「ねえ、ダーリン。お食事にします? それともお風呂? それとも、あたし、かしら?」
恋人のシャナールが、おどけて言う。ここはプライベートルーム。過酷な自然環境を克服し、人類が生活していくために、この星では全てが管理下に置かれている。その中で唯一、誰からも干渉を受けない場所として用意された空間である。
「ん〜、何にしようかな?」
学校から強制的に保養を言い渡された僕は、暇を持て余していた。そんな僕に、彼女が付き合ってくれているのだ。今日のところは、シャナールの学校が終わってから合流したわけだが、今夜は一緒に泊まり、そして明日一日は二人でいられる。シャナールが学校に休日申請をして認められたのである。優秀な学生は「有給休暇」ならぬ「有単位休日」が認められる。つまり、欠席扱いにならないのだ。
もちろんその分、授業は受けていないわけだが、それが試験の成績に影響しても、それは自己責任である。
「あ、言っとくけど、議論はごめんだからね」と、シャナールは釘をさした。「堂々とふたりっきりでいられるんだから、甘い時間をすごしましょうよ」
「わかってるって」
「ま、コーヒーでも飲みましょうか。思いっきり、甘〜いやつをね」
「よ、よせやい」
壁面のうちのひとつは、その壁全体を使ったディスプレイになっている。ここにはリクエストによって様々な映像を映し出すことが出来る。宇宙空間だろうが、大海原だろうが、一流料理店の厨房だろうが、刑務所だろうが、大草原だろうが、大規模公衆便所だろうが、まさしく自由自在だ。もちろんプログラムに用意されていないものは不可能だが、おおよそ僕たちが思いつくものなら100%クリアできる。
シャナールがリクエストしたのは、かつての地球の風景のひとつ、うっそうたるジャングルだった。密林によって太陽光が遮られ、いくばくか暗くなっているのも、気持ちを落ち着けるのにはちょうどよい光量なのだと、シャナールは言う。
じっと画面を見つめていると、まるで自分がその風景の中に浸されているかのようにすらなってしまう。大画面ゆえに、目の端に余計なものが写らない。自分の視野の全てがジャングルだからだろうか。
もちろん、それだけではない。壁というスクリーンに映された2Dでもなければ、これみよがしの3Dとも違う、人間の目にごくごく普通に飛び込んでくる景色となんら変わらない映像処理がされているせいだとシャナールが以前教えてくれたっけ。
風の音や、動物の気配、木々の匂いまでもが忠実に再現されているかのような錯覚に陥る。
「はい」
シャナールがコーヒーを差し出してくれる。そう、ここはまだ見ぬ故郷、地球ではない。何もかもが人工的に調整された世界。隣に座るシャナールから差し出されたコーヒーこそが現実で、ジャングルは映像。頭の中ではそう理解できているにもかかわらず、なお僕はジャングルの中で香り高い漆黒の飲み物を口にしていた。
「良かった」と、シャナールが耳元で囁く。
「なに、が?」
「もう、バカ。無神経」と、彼女は唇を尖らせ、頬を膨らませる。「これでも、心配したんだよ。模擬だって心配だったのに、本物の戦闘に巻き込まれただなんて、本当に本当に心配したんだから……」
シャナールが僕の胸におもむろに顔をうずめる。
「あ、おい、コーヒーが……」
僕の上半身が揺れ、カップの中の水面がさざ波を立てた。
かろうじてコーヒーをこぼさずにすんだ僕は、「危ないなあ。こぼしたら、おまえにかかるところ……」と、文句を言いかけて、やめた。シャナールの目から頬にかけて、スッと涙のスジが光ったからだ。
「ごめん。心配、かけて」
僕の口から、素直にそんな台詞が流れ出た。
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