第4話 スーベニール「未来の子供達のために」 =8=
社長に起こされて目が覚めた。 「よく眠れましたか?」 「あ、すいません!」 すぐに起きるつもりだった。まさか社長が戻るまで眠りこけていようとは自分でも驚いた。寝てもいいよと言われていたとはいえ、それはあくまで仮眠の範囲。本格的に眠ってしまうとは不覚である。いつもの僕なら目を覚ましてから頭が回り始めるまで30分くらいかかるのだが、「しまった」という失跡の念が脳髄を突き刺して、僕は一発で覚醒した。 「慌てなくていいですよ」 「あ、いえ、もう大丈夫です。バッチリですから」 言ってから、何がバッチリなのか自分でも意味不明だなと思いながら、毛布をたたんだ。ロッカーに戻そうと毛布を抱えると、「あ、そのまま置いといて下さい。今夜もここで寝ますから」 「そうなんですか?」 「それより、少し話をしましょう。喉は渇いてませんか?」 「そういえば、少し。寝起きですから」 寝ている間の発汗量が僕は普通の人よりも多いと思う。普段から寝起きにはだいたい合計コップ3杯から4杯分のなにかを飲んでいる。喉が乾いているという自覚症状は少ないけれど、それは多分頭の回転がしっかりしていないからで、いざ飲み始めるといくら口にしても「もういいや」という気分になれなかったりする。 「じゃあ、コーヒーでも用意しましょう」 社長は本当にコーヒーが好きだ。奥の小部屋に入った社長は、すぐに戻ってきた。手には缶コーヒーが2本。 「あれ? 缶コーヒーなんですか?」 「僕が入れるより美味しいはずです」 社長はすっかり自分のコーヒーに自信を無くしているみたいだった。 「そんなことはないですよ。社長のコーヒー、美味しかったです」 「まあ、いいじゃないですか」 「いいですけど」 缶コーヒーのリップを開け、唇につけると、自分でも意外なほどにぐいぐい飲めた。やはりかなり汗をかいていたのだ。 「ところで、話って、なんでしょうか?」 「そうですね、うん。橘クンもここで仕事をするようになって、そこそこ日が経ちますよね」 「そうですね。季節がひとつ変わりましたから」 「どうですか? ここの仕事は?」 「どう、と言われましても、まあ、気に入っています」 僕は最初に担当した案件を思い出しながら言った。 |
それは、年老いて死んだ祖母の気持ちを調査して欲しいという男性からの依頼だった。調査対象は祖母。 おばあちゃんはお好み焼き屋を経営していたが、足腰が弱くなったために廃業。美味いと評判の店であった。臨終の間際まで「店を継いで欲しい」というようなことは語らなかったが、孫はそのことが気がかりだった。気がかりだったが、自分も父も別の仕事をしている。お好み焼き屋に転業することなど出来ない。だから自分から話題にはしなかった。「今の仕事をやめてお好み焼き屋を継いで欲しい」と言われても、引きうけることが出来ないからだ。出来ないことに期待を持たせるのは罪だと思っていた。 おばあちゃんの死後、このお好み焼き屋は息子の手はずで不動産会社を通じ売却が決定していた。依頼者は買い手がついたことでなおさら気にかかったのだろう。 親しかった人に聞くと、おばあちゃんは店を閉めた後も掃除を欠かさなかったという。生きているうちは綺麗にしておいてあげたい、そして、私の死とともに店も朽ちて行くんだ、そう語った。 その人との会話で僕は確信を持った。 「店が無くなるのは寂しい。出来れば息子や孫が続けて欲しい。けれど、無理につがせたいとも思っていなかった」 そんな結論を出して、「ダメだ」と、清花に言われた。 店が本当に無くなってしまうのを寂しく残念に思っていたと依頼者が聞かされて、「はいそうですか、なら、再開します」と、依頼者はその思いに報いることが出来るのか? 出来ない。出来ないからこそ気がかりで調査を依頼してきたのだ。だったら、そんな報告書は生者を苦しめるだけだという。 「私達の調査は、死者をともらう為にやっているんじゃない。生者が心安らかに暮らせるようにしてあげるのが仕事よ」 ならば、「おばあちゃんは、店が無くなることをなんとも思っていなかった。私がお好み焼き屋で近所の人達から愛されたように、息子や孫にもそれぞれの道で頑張って欲しいと願っていた、そう報告書に書けというのか?」 僕が言うと、清花はその通りよ、と頷いた。そのための根拠を集めるのが私達の仕事、だから、まだ調査不足なんだ、と。 「いい、和宣。お墓参りは何のためにするの?」と、清花は僕に訊いた。 清花はその答えを持っていた。 「死者を拝む為じゃない。生者は自分の中に棲む死者を拝んでいるの。つまり、自分自身を慰めるためのするの。死者は生者が拝んでいることを知っているの? 知っているかどうかすら、生者にはわからない。なのに、なぜ拝むの? そう考えたらわかるでしょう? 全ては自分のため。自分の中に生き続ける死者のため。天国は生きている人の心の中にこそある」 僕たちは生前のおばあちゃんの写真を手に入れた。そして、既に買い手がついて他人の物となったお好み焼き屋に侵入して写真を撮った。 これらふたつの写真を合成した。 店は撮影前にとことん清掃したし、しきれない部分は画像を加工した。 こうしてぴかぴかの店内にいるおばあちゃんの写真を作り上げた。 「私が死んで掃除する人がいなくなれば、この店は汚れ朽ちる。それでいいんですよ。私と共にあり、私と共に終わる」 誰にともなく語ったおばあちゃんの台詞を報告書の決め手とし、合成写真を証拠の品として報告書に添付した。 後で思えば、継ぐ人がいない心残りと、諦めを、息子も孫も気が付いていたに違いない。そこへ、追い打ちをかけるような調査報告を提出しては、我々の存在する意味がない。 だが、このなかばでっち上げられた報告書にこそ、おばあちゃんの息子や孫への暖かい気持が込められていた。 「風の予感」は真実を調査する探偵社じゃない。真実の奥にひそむ人の心をやさしく微笑むようにして、そっと取りだしてあげる調査機関なのだ。 |
「気に入っています、というよりも、素晴らしい仕事だと思います」 僕は言い直した。 「どうです? 大学に無駄な学費を払い続けるくらいなら、正式にうちのスタッフになりませんか?」 「え? 正式なスタッフ、ですか?」 「近いうちに、会社組織にしようと思うんです。しがない有限会社ですけどね」 「おめでとうございます」 「うん、それでね、秋月クンのように仕事を持っている人は別として、そうでないスタッフには社員になりませんかと、声をかけようと思いましてね」 「なるほど・・・。」 悪い話ではないかも知れない。 僕は「オフィス・風の予感」の仕事に、のめり込み始めているのは確かだ。調査機関とはいえ、業務内容が一般のいわゆる「興信所」とはことなり、人の心の繊細な部分に触れるとてもヒューマンな仕事であるところが気に入っている。 第一僕は、そろそろ将来のことを真剣に考えなくてはならない、と思い始めていた。たとえ4年で卒業することが無理だとしても、いずれ卒業を目指すのなら、いつまでもこんな生活をしているわけにはいかない。親に援助を頼み込んでも、バイトを減らさねばならない。逆に、大学を見切るのであれば、それはそれでそろそろ結論を出すべきだろう。社長から誘いがかかったのは、ひとつの契機のように思える。 「あらためて昨日、橘君の履歴書に目を通させてもらいました。明日、誕生日なんですね」 「え? あ、そうか」 明日、僕は22歳になる。 自分の誕生日を失念するなんて、迂闊だった。 もっとも、下宿に戻れば思いだしただろう。自分一人しかいない下宿で。しかも大学生という身分を全う出来ていない自分を情けなく思いながら。 「清花、あ、いや、立華サンはどうなんですか?」 「もちろん誘っています。橘君以上に、彼女は候補ですよ。だって、あなたは学生だ。けれど、彼女はフリーですからね」 「で、なんて?」 「もう少し考えさせて下さい、ということでした」 「そうですか。僕もちょっと考えたいです。僕は学生で、しかも卒業のめどが全然なくて、これからどうするか、真剣に考えないといけません」 「わかります。でも、これだけは覚えといて下さい。僕は社員に学歴を求める気はないんです。キミさえよければ、大学を辞めて、来て下さい」 「わかりました」 「期待していますよ」 「はい」 期待、か。こんなことをいわれるのは何年ぶりだろう。中学校の進路指導面談の時が最後だったのではないだろうか? 「ところで、ひとつ、いいですか?」 僕は気になることがあったので、質問することにした。 「なんでしょう?」 「もし僕が、卒業を目指して大学に真面目に通う決意も出来ず、同時に風の予感に入社しようと思い切ることもできなかったとして、その場合は僕はもうここでは仕事が出来ませんか?」 「現状をダラダラと続ける、ということですね」 「ダラダラ・・・、そうです。そういうことです」 「それは、あなたが決めることです。もし橘君が現状維持のまま調査員を続けたいというのであれば、僕は仕事を依頼するでしょうね。なぜなら、決断をしないことであなたはひとつのチャンスを逃すことになりますが、でも後でもっと大きなチャンスを手に入れるかも知れない。全ては可能性です。決断と可能性の駆け引きですね。あなたの人生ですから、僕にはそれをどうこうする事は出来ません」 「わかりました」 「今の質問は、つまり、少なくともこの仕事は好きで続けたいと思っている、そう判断していいのかな?」 「もちろんです」 「ありがとう」 「いえ」 僕は社長の口から「ありがとう」なんて台詞を聞くとは思わなかった。ちょっと照れくさかった。 |
下宿に帰った僕は、明日22歳になるという事実に打ちのめされながら、これからの生き様のことを考えていた。ふう、とひとつため息をついたとき、電話が鳴った。このままだと思考の袋小路に陥りそうだったので、この時の電話はありがたかった。 |
風の予感を辞めて、要領よく単位の取りやすい授業だけを選び、適当なバイトをすれば、4年では無理としても、なんとか大学を卒業することは出来るだろう。 大学を卒業して、普通に就職する? ひとつの定番の生き方であり、定番に対する憧れはあったが、魅力は感じなかった。 そもそも「普通に就職する」とはどういうことだ? 慣れないスーツを着て、汗みどろになりながらいくつもの会社を訪問し、いつくるかわからない「内定」の電話を待つのが普通なのか? そうして、たとえ望み通りではない職種や会社であっても、「内定」が出されればうち震えて喜ぶのか? それが、普通なのだろうか? 高卒で就職した友人は、1カ月もしないうちに「あんな所、辞めてやる」なんて言っていたし、事実辞めたヤツもいる。大卒だって同じだろう。ならば、風の予感に飛び込んだ方がいいに決まっている。少なくとも僕はこの仕事に疑問を持っていない。 なのに、思い切れないのは何だ? 定番に対する憧れ? 「風の予感」の将来性や事業に対する不安? それとも、有名な会社名が入った名刺を持ちたい? そんなことはつまらないこだわりだと思っていたはずなのに、実はそのつまらない考え方に心のどこかで捕らわれていた自分に気が付く。 |
そうだ。電話が鳴っていたんだ。 「はい?」 「あ、和宣? って、聞くまでもないよね。どうせキミしか出ないもんね、その電話」 「悪かったな。なんだよ、こんな夜中に」 憎まれ口を叩く僕に、清花は底抜けに明るい声で、「誕生日オメデトー」と言った。 時計を見ると、12時を少し回っていた。 「どうせ、祝ってくれる彼女なんていないんでしょう?」 「それはそうだけど、オメデトーのあとに、いきなりそれはないんじゃない?」 「だって、事実じゃない」 「清花が知らないだけかも知れない」 「ね、今からそっち、遊びに行っていい?」 「何時だと思ってるんだよ」 「12時」 「こんな時間に、男の部屋に来るなんて・・・。」 「あら、気にしないで。わたしはいま、東京行きの夜行バスに乗ってるの。だから、着くのは明日の朝ね」 「・・・勝手にしろ」 「そうする」 最後に小さく、彼女は「アリガト」と言って、電話を切った。 |
僕は彼女の言った「アリガト」の意味を計りかねていた。ふざけ半分の会話でも結局最後はわたしを受け入れてくれた。それに対するアリガトなのだろうか? それとも、そんな具体的なことは関係なく、「逢いたい」という気持に応じたことへのアリガトだろうか? 清花。 一緒にいたいな。 僕は彼女の顔を思い浮かべながら、ふと思った。 一緒に仕事をしたい? したい。いいパートナーだと思うし、いい仕事が出来ると思う。 仕事でないときは? もちろん、一緒にいたい。 好き? 好きだ。間違いない。 どうして? 彼女のどこが好き? そんなことはわからない。けれど、お互いの良い面を伸ばしあえるような仲だと思う。 それだけ? 一緒にいると、愉快だし、なんとなく心がホッとするし、物事を前向きに考えている自分に気が付く。 それだけ? 女性としても、魅力的だし。 本当にそれだけ? それだけじゃない。愛している。 多分・・・。 だけど僕は彼に勝つことは出来ない。交通事故で死んだ清花の元恋人に。 どうしたら死人に勝てるというんだ。やい、出てきておれと勝負しろ! 清花の彼は交通事故で死んだ。死んだ後も、まだ彼女の中で生き続けている。 |
清花と一夜を共にする機会はあった。いつまでも消すことの出来ない死んだ恋人を払拭するために、彼女は僕に抱かれることを望んだ。けれど、彼女の心の中に触れた僕は、清花を抱くことが出来なかった。 当時、清花は初心者ライダーで、彼と一緒に初めてのツーリングに出かけた。 平地や登りでは、清花が前を走り、彼が後ろを走った。初心者である清花のペースで走らせる為もあったし、ライディングフォームを彼がチェックする意味もあった。 峠を越えたところで、この順番を換えた。カーブの連続する下り坂は難易度が高く、彼が先行することによって、そのラインを清花に辿らせようとしたのだった。 そして、前方からトラック。 彼は、振り向いた。「気を付けろよ」とでも合図をしたつもりだったのだろう。 その時、ほんのささいな運転ミスがあった。彼のバイクは中央線をはみ出し、反対車線にあった。 トラックと、衝突。 トラックにはねとばされた彼は、大きく跳ねて地面に落下、その上をトラックが乗り越えた。前輪と、後輪が彼の身体を踏みつけた。即死だった。 僕はこの時の様子を、清花本人から聞いたのではない。有田社長から教えられた。社長は事故の様子を詳しく知っていた。なぜなら、清花が社長に依頼をしたからだ。 死にゆくその瞬間の彼の気持ちは、どんなだったか? 「おおよそ、考えられる調査結果は、ふたつに集約されると僕は思いました」と、社長は言った。 「ふたつ?」 「そうです」 ひとつは、目の前に迫ったトラックにもうダメだと感じながらも、振り返ることで何とか清花に危険を伝えることが出来ただろう。だから、それだけで満足だった。 ふたつめは、目の前のトラックに驚愕し、清花のことなど意識からふっとび、とにかくなんとか回避をしようとした。 社長は説明してくれた。 「さらに、ここでふたつの選択肢が登場します。目の前に迫るトラックに観念した、がひとつ。もうひとつが、最後まで回避への努力を怠らなかった、ですね」 「社長はいつもそんな風に、あらかじめ答えを用意してから調査するんですか?」 「それは、色々ですね。ただ、立華さんのケースのように、はっきりといくつかの選択肢が思い浮かぶのは、依頼者が既にそれを自分の心の中で用意している時がほとんどです」 「依頼者の心が読める、と?」 「まさか。お話をしていると、言葉の端々からうかがうことが出来る、ということです。中にははっきり口にする方もいます。 おそらく本当はこうだろうけれどそうじゃなければいいなとか、調査の結果がこうだったら救われるのになとか、色々なメッセージが伝わってきます。 風の予感の仕事は、長年の気がかりが晴れるとともに、依頼者がホッと安心できて、心に安寧が訪れる、そんな調査結果を出してあげるのが理想です。 もちろん、調査はきちんとしますから、別の結果しか引き出せないこともあります。そういうときは、結果を誤魔化すわけにもいきませんから、少しでも気の休まる解釈をしてあげます。いくつも優しい言葉を添えて、ネ。それで依頼者はやはりホッとするんです」 「立華さんの、場合はどうでした?」 「依頼をお断りしました」 「え? なぜ・・・」 「彼女は現場にいたんです。誰よりも死者の身近なところに。こういうケースはやっかいなんです。物理的に近いところにいたからと言って心も近いとは限りません。けれど、彼女と彼は恋人同士。心も常に近くにありたいと強く望んでいました。そこに、他人の解釈が入り込む余地はないんです。そう言う意味では、長年連れ添った夫婦からの依頼よりもやっかいなんです。なぜかというと、夫婦も長く続けていると、所詮他人同士が暮らしているんだとわかっています。そのふたりがお互いを尊重し合い、理解し合おうと努力しながら、寄り添っているんですね。その努力こそが尊く幸せなんだとわかっています。 けれど、恋人同士の場合は、ひとつでありたい、ひとつであるはずだ、という思いが強いんです。 そして、彼女は現場にいた。物理的な距離の近さがその思いをさらに強めます。 どんな調査結果を出したところで、彼女は納得しなかったでしょう。 我々が出せるようないくつかの選択肢は、既に彼女の心の中に用意されていますが、そのどれにも確たる根拠が無く、彼女は選択肢を選ぶことが出来ないでいたはずです。だから依頼に来たんです。 確たる根拠というのも変ですよね。死者の気持ちなんて所詮理解できっこないんですから。自分なりにどう理解していいか決めかねて、ぐらぐら揺れていたというのが正解でしょう。 そんな状態ですから、どんな調査結果を渡してあげても『そうだったんですね』と、納得することが出来ずに、彼女をさらに苦しめるだけだと思いました。本人が乗り越えるしかなかったんですよ、彼女の場合」 「気休めぐらい言ってあげても良かったんじゃないですか?」 「もともと我々の仕事は、気休めを言うためにあるんですよ。でも、どんななぐさめや気休めも通じないときが人にはあると思いませんか?」 「そう、かもしれませんね」 「だから、立華さんの場合、我々に調べるべきことなんて何もなかったんです。あとは、彼女が自分の中でどう気持に決着付けるか、なんですよね。 僕は、依頼を断りました。そして、早く忘れなさいと言ったんです。忘れるっていうことは、記憶を無くすこととは違います。想い出の中に置きなさいと言うことです。生きている者は、死者と共に生きてはいけないのです」 でも、恋人を失ったばかりの清花は、私の言葉を受け入れたようには思えなかったと、社長は言った。彼女の心の中には死者がいて、死者と共に生きようとしていた、とも。 「だから、僕は彼女をこの仕事に誘ったんです。僕が何故こんなことをしているか本当に理解できたとき、それは彼女が死者と決別したときと同義語だと思ったからです」 だからといって、そういう境遇にある人全てをスカウトするわけではないと、社長は付け加えた。むしろ、これが最初で最後だろうと。ではなぜ、清花に限って、一緒にこの仕事をやろうと声をかけたのかというと、社長自身にもわからない。衝動的に誘いの手紙を書いていた、という。 社長は清花に、「この仕事をすることでノウハウを身につければ、ああた自身で自分の依頼を調査できるはずです」と手紙に書いた。 「でも、それ、本気じゃないんですよね」 「もちろんそうです。本当の意味でノウハウを身につけたら、それは彼女の中で既に全てが解決した、ということです。調査の必要なんてありません」 社長はいったん言葉を切り、小さく頷いた。自分の考え方は間違っていない、そう自分で再確認したような頷きだった。 「彼女が死んだ彼のことに決着がつけられたら、その時は、きっと和宣君の想いも、彼女に伝わるはずですよ」 「え?」 僕は慌てた。社長は何を言おうとしているのだ? 「隠さなくてもいいです。あなたがたを見てればわかりますよ。彼女のこと、好きなんでしょ?」 「まあ、ええ」などと僕は曖昧に応えた。 「和宣君、キミが清花ちゃんを想っている以上に、彼女はキミのことを愛していますよ」 え? まさか。 「まさか、と、思っているかも知れませんね。だけど、そうなんです。ただ、彼女の中にはまだ、以前の彼が『生きて』いるんです。それが大きすぎて新しい想いに気が付かない。いえ、気付いてはいるんでしょうけれど、一歩先へ進めない。それだけのことですよ」 「僕に救いだしてやれ、こうおっしゃるんですか?」 「出来ればそうであって欲しいと思います。でも、それは無理だと思います。清花ちゃんを救えるのは清花ちゃんしかいないんです。ただ、和宣君、キミはそのための大きなきっかけになれると、僕は思うんですけどねえ」 |
そうだろうか。 そうかもしれない。 そうであって欲しい。 |
「ところで、社長」 「はい、なんですか?」 僕は心に引っかかるものがあったので、あえて口にしてみた。 「失礼を承知で言いますけど、それは、社長がやろうとしてやれなかったこと、ではないんですか」 「ん、まあ、イイ線行ってます」 「じゃあ、社長も彼女に、思いを寄せていたんですね?」 「あはは、今、『も』って言いましたね」 「あれ? そうでしたか?」 「言いましたよ。じゃあ、和宣君『も』、ということですね」 「もう、いいです」 自分の気持ちに決定的に気付かされて、僕は狼狽した。 |
本当なら、慌てる必要なんて何もない。なぜなら、僕はそのことに本当はとっくに気が付いていたから。でも、認めたくなかったんだ。清花が今のままでは僕の気持ちを受け入れてくれないのがわかっていたから。 もし今の彼女が僕を受け入れたら、それは死者の代用品。 僕は席を立った。 社長に背を向けて、その場を去ろうとして、僕の質問に社長が答えていないことに気が付いた。 「で、社長は彼女のことを、どう思ってるんですか? 僕に任せてしまっていいんですか?」 「ええ。いいんですよ。今から思えば、僕は彼女に一目惚れしていたんですね。けれど、僕と彼女は10も離れていましたし。いや、年齢差なんてただの言い訳ですね。出会ったとき、僕と彼女は、商売人とお客という関係だったし、今は上司と部下、あるいは、雇用主と雇用者・・・。 ああ、これも所詮言い訳ですね。つまりは、結局、僕と彼女は響き合うものが無かったわけです。一方的に僕が、思いを募らせただけで。でもね、和宣君と清花ちゃんは、ちゃんと響き合っています。あ、僕にも今はきちんと付き合っている人がいますから、安心して下さい。嫉妬もしませんし、邪魔だてもしませんから」 「わかりました」 |
僕はあの時、「わかりました」と言った。いったい何がわかっていたというのだろう。何もわかってなんかいないし、わかっていたとしても、次にするべきことが何か全く考えつかなかった。これでは、わかっていないのと同じだ。 次にするべきこと。実はそんなに難しいことではなかった。むしろ、簡単で単純なことだった。 正面から、彼女に思いを告げること。 自分の気持ちをぶつけること。 だが僕がこのことに思い至るまでには、まだもう少し時間がかかった。 |
「おはよー。誕生日オメデトー」 耳元でけたたましい声が祝辞を述べた。清花だ。 「な、なんだよ」 「呼び鈴押しても反応がないから、入って来ちゃった」 「こんな時間に男の部屋に忍び込んで・・・」 「こんな時間まで寝ている方が悪い」 「え?」 「もう9時。それよりも、ほら、これ」 おみやげ然とした箱を僕に差し出す。 「なに?」 「誕生日、おめでとう。プレゼントよ」 「あ、ありがとう」 「冷蔵庫に入れといてね」 「れ、れいぞおこお?」 「笹蒲鉾だから」 「あ、仙台へ行ってたんだっけ。って、単なるお土産じゃないか」 「そ、お土産。誕生日だから」 「・・・さいですか」 誕生日じゃなかったらお土産もないのか。 ま、仕事で出かけたんだから、それが普通かな。誕生日を気にかけていてくれたんだ、素直に喜べばいいさ。 「さ、行くわよ」 「って、どこに」 「事務所に決まってるじゃない」 「そ、そんなに慌てて」 「あら、言ってなかった? 杉橋さんと待ち合わせしてるんだけど」 「便利屋の? 聞いてない」 「聞いてても聞いてなくてもいいから、早く着替えて準備して!」 僕が起きあがると、清花はおせっかいにも布団をたたみ始めた。 「わあ、そのままにしておいてくれ」 「なあに? 布団の下にエッチな本でも隠してあるの?」 「一人暮らしでそんなことする必要はない。夜になってまた敷くのが面倒なんだ」 |