夏の陽射しは北海道の雄大な山々にも容赦なく照りつける。
ほとんどの陽光は、木々がたっぷりと広げた枝葉に遮られて、ハイキング道を歩く人間まで届かないが、枝葉のわずかな隙間から届くそれは、ジリっと肌を焼く。薄暗い森にシャワーの一筋一筋のように、陽光は注いでいた。
緯度も高度も高いから「熱さ」はそれほど感じない。それどころか夏のいでたちには涼しいくらいだ。けれども、太陽の光は光なのだ。
恵は葵えみ子と二人で、片道30分の道のりを、展望台に向かっていた。恵には通い慣れた道だ。
深い森には冷気というのか、霊気というのか、人間の通常の感覚では説明しきれない空気がある。説明は出来なくても、肌で感じることは出来る。人間も自然界に生きる動物なのだから。
それが実際以上に「涼しさ」というか「肌寒さ」というか、そういうものを感じさせるのだ。
恵は慣れっこだったが、えみ子は時々肩をすぼめるようにして、小さくブルッと震えるのだった。
風に吹かれるがままに木の枝や葉がこすれ合い、ザワザワと音を立てる。どこから聞こえてくるのかわからない鳥や虫達の発する音。
「なんだか不気味」と、えみ子が言った。
「平気よ。山ってこんなもの。まだここは普段から人が行き来するだけマシだと思うわ」
「人が行き来する? こんな所を?」
「うちのお客は、たいてい展望台までさっぽするわよ。何度も何度も訪れる人もいるし。あとは、キャンプの道具を持った山男、山女かなあ。展望台を越えて遙かに山深く入っていくの。」
「ふうん。そういう生活とは縁がなかったなあ」
「今は無くても、昔は?」
「多分、ない。わたし、小学校の時に養子に出されて。そりゃあ、新しい両親はわたしをきちんと育ててくれたけれど、家族旅行とかしなかったし。
あ、誤解しないで。ひどいことをされたわけじゃないのよ。普通に、ううん、もしかしたら普通以上にわたしはその家で実の娘だったかも知れない。ただ、そこでは家族旅行に行く、なんてこと、きっと両親は思いつきもしなかったのよね」
「それ以前の、本当のお父さん、お母さんとは?」
「残念だけど、覚えていないの」
「ふうん。だけど、なんで養子になんかに?」
「わからないの。未だに。だけど、両親も教えてくれないし、だったら訊くつもりもないし」
「へええ」
生みの親にずっと育てられることが当たり前になっている人にとっては、もしかしたら不幸な境遇かも知れない。場合によってはあれこれ訊くのもはばかられる話題だ。
そのあたりの神経が決して恵に欠落しているわけではない。
えみ子がそういう不幸な雰囲気を全く持っていなかったから、訊くことが出来たのだ。
やがて展望台に続く道がクライマックスを迎え、一挙に急峻になる。
ハアハアと大きく息をしながらでないと、登ることが出来ない。会話は途切れた。
通い慣れた恵はともかく、えみ子は前に出した足の膝に掌を添え、ぐっと下に押すようにして一歩一歩登るのだった。 展望台からは十勝平野がはるかに見渡せる。
吹き渡る風を遮るものも無くなった。
太陽光線がジリジリと肌を刺し、すぐさま冷涼な風が肌をなでて焼け付き感を取り払ってくれる。
恵もえみ子も肩や足をさらけ出す格好をしていたから、風がなかったら耐えられなかったろう。
えみ子は展望台にもたれかかって、いつまでも風景を見下ろしていた。広大すぎてつかみ所が無く、茫漠たる印象を与えるその風景は、頭の中を空っぽにして、時の流れさえ忘れさせてくれる。
恵もしばらくはえみ子と同じようにしていたが、やがて腰を下ろし、両手を後ろについて体を反らし、森の中に視線を向けた。
そこにはただ、森があるだけ。だが、その億にある見えないものを見ようとしているようでもあった。
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