もしかしたら、おまえ、金竜の!」 「うん、あたしが金竜の、正当な継承者なの」 「で、その、金竜は、どこに?」 「わからないわ。失われたの」 「そうか」 スズナスは席を立った。その破廉恥な衣装とは不釣合いなほど真剣なまなざしでスズナスの動きをオリエーはトレースする。 スズナスはひとつの大きな入れ物の前で立ち止まった。長方形の入れ物。長い方の幅は両手を広げたほどもあり、短い方でもその半分。高さは膝と腰の中間くらい。これまでスズナス以外は手を触れることが許されなかったもので、馬車からおろして宿の部屋に運び込むのも、これだけは一人で行っていた。 籐で緻密に編みこまれたその入れ物を、スズナスは開けた。 その中は、団員でさえ見たことがない。みんなは固唾を飲んだ。その雰囲気を察して、ヨウシャもサナもオエリーもじっと身を潜めている。 「これだ」 中から現れたのは、銀竜と同型の、しかしふたまわりほど小さな楽器だった。 「こ。黒竜?」と、オリエー。 「そうだ」と、スズナス。「これで今夜から舞台に立ってくれ。やれるだろう?」 「はい」 |
金、銀、白、黒。あわせてよっつ。これらを総称して四竜弦という。この4本で同時に演奏をすれば、何かが起こるというが、何が起こるか知るものはない。それどころか、この四竜弦の存在を知る者さえもはやほとんどいないのである。 |
ステージでは2本の竜弦に合わせて、ホトケノとヨウシャが踊っていた。昨日とは違う趣向に観客たちは大喜びだ。公演中は毎日やってくるという熱心な客はもとより、そうでなくても、娯楽に関する噂話は広がるのが早い。2日目以降はほとんどネタバレの状態でステージに立つ覚悟が要る。すなわち、ライブの良さが伝わらなければ酷評の憂き目に遭うのだ。しかし、今回は違う。昨日とは明らかに違う演出に、客たちは固唾を飲んだ。 もっとも、あの官能的な時空間を期待してやってきた者達は、かなりがっかりしただろう。だが、それを補って余りあるステージであった。 だが、舞台観賞を目的としない者にとっては、この突然の演目の変更は、迷惑であった。 「昨日とは違うみたいだな」 ゴーギの新しい上司、ラグジャーが言った。 「はい、違います」 「だが、手はずは変わらんぞ」 「はい」 客席の最後方の片隅で、コソコソと話をする二人。そして、それを取り囲む4〜5人の黒装束の男たち。 「よく、見ておけ」 ラグジャーは人相書きを見せた。そこにはソワンの顔が描かれていた。 「脱走隊員だ。しかも、かなりの使い手。時に感情のほつれからこの女は気配を開放するが、そんな不確かなものに頼るな。この女は自分の意思で気配を消せる。交信術も使いはしないだろう。昨日の失敗が気付かれていれば、ますます用心深くなっているはずだ。そんな時は能力に頼るな。目で探せ。いいな」 ゴーギを含む全員が頷いた。 「よし、探せ」 厚い雲が急に陽光を遮ったために、あっという間に消えた影のように、ラグジャーの部下達はふっといなくなった。 それらの様子を上から見下ろしていた男がいる。老師だ。 老師はもはや人の形をとらず、漂う空気となって、会場の天井中に散らばっている。もちろん、常人にはそれを感知することが出来ない。だがここには、常人を超えた人間が二人いる。老師のもとに暮らす二人の男女。ソワンと他国の間諜である。 ソワンと他国の間諜は、霧散している老師の意識に集中する。いわゆる交信術とはことなるので、これをゴーギ達に察知される恐れはない。むしろ、老師の意識に集中することによって他に流れる気配を消すことになるから好都合だ。 老師は二人にメッセージを送っていた。それは意識として伝わるようなものじゃない。萎れかけた花を見て、「あ、水をやらなくちゃ」と感じるようなものだ。 老師は語りかける。ソワンはサナのもとへ、間諜はソワンを守れ、と。そして、何かが起こったら、これだけの観客を含めて守りきることは出来ないぞ、と。 ソワンはそっと席を立った。ステージでは、本日の最初の演目がまだ続いている。ソワンはある少数民族の女がそうするように、目の部分を除いて全てを衣服やマントやマスクで覆われていた。目立たない清楚な中間色である。半ば身を屈めて客席を抜け出そうとするその姿は、急に気分がすぐれなくなった者が静かに中座するかのように見受けられた。 だが、それに気付かぬ追手達ではない。数人の黒装束の男達はいっせいにソワンの方を向く。 彼らの脳裏には、先ほど見せられた人相書きが、しっかりと刻まれている。だが、さすがに目だけでは、ソワンがその人かどうか、確認できない。 客席の中央部に陣取っていたラグジャーが、右の耳を掻いた。シュランへの合図だ。 黒装束の男達はシュランを除き、もとの行動に戻った。すなわち、客席を目立たぬように巡回しながら紛れ込んでいるソワンを探すことだ。そしてシュランだけが、ソワンの後を追う。 (・・・あの男・・・) 老師は空中に薄く広くひろがった意識で、シュランの能力を解析する。 (・・・火) それだけしかわからなかった。いったいヤツは「火」をどう出来るというのだろう。 脱走隊員は隊のあらゆる秘密を外へ漏らす恐れがある。ソワンを発見できなければ、秘密を守るために、この劇場ごと燃やしてしまう、最悪そんなシナリオも考えられた。 他国の間諜は、すっかり干上がってしまった老人のような外見とは裏腹に、流れるような動作でソワンのあとに続いた。「ちっ」という舌打が聞こえたのは、おそらくシュランだろう。 ソワンは客席を出た。そこは劇場のロビーになっており、楽屋への通路もロビーから伸びている。 ソワンは辺りをきょろきょろと見渡した。気配は完璧に消しているが、用心にこしたことはない。誰の姿もないのは、間諜がシュランを足止めしたからだ。客席とロビーの間、防音のための分厚い扉の所で、間諜が何かにつまずいたのだ。 何か? むろん、何もない。 扉付近の観客の何人かが物音で振り返った。見ると、老人が倒れている。傍には男。複数人の注目を浴びて、シュランは倒れている老人に手を貸さざるを得なかった。無視してソワンを追跡などすれば、誰かが不審に思うだろう。余計な波風は立てたくなかった。誰にも知られずそっと脱走隊員を捕獲する。それが出来ねば、目撃者足り得るこの観客達全てを処分しなくてはならない。 自らの内に潜む殺戮への欲求を理性で抑えながら、シュランは「穏便に・・・穏便に・・・・」と、心の中で唱えた。 誰にも見られていないことを確認して、ソワンは楽屋への通路に足を踏み入れた。再会はすぐそこだ。 |
舞台に立っているのは、ヨウシャ一人。スズナスの銀竜とオリエーの黒竜が奏でる妖幻の世界に身を躍らせている。ホトケノが舞台からそっと消えたことに観客は気付かない。 楽屋のサナが、「来た。ついに来た。ソワンがすぐそこに・・・」と、つぶやく。 舞台から袖、そして楽屋へは一直線だ。普段は閉じている扉は、開け放されている。ふたつの竜弦の激しいリズムとヨウシャの舞台を踏み鳴らす音が、そのまま楽屋に流れ込む。にもかかわらず、サナはネコの足音ほどのソワンのそれに気がついた。 「さあ」と、ロセリーに促されて、サナは腰を挙げた。同時にロセリーは、袖に控えていたホトケノに目で合図を送る。それを受けてホトケノは、上げた右手を大きく振りまわした。 「舞え! もっと舞え!」 ヨウシャはホトケノの合図を眼の端で確認すると、それまでは2本の竜弦に導かれて踊っていたが、自らが主導権を取った。 (みんな、見て。もっとわたしを見て!!) 普通の観客も、能力者も、特殊能力者も、特別な訓練を受けたどこかの手の内の者も、全てわたしを見て! なんびとたりとも、サナとソワンの再会は邪魔させない。 ヨウシャはステージの床をダンダンと踏みしめ、飛びあがり、空中で舞い、手足を大きくだが小刻みに動かして、まるでひとつの小宇宙を想像するかのように踊り狂った。 ラグジャーの手下達は、そんなものに惑わされなかったのだろうか。それとも逆に、ヨウシャの急な変貌に不信感を抱き、状況の変化に気付かせるきっかけとなってしまったのだろうか。観客席の入口で老人の介抱に手間取っているシュランをよそに、ザザザ−っといっせいに移動を開始した。その静かで、素早いこと! 楽屋では、サナがソワンを迎え入れようと、腰を上げ、入口のドアノブに手をかけた。 ああ、ソワン、ソワン・・・ お互い離れ離れになって、どれほどの年月がたっただろうか。 貧しいかもしれないが平凡でつつましく、そして自由な暮らしに憧れて、二人して隊を抜け出した日。 脱出に成功したわたし。上手くいかなかったソワン。 どこで生きていたのか? どうやって生き延びてきたのか? 逃げ切れなかったソワンに、心の中で「必ず迎えに来る」と叫んだあの日。 技を研鑚して迎えに来たところで、ソワンはもはや命が果てているのではないか、だとすれば、都に戻ったわたしはみすみす危険に飛び込むだけだ。それくらいなら、わたし一人でも、二人で憧れた行き方をまっとうするのがソワンの望みではないのか。 幾度そう思ったことか。 でも、戻ってきて良かった。どうやらソワンも、隊を抜け出すことは出来たようだ。都を離れることは出来なくても。どこかでうまく身を隠していたのだろう。 さあ、今日からまた、ふたりは一緒に・・・・! サナはドアノブをまわそうとした。 硬い! いかような偶然か、ソワンもまたこのドアノブ掴み、向こう側から回そうとしたのだ。 二人はいま、たった一枚の楽屋のドア、楽屋と通路を隔てるだけのそれを挟んで対峙している。再会のときはきた。 サナはノブから手を離した。 (おいで、ソワン) 意識を思いっきり開放する。 追手に見つかってもいいと思った。いま、わたしの能力値は最大限に増幅され、いかような敵をもなぎ倒してくれよう。 長年の願望の堆積が、張り詰めた気となって、サナから周囲に放出した。 ピシッ・・・、ピシピシッ・・・! サナとソワンの間にある薄い扉に、稲妻状に亀裂が走る。 (さあ、早くおいで。さもないと、わたしはこのドアを、張り裂けんばかりの思いでコナゴナに砕いてしまうだろう!) ビシビシビシッ!! ・・・・・・・・ だが、ソワンは扉の向こうから現れなかった。 ソワンは既に一歩も動けない状態になっていた。 ドアノブに手をかけながら、その周囲を黒装束の男達に包囲されていたのだ。 「お前、脱走隊員だな。こんな街中にノコノコ現れていい度胸だ」 追手の一人がソワンの顔を包んだ布に手をかけ、ひっぺがした。 「間違いない、手配書の人相書き通りだ!」 「この中にも脱走隊員がいます。ビリビリと気を感じます」 ひとりが楽屋のドアを指差して言う。 「わかってる。二人まとめてだ」 叫んだのはゴーギだ。先日の失態を取り返すため、多少荒っぽいことをしてでも二人を捕獲したいのだ。 どかん! 黒装束の男のひとりが小規模な爆発で吹っ飛んだ。ソワンの顔を覆っていた布を取った男だった。 じじじ、じじじじっ。 布にはいつのまにか高圧電流が帯電しており、爆発を引き起こしたらしかった。なおもその名残か、電気の筋がいったいを走りまわっている。触れたら感電するだろう。だが、誰もそれを避けようともしない。張り詰めた緊張感。その中で唯一、爆発に巻き込まれた黒装束の男だけが、平静ではなかった。首から上を失って、ただの物体と化している。 枝を折ったような音が連続して響き、楽屋と通路をつなぐ扉が避け散った。 「ソワン! 大丈夫か!!」 「サナ! 平気よ、コレくらい。わたしも成長したわ」 「武器がない。魔物を召喚して一気にカタをつける」 「いいわ」 二人の身体からオーラが立ち昇る。身体の輪郭にそって外側にどんどん膨らんだそれは、やがて接近し、ひとつになり、紅蓮の輝きを帯びてくる。 オーラのように思われたそれは形を半ば実体化させてくる。 蛇だ。 人の胴と同じくらいの直径をもった巨大な蛇が、サナとソワンが生み出した光の塊から変化し、ぐんぐん伸びて行く。 「ひ、ひいいぃぃぃぃ」 誰かが悲鳴を上げた。 「こ、こいつら、化け物だ!」 黒装束の男たちが後ずさりする。 サナは、勝負あったと思った。 そのとき。 「ひるむな。これしきのこと、何ほどでもない」 脱走兵捕獲隊隊長のジャグラスが姿を現した。 手刀で一閃のもとに蛇の頭を切り落とす。 サナとソワンはその瞬間に、床に膝をついていた。巨蛇はまだ完全に召喚されきっていなかった。二人の作り出した「場」を介して、巨蛇はこちらがわの世界に進入中だったのである。それを途絶され、空間が歪み、多大なパワーを注ぎ込んでいたサナとソワンは、力の放出先を失った。このため、心身がきわめて不自然で不安定な状態に叩きこまれたのだった。 「おい、連行しろ」 手首を掴まれてズルズルと引きずられてゆくサナとソワン。 その先頭に立つジャグラス。 「待て」 ジャグラスの前に立ち塞がり、ずしりと重い口調で言い放ったのは老師だった。勝負はまだついていない。 わーん、こんなシーンばかり書いてたら、ちっともエロにならないよお・・・・(作者) |