夜明けの町 |
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最終章
国立公園森林警備隊。僕たちは彼らに、テント村の撤収と、同行を言い渡された。もともと今朝テント村を撤収するつもりではあったが、物々しい制服姿の男たちに取り囲まれて、ハンドスピーカーで命令されると、いかにも腹立たしい。そしてその瞬間の後、その威厳と人数に圧倒されていた。腹立たしいと感じたことなど、すぐ萎えてしまった。 |
無罪放免。結論としてはそうだった。 詳しくはよくわからない。森林警備隊は公務員とボランティアの混成部隊で、もとより警察権などは持っていない。最低限の事情聴取は慣例により任意で行われているが、ある程度、犯罪に関わりそうだと言うことになれば、あとは警察に引き継がれることになる。ということを、僕よりずっと語学堪能な、アッキーから後できいたのであって、とりあえず取り調べが済んだときは、アッキーにもう一度会えるのだろうか、と深い不安に駆られたのだった。 僕はパスポートをチェックされ、いくつかの質問に答えただけで、どうやら取り調べは終わったらしく、目線とボディランゲージで部屋を出るように指示された。 無愛想な、暖房がついてるだけが取り柄の、薄汚い廊下。 取り調べがあっけなかったので、アッキーはまだなのだろうと勝手に思いこんで、しばらく廊下に立っていた。 シンとしていて、他のどの部屋に誰が入っているのか、知る由もない。 ひょっとしたらアッキーはもっとはやく釈放されて、一人でさっさとどこかへ行ってしまったのかも知れない、そんな不安がよぎる。 あるいは、必要以上に長い時間がかかる何らかの理由を持っていて、いくら待っても出てこないかも知れない、そんな風にも感じた。 とにかく待とうと思った。 こんなところにいつまでも異国の男がたたずんでいる。そうすれば、関係者の誰かが声をかけてくるだろう。 それにしても、あまりにも迂闊だった。あれだけの人数がそれぞれ個室に入れられて取り調べを受けるわけだから、同じフロアとは限らない、ということに気がつかなかった。一階のメインの出入り口付近で待つべきだったのだ。アッキーはそのようにして玄関で僕を長い間待っていた。 実は僕のようにいかにも個室で取り調べを受けたのはほんの数人で、あとは事務室の一角をパーテーションか何かで仕切られた一角に順次呼ばれての取り調べだった。これも後でアッキーにきいて知った。何故、僕はじめ数人だけが取調室然とした個室になったのかはわからない。 ともかく、窓の外が夕暮れてきた頃に、「きみの連れは下で待ってる女の子じゃないのか?」と、声をかけてもらうことが出来た。 「バカねえ、私たちがそんなに取り調べに時間かかるわけ無いじゃないの。それともなんかヤバイことでも隠してんの?」と、アッキー。 「アッキーだろ、それは」 「みいんな、卒業」 アッキーの印象はすっかり変わっていた。 どこか、何かに飢えて、訳の分からない場所をさまよっていた。さまようことで精神のバランスをかろうじてとっていた。そんなアッキーだったのに。 今は? 普通の女の子。 年相応に、すれた部分と、純情な部分を併せ持つ、ギャルから大人の女へと変わったばかりの、少し扱いにくい女の子。 初対面が今のアッキーだったら、僕は彼女に、手を出したりなんかしなかったし、多分アッキーも僕なんか相手にしなかっただろう。 幸い僕は昔からアッキーと知り合いで、だから会話もできる。 僕は元々女性は苦手なのだ。あれこれつまらない妄想をするくせに、特定の波長のあった相手とでなければ、一歩も先へ進めない。雑談すら出来ないのだ。けれど波長があってしまうと、つい深い関係になってしまう。 ただしそれは、お互い「波長が異常にシンクロしてしまってこういうことになったけれど、そこには取り立てて意味はない。あえていうなら、傷のなめ合いのようなもの」ということを理解しあっているから、とても楽な関係なのだ。 言葉で説明しなくても分かり合えて、何時間も無言で過ごしていても、少しも気詰まりじゃない。それがどんなに楽な関係か、想像できるだろう? 今のアッキーも、確かにその延長線上だけれど、そういう過去の延長線上ではなくて、今が初対面だったら、僕はきっと、何を喋っていいかわからないくせに、気詰まりなのがいやで、何か言ったりしたりしてあげないと退屈させてしまうんじゃないかとよけいな気を使い、それがかえって白けた空気を呼び、というわけでそれはそれとして、これ以上考えないようにしよう。 「少し、贅沢しようか」と、アッキーが言った。 「え、贅沢って?」 「近々日本に帰る、そう決心したら、二人とも結構お金持ちなんじゃない?」 「そうかもしれない。銀行に行かなくちゃいけないけど」 とっさに懐具合を勘定した。現金の手持ちは少ないけれど、トラベラーズチェックと、海外旅行用のキャッシュカード残高、それにクレジットカードでの予定利用額の残りをざっと勘定すると、それなりの額にはなりそうだ。 「暗くてよくわからないけど、結構大きな町だよ、ここ」 明日になれば、お金の算段には苦労しなくて良さそうだ。 「よし、じゃあ贅沢しよう」と、僕は言った。 ここなら贅沢にふさわしいホテルもあるような気がする。 通りすがりの人に尋ねて駅へ向かった。そして僕は気がついた。この町は首都ではないけれど、この国で唯一国際列車が停車する駅であり、この国で初めて僕が降りた町でもあった。都会なわけだ。駅はまだ存分に賑わっており、荷物を預けたり、ホテルのインフォメーションを受けたり、こざっぱりした服を買ったり、そういうことが全て駅の中で用が足りた。アッキーは美容室へ行った。僕は顔をごしごしと洗うだけで済まし、アッキーを待つ間に、インフォメーションで教えてもらったホテルを予約し、進められるままにディナーも注文した。支払いにクレジットカードが使えることも確認した。 そうしてタクシーでホテルに向かう僕とアッキーのいでたちとは、正装をといて現地滞在を楽しむ新婚旅行者のような感じだった。 通されたホテルの部屋は、居間と寝室が別々にあり、さらに小さいけれど書き物机が用意された書斎まであった。ユニットバスの他に、バルコニーには露天のジャグジーもあった。 レストランで用意されていたディナーは、現地の料理だったが、コースが組まれていた。場末の食堂やら自炊やらで今まで済ませていた僕は、少し反省した。一つの国で一度くらいは、国自慢とされる料理をコースで食べるべきだと思った。そのことによって滞在日数が少なくなっても、それだけの価値があると思った。逆に言うと、お国自慢料理の一つも食べずにただ節約を重ねて長い旅をすることに、どれほどの価値があるのか、と感じたのだ。 フロントではビデオの貸し出しがあり、日本のものもあった。こんな辺境の国だから、著作権問題などきちんと処理してるとは思えなかったが、お金を払って借りた。英語のビデオにはそれなりのバリエーションがあったが、日本のものは数が少なく、どういう基準で集めたのかわからない。 「紅の豚」「蒲田行進曲」「旦那は絶倫、奥様は不倫」「彗星の秘密に迫る」「忍者ハットリくん」などである。 どうもテレビ放映を録画したものが混じってるような気がしたが、日本からの旅行者がホテルに置いていったのだろうか? よくわからないが、明らかに劇場用とわかるアニメと、それからポルノらしきものを借りた。蓋を開ければ裏ビデオだったのには驚いが、僕たちは仲良く鑑賞し、それから実習をした。 それから二人でジャグジーに入った。 ぬるめに温度を設定して、夜空を一緒に見上げた。 「肌、前より、少し綺麗になった? 気のせいかな?」と、僕は言ってみた。もしかしたら、アッキーは気を悪くするかも知れないな、とも思った。 アッキーはそれには答えず、「もう一日、ここで過ごさない?」と、言った。 「いいけど」と、僕。 荷物を借りた宿には電話で事の成り行きを説明してある。いつまでたっても帰ってこないので心配したが、連絡をもらってホッとした。無事だったらそれでいいよ。そう返事をもらっているから、一日や二日の滞在は問題ない。 「わたしの肌がね、ボロボロだったのは、クスリの副作用らしいの。中毒にならないって、ふれこみだったんだけど、やっぱり少し、癖になってたみたい。今でも少しほしくなるの。あと一日できっと元に戻れると思う」 「わかった」と、僕は言った。 「じゃあ、明日は、日本人観光旅行者らしく、観光タクシーでも頼もうか」 「うん」と、アッキーは言った。 でも僕は、心の中では別のことを考えていた。 アッキーをむしばんだクスリが、どういう種類のものかは知らないけれど、僕が惚れたのは明らかに中毒症状のアッキーだったと思う。そうして、クスリからさめたアッキーは、どこにでもいる、心を鎧で覆った普通の女の子になってしまうのだ。 |
帰国。 僕とアッキーは、同じ飛行機で日本に戻った。 僕は一年間有効のオープンチケットだったので、現地発の空港が限定されてしまっていたが、アッキーは元々片道で来ていたので、僕に合わせることが出来たのだ。 僕たちはこの旅の最後になる都市で、一週間ほど過ごした。 そこで毎日のように町をほっつき歩き、日本までの安い航空券を売っている店を探した。 その途中で、気に入った喫茶店やレストランや美術館やデパートやおみやげ屋さんやポルノショップに入り、公園や路地や河原やビルの谷間を散策し、ベンチや路上や駅の待合室や図書館に座った。 宿は相変わらずの安宿である。 朝食は、スーパーで買ってきたパンやシリアルですませた。アッキーが毎日紅茶を入れてくれた。僕は最初は何も入れずに飲んだが、アッキーの真似をして牛乳と砂糖をたっぷり入れたらこれが美味しくて、やめられなくなった。 昼は町中で食べた。初めての食堂やらスタンドばかりだった。 夕食は、宿のそばの食堂に毎日通った。3日目から常連扱いだった。 「注文するのは面倒くさしから、適当に出してよ。予算は、この格好を見れば、おおよそ見当がつくだろう?」と3日目に言ってみたら、兄貴、という風貌のマスターが、たいそう気に入ってくれた。 「店も俺も信用してくれるってんだな。よっしゃ、まかせとき」 言葉は全く理解できなかったが、そんなことをいったんだろうと思う。それで毎日違ったメニューで、量も質も値段も満足するものを出してくれた。 アッキーのためのまずまずの値段の航空券が見つかったので、僕の帰りのチケットも見せて、一緒に予約をしてもらった。 最後の夜、アッキーは携帯電話を充電した。日本と同じ100Vだったので出来た技だ。 「日本に着いたら、すぐ留守電をチェックしなきゃ」と、アッキーは言ったが、携帯電話のメッセージは確か何日間かほったらかしておくと、自動的に消えてしまうのではないだろうか、と僕は指摘してみた。 「いいのよ、別に。最近のだけチェックできれば」 僕はアッキーの目を盗んで、その携帯の番号を控えた。携帯電話の場合、ある操作をすると、その電話の番号が表示される。 帰国の日、大きな荷物を郵便局へ運び、SAL便でそれぞれ自宅に送る手配をした。 SALとは、航空便と船便の中間ぐらいの料金で、航空便を使えるシステムだ。ただし、荷物室に余裕がないと載せてもらえない。いわば、荷物のキャンセル待ちだ。それでも船便より早く確実に届く。急ぐ荷物ではないが、旅の思い出が詰まっており、出来るだけ早く受け取りたい。 衣類は、ほとんど処分した。持ち帰るものは、きちんと洗濯をしてからパッキングした。 そうして慌ただしくその日を過ごし、落ち着いたのは離陸してからだった。 飛行機の中で、お互いの連絡先を交換した。 僕は初めて、アッキーの本名を知った。アッキーとはなんの関連性もない名前だった。 「アッキーはね、漢字で悪鬼と書くのよ」 「なるほど」 ぼくはつい納得してしまった。 携帯の番号も書き添えてあった。 着陸を間近に控えた時、アッキーがつぶやいた。 「私たち、日本ではどんなつきあいをするんだろう。それとももう逢う事なんて無いのかなあ」 「そんなことないよ。逢えるよ。逢おうよ。電話するから」 「そんなこと言っても、いるんでしょ、彼女」 「....いるけど....」 「それでもわたしと逢える? デートできる?」 自信はなかった。けれど、僕は「できる」と言い切った。 「ダメだよ、そんなの。彼女に悪いじゃない」 哀しい台詞をきかされた思いだ。あまりにも普通で、あまりにも当たり前の発想。そんなのアッキーじゃないと思った。でもそのことを口に出せなかった。 「アッキーだって、彼氏、いるくせに」 「そうだね」 「アッキーはどう思ってるの?」っと、僕は少しムキになって小さく叫んだ。 「アッキーだって、『そんなの関係ない。私たちは特別だ』って、思ってるんだろ?」 「惚れたらダメ、愛したらダメって、言ってあったじゃない」 アッキーは、無機質な飛行機の天井を見上げて、そう言った。 アッキーの横顔は、恐ろしく整ったラインだった。 「じゃあこれだけ答えて。もう僕とは、逢いたくないの?」 「ううん。きっと、すぐ、逢いたくなると思う」 飛行機のアナウンスが、シートベルト着用しろ、リクライニングを戻せ、煙草は吸うな、と伝える。いよいよ着陸だ。 「未練がましく吸う」 アッキーが煙草に火をつけた。パッケージに残された、最後の一本だった。 程なくスチュワーデスが巡回してきて、煙草は着陸するまでご遠慮下さい、と言った。 「ごめんなさい」と、アッキーは言って、まさしく未練がましくもう一服吸ってから、灰皿にねじ込んだ。 |
「ズルズルと付き合っていこうか、修羅場だけど」 別れ際に残したアッキーの言葉を思い出しながら、僕は「即納」という看板の出た店で、携帯電話を買った。そしてアッキーにダイヤルする。 |