余韻    6

 

◆餞(はなむけ)

 ほろ酔いのワタシに、信じられない言葉が耳をついた。
「僕……菫子ちゃんのこと……前からずっと……」
父親が倒れ、一人息子のアイツは明日、田舎へと旅立つ。
「そやから頼む……今晩一緒に……」
 そんな口説き文句で引っかかる女なんて、今時いないって。
 嗚呼……いないからワタシにお願いに来たのか。
 同期入社のアイツとは、友人でありライバルであり……、なんて、青春ドラマのルールに生真面目に則って。
 アハハ……セックスの前戯に「愛」を語るなんて。そんな不器用なアイツの前でワタシは体を開いた。
 愛してるなんて……面倒くさいコト……
 キミの下半身は別物だって……気づけよ……バカ。

 雀の連れてきた清潔な朝にワタシはひとりぼっちだった。懐かしい夢ね……などと一人ごちてみる。
 ワタシなりの、彼、気づいてくれたかな?……とか。

 

◆襞(ひだ)

 真夏の新御堂(筋)は車の熱気でうねりだす。

 普段は地下鉄でクライアントと社を往復しているが「一緒の方向だから」と、アナタが助手席に手招きした。
 無言のワタシたちを、ラジオの道路情報が隙間を埋める。
 口を開くのが怖かった……アナタの唇をみるだけで。
 数え切れない営みたちを連想してしまう。
――ハヤクフレテ モットオクマデ ネジコンデ――
 スカートから覗く膝頭を優しく撫でる祐一の手を払った。
 嗚呼……気づかれたくない……まだ……
 再びアナタは太腿の付け根へと手を這わせる。ストッキングを滑るかすかな音。
 対向車のボンネットがはじく陽射しに目を伏せて。
 ワタシはシートを少し倒して腰を浮かせた。
 アナタの指の突き当たり。ワタシの蠢(うごめ)くの入り口。玩具で虐められた牝の匂いで充満した……

 

◆塞ぐ(ふさ・ぐ)

 祐一がつけた火種はまだ燻り続けていたがそれは秘密。

 原稿を受け取ったワタシたちの車は会社の駐車場に着いた。
 すでに月が昇り始めた宵の口。ワタシとアナタは黙ったままその暗い車中に留まった。
「どうした?」
ワタシはその声に俯いたまま首を振った。
 駆け巡る推測を口に出せないから堂堂巡り。
「今日は……来ないの?」
「ああ……悪い……今日は家に……」
「そうよね……最後はやっぱり家なんだよね……」
「何を今更……判りきったことを……」
 ため息交じりでアナタがワタシの唇をいだ。
 愛しさじゃなく、ただ仕方なくなだめる口付け。
 それでもワタシはアナタの舌を迎え入れ唾液を貪る。
 離れようとするアナタの首にしがみつき、何度も何度も……

 

◆諂う(へつら・う)

「そんなに怒るなよ、こうして来てやったのに」
「酔っ払いに来てなんて言ってないわよッ」
「気にいらねぇのか? して欲しいんだろ?」
 結局ワタシは、圧し掛かる祐一を許してしまう。
 めったに感情を剥き出しにしないアナタだった。酒の匂いを撒き散らし醜態をさらしたことさえも。終電を逃して帰れない夜は、安易にワタシを抱いて丸め込む。
 ワタシはこの人に愛されてるのだろうか……?
 それとも未だに自由恋愛、大人の関係だって笑い飛ばされるの?
 きいてみたいけどきけない……これが堂堂巡りの内訳。
「じゃ、俺と別れてあの子犬とやらに鞍替えするか?」
 ワタシにったかと思うと平気でこんなイヤミ。
 パチン
 何かがワタシの中ではじけ、と同時に祐一の頬を平手で打った。
 彼に逆らったのはこれが初めてだった。
 恋の甘さだけを……なんて、本当はありえないのかもしれない。

 

◆欲しい(ほ・しい)

 ケンカ別れの後味の悪さを酒でごまかしていた。
 その勢いで、メモリに見つけた子犬の番号に初めてかけてみる。吐息ひとつつく前に、電話はつながっていた。
「菫子さん……どうしたんですか?」
 あの子犬からは想像ができないほど、低く柔らかな声だった。
 ワタシは彼の声に未だみせたことのない媚態を露にする。
「ねぇ、汀(みぎわ)……したい……汀としたいのぉ……」
 少し間があって、汀の優しい声が返ってきた。
「いいですよ……どこにいるんですか?」
 駅前のバーでワタシを拾ってと、頼むのが精一杯だった。
 この乾きを埋めるためにはなんだってしかった。
 しかし、ワタシは安全なセックスを選んだ。行きずりの快楽よりも無条件の優しさを。秘肉の疼きは祐一にしか感じたことはなかった。
 けれど何かが違ってきていた……それを知るのが怖かった。
 見え始めた淵の果てに気づかないふりをして。

 

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