フライデーナイトアベニュー
8月の3回目の金曜日 その(1)





 俺が夏祭りのチーフに選ばれたのは、7月の始めだった。
 毎年「夏祭り」には何らかの形で携わっていたから、おおよその要領はわかっている。社屋の屋上を会場にしてお客を招き、やぐらを囲んでの盆踊りや模擬店などを楽しんでもらうのだ。
 もちろんただ祭りを振舞うだけではない。わが社の主力商品を展示したショールームとしての機能を持たせて、翌日以降の売上につなげなくてはならない。一部商品については会場でも販売をする。
 これだけでは飽きられてしまうので、上品だが熱くて渋いジャズバンドや、60年代ポップスを得意とするピアニストなども招く。子供向けには怪獣ショーを行い、若手の喜劇芸人によるコメディーや漫才などもある。
 一日に何度も抽選会を行うが、とにかく来場しただけでも粗品がもらえることになっており、客を手ぶらで帰らせないというのがコンセプトだ。お客にとっては「おみやげがあるよ」と言う意味だが、同時に内部的には「財布の紐をほどかせて何か一つでもその場で買って帰ってもらえ」ということだ。
 宣伝広報部がこのイベントの担当で、まさしく「1年前から準備をしている」わけだが、7月になれば各部所からチーフを出して、いよいよ当日に向けてあらゆる調整や準備が行われるのだ。
 7月になると会議室の一室が「夏祭り準備室」と名前を変え、宣伝広報部の担当者や各部署のチーフがここに詰める。当日が近づくと、さらに応援要員が続々と集まってくる。夏祭りは8月の第3土・日である。その週の初め、月曜日には、各地の支店から綺麗どころも集合する。入社2年目のOL達から選ばれた「夏祭りレディー」で、容姿端麗なだけではなれない。「イベントの花」として好感度の笑顔を要求される。子供からお年寄りまでを相手にし、接客の最前線でお客様に楽しんでもらいながら、かつ販売促進につとめる。頭の回転の速さや正しい言葉遣いが要求されるのだ。

 夏祭りレディーのまず最初の条件が「容姿端麗」であることから、「女を外見で判断するなんて」と反感を持つOLも少なくない。だが、実際に選ばれたとなると、「容姿端麗なだけではなれない」ことはわかっているので、みんな自分が一定レベル以上の女だと認められたと喜ぶ。さらにはつけあがる者もいた。もともと顔や頭に自信があり、選ばれて当然というような態度を最初からとっている輩達だ。要領だけを心得た中身の伴わない娘だって存在する。地方支店のお偉方の目をだまくらかすくらい朝飯前なのだろう。
 だから実際に大変なのは、ありとあらゆる種類の来客を最前線でさばく「夏祭りレディー」ではなく、彼女達の指揮をとる「レディーマスター」なのだ。
 夏祭りレディーが最前線だと言ったって、お客の不評を気にしなければどうにだって手を抜ける。現場を任されてやりたい放題、そして、苦情は本部に来る。「浴衣」のユニフォームを着た似たような年齢のレディー達だから、お客には見分けがつかない。本部に苦情がくれば、誰がどうだったなどということは関係なく、全てレディーマスターが責任を問われるのだ。

 レディーマスターはここ数年、人事部副部長を務める猪熊女史が努めていた。40代後半。仕事が出来るのは皆の認めるところだが、彼女についてそれ以外のことはまるでわからない。何しろパーソナル情報に探りを入れようと人事部にアプローチしたところで、彼女が人事部の情報の金庫番なのだからどうしようもなかった。
 猪熊女史はレディー達の人事労務全般を取り仕切るが、表にはあまり出ない。レディー達を実質現場で指揮するのはサブマスターである。この任にあたるのはだいたい30代半ばで、それなりの地位と実績を持つ女性総合職だ。今年初めて「夏祭りレディー」出身者が選ばれた。夏祭り企画が始まったのが十数年前、ようやく初代レディーがサブマスターを努める年齢に達したのだ。気苦労が多く責任が重いサブマスターの役目を、当時好き放題やってくれた報復としてレディー出身者にやらせたという噂まで出ている。
 「レディーに選ばれるのは一苦労、だけどいったん選ばれたらやりたい放題。まるで大学受験ですね」
 俺とはことなる部署からきたチーフ、山崎が言った。俺よりも4年後の入社だ。
 「いくらなんでもそんなにひどくはないだろう。とにかく給料もらっての仕事だ」と、俺は無愛想に答えた。
 美人だがお高くとまってやり放題。そんな噂ばかりが流れるのに俺はうんざりしていた。別にレディー達を弁護するつもりはない。
 「確かに、仕事はね」
 「仕事以外に、何かあるのかよ」
 「係長は既婚でしたね。僕は独身ですから」
 夏祭りスタッフではお互い同格のチーフだが、彼はまだ主任なので俺のことを役職で呼んだ。
 「おいおい、商品に手を出すのはよしてくれ」
 「商品が手を出して来たらどうしますか?」
 「どこに出しても文句のない容姿端麗レディー達が、会社という狭い範囲で男漁りをするのか?」
 「そりゃあ、僕達は本社社員ですからね」
 なるほど、本社というだけで威力があるのか。
 「そんな詰まらない事を鼻にかけないことだな。君だって俺だって、いつ地方へ飛ばされるかもしれないんだぞ」
 「暴れ馬を乗りこなして、従順にさせてから、地方勤務。悪くないですよ。ミスしての左遷でなければワンランク役職はアップして、綺麗な奥さんをもらって地方の環境のいいところで過ごす、そしていずれ本社に戻るようなことがあれば部長か平取、戻れなくても支店長、そんなところだと聞いています」
 彼の会社観・人生観には異論はあったが、「自分本位な未来予測をしても無意味だぞ。妻なんて突然逃げて行く」などと言って反論するのは大人気ないのでやめた。
 「暴れ馬を乗りこなすか、面白い表現だな」
 「係長が乗りこなしたら、不倫ですね」
 「それより、調教師の目をごまかすのがまず一苦労だろうな」
 「調教師、ですか?」
 「ほら、おでましだ。レディーマスターと、サブマスターだよ」

 「久しぶりね、ヨシフミ・・・」
 サブマスターは俺の耳元でささやいてから、前に進み出て挨拶をした。夏祭りレディー達はまだ来ていないが、それ以外のスタッフ全員が集まる第一回実行委員会ミーティングである。
 「営業本部法人営業課第3係長の小田恵子です。夏祭りレディーのサブマスターを勤めさせていただきます」
 颯爽とした彼女の態度に一瞬呑み込まれそうになった。
 「係長、ご存知なんですか?」
 「ああ、同期だ。」
 同期と言っても新入社員研修で半年間親しくしただけである。それ以来、業務上の接点はほとんどない。社内で顔を合わすことがあれば挨拶を交わす程度だ。
 俺は小田を見る度に「いい女だ」と感心していたが、しばらく一緒に仕事をすることになり、皆の前で颯爽と挨拶をする彼女を見て、その思いはさらに増した。
 目尻の皺など、細部には若さに対抗できない部分が生じているが、それがかえって艶っぽい。グレーのスーツには「女」を感じさせる華やかさはないが、その分ミニスカートから伸びる足で補っており、お釣りも来る。太くも細くもないほどよいふくらみと悩ましげなカーブを持つ足。満員電車で隣り合わせれば思わず欲棒を擦り付けたくなるだろう。
 常に男の視線にさらされ、磨き上げられた感じがする。食すれば甘美な果実。だが、その表面には無数の毒針があり、下手に皮をむこうとすれば傷つけられる。
 山崎が「暴れ馬を乗りこなす」と言った気持ちが理解できた。若いだけの暴れ馬には興味が沸かなかったが、既に何人もの男達に乗りこなされ、調教された、どんな荒地をも走破するテクニックを身につけさせられた暴れ馬なら、従順にさせてさえしまえれば黙っていても桃源郷へと連れていってくれそうだ。

 金曜日の夜。明日の10時からオープンする夏祭りを控えて、俺は最後のチェックを終えた。腕時計を見ると11時に近い。夏祭り準備室と名付けれた会議室に泊まりこむより仕方ないかなと思った。
 櫓もステージも屋台もセッティングは終わっている。腰に手を当てて伸ばしながら周囲を見渡すと、このお祭り空間が奇妙な風景に思えた。大勢の人がワイワイガヤガヤと行き交ってこその「お祭り広場」である。そこに誰も存在せず、たった一人ポツンと立ち尽くす俺は、世界の営みから取り残された孤立無縁な男に思えた。
 「ヨシフミ!」
 不意に声をかけられた。肩に手が置かれる。振り返らなくてもわかる。準備期間中に何度も耳にした声。恵子だ。
 「まだいたのか」
 「いたわよ。ツレない言い方をするのね」
 「いや、そうじゃない。もう誰もいないと思っていたんだ」
 「レディー達と前夜祭。飲んできたの。帰るのが面倒くさくなって、なぜかここをもう一度見たくなったのよ」
 「そんなに仕事が気になるか? そんなんだから結婚できないんだ」
 彼女が結婚したという噂は確かに聞かないが、本当はどうなのかということを俺は知らない。
 「そんなことしなくても、欲しいときに男は手に入るわ」
 少しは酔っているのだろう、彼女の口を軽くさせていた。しかし、「呑んだ」と聞かされなければ、そうとはわからない。酒に強いのだろう。
 「女の子達、あなたのことを色々言っていたわ」
 「色々って?」
 「怖そうとか、厳しそうとか」
 「俺のどこが怖いんだよ」
 「だって、無愛想で、仕事の話ししかしなくて」
 「当たり前だろう? もう本番は明日だ」
 「そういう態度がクールで素敵って娘もいたわ」
 「どうしてそういうことになるのかな。こりゃあ彼女達が本社の男を漁りに来てるって言う噂もまんざらじゃないな」
 「何言ってるのよ。本社の男達こそ、ことあるごとに言い寄ってるくせに」
 「そうなのか?」
 「無意味な愛想、仕事と関係のない会話、さりげなさを装いつつ下心丸出しのボディータッチ。外見で救われている人もいるけど、レディー達はうんざりしているわ。なかには感性があってさっそくラブラブって娘もいたけどね」
 「なるほど」
 山崎なども今ごろどこかにしけ込んでいるかも知れないな。
 「ヨシフミのこと、訊かれたから、結婚してるけど奥さんに逃げられて別居中、って言っておいた」
 「な、なんで知ってるんだよ。そんなこと」
 「今の私の上司は人事よ。それくらいの情報はつかんでいるわ」
 「こわいなあ」
 「何人かのレディーは、祭りの間に、あなたにアタックするかもね」
 「勘弁してくれ。仕事のことで手一杯だ」
 「ヨシフミくらいの男になると、女に不自由していないから、相手にされないわよって言っといた」
 そんなに格好のいいものではないが、確かに今、女に不自由はしていない。だから他の男達と違って、あわよくば夏祭りレディーと火遊びしたいなどという気にならないのは事実だろう。
 「確かに不自由はしてない。けれど、興味をそそられることはある。男の性欲と、いま女が間に合ってるかどうかなんてのは関係ない。実際に手を出すかどうかは別として、だけどな」
 俺は一般論として言ったつもりだった。恵子はそうではなかった。
 「わたしもよ。男に不自由してないってことは、いつだって欲望に素直だから」
 俺の反応速度は、フライデーナイトアベニューで出会ったアヤコと交わるようになってから、きわめて早くなっている。恵子の手が自分の元へ伸びようとした途端に太く堅くなった。
 恵子は俺のズボンの上に掌をあてがった。
 「ああ、これ、欲しい」
 恵子は力強く掌を押し付けてくる。
 「一週間もしていないの。もう我慢できない」
 「特定の人はいないのか?」
 「セックスフレンドはいっぱいいるわ。だけど、ここ一週間忙しかったし」
 俺は恵子の太ももに指を滑らせ、スカートの中に突っ込んだ。
 「ああ、いい・・・・」
 肌をなぞっただけなのに、恵子は全身をぴくぴくと震わせる。
 奥深くに辿りつくと、最後の防御壁はぐっしょりと濡れいていた。
 男達の視線のいく先は、夏祭りレディーだけではないことを俺は知っている。この恵子だって相当なものだ。その恵子を手に入れた。俺はふとその舞台にふさわしい場所がここにはあるような気がした。
 「ステージへ行こう」
 「え?」
 「あの特設ステージの上こそが俺達にふさわしい」
 「はい」と、恵子は言った。
 何日もかけて設営した俺達のステージ。会場全体を見渡せるあの場所で、俺達は交わるのだ。




8月の最後の金曜日 その(2)

目次へ