繁栄を極めているかのように思われた都。だが、山に近付くとしだいに鄙びてきた。歩みを進めるヨウシャは不安になった。つかずはなれずヨウシャに従う白猫のハックンも、ヨウシャの心の乱れを感じたのか、心細そうだ。 道の両側に立ち並んでいたはずの店舗や家々も、歯抜けのように空地が増えて来る。やがて空地の方が多くなる。建物もどこか古びて傾いている。人の気配のしないものすらある。 「本当にこの先に、王様の住んでいるところがあるのかしら」 ヨウシャは問いかけるようにハックンに話しかけた。 にゃおん? 王様が住んでいるところなのだから、居城が近付くにつれ、きらびやかになってくるはずだ。 というのは、ヨウシャの勝手な思いこみなのだが、人々が愉快に暮らす様はなくても、例えば威厳のある建物が増えたり、VIPが着飾って行き来したり、警備のための兵隊がそこここに配置されていたりと、それなりの雰囲気はあってしかるべきだ。だが、そんなものはなく、まるで人里離れた猟場に向かうがごとしである。 |
「最後の店」という看板を掲げた売店があった。 間口を道に向かって広げたその店も、決して繁盛しているようには思えなかった。これだけ人通りが少なければ確かに商売にはならないだろう。 「最後」というからには、この先には店はないのだろう。眉を圧するほどの迫力で山は前方に迫ってきている。そして、王宮はこの山中にある。なるほど、最後の店だ。王宮の敷地内に入ってしまえば店などなく、買い物もできまい。ヨウシャは自分の荷物が充分かどうか、頭の中で点検した。 銀竜詩人のメンバーのひとり、ロセリが王の娘であった。離縁をして旅芸人を続けている。彼女の説明によると、この都は王政から議会制に移行しつつあり、王家は実権をもはや持たない。そして、こうも教えてくれた。 「がっちりと王政が敷かれていた時は、謁見のためのシステムも整っていたわ。手続きそのものは面倒だったけれど、しかるべき手順さえ踏めば誰でも王と面会することができた。でも、そのシステムは廃止を前にあちこちでほころびているらしいの。それに、そもそも、王に会うことにどれだけのメリットがあるのか、誰も正しく理解していないわ」 つまり、行ってみないとわからない、ということである。 王宮の三方は険しい山に守られている。唯一無防備なのは町に面した一方である。敵や不心得者の侵入を阻止するために、検問所や兵隊の詰所などがあり、かつ道は複雑に湾曲し、登りも厳しい。しかもダミーの道さえあるときく。かつては謁見のための手続きを正しく踏んだ者には案内人が同行してくれたが、もはやその存在はあるのかどうか疑わしい。点在する詰所も無人であれば道を訊ねる事もできない。つまり、王宮の敷地内において遭難する可能性すらあるわけだ。 そこで、ヨウシャはある程度の装備を整えた。夜具や食料や水や燃料である。大き目のデイパックも手に入れてその中に放りこんである。宿無しの旅には慣れた。道さえ間違わなければなんとかなるだろう。 だが、地図なんぞは存在しない。 「ダミーの道も、かつてはきちんと整備されていたらしいわ。だって、見るからに『使われていない荒れた道』だったら、誰も迷ったりしないでしょう? けれど、今はどうかしら。荒れ放題だと思うの。ということは、人が往来していて、踏み固められて、草や潅木の茂っていない道が、本物よ。すぐに見分けられると思う」 ロセリの言葉を、今は信じるしかなかった。 |
「ちょいと待ちな、ハニー」 「最後の店」から、声が飛んだ。 「王宮へ行くのかい? だったら、ちょっと寄っていきな。急いだっていいことないぜ」 声の主はハタチそこそこの細面の男性。長髪が似合う男前だったが、残念ながら服装が粗末で、せっかくの男っぷりを台無しにしていた。 「いいことなくても、いそぐの」と、ヨウシャは答えた。 「まあまあ、ちょっと寄っていきなって」 ヨウシャは歩みを止めた。店の中は薄暗く、どんな品物が揃っているかはかいもく見当がつかない。 返答ができないでいると、「さあ、さあ」と男はしつこく声をかけた。 穏やかな瞳、静かな微笑。男に悪意がないことはすぐにわかった。 「じゃあ、ちょっとだけ」 「そうこなくっちゃ。おっと、猫ちゃんはだめ。外で待っててくれ」 |
無骨だがしっかりした作りの椅子を勧められ、ヨウシャは歩き疲れている事に気が付いた。 腰を下ろすと、男は茶を器に入れて持って来た。ヨウシャの顔ほどもありそうな大きな器だ。立ち昇る湯気からは草原の香りがした。 「裏に生えている草を干して作ったお茶さ。おっと、雑草じゃないぜ。王家ご用達。少し前なら勝手にこの草を摘んだだけで罰せられたんだ」 「今は、平気なの?」 「そうさ。王はその持ち物を全て人々に返したんだ。だから、何だって許される・・・・、らしいんだけど、取り締まるだけの力が王家には無くなった、というのが事実かもな」 「ふうん」 「さ、のみな。疲れが取れるぜ。美容と健康にも良い。長生きできる。そして、美人にもなる」 怪しげな物を売る行商人のような口上に、ヨウシャはくすっと笑った。 「お、やっと笑ったな。おいら、ガズー。よろしくな」 遠くから響いて来た馬の蹄の音がだんだん大きくなり、店の前で止まった。 「いらっしゃい。ガンドウさん」 客の名前を覚えていて応対するなど、軽口のわりには商売熱心なんだなと、ヨウシャは思った。 「水」 騎士の姿をしたガンドウは、たったひとことそう言った。 ガズーは陶器のボトルを手渡した。 「おう」 ガンドウはたった一言だけを言い残して、あっという間にその場を去った。 「お、お金は?」 「ガンドウさんからは、もらえないよ。死んだばあちゃんがさんざん世話になったから。それに、井戸を掘ってくれたのもガンドウさんだしね」 「ふうん・・・」 「先行きどうなるかわからないのに、王宮で相変わらず役人を務めている律儀なおじさんだよ」 「そうなんだ」 「そうそう、ハニーも好きなものを好きなだけ持って行っていいぜ。どうせ商売にはならないし、裏の畑の作物で生きていけるし」 「好きなものっていっても」 「王宮に行くんだろ? 王宮の井戸はもうめちゃくちゃさ。水はここから持っていったほうがいい。ガンドウさんだってそうしただろう?」 「どうして無茶苦茶なの?」 「侵入者を阻むために毒が放りこまれてるのさ。だいたい水は一ヶ月で入れ替わるから、ひと月ごとに毒を入れるらしいんだけど、その中の何ヶ所かは、毒をいれない。だって、王宮の人だって水が無いと困るからね。ところが、井戸番が殺されちゃって、どれが呑める井戸かわからないんだ。それに、殺したやつが手当たり次第毒を入れたって噂もある」 「なんだって、そんなことを・・・」 「王家は滅びるんだぜ。皆殺しになったってかまいやしない。だけど、その後に議会制民主主義って言うの? そうなったら困る人たちがたくさんいるんだ。これまで、王家で出世のために陰謀の数々をたくらんできた貴族たちだよ。自分が新しい王になろうって、必死さ」 「じゃあ、水はタップリ持っていった方がいいんだ」 「そういうこと」 「他には? わたしは野宿には慣れてるし、4〜5日分なら食料だってあるけれど」 「じゃあ、道を確認しながら何度もここに戻ってきて、食料や水を補給しなおせばいい。で、最後に一気にかけ上がるんだ。そしたら、王に会えるさ」 「ううん。わたしは王ではなくて、王子に会いたいの」 「王子?」 「・・・・それは、やっかいかもな」 「どうして?」 「だって、王家は終わりと告げるんだ。王子がはたして王宮に残っているかな?」 「あ!」 |
油断も隙も無い、とはこのことだ。 王宮へのぼったところで、王子はいないかもしれない。 ガズーにそう宣告されて、ヨウシャは一気に脱力感に見舞われた。これまでの長い旅が報われないかもしれない。それどころか、唯一自らの命を存える一筋の希望すら失うかもしれない。しかし、今のヨウシャにはとにかくまずは王宮へ向かうしかない。王子がいる保障は無くても、絶対いないともいえない。いなくても、ではどこに行けば王子に会えるかという手がかりは、王宮にならあるだろう。ヨウシャは気を取り直して「わたしは行く」と心の中で叫んだ、その瞬間だった。 ガズーに抱きしめられてしまったのだ。 ガズーはほんのわずかの隙を見逃さなかったのだ。彼がヨウシャにしがみついたとき、ヨウシャは既に気を取り直していたけれど、しかし同時に、封印の解かれたヨウシャにとって男に抱きしめられることは、すなわちそのまま性の坂道を転がり落ちることであった。 「あ、はん・・・」 官能のため息が漏れる。 「抵抗しないんだね、マイハニー。いい子だよ。ステキな夢を見させてあげる」 ガズーの指がヨウシャの裂け目にするすると滑りこんで来る。 かすかなよどみさえない指の動き。 「手馴れているのね」と、ヨウシャはささやいた。 「きみこそ・・・・、ほら、もうこんなにトロトロだよ。そして、おいらも・・・」 ガズーの手に導かれて、ヨウシャはズボンの上からガズーのものに触れた。ギンギンに固くなっていた。店に誘い込もうとしていたときのガズーは、その片鱗さえもなかったけれど、あっというまに勃起していた。 しかも、「熱い・・・」 「すごいだろ。これがおいらの自慢さ。これがハニーの中に入って、この熱さでハニーをトロトロに溶かすのさ。一度経験したら、離れられ無くなるぜ」 「わたしのも、凄いわよ・・・・」 ズボンをスルリと脱がせたヨウシャは、ガズーの焼け爛れたそれを口に含んだ。 |
何度フィニッシュを迎えただろう。この店を訪れたのはまだ太陽が南中するには少しはやい時間だった。なのに、もう夜中を過ぎていた。お互いの肌と肌、指と指を絡ませながら、性器と性器が熱く身悶えした。ヘトヘトになって腰が砕けそうになり、はっと気が付いたらこんな時間だった。 性欲を我慢するのは良くないが回数は控えよ、ヨウシャはそう心得ていたはずだった。でなければ、早晩寝食を忘れて快感に没頭し、やがては狂い死にしてしまう。わかっているのに、どうしてセーブできなかったのだろう。王宮がもうすぐそこだからか。しかし、そこに会うべき人がいるかどうかわからないと知らされたばかりである。もし王子がいなければ、また旅を続けなくてはならないというのに。 油断したつもりはなかった。 なのに、性なる遊戯に引きずり込まれてしまった。症状が進行しているのだろうか。 だけど、ヨウシャは不思議と後悔はしなかった。 精魂尽き果てるまでヨウシャを感じさせてくれた男は、いま、隣で満足そうな表情をたたえて、眠っている。その顔を見るだけで、とても穏やかな気持ちになれたからだ。こういう一時があるからこそ、セックスに燃えることが出来る。 ガズーの寝息以外は、恐ろしく静かだった。 夜といえども街中の宿屋では、人々が営む色々な音がざわめいていたものだ。なのに、今夜は・・・・ 風の音が聞こえる。虫の音が聞こえる。星の瞬きまで聞こえてきそうだ。 ヨウシャは星の存在を感じるとき、不思議な気持ちになる。寝転がって手を真上に伸ばせばそこには何も無く、けれども遥かかなたの星まで空間は真っ直ぐ伸びている。自分の存在する世界は遠く広く開かれているのだと実感する。 だから、自分の未来は、運命などというちっぽけなものには、決して閉ざされたりはしないぞと思う。諦めない。 |
人々のざわめきでヨウシャは目が醒めた。 店はもう始まっている。客とやり取りするガズーの元気な声がヨウシャの耳に届く。 店の奥に作られた寝食の為のスペースは狭い。ヨウシャとガズーが並んで寝れば、それで満員だ。 裏に出ると朝日がまぶしく畑に降り注いでいた。裏口を出てすぐの所にかまどがしつらえてあり、その横に井戸があった。かまどは石を積み上げて作ったものだが、所々朽ちている。しかし、それでも現役で活躍していた。鉄鍋の下では木が燃えていた。鍋には穀物と何かの肉がぐつぐつと煮えていた。朝食を作ってくれているようだった。ヨウシャは井戸から水を汲み、顔を洗った。 「おはよう、マイハニー」 「ごめんね。わたしだけぐーぐー眠っていて」 「いいさ。この店が賑わうのは朝だけだから、寝坊してられないんだ。王宮へ行く役人たちが水やら食料やらを買っていってくれるのさ。ついでに世間話をして、情報収集ってとこかな」 「ふうん」 ガズーは鍋を覗き込む。 「うん、そろそろいいようだ」 ヨウシャはガズーの作ってくれた朝食を一緒に食べた。何の肉かがわからなかったが、気にしないことにした。 |
この日、ヨウシャはガズーのもとに滞在した。畑仕事を手伝いながら、色々なことを教えてもらった。 王政は議会制への移行期間として、現在は四天王による合議制で政が進められている。が、四天王なる者達も、今後の自分の身分に付いてが一番の心配事で、今の立場を利用してなんとか今後に備えたいと画策するあまり、政治は決して上手く行っているとは言えない。 まして、一般の雇われ役人は、これからどうなるかさっぱりわからない状況で、日々王宮を去るものが後をたたないという。 人手不足からくるシステムのほころびが、あちこちで散見されるようになって来た。 「交代要員がいなくて、門番はもう10日間も缶詰になってるってさ」 「門番って」 「そう、王宮へ向かう者が一番最初に会う人だよ。今朝、この店に寄ってくれた人は、彼らに差し入れをするんだと言っていたけど、さすがに10日間も身動きが取れないと、イライラが募ってるようだって。一般人に対する狼藉を働いてるらしいから、ハニーも気をつけたほうがいい」 「狼藉って?」 「それははっきりとは教えてくれなかったけれど、まあ、男は暴力を振るわれ、女は犯される。そんなとこだろうな」 「そうなんだ・・・」 ヨウシャは暗い気持ちになった。 「そこを通らないと、先へ進めないの?」 「そりゃそうさ。なにしろ、高い城壁が張り巡らされているからね。それに、城壁をよじ登ったとしても、その上には毒針がゴマンと敷き詰められてるって話さ」 鉄壁の守備も、それが正しく運営されていなければ、ただの迷惑でしかないのだった。 「そうそう、最近は妖怪が出て、役人が襲われているらしい」 「妖怪?」 「王宮を逃げ出そうとした役人や兵士が、結局道に迷ったか、警備兵に痛めつけられたか、それとも単に逃げ道がないことを悟ったのか・・・。正規の役人を襲って食料や水を奪う。それだけじゃなく、殺して焼いて食ってるって噂まであるんだって」 「ああ、本物の妖怪が出るわけじゃないのね」 「そう。妖怪が出るといって、彼らが恐れられているってことだよ」 「そんな王宮の奥で、本当に王はきちんと暮らしているのかしら」 「それは、まだ今のところは大丈夫みたいさ。親衛隊ががっちり守っているからね」 ガズーは胸を張ったが、ガズーだってその様子を自分で検分したわけではない。 「わたしに、行けるかしら・・・」 つぶやくヨウシャに、ガズーは言った。 「それでも、行かなくちゃいけないんだろう?」 事情も知らされていないのに、ガズーは確信に満ちた目でヨウシャを見た。 「そう、よ」 「ハニー。キミはタフそうだ。水と食料があればどんな荒れ場でも生きていけるだろうね。けれど、襲われたら、ひとたまりもない。特殊能力もなければおそらく武芸も身につけていない」 「その通りよ」 「ならば、武器を持っていくがいい」 「そんなものまであるの?」 「明日までに、キミに役立ちそうなものを見繕っておいてあげるよ」 「ありがとう」 |