余韻    1

 

◆危うい(あや・うい)

 堕ちる前の兆し(きざし)なんてあっという間。
 それも何度となく顔をあわせたアナタだから。
 新しい恋を始めるよりも馴染み易い。
 わざと乗り過ごした最終電車。
 駅前のショットバーが激しい雨から守ってくれた。
 アナタとワタシ。人知れず。ユラユラ揺れる長い吊り橋のたもと。
 利き足を踏み出すタイミングを図りかねたまま、酔いにまどろむ。
 グラスにそえられたアナタの指先。
 ゴツゴツと荒く削りだされた輪郭に、ワタシは夢を見る。
 脚の付け根で疼く湿地。中指なんてたやすく咥え込み、腰を突き出しせがみ始める。
 二人だけのリズム。薬指と人差し指も押し込んで。
 ギチギチとはめ込まれたピース。単調なリピート。次第に訪れるピーク。
「大丈夫?」
 ワタシの膝に置かれたアナタの手のぬくもり。
 その手をそっと押さえ込み、ワタシはゆっくり太腿をずらした。
 ヒトのモノだろうと何だろうと……恋は咎められない。
 誰にも。束縛だってされない。おそらく。

 

◆痛む(いた・む)

「こんな大きな傷があったなんて……ねぇ、む?」
 ワタシの肩口から肩甲骨に指を這わせる祐一(ユウイチ)が囁く。
「ううん……子供の頃、海で泳いでて岩場で切っちゃったの。それ」
 言われるまで忘れていた随分前の傷である。
「菫子(トウコ)って海の近くで生まれたの?」
「そう……寂(さび)れた漁師町。若い人はみんな都会にでちゃて……」
 冷え始める明け方の空気が肌の温もりを欲しがる。
 まるで、真空パックみたくピッタリと合わさって。
 ワタシはその腕に包まれた幸せにトロンとなる。
「菫子……ゴメンよ……」
「なによ……ワタシとこうなったこと、後悔してる?」
 覚悟していた。そう、アナタと堕ちた時から。
 アナタを独り占めしないこと。 アナタを困らせないこと。
 そして、ワタシといるアナタに幸せをあげたい。
 恋はこれが初めてじゃなかったけれど。
 目の前のアナタがいい。 アナタじゃないと意味がない。
 でなければ……このみを選んだワタシが惨め。

 

◆倦む(う・む)

 あれほど後ろめたかった逢瀬も、今では二人の日常だった。
 おそるおそる抱き合った初めての夜は遠い過去。
 ワタシたちは会うたび変化する。
 水が低きに流れるように。一度知った蜜の味には抗えない。
 転がり落ちるなんて、こんなにもたやすい。

 何度目の夜になるだろう?
 ワタシから祐一がゆっくり離れると、栗の花に似た濃厚な匂いに包まれた。
 今夜もワタシのくぼみは祐一を何度も飲み込んだ。
 そしてまだ熱いワタシの亀裂に指を這わせながら、祐一が奇妙な提案をする。
「もし菫子が嫌なら俺は無理強いしないから」
「……祐一……ワタシには飽きちゃった?」
「なんで? まだむほど俺は菫子を知らない……」
 祐一はクスっと笑みながら中指を入り口でくいっと曲げる。
 あ……あぁ……また……くる……
 ワタシは誂え道具のように祐一の指に声を漏らす。

 

◆抉る(えぐ・る)

「ゲームをしよう。大丈夫。とっても簡単だから」
 ワタシには微塵の疑いもなかった。
 これから墮ちる淵の深さなど知りもせず。たった一つの真実。
 ワタシに触れるアナタが幸せであるように。
 ワタシを愛するアナタが幸せであるように。
「でも、下着はつけないでおいで」

 待ち合わせの駅を発車する。再び解き放たれるまで二十分。
 まだ春は始まったばかりだった。
 オフホワイトのワンピースに白のガーターストッキング。
 スプリングコートの裾は、アナタをかばうためにある。
 通勤快速は朝焼けのジェットコースター。
 誰一人視線を合わせないのが礼儀。誰も隣人に干渉をしないのが礼儀。
 そう、車窓を頼りに二十分の缶詰に耐えるのだ。
 蓮向かいのアナタは他人のそぶり。内腿に滑り込む爪先がぬるむ泉を探り出す。
 秘肉をる中指と薬指。上下に暴れるたびに樹液が溢れ出す。
 気づかれたらゲームはおしまい。だから目を伏せ、じっと唇を噛む。

 

◆溺れる(おぼ・れる)

 ――息遣イハ乱サナイ――
 あんなに祐一に言われてたのに……
 つり革の右手を離して震える唇を抑えた。
 指の合間から漏れる息。声が混じりそうでコワイの……
 ――大丈夫。コレハオ遊ビダカラ――
 こんなのお遊びじゃないわ……
 ベッド以外で弄られることなんてなかった……
 今までだって……ううん……祐一に出会うまで。
 つり革を持たなくたって大丈夫。ヒールが時折宙に浮いたって大丈夫。
 ああ……濡れたその指でワタシの真珠を弾かないで。
 爪先から逃げる肉芽に樹液を塗りつけないで。
 じれったさに腰をくねらせて。祐一のスラックスの中心に押し付けた左手。
 固く張り詰めた塊を撫で上げながら弾力を確かめる。
 盗み見た祐一の視線と絡み合う。アナタは微笑んでいた。
 ゲームに負けた?……もういい……どうだっていいの……
 この天国にワタシは自られていく……

 

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