夜明けの町



 第2章

 黒かったテントの壁が、明るくなった。朝だ。4日目の朝。
 相変わらず、天気はいい。天気が良すぎて、調子に乗ったかもしれない。体のあちこちが、痛み始めていた。
 初日はセーブしていた。
 2日目にペースをあげ、3日目は筋肉痛をおして、2日目と同じペースでとばした。急ぐ旅ではなかったが、新しい景色に出会うと、さらにもっと新しい景色に出会いたくなる。
 そんなわけで、おせる程度の筋肉痛から、4日目になってそれは本格的なものになってきた。
 宿の娘さんの話だと、好天は4日〜15日くらい続くという。いったん天気が悪くなると、風と雪で視界が閉ざされるから、動かない方がいい、でもそれも長くは続かない、せいぜい2日ということだった。だから「その場を動かない」ことを守れば、悪天候もそれほどおそれなくていい。ただし、天候の変化は、なんの予兆もなく、突然崩れる、らしい。空を雲が覆い始めたら、「曇り空か」などとは思わずに、すぐにテントを張るべし、と教わっている。
 テントからはい出すと、今日もまた晴天だった。真っ青な空に、うっすらとした雲があるような気もするし、無いような気もする。雪面に、陽光がまぶしく反射していた。
 今日は荷物をテントにおいたまま、その辺をぶらぶらしたり、日本を出てからもう何度も読み返している小説を読み返したり、まれに出会うトレッカーにお茶を振る舞っておしゃべりをしたり、そんなことをして過ごそうか、と考えた。
 行程のまだ半分も来ていない、3分の一を少しすぎた程度なのに、体の痛みのせいで、動くのがおっくうになっている。先は長いのに、と思うとうんざりするから、考えないことにする。
 そう、今日一日は、滞在を楽しんでもいいじゃないか、でも、まだ行程は長い。
 う〜んん。
 まあ、とりあえずは、コーヒーを飲むことにする。


 昨日作った水を水筒から取り出し、コッフェルにあけて、火を付ける。
 自分一人で飲むには多いな、と思ったとき、トレッカーが通りかかった。
 大柄で、髭面で、優しい目をした男だった。
 言葉が通じるかどうかわからなかったので、目があったときに、僕はコッフェルを指さし、次に、カップを口に運ぶジェスチャーをした。男は、「グッドアイディア」と言った。そして、体と同じく大きなザックをドサッと無造作に地面においた。コッフェルがバーナーごとひっくり返るかと思ったが、そんなことはなかった。
 僕は、コーヒーを入れ、彼にもわたし、自分も飲んだ。一口二口飲んでから、今度はコッフェルに雪を入れた。溶かして、上澄みを水筒に入れ、今日の飲み水にするのだ。
 男は、アダーキーと名乗った。アダと呼んでくれたらいい、と言った。
 しばらくはお互いに黙ったまま、あちこち風景を見ながら、コーヒーを飲んだ。僕が進もうとする方角を向いて、右側に山脈が連なっていた。山脈からは、すそ野が広がっていて、尾根付近は急峻だが、徐々に傾斜を緩やかにしながら、やがて高原状になって、そして今、僕たちがいる場所につながっていた。道は前も後ろもほぼ山脈と平行で、ただし、小さな起伏とカーブが連続して、そう遠くまでは見渡せない。目を凝らすと、谷間に消えた道が、少し高度を増してその先に見え、また、谷間に消え、というようなことを何度か繰り返したあとは、森の中に消えていた。森なのか、林なのか、ちょびちょびとはえているだけなのか判然としないが、その森さへも、やがて空との境界線の中に消えている。右側は、高原状の草原、または灌木かクマザサのようなものが雪の下に埋まっているのかもしれないが、とにかく広く視界がきいた。左側は、木々が視界を閉ざしている。木の密度から言うと林、その奥深さから言うと森、といった印象を受ける。
 その高原状の草原と森との境界線が、このトレッキングルートになっていた。道のすぐ右側に、昨日からつかず離れず、一段低くなっている帯状の土地がある。おそらく川なのだろうと思う。流れは凍り、その上に雪が積もっているので、この目で川を確認することはできないが、おそらくそうだ。
 雪面ではあるけれど、冬のトレッカーが歩くので、踏み固められて区別は付く。踏まれては、その上に雪が積もり、また踏まれ、また雪が積もる。ただ単に、雪が積もり続けるだけの道ではないところとは明らかに異なっていた。

「どっちへ行くんだ?」
 アダが言った。
 自分が来た方を指さし、「こっちか?」といい、そしてさらに彼のこれから向かうであろう方向を指さし、「それともこっちか?」と訊いた。
 僕は、「アダと同じだ、でも急がない」と、言った。彼には彼の予定があるだろうし、方向が同じなら一緒に行こうと誘われたら、こちらは急いでパッキングしなくてはならず、しかも彼を待たすことになるから、急がない、つまりすぐ出発するつもりはないことを、強調したかった。
「だったら温泉に行かないか?」と、彼は言った。
意外な提案に、「温泉?」と、僕は聞き返した。
「多分、ここからなら、片道1時間と少し。急がないのならいいじゃないか」 なるほど。僕は出発を急がない、というつもりだったのだが、彼は「急ぐ旅ではない」と理解したらしい。しかし「急ぐ旅でない」ことも事実だった。
 それに、温泉というのは魅力である。昼間、体を動かせば、厳しい寒さを感じることはないし、夜もそれなりの暖房器具を使ってはいる。しかし、体の心からリラックスして暖まる、ということはない。筋肉痛に即効性はないだろうが、筋肉も少しは休まるだろう。
 彼は問わず語りに、こう言った。
「俺も行きたいとは思ってたんだ。でも、この荷物を持ってはつらい。少し険しい道だからね。だからといって、道ばたに荷物を放り出して置くわけにも行かないだろう? 泥棒にあうかもしれないし、不要だから置いていった、なんて解釈されて持って行かれても困るし、遭難と思われたらもっと困る。その点、テントが張ってあったら安心だ。いつ、テントの主が戻ってくるか、わからないからね。下手に荷物に手出しできない。それに、遭難と間違われることもないだろう。単独行なら当然テントを設営したあとに、その場を離れることだってあるからね。」
 どうも都合のいい解釈ばかり並べ立てられたような気がしたが、反論のための反論ではなくて、正直彼の理論には不安材料が含まれていると思った。
「温泉に行くことには反対しない。僕も行きたいと思う。だけど荷物があっては行けないほどの険しい道かどうかは僕は知らないし、テントがあろうと無かろうと、ここに放置していくことにはかわらない。このほとんどは借り物だし、貸してくれた人にとっては思い出の品でもあるだろうから、弁償すればすむという性質のものとも思えない。そして、盗られない、という保証はないだろう? 本当に荷物を持っていけないのかい?」
「いや、荷物はあってももちろん行けるよ。でも、少ない方が遙かに楽だ。それに、テントの中なら、盗まれたりしない。保証するよ。だって、盗まれたりしたら、俺も困るから。でも、荷物と道連れなら、俺なら温泉は諦めるね。」
「盗まれる可能性なんて、僕もとても低いものだと思うよ。ここに来る人はみんな徒歩旅行者だし、お互い荷物の大切さは知っている。それに、盗んだところで、よけいな荷物が増えるだけだ。だけど、絶対とは言えない」
「いや、本当に大丈夫だよ。それに、盗まれるとしたら、二人分まとめてだろうしね」
「それ、なんの慰めにもなってないよ」
「いいんだ。もし、二人とも荷物を持って行かれたら、きっと親友になれるから」
僕は思わず笑ってしまった。そりゃあそうだろう。今から温泉まで、片道1時間以上かけて行って、それなりの滞在をして、また1時間以上かけて戻ってくる。もう夕方だ。そこに、滞在のための装備がない、となれば、二人で知恵を絞って夜を乗り越えることになる。暖房も、食料もなく。寒くいてついた夜を。そして無事、朝を迎えることができれば。親友にもなるだろう。
 もしくは、仲良く凍死体になっているかもしれない。
「わかったよ。アダの荷物をこの中に入れておくといい。それに僕は温泉に行きたくても、アダの道案内がなかったら行けないしね」
 お互い、デイパック程度のサブザックは持っていた。そこに必要なものを放り込んで、それ以外のものは、テントの中に入れた。出入り口のジッパーを閉じて、出発である。
 迂闊なことに、テントと温泉の往復の間に、天候が急激に変化する、というようなことは全く考えていなかった、お互いに。風雪の中で視界を奪われ、道を見失って進むことも戻ることもできない、そこに留まるための装備もない、そんなことになったらまさしく遭難だ。でも、その時は、そんなことに思い当たらなかった。
 荷物を何もかも盗まれてしまう、それもまあ愉快じゃないか、僕はそんな風に思えてきた。そのことが僕を愉快にさせ、緊急対策を失念してしまっていたのだ。
 だが、結論から言うと、荷物も無くならなかったし、天気も悪くならなかった。おまけに、迂闊な行動に出たことに気がついたのは、無事テントに辿り着いてからであり、温泉行はきわめて脳天気に過ごしたと言える。

 温泉までの行程は、確かに荷物があると苦しかっただろうな、と思われた。ただしそれは僕のようにソリを引っ張った場合だ。アダのように完全なバックパッキングスタイルなら、ほとんど問題はないように思われた。道が細く、森の中を木々を縫っていて、しかも多少のアップダウンがある。ソリなら完全にどこかに引っかかっていただろう。気の根本とか、雪の吹き溜まりとか、そういうところに。
 1時間20分ほど歩くと、森が切れ、視界が明るく開けた。温泉センターとも言うべききちんとした建物があり、舗装道路が通じていた。舗装道路は、この温泉が終点になっているらしく、温泉を目的とする人たちだけが、ここまで車でやってくるのだ。
 温泉センターは2階建てで、小さいながらしっかりした鉄筋の建物だった。入り口を入ると、僕たちは、暖かい空気に包まれた。よく暖房が利いている。一所懸命歩いてきた僕たちにとって、それは暖かすぎるぐらいだった。そして受け付けカウンターがある。ここで利用料金の5ギルカを払う。換算レートだと1ギルカが40円なので、200円ということになるが、1ギルカでコーラが1本買えるので、物価そのものが違う。だからレートを基準に日本円にしていくらいくら、というのはナンセンスだ。物価の感覚からすれば、500円程度、ということになるだろうか。日本のそれと比較すると、健康ランドや温泉センターなどに比べると半額以下だが、銭湯よりは高い、ということになる。
 室内には、4人掛けのテーブルが10あり、飲み物と軽い食べ物を売るカウンターで、その奥のオープンキッチンと区切られている。
 テーブルとイスは、レストランというわけではなく、休憩室、といった風情だ。必ずしも飲み食いしている人だけが使う、というわけではないようだった。この部屋をまっすぐ通り抜けると、ドアが二つあり、男女別になった脱衣室、そしてその先が、混浴の露天風呂なのだ。
 このことは道中アダにきかされていた。
 しかも水着などをつけずにはいる。全く日本スタイルの混浴露天風呂なのである。
 片隅にサウナ小屋はあるが、屋内に湯船はない。
 ここでは、性別も年齢も関係なく、みんなが開けっぴろげだ。すてきな女性もいるけれど、全体的に開けっぴろげなので、セクシャルな雰囲気は全くない。ただ、おおらか、としか表現しようがない。
 ただし、この国全てがそうだというわけではない。民族により、宗教により、この温泉を利用できない人もいる。だから予備知識なしでやってきて、実状を見て、がっかりしたり怒ったりして帰る人もいるのだそうだ。日本のように観光やレジャーに関するガイドブックなんてたくさん無いし、数少ないそういう情報誌は、こんなマイナーな温泉は取り上げない。ただ、ここに温泉があるということがわかれば、そもそもそれがラッキー、というぐらいのものである。だから知らずにやってくる人もあるのだとか。
 年寄りだけでなく、色々な年齢層の人が、裸になっていた。考えれば、今日は日曜日だった。へえ、こんなかわいい子が、裸であることを意識して無いかのように、堂々と振る舞っていた。セクシャルな雰囲気はない、何て思ったけれど、やはりドキドキする。そういえば、どうれくらい女性の肌に触れていないだろう、とか考えてしまったりもする。まわりはともかく、僕はしっかりと女性を意識していた。
 民族性として、なんてこむずかしい言葉を出してみたりする。民族性として、性に対して開放的なのかな、とも思ったりする。それとも逆に、開放的どころか閉鎖的だから、何の心配もなくこうしてあらわでいられるのかもしれない。
 でもこんな事を考えるのは、全く意味がなかったりする。開放的だとしても、誰とでも寝るわけではないし、通じるものがあれば、閉鎖的であっても、抱き合うことになるかもしれない。

 そして僕は、女を抱きたいな、と思った。
 このとき頭に浮かんだのは、日本に残してきた恋人ではなくて、このソリの旅をすすめてくれた宿の女の子だった。僕がソリの旅の話に乗ったしまったので、その話題が途切れなかったけれど、この旅を断っていたら、二人で過ごす時間が、甘いものになっただろうな、などと思う。実際には僕と彼女はこれっぽっちもそんなムードではなかったけれど、それでも僕たちは寝たに違いない、と確信できる。彼女と離れて数日がたったからこんな事が言えるのかもしれない。その間にしらずしらずのうちに妄想が膨らんでいたのだ。ま、それも悪くないな、とか思う。所詮妄想だ。もちろんその機会が現実的におとずれたら、それはそれでいい。
 そんなことを考えながら、顎まで湯に沈め、目を閉じていた。表面からしみこみはじめた湯の熱さが、じわじわと身体の中心まで暖めていく。こんな気分は久しぶりだ。テントの中では、暖房をきかせて服を着込んでも、凍えない、という程度のもので、神経の一本一本までが暖かさを感じる事なんてもちろんあり得ない。テントの中、どころか、この旅の間中、こういう日本式風呂にはいるのはこれがはじめてだった。ユニットバストかシャワールームなんてものは、身体の洗濯でしかない。湯船に身を沈める幸せとは縁がない。ああ、誘いに乗って良かったな、とか思う。
 サウナにも入る。気持ちのいい汗がダラダラと流れ出る。身体の中、奥深くによどんでいた汚れが、どんどん排出される感じ。歩いているときは、なるべく汗を出さないように、ゆっくりしたペースで進んできた。肌と服の間ににじんだ汗は気持ちが悪いからだ。サウナのように、汗が出て気持ちがいい、というのも久しぶりだった。日本にいるときは、スポーツのあとはシャワーを浴びて着替える、という大原則の中で生活していたことに気がつく。
 僕とアダは、風呂を出て、カウンターでビールを買い、そして飲んだ。
 僕は、カウンターの角に、絵はがきを売っているのを見つけて、そうだ、あゆみに出そうと思いついた。
 絵はがきを買い、ソリを引いて雪の上をトレッキングしている、というようなことを書いた。装備は宿で借りた、とも書いた。貸し主が若い女性であるということは省略した。
 しかし、切手がなかった。アダはそれを見透かしたように、「切手はどうするんだい?」
「いや、考えてなかった。どうしよう。ここじゃ売ってないよなあ」
「俺が出しといてやるよ。町に帰ったら、切手を貼って」と、横から会話に割り込んできた男がいる。「配達代はサービスだ」
 背の低い、ずんぐりした男で、50前後のように見えた。
 僕は少し悩んだ。男は好意で言ってくれているのだけれど、あまり勤勉そうではなく、かなりの確率で出し忘れるだろうな、と思った。でも、どうせ気まぐれで書いた手紙だし、届かなければそれでいい。この男の好意にすがらなければ、他に手紙を出せる可能性は残されていなかった。
「お願いします。切手代はいくら払えば....」
「そんなものはいらないよ。俺の気まぐれだ」
気が変われば、こんなものいつでもどこでも捨ててやる、そういわれたような気がした。
「じゃあ、」と、僕は少し考えた末、「5ギルカで足りますか」と、きいた。
「足らないよ、お兄ちゃん。お礼の気持ちを金で表すなら100ギルカぐらいはずまないとダメだ。実際にいくらかかるかなんてことは、問題じゃないぜ。でなければ、ありがとうと、一言ですますんだよ。そういうものだ」
「じゃあ、ありがとう、と、そういうことで」と、僕は言った。
「おう、まかせときな」
 そんなわけで、この男に、あゆみへの絵はがきを託したとき、僕はもうほぼ100%の確率で、この便りは、差し出されるだろうと思っていた。
 但し、不安定な国際郵便情勢だから、その後のことはわからない。この男も、投函したあとのことまで保証しろ、といわれれば、今度は100ギルカでは済ませてくれないだろう。「おう、じゃあ、俺が日本まで持っていってやるから、飛行機代よこせ」
 それとも、ありがとう、で済ませてくれるかもしれない。
 

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