第2話 ピュアーラブ「雨よ流して」 =3=
5月21日 晴 学校へ行くと、校舎にはいる前に呼び止められた。 クラスメイトの金沢伸吾だった。 金沢は僕を取り巻くいじめメンバーのひとりだった。 中心的な人物ではないが、レギュラーである。誰かが何か僕に手を出すときは必ず居て、しばらく傍観した後、手を出してくる。 他人がいじめられているというのはよほど面白いのだろう、今まで普通に接してくれていた同級生もいつの間にか傍観者に加わり、やがて尻馬に乗ってちょっかいをかけてくるヤツがいる。そういうヤツは居たり居なかったりする。 金沢の手の出し方はそれとよく似ていたが、違う点は必ずそこにいて、その時に始まったいじめかたに応じて自分も参加してくることだ。 モノを隠す時は、他の奴らは僕がそれをおろおろ探すのを面白がったが、金沢は大便器の水の中に漬けるなど陰湿な方法だった。暴力に訴える場合は一番執拗に殴ったり蹴ったりしてきた。言葉を使うときは決まって、「馬鹿」だの「アホウ」などとは言わず、「お前なんか死んでしまえ」的なことを繰り返し言った。 金沢は「昨日までいじめてすまなかった」と言って頭を下げた。 僕は信じられない光景を見たような気がした。 謝るくらいなら最初からいじめになど荷担しなければいい。僕は謝られて逆に腹が立ったが、それでも屈辱的な想いを少しでもしなくていいのならと、安らぎを感じたのも事実だった。 「足立と村井も本当は謝りたいと言っている。けれど、今更山下に面と向かって頭を下げる勇気がない。だから、あんなとこからで悪いけれど」と、金沢は校舎の3階の窓のひとつを指さした。そこは僕たちの教室だった。「あそこで頭を下げるから、もし許してくれるのなら、教室に入ったときに声をかけてやってくれよ」 ふざけるのもたいがいにしろ! もし許してくれるのなら? 冗談じゃない。あんな離れたところから見下ろすようにして頭を下げて、それで何になるというのだ? 「おーい」と、金沢が教室の窓に向かって声をかけた。 窓が開き、机と椅子が校舎の外に放り出された。 僕の机と椅子だ。 「本気にした?」と、金沢はへらへらと笑った。 |
「また、来たんですか」 山下君の母親が言った。僕と清花は山下君の家の玄関先にいて、母親の声はインターホン越しに聞こえてくる。 「そっとしておいてくれませんか?」 「お願いします。私達の訪問の目的だけでもきいて下さい」と、清花は深々とお辞儀をした。 どこかにセキュリティーのための監視カメラでもあるのかと思ったが、そうではないようだった。態度が言葉にも出る。それが相手に伝わる。清花はそう考えているに違いない。 杉橋は別行動をしている。フリーの雑誌記者を名乗り、近所の家をひとつづつ丁寧に訪問していた。かなりの確率で「人の不幸を何だと思ってるの。週刊誌はすぐそういう不謹慎な取材をしてけしからん」と門前払いを食ったが、あえて彼は不謹慎に徹した。なぜなら、そういう噂話が大好きで、喋りたくてどうしようもない不謹慎な人種もいるわけで、そういう人に限って多くの情報を持っていたりするからだ。 だから杉橋は「わたしは人の不幸をおもしろおかしく記事にする3流の記者です」という態度を決して崩さなかった。 「お願いします。お願いします」と清花は繰り返しインターホンに語りかけ、無言だった母親に変わって、「英二の父です」と、男の声がした。 「あなた方は何を考えておいでですか?」と、父親は言った。 「あなた方が何をどうしようと、息子が死んだことは事実です。親よりも先に、親の知らない事情で、自らの命を絶ったのです。何を今更語ることがありましょう。英二は帰ってこないんです。違いますか?」 その通りだと思った。心から同情をしていたとしても、そしてどんなに誠意と優しさに満ちた言葉で慰めたとしても、我が子を失った事実には変わりない。他人が出来ることと言えば、そっとしておいてあげること、だけなのではないだろうか。 僕たちのこういう行動すら、ご両親を傷つけている。 遺族は、嘆いても悲しんでも元に戻らないことは充分わかっている。でも、嘆いたり悲しんだりする事しかできない。唯一出来ることがあるとすれば、時間の流れがそれらを少しずつ薄めてくれるのを静かに待つだけなのだ。 もしかしたら、時間の流れすらも役に立たないかもしれないと思いながら。 「もう、これ以上は...」 僕は清花に促そうとしたけれど、それでも清花は「お願いします」と繰り返した。 「わかりました。一度だけです」と、父親は言った。 |
僕たちは近所の喫茶店でもと提案したが、「私達は隙あらばインタビューしようという下劣なマスコミに監視されています。ホテルの部屋か何か、鍵のかかる個室をとって下さい」と、山下君の父親は言った。 「わかりました」と、清花は答え、携帯電話でどこかに連絡をした。 多分杉橋だろうと思ったら、その通りだった。 ややあって、ご近所訪問を中断した杉橋がバンで僕たちを迎えにやってきた。部屋の手配も済ませているようだった。 僕たちをホテルに送り届けると、杉橋はすぐに車を走らせた。仕事の続きをするのだろう。 僕たちはチェックインをし、ルームサービスで飲み物などを頼んだ。 「私達はもうクタクタです」と、父親が切り出した。「英二に先立たれ悲嘆にくれているところに、いろんな人が押し寄せてくる。学校などの教育関係者、警察、マスコミ、それから野次馬。静かに悲しみに暮れることもできないんですよ。夜になって訪問者や電話が途切れるとにわかに息子の死が現実となってわたしと妻を襲います。妻は、もうほとんどノイローゼ状態です。放心状態で居るかと思うと、突然泣いたり、叫んだり。こんな状態ですから、妻を残して会社に行くこともできません。目を離したらいつ後を追うようなことになってしまうか。幸い昨日から妻の両親が実家から来てくれていますから、わたしも家を空けることが出来ました。もう疲れ果ててるんです。ほとんど寝てもいませんし」 「申し訳ありません。精神状態が平静でないのは承知しておりましたが...」と、清花。 「いや、いいんですよ。英二が自殺なんてことをするまでは、一緒にいるだけで心が安らぐ存在だった妻ですけど、いまは一時、側を離れられてホッとしています。なんとなくですが、あなた方はゲスなマスコミとも違うようだ。疲れ果てているので、失礼だがベッドに横にならせてもらいますよ」 「どうぞ、ご遠慮なく」と、清花。 山下英二の父はベッドに寝転がり、両手を頭の下で組んだ。 |
英二の父は横になって目を閉じたものの、僕が見た限りではちっとも休息がとれているとは思えなかった。 足の先がカクカク震えていた。かと思うと、今度は頭の下に組んだ手がピクッと動いては止まった。 僕はこのまま清花と二人へやを出て、少し眠らせてあげたいような気にすらなったが、もちろんそんなことは出来ない。 「私達は『風の予感』という調査会社の調査員です。ある筋からの依頼で、英二君の自殺の真相について調べているんです」と、清花が切り出した。 さすがに、死者の気持ちを調査する会社です、とは言わなかった。 「お好きにおやりなさい。覆水盆に返らずと言います。私達にとってはどうでもいいことです。でも、これ以上私達に接触するのはやめていただきたい。ただ、そっとして置いてくれればそれでいい」 「ある筋、というのは、ここでは明かせませんけれど、調査依頼の趣旨は英二君の自殺が『いじめ』によるものだということをはっきりさせてほしい、ということなのです」 「いじめの事実はつかめなかった、と学校関係者は言ってますよ。もし、いじめがあったとしてもそれは自殺の原因ではない。なぜなら、それは表に出ない程度の軽微ないじめであり、そんな軽微なものが自殺につながるはずがない、のだそうですから」 「表面的なことはどうでもいいんです。本当はどうだったのか、私達はそれを調べているだけですから」 「そんなことをして何になるんです? いじめが事実だったとして、英二はもういないんです。いじめた張本人、学校の管理責任、そういったものの責任追及が出来るんですか? 出来ないのなら、そっとしておいてくれ、そう思っているんですよ。わたしも、妻も。それとも仇討ちでもさせてもらえますか?」 「調査の結果を依頼者がどのように使用するかなんて、私達には関係ないんですよ、お父さん」と、僕は会話に割って入った。 清花は少し驚いたようだった。僕のビジネスライクな言い方が吉と出るか凶と出るかはわからない。けれどこのままでは会話が進展しないと思ったからだ。 山下君のご両親が悲嘆のどん底にあるのはわかるし、すぐにそこから這い上がってこれるわけもない。いつまでも過ぎたことをくよくよしてなどと批判する気も、もちろんない。我が子を無くした人に対して、お気持ちお察ししますなどという気もない。 でも僕は、何かを知りたかった。このまま放置していいとは思えなかった。 依頼主である担任教師の真意はわからないし、真相を知ったところでじゃあ僕は何が出来るのかすらわからない。 けれども、このままでいいとは思えなかった。 いじめたヤツはお咎めなしで済むのか? 遺族は泣き寝入りすることしかできないのか? 「息子の死を無駄にせず、社会に何か問題定義する」なんてことを遺族が出来るのだろうか? そういう活動をしている人がいることは知っているが、肉親を、ましてや我が子を亡くした親が、そこまで思い切るには相当のパワーがいるはずだ。時間も必要だ。誰にでもできるとは思えない。 でも、僕たちは赤の他人である。だからすぐに行動に起こせるような気がするのだ。 「つまり、あなた方は、仕事として、つまりお金を得るために、私達のことをつけ回しているんですよ。マスコミだって、何だってそうだ。好きにおやりなさい。私だって、いつまでも会社を休むわけには行きません。息子が死のうと行きようと、仕事はしなくてはいけません。でもね、もう、引っかき回されるのはゴメンなんですよ」 「申し訳ありません。それでも、我々はひとつだけ、聞いておかなければいけないことがあります。ご両親は、息子さんの自殺の原因が、いじめだとお考えですか?」 「あなた方はどう思っているんです?」 「いじめだと、個人的には思っています」と、僕ははっきりと言った。 「警察も、学校も、否定していますよ。なのに、いじめが原因だと思う理由はどこにあるのですか?」 「警察も学校も、否定なんてしていませんよ。『いじめが原因だという積極的な証拠がない』と言ってるだけですよ。だから、受験ノイローゼが原因ではないかとか、社会全体をたださなくてはダメだとか、当たり障りのないことを言ってるだけです。はっきりとした言葉を僕は何一つ聞いていない。だから、いじめが原因だと思うんですよ」 「そうですか。でも、親の意見なんて、もっと役に立ちませんよ。何しろ、肉親です。正常な判断力だって失ってるでしょう。息子を亡くして正常でいられるわけがない」 「かもしれません。ですが、血のつながり、情のつながりがあります。もっとも身近にいる存在です」 「最も身近。世間ではそういうことになるでしょうね。多くの親もそう思っているかも知れません。けれど、子供達にとってはどうだったんでしょうね。ただのうっとおしい保護者だったのかも知れません。私は英二から相談ひとつ受けていません」 これ以上ディスカッションを続けても無駄かも知れないと僕は思った。 何もかもが嫌になっている、そういう状態なのだろう。無理もないことだ。僕にはそれを責めることは出来ない。 清花は僕が発言をはじめてから一言も発しない。 「それじゃあ、我々はこれで失礼します。不躾なことばかりで申し訳ありませんでした」 僕は頭を下げた。正直、言い過ぎたと思った。よく考えれば僕の個人的な正義感なんてお父さんにとって迷惑なだけの存在だろう。 「名刺を置いておきます。いつでも構いませんから、なにか私達に教えていただけるようなことがあれば、ご連絡いただけるとありがたく存じます」と、清花が言った。 「支払いは済ませておきますので、ゆっくり休んでいって下さい」と、僕。 清花を促して部屋を出ようと、ノブに手をかけたときだった。 「息子の自殺は、いじめが、原因だと、私も妻も思っています」と、英二の父は言った。 「何故そう思うんです?」と僕は聞き返しそうになったが、清花に目で合図されて、とどまった。 「いきましょう」と、清花。 僕たちは静かにドアを開け、そして閉めた。 |
それから1時間も経っただろうか。 清花の携帯が鳴った。 英二君のお父さんからだった。 英二君は最近日記を付けはじめていたらしいという。いつから書き始めたのかわからないが、日記など今までつけたことのない子だった。英二の死の知らせを受けた後、ひょんなことで日記らしきものが息子の部屋のデスクにあるのを目にした。読んだわけじゃないので確かにそれが日記かどうか確信は持てない。普通の大学ノートだった。でも今にして思えば、それが日記だったような気がしてならない。手にとって読めば良かった。けれども色々なごたごたが重なって、次から次に人が出入りし、気が付いたらノートは無くなっていた。妻が整理したのかも知れない。だとすればどこかにしまってあるはずだが。手に取ることもなかったので今まで忘れていた。 「もしきちんと読んでいたら、いじめのことが書かれていたかも知れません。そうでなくても、大切な遺品のひとつになったはずなのに。妻にも聞いて探してみます」 僕と清花は、ノートは出入りした誰かに持ち去られたのだと、意見が一致した。 「日記の行方を探そう」と、僕は提案した。 「賛成」 |