第3話 プレゼント「青空」   =5= 



 僕たちは公民館を出た。
 ゾロゾロと歩いて、大通に向かう。
 繁華街は大通を越えてさらにもう一本向こうの筋なのだが、僕たちが案内されたファミリーレストランは大通り沿いの店だった。
 もうひとつ先の通りは、賑やかで、お酒を飲みながら食事をする店や、ゲームセンター、カラオケボックスなどがある猥雑な通りである。一方、大通に面しているのは、ガソリンスタンドや大型スーパー、テナントビルなどだ。いわば綺麗に整ったストリートだった。
 僕たちが入ったファミリーレストランもそのひとつで、明るくて広く、マルチという怪しげな商法とは相入れないようなイメージである。
 我々は総勢6人。
 僕と清花と秋月。それから、秋月と同じ代理店ランクの山田と、山田が新たに勧誘しようとしているカモ。そして、フォローに総代理店まであと一歩という手塚。(手塚の傘下に、今回「風の予感」の調査対象となっている長谷川孝三がいたのだった。)
 さらに、別動隊として、社長と便利屋杉橋。
 清花のセカンドバックには無線機が入っていて、常に送信状態になっている。これを社長が傍受している。社長から清花へのメッセージは、携帯の文字表示で送られてくる。
 手塚は痩せ型の男で、身長もそれほど無い。人のよさそうな笑顔を浮かべるが、眼光が鋭い。
 一方山田は、まじめで平均的なサラリーマンという風体だった。地味なスーツ姿が余計にその印象を強める。だがこれは第一印象であって、実際は食えない男なのかも知れない。油断は禁物だ。
 山田が連れてきた男は「吉備敏哉です」と甲高い声で自己紹介をした。姿勢が悪くて若干背中が曲がっている。そのいかにも自信がなさそうな見てくれだけから評定すると、サラリーマンとしては平均以下、いつまでもうだつが上がらず、気が付いたら後輩が上司になっていた、そんなタイプだ。あまり似合わない明るい色のスーツを着ている。
 事業説明会ですっかりのせられ、頬は紅潮し、上機嫌のようだった。
 ここでなら、サラリーマン社会と違って、オベンチャラの技術や要領のよさとは関係なく、本来の自分の力が発揮できそうだ。そう考え、明るい未来を夢見ている。そんなところだろう。カモとしては絶好、といえそうだ。
 手塚を先頭に僕たちはファミレスに入り、とっさに人数を読みとったウエイトレスは、僕たちをコの字型のソファーがひとつのテーブルを囲んでいるボックスへ案内した。
 手塚は「どうぞ」と、穏やかに言い、ボックスの奥に僕と清花と吉備が座らされた。
 席の勧め方がごく自然だったので、「逃げられない位置」に座らされたことに気が付いたのは、全員が腰を下ろしてからである。
 コの字の、縦線の部分に、上から順に僕、清花、そして吉備と座った格好である。上の横線の部分には秋月が一人で座り、下の横線の部分には、通路側から手塚、山田の順だ。
 一辺に3人座れる広さなので、僕はつい奥に詰めたのだが、秋月が通路側にちょこんと座っていたので、僕はその隣、コの字の上の横線部分にあらためて腰を下ろした。
 それでも簡単に「逃げられない」状況に変わりはない。結局、僕の真向かいには山田が、そしてその横、僕から見てナナメ向かいの位置に手塚がいて、正面からまるで飢えた野獣に睨み据えられるような形になってしまった。かえって重苦しい。さりとて再度席替えするのは変だろう。

 「では、お食事でもしながらということで」と、山田が口火を切る。
 なんとなくぎくしゃくした空気を作りだしていた妙な6人に、声をかけそびれていたウエイトレスは、ホッとしたように携帯端末とタッチペンを構えた。
「支払いは、各自やで」と、秋月が真剣な表情で言う。
「まあまあ」と、なだめたのは手塚だった。「新しいメンバーが三人加わる、その、歓迎会と思ってくれたらいい。歓迎会だから、ゲストはお金を出さなくていい」
 新人3人がもう入会すると決めつけているところが、何ともふてぶてしい。
「そしたらわいはホスト側やないか。わいは勧誘が上手くいってなくて、お金無いねんで」
よく言う。
「ぉぃ!」
手塚が小さく叫んで秋月を睨んだ。手塚という男は、座ってしまえば身長のなさは気にならないものの、恰幅もない。にもかかわらずその眼光の鋭いこと。睨まれればすくみ上がりそうな威圧感を目の奥に潜ませている。
 にもかかわらず秋月はひるまない。
「なんだ!」
 こちらは体型の大きさにものを言わせて、低い声とと共に迫力を演じる。
 手塚は、ついと立ち上がり、秋月に歩み寄る。二人とも通路側に座っているので、移動が容易なのだ。
馬鹿野郎。どういうつもりだ。新規勧誘の席で、苦労してるとか、金がないとか、そういう台詞はタブーだ。
 手塚が立ち上がった時点で気まずさを察知した一同は、知らん振りをしてウエイトレスに注文をはじめている。それを率先したのは山田だった。手塚が席を立った通路側に山田が横移動して、ウエイトレスに声をかけ、そして順番にオーダーを取るように差し向けたのだった。
 言い争いに加わるよりも、山田に従った方がよさそうだと、みんなは配られたメニュー表を眺めたり、メニューの中身をウエイトレスに質問したりしている。
 もっとも積極的に「この、ムニエルというのは、どういう料理法かな?」などと言っているのは山田一人で、みんなの神経をそちらへ向けようとしているのだ。
 「あら、山田さんて、ムニエル知らないのー?」
素っ頓狂な声で応じるのは清花である。そして、ちらりと僕を見る。
 なるほど、山田の神経をこっちに集めておくから、僕には手塚と秋月のやりとりを注目しておけ、そういうことだな。
「ええっと、ええと」
 僕はメニュー表を持ち上げて自分の顔を覆い、目を細くして、耳をそばだてた。
「馬鹿野郎とはなんや。わいはホンマのことを言ってるだけやないか」
「代理店ともあろう者が、そんなことを言いやがって、ただで済むと思ってるのか?」
みんなには見えない。だが、秋月の隣にいた僕にだけは見ることが出来た。手塚の握りこぶしが秋月の腹に納まっていた。
 力一杯たたき込んだわけじゃなさそうだが、単なる脅しのデモンストレーションオンリーでもない。それなりのダメージを秋月は受けていたはずだ。仮にこのパンチが真似だけだとしても、普通の人間だったらこれでビビッてしまうだろう。
 だが、次の瞬間にひるんだのは、手塚の方だった。
 「ぐっ」
 小さくうめいて、床に座り込む。手塚は自分の股間を手で押さえていた。何が起こったかわかっているのは僕だけだ。強面でにじりよった手塚の股間を、秋月が膝で蹴り上げたのだった。
「ええ! あ、お客さん!」
 ウエイトレスが顔色を変えた。金蹴りの瞬間を見ていないウエイトレスにとって、手塚の卒倒は「脳卒中」か「心臓発作」にでも思えたのだろう。
「ああ、大丈夫や。このオッサン、既に呑んでるねん。ちょっと、外の風に当たらしたるわ。すぐに良くなるで。あ、わいは、ハンバーグランチや。このオッサンには、そやなあ、中華粥でも用意したって」
 手塚は左手首を秋月につかまれ、半ば引きずられるようにして店の外に連れ出された。
 「あの、のほほんとした体型に騙されるけど、秋月は。。。」
清花が僕の耳に唇を寄せた。
「中学校時代は体操、高校の時はバスケットボール、大学では柔道の選手だったのよ。で、相撲部屋に入門しようとして、新弟子検査で落ちたのよ」
「へえ」
「体重が足らなくてね。その時の悔しさをバネに、太ったなんて本人は言っているけど」
「そう。。。。風の予感にはいろんな秘密兵器が有るなあ」
 清花の携帯に、社長から文字メッセージが流れてきた。「警察沙汰は勘弁してくれよ(^^;)」
 僕たちのやりとりから、おおよそ状況をつかんでいるらしい。
 「それじゃあ、みなさん」と、山田が全体を見回しながら落ち着いた口調で言った。
「食事が運ばれてきたら、机の上に資料を広げるのもままなりません。秋月さんと手塚さんがいませんけど、早速始めましょうか」
 山田に声をかけられて、吉備は姿勢を正した。
 清花は「ふうん、あっそ」という投げやりな感じで、ボールペンを口にくわえて肘をつき、肘をついた手の掌の上に顎をのせた。
 僕は、というと。。。。どうしよう??
 この時、僕は秋月から与えられた注意を思いだした。
「演技はいらん。本気になれ」
 そうか。
 清花のこの態度は「本気」なのだ。本気で愛の泉を疑っていて、不信感丸出しなのだ。
 つまり、さっき股間を蹴り上げて手塚を外に連れだしたのも、「秋月」の本気のなせる技なのか。。。。よくわからない。
 僕も本気になろう。愛の泉で成功を収めて、一攫千金を手にするのだ。僕の分の初期投資は依頼者が必要経費として支払ってくれる。僕にはリスクがない。ただ、成功するのみだ。
 僕はごく自然に身を乗り出していた。
 いいぞ、僕は本気だ。
 「では、これをご覧下さい」
 山田が取りだして僕たちの前に置いたのは、A4用紙を数枚ホッチキスで留めたものだった。
 僕はそのA4用紙の束をぱらぱらとめくった。同じものが2部用意されている。1枚目、つまり表紙は非常に単純で、「『愛の泉』販売委託契約書」と書かれ、その下に、甲・乙の二つの欄が儲けられていた。「甲」の所には印刷で「愛の泉」の住所などが書かれ、公印が押されている。「乙」の欄は空白である。
 「『乙』は、あなた方のお名前や住所などを記入して、判子を押してもらう欄です」
そう言って、山田はすぐそばの吉備の前に置かれた用紙の、「乙」の欄を指さす。
 吉備はさっそくペンケースを開いて、署名しはじめた。
 「え? これ、契約書でしょう? 中身をよく読まなくていいの?」
 清花はわざわざ吉備の耳元で言った。耳元で発するにはその声は少しばかり大きく、吉備はびくっと身体を震わせて手を止めた。一瞬、山田の表情が曇ったが、すぐに気を取り直したようで、「そうです。契約書です。良くお読み下さい。中身はさきほどの事業説明会で全て説明したことばかりですが、不明な点はご質問下さい」
 「でも、説明会と同じ事が書いてあるんでしょう? だったら、今更読む必要なんて。。。」
 吉備はおずおずと言い、再びペンを走らせはじめた。
 住所を書く。判を押す。
 僕はその様子に、奇妙な違和感を覚えた。
 なぜだろう?
 考える間もなく、秋月と手塚が戻ってきた。
 手塚の表情は青ざめ、秋月の形相は鬼のごとくだった。
 なにがあったんだ?
 「ちょっと、あんた、何か書くもの貸してくれへんか?」
 僕の頭越しに、秋月は清花に声をかける。
 「え? あ、はい」
 セカンドバックを持ち上げ、中に手を入れようとする清花を、いかにももどかしげに見た秋月は、そのままセカンドバックをひったくってしまった。
 そして、「こっちに座ろか」と、手塚を伴い隣のボックスに腰を下ろす。
 「どうしたんですか、いったい」と、山田。
「悪いけどな、勧誘はあんた一人でやってくれへんか。わしらは重要な話があるねん」
 なにか反論したそうな山田だったが、秋月の迫力に押されて、開きかけた口をいったんつぐんだ。
 だが、思い出したように、「あの、秋月さん」と、もう一度声をかける。
「なんや!」
「私が勧誘するということは、私の配下、ということでいいんでしょうか?」
「好きにしろ!」
 何がどうなっているのかわからなかったが、事が急展開しているようだった。
「そ、それじゃ、ええと、立花さんと橘さん、あれ? ふたりとも同じお名前なんですね。ええと、字は、違うんですね、偶然ですねえ、あははは」と、メモ帳を見ながら山田は作り笑いで僕たちに話しかける。
 秋月が席を離れたことで、山田は急にしどろもどろになったようだ。
 「秋月がいてこそ」と思っていたのに、秋月の退席で急に心細くなったのか、それとも、秋月がいとも簡単に勧誘を放棄して、その上、山田の配下で構わないと言ったことに狼狽しているのか、僕には判断が付かない。両方かも知れない。
 「ええと、ご質問がなければ、ここにサインを。双方一部ずつ保管しますので、2部有りますから、両方にサインして下さい。収入印紙はこちらで用意していますから」
「ちょっと、待って」と、清花。
「はい、な、なんでしょうか?」
 清花はA4用紙を何枚かめくりながら、「あ、ここ!」と、指をさした。
「『所定の期日までに代金が支払えない場合は、当会指定の金融機関より融資を受けることが出来る』と、ありますけれど」
「はい、その通りです」
「この返済についてはどうなっているの?」
「それは、その金融機関と販売員の方との契約になりますから、愛の泉は直接関係ないんですよ」
「だったら、どこでお金を借りてもいいわけね」
「もちろんそれはいいんですけど、でも、当会指定の金融機関というのは、ですね、当会の活動を熟知してますから、審査に時間、が、かからないんですよ。と、とても、借りやすくなって、います。それに、売上げに応じて、返済する、っていう特約も、ありますから」
「でも、売上げが思ったように上がらなかったら?」
「ですから、つまり、特例として、『待つ』ということですね。いえ、その分利息はかかりますけど、でも、うちの活動が後で大きく稼げることを良く理解して頂いてますので」
「利息が増えたり、延滞金がかかるんだったら、どこの金融機関もそうですよね。愛の泉指定といっても、特別なことはないんじゃないの?」
「あ、はあ。。。。そう言われれば、そうかも知れませんね。。。。。あ、いや、そんなことはないですよ。審査も簡単だし、事情がわかってますから、厳しい取り立てもないですし」
「だけど、金融機関の方は、返してもらえるはずのお金が予定通り戻ってこないと困るわよね。仮にお金を借りた販売員が途中で『やーめた』とか、言ったら、どうするのかしら。やっぱり厳しく取り立てられるんじゃないの?」
「それは、品物、つまり、クリーンハウスキットの現物を回収するということで、いや、上手くいかないことを前提に話をされると私も困るんですけど、でも、品物で返済してもらいますから」
 「ちょっと、待って下さいよ」と、僕は間に入った。
 山田はホッとしたように僕を見た。清花の矢継ぎ早の攻撃に辟易していたのだろう。
 僕からもっとやさしい質問がでるのではないかと、期待したに違いない。
 だが僕は、期待を裏切った。
「いくら品物で回収すると言っても、売れない販売員がどの時点で諦めるか、が問題ですよね」
「え?」
「さっさと手を引けばともかく、粘って粘って、それで利息と延滞金をたっぷりため込んでから『やーめた』では、品物を回収しても、その代金でカバーしきれないでしょう? その場合は?」
「もちろん、現金で払って頂くことになるでしょうね」
「なるほど」
「え? 何がなるほどなんですか?」
 お金だけが動いて、実際に品物はほとんど動かない。
 愛の泉の商法のポイントはそこにある。
 全体像が何となく見えてきた。
 まず、初期投資をして買ったはずの品物は、「責任を持って本部の倉庫で保管される。会員個人が『保管場所』を確保するリスクを負わなくていい、という建前になっている。だが実際は、本部はいくばくかの在庫を持っているだけだろう。会員数×10もの数は持っていない。そして、実際に販売されて在庫が減った分だけメーカーに追加注文する。あるいは、自前の工場で生産してるのかも知れないが、それならもっとやりやすいはずだ。
 ここで、売上げと出荷に差が出てくる。その差は愛の泉が丸儲け、ということになる。
 この「差」は、会員数が増えれば増えるほど、大きくなるのだ。
 会員は「品物を売る」ことよりも、自分の傘下に新会員を勧誘する方が利益が大きい(なぜなら、新規会員は無条件で在庫を10セット抱えることになる)から、販売活動よりも勧誘活動に力を入れるだろう。そうするとますます「差」が大きくなり、本部は潤うのだ。
 もちろん、実際に品物が販売されても、利益はきちんとあるから、本部にとって損はない。
 じゃあ、いま話題になっているように、販売員が「やーめた」といえば、どうなるか。
 「既に代金を払っているのだから、品物をよこせ」と言われれば、在庫の中から引き渡すだけだ。しかし多くの場合、「販売活動から手を引く」のだから、そんなもの自宅に引き取ってもしょうがないと放棄するだろう。
 愛の泉指定の金融機関から借金をしていた場合はどうだろう?
 自分が買ったはずのクリーンハウスキットを差し押さえられる。
 不足分は「足ヌケした販売員」にやはり返済の義務が生じる。
 一方差し押さえられた品物は、実際には本部の倉庫にある建前になっているから、本部から金融機関に引き渡される。だが、これは建前だろう。販売員から現金は既に本部に流れているから、品物ではなく現金が本部から金融機関に流れる。
 これでは、本部の儲けがない。。。。
 指定金融機関というのだから、裏で何かつながりがあるのではないか?
 「提携」程度のつながりでも、例えば品物の評価額を不当に低くするという約束があれば、本部は現金の流出をその分だけ防げるし、金融機関は金を借りた人から残りを取り立てるから損はない。
 だが、それだけだろうか?
 本当のことはわからないけれど、経営母体が同じ(愛の泉と金融機関が、親会社子会社の関係だとか、組織としては全く別だが、社長が同一人物であるとか)であれば、書類だけのやりとりでチャラにしてしまえるのではないのか? これだと、利息の分だけ愛の泉がさらに儲かる。
 うん、これに違いない。
 金融機関はいわゆる『街金』の類だろうし、リスクを最大限抑えるのなら、広告活動や営業を全くせずに、愛の泉からの客だけを相手にすればいい。どこかで探して訪ねてきたフイの客は、片っ端から審査で落とせばいいのだ。
 「ま、どっちでもいいわ。それくらいのお金は、あるから」と、清花が言った。
「そうか。僕もそれくらいなら用意できるから、関係ないや」と、僕も調子を合わせた。
 そして、山田は赤くなった。
「ちょっと、どう言うことですか。お金を借りる気もないのに、どうして質問するんですか」
「だって、お金なんて、いつ必要になるかわからないもの。労災も雇用保険もないんでしょう? 販売活動の間に、事故にでも遭ったらどうするの? 質問して不思議じゃないでしょう?」
 しれ、っとして、清花が応える。
 「あれ?」と、僕は隣のボックスを見ながら言った。
 「今度はなんです、いったい」
 山田は「しどろもどろ」から、いつしか「ちょっと俺は怒ってるぞ」モードになっているようだった。
「ほら、隣の席、手塚さんと秋月さんと、もう1人増えてる」
「ああ、美里さん、手塚さんの奥さんですよ。いつも一緒に行動してるのに、どうしたのかなと思ってたんですが、遅れてただけなんですねえ」
 話題がそれて、アッという間に、もとの「ですます調」に戻る山田だった。
 「ふうん」と、僕は言った。
 その間に、吉備はサインと押印を終えている。
 山田はそれをめざとく見つけて「じゃあ、これは頂きます」と、手を伸ばした。
 吉備の手元の契約書に違和感を感じていた理由が僕にはやっとわかった。
 ひとつは「氏名」が書かれていなかったこと。
 住所の書き方が巧みだったせいもある。2行に分け、しかも2行目は1行目よりも大きな字で書いてある。ぱっと見ただけなら、1行目が住所、2行目が名前、という勘違いを起こしても仕方ない。とはいえ、こんなことに気が付かずに書類を直し込もうとする山田はよほど狼狽していたんだろう。
 そして、もうひとつ。住所が「風の予感」の事務所になっていたことだ。
 な、何で???

 結局、山田は吉備の書類だけを回収して、席を立った。
 前後して、手塚夫妻も店を出ていった。
 秋月は僕たちのボックスに戻ってきて、間もなく社長と杉橋がやってきた。
 そして、吉備は「主任調査員 吉備恵子」と書いた名刺を僕の手渡した。
 なに?
 吉備というのは、風の予感のスタッフだったのか!
 しかも、男でなくて、女。
 「ま、また騙された」と、僕は力無く呟いた。
 自信なげに背筋を丸くしていたのは演技だったようだ。シャンとした恵子の姿には、男物の明るい色のスーツがよく似合った。清花のように、「きらめき」のような美しさはないものの、整った美人だった。あまりにもその整い方が平凡なので、目立たないけれど。
 うだつの上がらないサラリーマンを演じるために、彼女は背を丸め、伏し目がちにしていた。それは、態度だけではなく、心の持ちようさえも「劣等感」という演技をしていたのだ。
 でなければ、僕の第一印象をこうも見事に裏切ることなど出来ないだろう。
 「心の持ちよう」を演ずるということは、周りの人間にとってもはやそれは演技ではない。
 「みなさん、お疲れさまでした」と、社長が周囲をまんべんなく見渡す。社長の注文で、既にテーブルの上には所狭しと料理が並んでいる。ランチではなく、一品料理ばかりである。ファミレスどころか、これではまるで居酒屋である。
 「ケイチャン、ひっさしぶりー!」と、清花は恵子に抱きついている。
 「さあ、それじゃ、いよいよ大詰めですね」と、社長はテープレコーダーをドンとテーブルの上に置いた。
 テーブルの上には様々なオーダーにくわえてレコーダーまでが載せられて、満員御礼状態だ。
 ビール瓶も林立している。
 「肝心なところだけ、聞いてもらおか」と、秋月。
「わかっていますよ。ちゃんと頭出ししてあります」
社長は「再生」のスイッチを押した。
 「ほんならおまえ、いっつも脅しまがいの勧誘しとったんか」と、秋月のドスの効いた声が流れてくる。
「はい、すいません」と、手塚の声。
「ちょっと、あなた、謝ることなんか・・」と、女の声。これが妻の美里だろう。
「仕方ない。同じ代理店でも、この方は格上の丸特代理店だ。超スピード出世を成し遂げたんだ」
「いずれにしても、やばいんちゃうか? 勧誘は丁寧にやらんと、恐喝だの、マルチだの、訴えられるで。そしたら、あんただけやない、組織ごとつぶれるで」
「しかし、成績が上がらず、焦っていたんだ」
「あほう! お前の事情なんかどうでもええ。とにかく、明日から一件づつ謝りに回らんとな。上手いことやってる人はええけど、泣きを見てる人も大勢いてるはずや。ことによったら、全部被害かぶってやらんとあかんかもしれへん。爆発されて、訴えられたら終わりやで」
「そ、そんな。全部被害を被るって。。。そんなことをしたら破産だ」
「訴えられたら刑務所行きやで」
「しかし、本人自筆の署名が契約書にはきちんと」
「おまえはつくづくアホやなあ。脅されて書いた契約書なんか、なんの効力もないねんで」
「。。。。。。」
 秋月は、清花に「書くものをよこせ」といいながら、セカンドパックごと持っていった。実は最初から、その中にあった無線の発信器を必要としていたのだ。そして、手塚とのやりとりを送信する。受信していたのは、杉橋と共にバンの中で待機してた社長だ。社長はそれを録音してこの場に持参、再生したのだった。
 「ま、こんなとこですかね?」と、社長。
「おおきに。それでええわ」

 「というわけで、手塚から配下の名簿を手に入れたで」
 秋月が自慢げに言うと、手帳をポンとテーブルの上に放り出した。
「本当に、一人づつ謝りに回るの?」
 うんざりしたような表情で恵子が言う。
「そんなことするか。手塚が訴えられようと、組織が潰れようと知ったこっちゃない。ええか、依頼人の長谷川はんは、手塚の配下やってんで。ということは、依頼をこなすには、同じように、手塚の配下を訪ねて話を聞くんが、早道とちゃうか? そう思ったんや」
「早道かどうかは、やってみなくちゃわからないけどね」と、清花。
「せやけど、アイディアとしてはええやろ?」
「うん、そう思う。組織潜入だけ果たしても、膠着状態だったらしょうがないもんね」
「ま、そういうわけなんで、明日から手分けして回って下さい」
社長がその場をまとめるように言った。
 「今日の所は、とにかく、いっぱい食べて鋭気を養ってくださいね」
 「ねえ、清花」と、僕は言った。
「なあに?」と、頬張った唐揚げを喉の奥に押し込んでから、清花が僕を見る。
「社長、いつもとあんまり変わらないようだけど、でも、なんとなく機嫌がいいように見えるけれど」
「そうね。私もそう思うわ」
 僕たちの会話を耳に挟んだ社長は、「そうだよ」と言った。
 宴席が盛り上がりを見せる中、社長は僕に訥々と語ってくれた。その内容はこうだ。
 いま、ここにいるメンバーが、現在の「風の予感」の全てだ。
 社長、清花、秋月、僕、恵子、そして、外部スタッフに杉橋。
「君はもう立派に、スタッフの一員です。だから、いつか全メンバーに引き合わせたいと思っていたんですよ。捜査の途中で、こんな形でオールキャスト集合、という形にしたのは、なんだか申し訳ないような気もしますが、ただ集まって自己紹介というのでは、心の絆なんて深まらないでしょう?」
 それが社長の「思い」なのだった。
 「心の絆、なんて言ってると、『愛の泉』にはまっちゃいますよ」
「あはは。もう少し早めにその忠告をききたかったですね。そう、せめて、こんな依頼を受ける前にね」
 社長はビールをあおった。本当に上機嫌のようだった。
「そうねえ、もう私達、愛の泉にはまってしまってますよね」と、清花がおどけて言った。
 少し酔っぱらっているようだった。





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