ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

29.

 おばあさんに川上荘の慰安会に参加する許可を貰った真也は、それでもその日、朝から仕事をしていた。
 雨戸を開け、カーテンを端に寄せて太陽の光を店内に誘い込み、そして、扉も開けて換気した。店内はすっかり綺麗になっており、日々のこまごまとした清掃をするだけで十分になっていたが、何年も営業していなかったせいもあって、空気だけがどこか澱んでいるような気がしてならないのだ。
 おばあさんが顔を出すタイミングを見計らって、ストーブに火を入れて、扉を閉める。高齢に寒気はきついだろうし、第一寒々としたお店にお客などこようはずもない。
 店の正式オープンはスキー場開きに合わせることにしたが、仮営業は始まっていた。

「おはようございます」
「おはよ」
 店の入り口に立ったおばあさんは、せっかく真也が閉めたドアを開け放ち、外の空気に身体をさらしながら、大きく深呼吸した。
「やっと、冬らしくなったわねえ」
「あの、扉を……」
「ああ、寒いかえ? 全く、近頃の若いものはひ弱だねえ」
 人の気も知らないで、と真也は苦笑した。

 2人が朝食を終えてしばらくすると、川上荘の送迎用マイクロバスが、真也たちのいるお土産屋の前に停車した。ドアが開き、祥子が元気良く顔を出す。
「おはよー。今日一日、真也をかりま〜す」
「ああ、ああ。これから本気で忙しくなるからねえ。楽しんでおいで」
 ポン、と背中を押されて、真也はバスに乗り込んだ。

 車内は、若い男女で満席だった。補助席も一部、埋まっている。これが全員、川上荘とその関連施設の、大学生を中心としたアルバイトなんだなと真也は思った。
 採用前に真也をクビにした頑固ジジイも乗車していた。

 過去のわだかまりなど何もなさそうに、しかしニコリとも笑わず、「がんばってるそうじゃないか」と真也に声をかける。
 真也は「はい」としか答えることが出来なかった。初対面時のあのなんともいいようのない威圧感が、今なお真也を無口にした。
「ばあさんに頼まれてな。シーズン前に息抜きさせてやってくれってな。若いモンは若いモン同士がいいだろう」
 祥子の祖父はそう言って、真也とすれ違いにバスを降りた。そして、おばあさんと談笑を始めた。

 考えてみれば、真也のバイト先と川上荘はご近所である。祥子の祖父とおばあさんだって、顔馴染みで不思議はない。年齢も近い。川上荘の慰安会への同行は、おばあさんの計らいだったのだ。

 しかし、祥子が真也に参加を懇願したその理由もまんざら嘘ではなさそうだった。
 マイクロバスの座席に空席はひとつしかない。真也はそこへ座った。すかさず祥子が隣に座る。きっとそこには、さっきまで祥子とおじいさんが座っていたのだろう。

 車内には、それらの一連の様子をずっと見ている男がいた。
 他の連中は、早い朝にまだ目が覚めずぼんやりとした顔をしていたか、あるいは真也のことなど興味なさそうに、既に仲良くなったバイト仲間とおしゃべりをしていたが、この男だけが真也が乗車する所作をずっと眺めていたのだ。
 こいつが祥子に言い寄っているヤツだな、と真也は直感した。

 全員が前を向いて座っているので、いったん着席すると、真也はもうその男を観察することは出来ない。しかし、ある程度その男の印象はつかむことが出来た。
 祥子から伝え聞いていた印象は決して良いものではなかったが、こうして実際に顔を見ると、一瞬のことではあったが、そんなに悪いとも思えない。
 ごく普通の、どちらかといえば明るい感じのする男だった。容姿も悪くは無いだろう。あえて言うなら、ちょっと痩せすぎで、神経質そうだった。

 痩せていて神経質。なるほど、そこが祥子の趣味には合わないのかもしれない。
 祥子の周りにいるの男の子は運動選手が中心だろうし、だとすればガッチリした男たちだろう。
 そして、細やかな神経と豪胆さの両方が、勝負師たるアスリートには必要だろう。神経質なだけでは、おそらくダメだ。
 そう思うと、祥子の普段接している男の子たちとは決定的に違うタイプだ。しかも、祥子自身、勝負師である。これでは彼女が気に入るわけが無い。

 じゃあ、自分はどうなんだ?
 真也はふと、考える。
 そして、ひとつの結論が、出た。

 閉鎖したお土産屋を復活させるとか、あっちこっち女に手をつけるとか、こういうのも、確かに、豪胆さと神経の細やかさの両方が必要だ。
 なるほど、僕は普段祥子のいる世界にいる男たちと同類なのだ……。
 真也は(ちょっと自分に都合の良すぎる解釈かな)とも思ったが、実際、祥子といい関係なのだから、それはそれでいいやと、真也はこれ以上考えないことにした。

「じゃ、今日一日、楽しんでね」
 これ以上考えないことにして、ついでに彼女の太股に手を置こうとしたら、祥子はおもむろに立ち上がった。
「え? あ、ああ」
 さえない返事をしてる間に、席を立った祥子はバスの前へと進み、運転席の横に移動した。乗用車でいうなら、いわば「助手席」にあたる部分である。マイクロバスの場合、客席から助手席へ移動するには、床の高くなっている部分を通り超えないといけない。だからそこだけ、なんとなく座り辛く、空席になっていたのだろう。それとも、添乗員たる役目も果たさねばならない祥子のために最初から空けてあったのかもしれないと、後で真也は思い当たった。

 なぜなら、祥子はいきなりマイクを持ち、あいさつを始めたからだ。オーナーの孫なので、こういう時もオーナー一族として、みんなを率いなくてはならない。

「これまで準備作業、本当にどうもありがとう。スキー場開きも数日後に迫り、いよいよ本格的なシーズン到来です。毎日、忙しくなります。これまでは準備作業だけだったけれど、これからは毎日たくさんのお客さんが来て、接客も大変になります。旅館やお店もどんどん汚れて乱れますから、これまでの準備作業以上に、毎日の清掃も大変になります。どうかどうか、今日は英気を養って、明日からに備えてくださいね」
 ずっと一緒に仕事をしてきた仲間、という思いと、経営者側の立場の人間であるという自覚が入り混じっているのだろう。言葉遣いも完全なですます調になりきれていない。だからこそ、どこか親近感を覚える挨拶だった。

「今日は何ヶ所か訪問します。見学も兼ねてますから、よろしくね。最初の訪問先はもうすぐ着くけれど、国道沿いのドライブインです。スキー場に来るお客さんの多くが、ここで休憩したり食事をしたりする、入り口のようなところね。川上荘のお客さんもお世話になってるし、宿を決めずに来る人がここでウチを紹介してくれたりもしてるので、挨拶も兼ねた見学です。バイトが休みの日に息抜きしたかったら、こんなとこに行くのもいいですよ。マンガ本とかもいっぱいあるし、一日のんびりしてても、うちのバイトだとわかったら親切にしてくれますよ〜」
 なるほど。慰安といいながらも、しっかり業務関連の施設も訪れるのだなと真也は思った。

 そこは国道沿いのドライブインで、年中営業。必ずしもスキー客だけを相手にしている店ではない。
 周囲が冬枯れの風景でなければ、なんてことはない、ビジネスマンもトラックの運転手も旅行の家族連れも大型観光バスも、なんでもこいの店だった。

 店内をぐるりと回って、一部のバイト生がトイレを借りた後、バスはすぐに出発。
 祥子は相変わらず助手席に陣取っていて、そのかわりに真也の隣には、かわいらしい女の子が座った。
 セックスも含めてなにもかも溌剌とした祥子と違い、ちょっとはにかんだ感じ、大勢に紛れてしまえば印象が薄いだろう。
 かわいいけれども華やかさが無い。座ってしまったのでよくわからないが、身長も低め。幼くて儚げな感じだ。もちろん、あくまでも祥子やミコと比べれば、だが。
 真也にはあまり馴染みの無いタイプの女の子だ。

「あの、そこは……」
 祥子の席、と言おうとして、言えなかった。
「お願いします」と、かぼそい声で彼女が挨拶したからだ。
 お願いします、とは不思議な挨拶だなと真也は思ったが、ともあれ彼女は座ってしまったし。祥子は最前部でマイクを持ち説明を始めたし、補助席以外に空いている席と言えば、ここしかない。チラと祥子を見たが、彼女は気にもとめていない様子だった。

 続いて訪問したのは、「鬼子洞」という観光地だった。鍾乳洞と言えば格好いいが、その規模のちんけさに、「洞穴」と悪口を言っても良さそうな場所だ。
 祥子の説明によると、スキー場からもっとも近い「観光名所」である。せっかく遠出してきてスキーだけではなんだからと、どこか立ち寄れそうな場所を質問されることがある。そんなときに真っ先に紹介するのがこの「鬼子洞」であり、このあと訪れる「鬼子温泉」とのことだった。
「ちゃんとした鍾乳洞だったら、雫が落ちないようにガードしてあったり、合羽を貸してくれたりするんでしょうけれど、ここではそんなものは何もありません。灯りも十分ではなくって、ちょっと気味が悪くもあります。でも、カップルで行くにはいいかもね〜。キャーとか言いながら抱きついたりしてね。で、外に出てきたときは二人ともしっとり濡れていたりして。いったい何をしていたんでしょうねえ」
 しっかり下品なジョークを混ぜている。
 少しウケてはいたが、またかあ、という顔で苦笑いをしている女の子もいる。演出か根かはわからないけれど、そういう祥子のキャラクターは定着しているようだ。

「祥子さんは、学校のふたつ先輩で、遠縁の親戚にもあたるんです」
 不意に真也は隣から話しかけられた。
「え?」
 横を向くと、親近感最大級の笑顔で彼女は真也を見つめている。
 真也はここではじめて、彼女は自分のことを事前に祥子から聞かされていたのだと悟った。真也にとっては「不意に話しかけられた」でも、彼女にとっては、祥子の説明が終わるまで、待っていたに過ぎないのだった。
「あ、そ。そうなの」
「川上真理子です」
 遠縁とはいえ、苗字は同じなのだった。
「いとこ?」
「もう少し遠いらしいですよ」
 真理子の口調は、ハキハキしている。儚げな印象からはほど遠い。しかし、真也が隣を向いて視線を合わせると、やはり幼く儚げな印象は変わらなかった。

 鬼子洞の見学は1時間弱で終った。祥子の説明どおり、全員がポタポタと落ちる水滴の洗礼を受けた。鍾乳洞から出ると風があり、濡れた部分がゾクゾクと冷える。みんな、駆け込むようにバスに戻る。
 真理子は真也より先に戻っており、窓際に席を移していた。他に座るべき場所もないので、真也はその隣に座る。これまでは「空席に彼女が勝手に隣に座った」のだから気にもしなかったのだが、今回はそこしかないとはいえ、自分の意思で祥子以外の女の子の隣に着席した。複雑な心境だ。若干の罪悪感もあったかもしれない。

「これから、昼食に向かいます。このレストランは……」と、祥子の説明は続く。
 バスに乗ったり降りたりしているうちに、真也は時間の感覚がなくなっていることに気がついた。
 腕時計を見るとまだ11時を回ったばかりだ。真也はそれでももう空腹感を感じていた。

「両親は知っていたんですけど、わたしも祥子さんも、血の繋がりがあるって、高校の陸上部で顔を合わすまでは知らなかったんです」
 祥子がレストランの説明を終えると同時に、真理子はまた話しかけてきた。ややもすれば祥子のことなどおかまいなしに隣近所とお喋りをしたり、あるいはそっぽ向いたり、居眠りをしたりしているバイト生たちと違って、真理子は祥子に正対して、きちんと話を聞いていた。
 しかも、真理子が祥子を見つめる目には、なにか憧憬のようなものが含まれていた。そのことに気づいた真也は、真理子が祥子をまるで姉のように慕い、かつ信用しているんだなと思った。

 マイクを手放した祥子は、スタスタと真也の隣にやってきて、補助席に座った。
「どう、楽しんでる?」
「あちこちひっぱりまわされてるだけで、楽しんでると言うのとは違うなあ」
 真也が正直に答えると、真理子はクスっと笑い、祥子は「このお〜」と言いながら、真也の頬を両手で挟んだ。

 本気で「このお〜」と思っているのではないらしく、祥子はやたらと肩に触ったり、頬をつねったりする。祥子にモーションをかけてくる神経質な痩せ男へのデモンストレーションなのだ。かといって、引率者でもある祥子がずっと真也の隣にいるわけにはいかないのだろう。だから、ここぞとばかりに見せ付けているのだと真也は思った。

 真也は耳元で、「あの男?」と囁いた。
 ふたつ後ろの、通路を挟んだ反対側。一人がけの席に座っている男をチラと視線で示す。

「うん。和則君。いい子なんだけど、趣味じゃないの。それに、すぐキスしようとするし」
 祥子は真也の耳に唇を近づけて、小声で話す。
「したの?」
 真也も声の大きさには気を使った。真理子はそ知らぬ素振りで、窓の外に視線を向けている。彼女なりに気を使っているようだ。
「だって……」
「油断も隙もないな」
「でしょ?」
「というより、おまえが隙だらけなんだよ」
「しょうがないじゃない。そんな風に育ったんだから……」
「あのなあ」
「キスだけだって。安心して」
「やれやれ」
 安心も何も、「僕達はセックスフレンドなんだから、お互い誰と何をしてようと、関係ないよ」と言いたかったが、隣に真理子がいるのを思い出して、真也は口をつぐんだ。

 昼食場所に着いた。レストランの名前は「ド肉亭」。肉料理、というより獣料理を売りものにしていた。鹿、熊、猪、鴨、合鴨などを扱っている。
 真也達に供されたのは、「スペシャルド肉丼」だった。平皿にご飯を盛り、その上に各種獣肉を乗せて甘辛いタレをかけたものだ。「ド肉丼」の「ド」は、「ド根性」とか「ドあほう」とかの「ド」であると同時に、土着の「土」でもあると店主は説明をした。
 趣味が悪いなあと真也は思ったが、真理子はクスクス笑った。
「わたし、何でも大好き」
 勢い良く箸を手に取ったが、食べ方は上品だった。

 それよりも真也は、会話に困った。
 テーブル席は4人がけで、真理子は真也に自然と付き従い、そこに祥子がやってきた。そして、もうひとつ空いている席に、和則が座ったからだ。
 祥子と和則は自然に言葉を交わしている。無理やりキスされたなどということがかつてあったとは思えない。
 もちろん、毎日一緒に仕事をしているわけだから、そんなことにこだわってはいられないのだろうけれど、祥子がきっぱり拒否をしたわけでもなく、和則も無理やりその先へ進もうとしたのでもないんだなと真也は感じた。ただ、一方的に和則が、「二人の間にいい空気が流れている」と思っているのだろう。

 とはいえ、祥子は和則に「あたし、彼氏がいるから」と宣言してるようには思えなかった。せいぜい「他にも気になる人がいるのよ」くらいじゃないのかと真也は感じた。もっとも、頭から拒否したら、一緒の職場ではやりにくくなるだろう。そういう配慮も必要なんだろうなと真也は考えることにした。
 リゾートバイトで知り合った学生同士なら、気まずくなってどうしようもなくなったら、どちらかが辞めるという選択肢もある。しかし、祥子はオーナー一族だから、祥子に辞めるという選択肢は無い。そこで、真也との仲をほのめかし、悟ってくれたらいいのにな、の道を祥子は選んだ。

 しかし、こうも真理子が横に寄り添っていては、この作戦、うまくいかないんじゃないの?
 そう思った真也は、この場では必要以上に真理子に愛想良くするのはやめようと思った。
 とはいえ、「俺は祥子とラブラブな時間を過ごしたいから、お前、邪魔なんだよ」と、あからさまな態度も取れない。中途半端なことになったなあと、真也はとりあえず目の前の食事を平らげた。

「次は温泉へ行きま〜す。タップリ時間をとっているので、ゆっくりして、疲れを流してくださいね」
 温泉はいいが、それより真也は、口の匂いをなんとかしたかった。ド肉丼にはいったいどんな香辛料が使われていたのだ?

 獣肉の独特の匂いを消すために、強烈な香辛料かまたはハーブがソースに溶かしてあったようだ。ニンニクとコショウだけはわかったが、あとはよくわからなかった。自分でも顔をしかめたくなるほど吐く息が臭い。
 隣にいるのが祥子ならまだしも、真理子だから余計に気になる。もっとも、彼女だって、同じものを食べていたのだが。

「わたしも冬の間、川上荘で働かしてほしいなって、祥子さんに言ったんです。でも、だめだって」
 律儀に温泉の説明が終わるのを待って、真理子はまた話しかけてきた。
「え? なんで?」
「もう足りてるからって。で、小野さんの所を紹介してくれたの」
「へ?」
 真也はびっくりした。自分はそんなことを全く聞いていない。
「柔和なおばあさんと、ちょっと変なお兄さんがいるから、一度会ってみたら、って」
「変な、お兄さん?」
 目を丸くした真也は、自分を指差しながら言った。

「一緒にやっていけそうかどうか、自分で確認してって。ちょうど、バイト、募集してるんでしょう?」
 やられた、と真也は思った。
 それとなくバイトバイトと仄めかして来るなあとは思っていたが、人選まで済んでいたとは驚きだ。おばあさんは承知なのだろうか? おそらく、全てわかった上で、今日の川上荘の慰安会にも「行ってこい」ってことになったんだろうな。
 それにしても、(俺のどこが、「ちょっと変な」お兄さんなんだよ)
 真也は祥子を睨みつけたが、もちろん彼女の耳に、真也と真理子の会話は届いてはいない。祥子はマイクを持って「鬼子温泉は、弘法大師が……」などと喋っている。いい気なもんだ。

 鬼子温泉に着いた。観光客や若干の大型バスの収容も見込んだ、しかし主に地元や周辺住民を対象にした、いわゆる日帰り立ち寄りの湯である。
 館内に入ると、まず靴を脱ぐ。下足ロッカーに靴を入れ、その鍵をフロントに預けて、脱衣ロッカーのキーを受け取るシステムだ。本来なら入場券は自動販売機で買うが、団体なので祥子がフロントで手続きをしている。
 その間、真也はパンフレットに手を伸ばし、ロビーのソファに腰掛けて目を通した。

 温泉の発見は弘法大師かもしれないが、この施設はオープンしてまだ3年である。男女共用の温泉プール(もちろん水着着用である)と、飲食も喫煙も禁止された休憩室、食堂、マッサージルーム、そして温泉は男女別で露天風呂とサウナも付随している。そんな施設構成であることがパンフレットには記されている。

「は〜い、それじゃあ、鍵を配りま〜す。集合時間は2時間後に、ここで〜す」
 祥子から鍵を受け取った真也は、脱衣室に向かった。ここから先は、祥子とも真理子とも同行できない。川上荘の男連中とは、仲良くなっているわけでもない。2時間もこんなところでどうするんだよ。時間をもてあますであろうことを予測し、真也はうんざりした。

 事前にオリエンテーションを受けていたバイト生達は水着を持参しているが、真也はそんなものは持っていない。入場料に込みになっているレンタルタオルを片手に、脱衣所から温泉コーナーに向かった。プールスペースは1階で、温泉スペースは2階である。階段を黙って上がる。
 水着を持って来ていないのか、それとも、なにか言いたいことでもあるのか、和則が真也の後を追っていた。
 真也はうっとおしいなと思ったが、気づかないフリをした。

 そのまま浴室に入り、洗い場の蛇口のひとつの前に陣取り、シャワーのカランをひねった。湯が頭上から降り注ぐ。まず、頭を洗おう。
 和則は真也の隣に座った。
 何気なく真也は和則に視線を向けた。すると、向こうもこちらを見ている。しかし和則は真也に声をかけたりせず、同じようにシャワーの湯を浴びはじめた。

 

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