エピソード6 恋するキッチン |
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「おい! こら! そこはどこだ!?」 |
つい余計なことを言ってしまった。間違ったことは言っていないが、まがりなりにも相手はお客様である。お客様の旅のスタイルを批判もしくは否定してしまったのだ。 |
もう一泊したいと二人からの申し出があったのは、恵が引率した半日ミニトレッキングから庵に戻ったときだった。 |
そんなわけで、今日の昼はチャーハンになった。定価550円だから、特製カレーの3分の一程度の値段だ。昼食後にコーヒーで一服して、カレー教室が始まった。 |
「うちの本式のカレーはね、まず普通にカレーを作って一日寝かす。そして翌日、同じようにカレーを作って、昨日のものと混ぜるんだよ。カレーは煮込み料理だから、いったん煮込んでそれを冷めるままにして放置して、翌日もう一度火を入れるととても美味しくなる。でも、それだと香辛料の鮮烈さがぼやけてしまうから、作りたてのカレーを混ぜ込んでしまう。これが庵カレーの秘密だ。今日はまだ作りたてのカレーしかなかったから、もう一泊するんなら明日本式の庵カレーを食べてもらった方がいいだろう」 |
杜の庵では朝・昼・晩と3食を提供している。しかも、食事と食事の合間には、喫茶のみのお客も受け入れている。目の前にお客がいないからといって仕事がないわけではない。仕入れや仕込みが必要だ。電話一本で配達してくれる業者もあるけれど、ほとんどの場合は買出しに行く。これを食事や喫茶の合間にこなすのだ。 |
この日の客は昨日から泊まっている女の子二人の他に、新しくやってきた老夫婦が一組。口数は少ないが穏やかな笑顔を絶やさない。庵の扉を開いたとき、部屋に案内されたとき、食事を出したとき、その他もろもろ何かをしたときには例外なくその穏やかな笑顔で小さく「ありがとうございます」と礼を述べる。 |
翌日。朝食の片づけが終わると特製カレーの製作だ。老夫婦はさっさとハイキングに出かけたが、沙織と美香は残った。一緒にカレーを作るのだ。 |
「どうしてミンチを入れるんですか?」と、美香が言った。美香のほうから先に口火を切るのは珍しい。 |
これじゃ、お客にカレーライスを提供しているのか試食会をやっているのかわからないなと恵は思った。 |
「最初はお腹がすいているからガツガツ食べる。空腹が少し満たされると会話が始まる。これは普通の食事の場合。偉大な食事は逆なんだよ。口にしたときのその感動を伝えようとみんな喋り始める。だからなかなか食事が進まない。けれど、気がついたらいつの間にか会話がなくなってる。あまりの美味しさに食事に夢中になるからだよ。でも、途中で会話がなくなるけれど偉大な食事は食後にまたお喋りが始まるんだ。普通の食事は『食べる』という目的が果たされたら、食卓を離れる。そういうものだよ」 |