約束の場所は君のために
(3)夜の月をつかまえて





 僕はそれでも教習所に通っている。今日はバックでの車庫入れだ。
「わかる? 二つ目のポールがドアミラーの所に来たら、ハンドルを思い切りきる」
「はい」
「で、あそこの一旦停止の道路標識分かるね。それと、向こうのビルの角が一直線に見えたら、ハンドルを戻し初めて」
「はい」
「ゆっくり、ゆっくり戻すんだよ。そう、その調子。ほら、車体が道路に対して真っ直ぐになったろう? この時に、ハンドルも戻し終わっている、つまり、タイヤが真っ直ぐになっていなくちゃ行けないんだ。」
「.....」
「ほら、戻し方が足らない。いま慌てて戻しても、車体は道路に対して斜めになる。やり直し」
「はい」
 本当に教習所の指導はこれで良いのか? 一般道路にポールが立っているのか? どこに行っても同じように目標物があるのか?


「次の講義は?」と、ユキちゃん。
「次は、空き時間。その次は今日は休講。だから、もう今日はこれで終わりなんだよ」と、僕。
「ふうん、じゃあ暇なのね」
「まあね」
「じゃあ、付き合ってよ」
「どこに?」
「講義に」
「はあ?」
「出席だけすれば単位くれるんだって。でも、というか、だから、というか、出席には厳しいらしくて。でも、講義はつまらないし。お願い、隣に座ってくれてるだけでいいから」
「僕が隣に座ったからと言って、おしゃべりが出来るわけでなし、つまらないことには変わらないと思うけどなあ」
「いいからいいから」
 結局押し切られてしまった。


 出席の取り方は極めて単純で、かつ巧妙であった。
 教室前の廊下に行列が出来ていて、チャイムが鳴っても誰も教室に入ろうとしない。
 すぐに講師がやってきて、その講師からひとり一枚ずつ出席カードを受け取る。
「こうすれば、多めにとっておいて、次の時に誰かに提出を頼む、と言うことが出来ないでしょ?」
 しかも出席カードは学校が用意している所定の様式のものではなく、オリジナルだった。つまり、カードの配り方が比較的アバウトな講義の時に多めにもらっておく、と言うこともできないのだ。
「で、講義が終わったら、センセの持っている箱に1人一枚ずつ入れて、教室を出るの」
 遅刻をしたらどうなるのか。後ろのドアからこっそり入って、などということをすれば当然カードは手に入らない。
 だから直接講師からもらうことになるのだが、その時に「遅刻」というゴム印をカードに押されてしまうのだ。
 他に「早退」というゴム印もあると言うから念が入っている。
 カードを受け取って適当な席に座る。広い教室なので、後ろの方がまだ空いていた。
 その後どんどん学生が増えて、かなり盛況な講義のようだった。
「当然よ。試験の点数に関係なく単位がもらえる、けれど出席に厳しいという現実を見ればね」
 僕はなるほどと思いながら、「これ、あげるよ」と、出席カードをユキちゃんに渡そうとした。この講義を取っていない僕には不要のものだ。
「残念ながら、役に立たないの。裏向けてみて」
 カードの裏には、「鳥」と書いてあった。
「毎週書いてある漢字が違うの。先週は星。先々週は紅」
 オリジナルカードの上、裏にそんなことまで書かれていては、出欠のごまかしようがないだろう。
 カードを配りはじめてから全ての学生が席に着くのに、20分近くかかった。
 講義が始まると、さっそくユキちゃんはズボンの上から僕に触れてきた。
「やろ」と、耳元に口を付けてささやいてくる。
 最初からそのつもりで誘ったらしかった。教室は8割方埋まっている。やろ、と言われて、出来るわけがなかった。
「だから、手でなら出来るでしょ?」
 こんな人目のある場所で触られて興奮するわけがないのに、ユキちゃんの身体と僕の身体はすっかり馴染んでいて、僕は簡単に感じてしまった。
 こんな人目のある場所だから、興奮している自分に気が付きもした。
「ユキのも、触って」
 ユキちゃんは僕の耳の穴に息を吹きかけながらそっと言った。
 僕は彼女の太股に手を添え、スウッと軽くなでるようにしてスカートの中に手を潜り込ませた。
 ユキちゃんは下着を付けていなくて、ラブジュースがあふれていた。
「いつ、脱いだの?」
「最初からはいてない。だって、昨日の夜から、こんなことしたら感じるだろうなって想像してたから。はいてたら触りにくいでしょ。ここで脱ぐわけにもいかないし」
「いつもそんないやらしい事を考えてるの?」
「そう。わたしってこんな娘なの。便利でしょ?」
 便利でしょ? って。そりゃあないよ。
 僕はユキちゃんのことを、便利な性欲のはけ口だなんて思ってなんかない。やっぱり噂を知ったあとで彼女を抱いたことで、彼女は僕をそんな風に見ているのだろうか。それとも、おどけているだけなのだろうか。
 いや、このさいユキちゃんがどう思っているかなんて関係ない。自分自身がどうなのか、と言うことが重要なのだ。
 出会いからいままで、1人相撲であれこれ考えたことはあるけれど、結局僕は、積極的な意志表示や行動なんてしていない。何となく、そして、ごく自然に、彼女との時間を共有してきたに過ぎない。
 だから...。
 僕の思考を中断させたのは、ユキちゃんの吐く息の音だった。
 声が出そうになるのを大きく息を吐くことで制御しているらしい。
 そして、もうひとつ。
 僕の座っている椅子が、ドン、と下から蹴り上げられたのだ。
 椅子の下から蹴り上げる?
 トン、と今度は少し小さな衝撃が来た。隣の椅子、つまりユキちゃんの座っている椅子から伝わってきたものだった。
 僕たちの後ろに座っている誰かが足を伸ばし、僕とユキちゃんの椅子をしたから蹴ったらしかった。
 ユキちゃんが振り返る。
 そして、顔に「?」を描きながら、すぐにまた前を向いた。
 僕も振り返る。
 ユキちゃんが「?」を描いたのは、僕たちの後ろにいた人物に面識がなかったからなのだろう。ユキちゃんは椅子の下を蹴ることによって、自分たちに何か合図を送ってきたのだろうと思って振り返ったらしかった。でもそこには見知らぬ人がおり、しかもユキちゃんが振り返っても特に反応を示さなかったらしい。
 だが、一呼吸遅れて振り返った僕は、凍り付いてしまった。ユキちゃんは彼女のことを知らないのだろう。でも、僕は知っている。
 そこに座っていたのは、木立佐緒里だった。
 彼女が何らかの目的を持って、僕たちのすぐ後ろに座ったのなら、僕たちの行動を観察していたはずだ。
 後ろからでは僕たちの背中に視線を阻まれて、僕たちの手の動きを観察することは出来ないはずだけれど、もぞもぞと動くその姿からおおよそのことは類推できたろう。
 何らかの目的?
 嫌な感じがした。
 単に僕とコンタクトする機会をうかがっていた、というのならいいだろう。
 特に目的はないのだが、衝動に駆られて僕たちをつけ回していた、という線も考えられる。これは少し気持ち悪いけれど、危害を加えるつもりが無いのなら好きにすればいい。
 ただし、ユキちゃんへ接触しようというのなら、放っておけないような気がした。
 木立がユキちゃんに接触して、さあそれで、いったい何をしようとするのか、何を言おうとするのか、ちょっと予測がつかないのだけれど、背筋に悪寒が走るような悪い予感がする。
 ユキちゃんがそれで決定的に傷ついてしまうとか、あるいは、何らかの危害が加えられるとか。
 ユキちゃんは相変わらず僕にあれこれちょっかいを出してくるが、僕は恐怖感からすっかり興奮が冷めてしまった。
「どうしたの?」と、僕の身体の変化にきが付いたユキちゃんが言った。
「気づかれたかも知れない」
「後ろの人に?」
「そう」
「....ま、わたしは平気なんだけど、高安君がだめになっちゃったみたいね。もうやめとこうか」
「ごめん」
「バカ、謝らなくたっていいじゃない」
「そうかな....そうだな」
「そうだよ。キミはまだ見られて感じる境地に達してないんだから、もっと色々経験をつまなくちゃね」
 シモネタに徹底してくれるユキちゃんに、僕は少し救われたように思えた。


 講義が終わって、教室がざわめく。
 僕もざわめきの中で、ちょっと油断をしてしまったらしい。
 油断、というか、何かが終わって空気が変わるその瞬間、ふっと気を抜いてしまうことがある。誰だってそうだろう。
 その一瞬に、木立はユキちゃんに正対していた。
 しまった。木立の思惑がなんであれ、僕は講義終了と同時にユキちゃんをさっさと連れ去ってこの場を撤退しなくてはまずい、直感的にそう思っていたはずなのに。
 二人の会話が始まってしまった。
「堺さん?」
「はい。わたしですけど」
 この時、ユキちゃんは何の不審も抱いていなかったようだ。
「あの話、本当なんだってね?」
「え、あの話って?」
 やばい。ユキちゃんが誰とでも寝るという噂話。その真偽を木立は本人に確かめようとしている。
 確かめるも何も、木立はそれが「真」であることを既に確信している。その上で確かめようとしているだから、悪質な嫌がらせだ。
「誰とでも寝るんだってね」
 木立のその時の表情はまるで蝋人形のようだった。声にまで抑揚が無く、死体が喋っているかのようだった。
「あなた、女のくせにそんなことが訊きたいの?」
「え?」
「自分のことを抱かせて下さいって、男の人が言うのよ。嬉しいに決まってるじゃない」
「え、ええ?」
 蝋人形のようだった木立が、とまどいと驚きの表情を見せる。
「でも、誰でもいいわけ無いじゃない。向こうから好意を示してきた場合、その好意を受けるか、受けないかの主導権はこちら側にあるのよ」
「え、そ、それは、そうかも。。。。」
 何だか話が変な方向に行っている。
 木立は思い直したように険しい表情になった。
「だけど、それは身体だけが目的なのよ。そんな男に許すなんて、どうかしてる! タダの淫乱よ、変態よ」
 詰問すると言うより、自分の主張をうったえるといった感じだった。
「やれれば誰でもいいと思ってるような男の子、わたしは相手にしない。それぐらいわかる。わたしだからやりたいと思ってる人としかやらない。危ない性格だなと思わせる人もダメ。不潔そうな人もダメ。ルールが守れない人もダメ。後腐れを引きずる人もダメ。お金で買おうなんて言う人もダメ。わかる?」
「だけど、節操がなさ過ぎる!」
 木立は苛立ちを覚えているようだった。
「彼がいたら彼以外の人に抱かれたりしない。変な噂のせいで、彼なんてできなかったけどさ」
「でも、たくさんの人としてたんでしょ」
「人数を問題にしたいの?」
「恋愛感情もないくせに、そういう人とするのが汚らわしいって言ってるのよ!」
「羨ましいの?」
「え?」
「まあ、そうでしょうね。あなただったら、どんなに美人でも、頭が良くても、男の子が言い寄ってこないもん。」
 バシッ!
「痛ッてー!!!!」
 突然、木立の平手打ちがとんだ。ユキちゃんはそれを予想していたかのように、身体をひねってよけた。
 その手は、ユキちゃんのそばで間抜けヅラをしていた僕に、クリーンヒットした。
「あ」
 ほぼ同時に、ユキちゃんと木立が「あ」と、言った。
「行こう、高安君」
 ユキちゃんは僕の手を握った。言葉の応酬では気丈そうにやり合っていたユキちゃんだったけれど、僕の手を握る力は強く、そこには悔しさが込められていた。
「いいのか?」と、僕は言った。
「いいのよ。こんなバカで、ものわかりが悪くて、魅力が無くて、男にも相手にされないような女、わたしも相手にしたくない。恋のひとつも語れない女と会話しても始まらない」
 ひどい言いようだった。この時の木立は、何か言い返そうにも言い返せないぐらいの悔しさで、ただ歯を食いしばっているだけだった。


「さっきのは言い過ぎじゃない?」
「やっぱり? でも、精神的に上位に立っておかないと、あとあと面倒そうだったし。」
「うん。いいすぎだと思ったけれど、いい気味だとも思った。」
「一言も言い返せなかったもんね。いい気味だったね。」
「でも、痛かった」
「あははは。あれはね、わざとそうさせたのよ。怒らせたらきっと、手を出して来るって分かっていたから。そうでもしないと、話し終わりそうもなかったし」
「予想をしてた、それで、よけられたの?」
「そう」
「僕は予想できなかった」
「いいじゃない、たまには女の子に叩かれるのも」


 悪い噂は素早く広がるものだ。
 数少ない友達が僕に忠告に来てくれた。
「お前が付き合ってる子、堺さん、高校の時に誰とでも寝たって、言いふらされてるぞ。おまえは彼女に騙されてるとも。」
「別にいいんだ。彼女、魅力的だし、いろんな男に言い寄られたらし。彼女のことみんな狙ってたんだ。そのうちの何人かとは実際に付き合ったみたいだし。だから、やっかみ半分でそんな噂が流れることもあるよ。そんな恋多き女の子と、俺は付き合ってるんだぜ。お前も羨ましいんじゃないのか?」
「ばかばかしい。ま、お前がそう言うんなら、いいか」
「そう言うわけだから」
「噂、否定しておいてやろうか?」
「放っておけばいい。そのうち相手にされなくなる。相手にされない噂は消えていく運命だろ?」


 そうは言ったものの、噂の出所はひとつしかなかった。
 噂の一人歩きは放っておけばいいが、ニュースソースは断っておいた方がいい。
「どういうつもりだよ」
 僕は木立を呼び出して、問いつめた。場所は以前木立と会った住宅街の喫茶店だ。学校から少し離れているせいで、学生はめったに立ち寄らない。
「知らないわよ、そんなこと」と、木立は言った。
 まあ、そうだろう。わたしがニュースソースです、ごめんなさい、そんなことを木立が言うわけがなかった。それくらいなら最初から噂を流したりなんかしない。
「じゃあ、頼みがある」
「何よ」
「キミの耳にそういう噂が届いたら、否定しなくてもいい、相手にしないで欲しい。出来れば、『わたしはそんな根拠のない噂話は嫌いだ』とでも」
「根拠、あるじゃない」
「ないよ」
「あるよ。堺さんは認めたんだもの。たくさんの男と寝たって。それに、あなた私にそんなこと頼めた義理?」
 その通りだった。この頼み事をきいてくれと言う方が無理だ。
 木立は僕にフラれたのだ。しかも、誰とでも寝るというような女と天秤に掛けられて、誰とでも寝る女の方がいいと僕は言ったのだ。
 そして、誰とでも寝る女に、「お前は魅力がないから誰も相手にしてくれない」とまで言われて。
 しばらく沈黙が続いた。
 僕はもう方策が何もないことを悟るだけだった。木立が悪意を持って噂を広めるのであれば、ニュースソースを断つことは出来ない。
「いいわ」と、彼女が言った。
「いいって?」
「頼みをきいてあげる」
「ホント?」
「そのかわり、交換条件よ」
「きける条件と、そうでない条件がある」
「きけるはずよ。私とこれからデートして」
「え?」
「一晩付き合ってくれたら、何もかもこれっきりにしてあげる」
「一晩って、それはまずいよ」
「そのかわり、何もかもこれっきりよ。安いもんじゃない。そのかわり、あなたは苦しむのよ。好きでもない、むしろ嫌いな女と二人きりで過ごす時間。もしかしたら、一言も会話がないかも知れない。もしかしたら、さらに残酷な要求を突きつけられるかも知れない。でも、これっきり。」
「そんなことをして、キミに何の得がある?」
「私の気持ちは伝えたよね。だったら、わたしにもひとつぐらい共有する想い出があってもいいでしょ? それで全て吹っ切るから」
「わかったよ」
 なるほど、きいてあげなくちゃいけない条件かも知れなかった。悲しい決意だなと思った。


 木立は車を持っていた。もちろん免許証も。僕は助手席に座らされ、彼女がハンドルを握った。どこへ連れて行かれるかさっぱり分からない。
 僕はいま教習所に通っているところだと言った。
「運転させてあげようか」
「だから、免許、持ってないってば」
「事故ってもいいよ。高安君と二人なら。それで天国へ行くの。でも、最後の最後の分かれ道で、高安君だけ地獄へ舞い戻るのよ。私を振ったかどで。」
「よしてくれ」
「そうね、やめましょ。まだ、ローンも残ってるし」
 思ったほど気詰まりではなかった。カーステレオから流れる歌詞の分からない外国のポップスが僕たちを慰めてくれているようだった。
「海へ行くわ」
「海?」
「そろそろ満月。天気もいいし。月がね、海に映るのよ。でも、波が揺らめくせいで、海に浮かんだ月はぐにゃぐにゃなのね。私はあなたに、それを取って来てって言うの。」
「取ってこれるわけないだろう?」
「でも、あなたは行くのよ。夜の海に入るの。わたしは砂浜で待っている。やがてあなたは、月の浮かんでいるところに辿り着く。私は砂浜から見てるから、私の目には、月の浮かんでいるところとあなたがいるところが同じ場所に見える。でも、海の中のあなたの目には、月が浮かんでいるのは遙か先に見えるはず。」
「まあ、そうだな」
「私は大声で叫ぶの。そこに手を入れてつかめば、月がすくえるのよって。でもあなたは、どんどん沖へ行ってしまって、そして帰ってこない」
「また、ここでも地獄へ堕ちるのか?」
「そうよ。」
「どうして?」
「私を振ったから」
 小さなトンネルをふたつ抜けると、僕たちの目の前に不意に海が広がった。
「海だよ」と、。
 木立は「そうね」と言ったものの、車を走らせ続ける。
「どこまで行くの?」
「あせらないで。時間はたっぷりあるわ」
 僕たちは24時間営業の無人スナックコーナーに立ち寄った。
 自動販売機と、安物のテーブルと椅子、そしてトイレがある小屋だ。
 客も僕たちだけだった。
 僕はハンバーガーを、木立はカップラーメンを食べた。
「キスして」と、木立が言った。
「どうして?」
「どうして、なんて訊くのね? 堺さんだったら、すぐにしてたでしょう?」
「多分ね」
「教室でだって、エッチしてたくせに」
 やはり気づかれていた。
「私にも、想い出をくれるって約束したじゃない」
 キスをせがむ木立が可愛い女に見えた。
 やっかいごとを凝縮したような女だという印象はとっくに消えている。
 無免許運転をさせてあげようかとか、夜の海の月の話題とか、そんなことをしているうちに消えてしまったのだ。
 そこには全て「死」が絡んでいて、そのせいかもしれないと思った。
 僕は木立とキスをした。
 木立は僕を強く抱きしめてきた。
「こんな、いつ誰が来るか分からないところで、キスするなんて初めて」
「どんな気持ちがする?」
「ドキドキする」
 それから僕たちはまた唇を重ねた。激しいキスだった。ユキちゃんとのキスはいつだって甘いキスだった。
 木立はいつだってこんな激しいキスをするんだろうなと思った。
「浮気者。女だったら誰だって良いんでしょ?」
「そ、そんなことないよ」
「あるよ。私なんかとキスしといて、いまさら取り繕っても無駄よ」
 そうかもしれない。
「で、次は? 胸、触る? それともフェラしてあげようか?」
「いいよ、そんな。だめだよ。」
「今更何言ってるのよ、誰とでも寝るくせに」
 木立は僕のズボンとパンツを少しおろして、優しく握りしめてきた。
「ほら、こんなになってる。しゃぶってあげるから、口の中で出してもいいよ」
 こんな女だとは思わなかった。
 もっと固くて、面白みが無くて、融通の利かないつまらない女だと思っていた。
 普通に恋愛したりはしゃいだり笑ったり肌を重ねたり出来るような女には見えなかった。
 もしかしたら、ただ表現が下手なだけなのかも知れない。
 長い間木立はしゃぶり続けていたけれど、やがて「ずるい」と言って、フェラをやめた。
「私には何もしてくれないのね」
 僕は彼女のシャツのボタンをひとつずつ外し、ブラを取った。
 木立は上半身裸になった。
 さほど明るくない蛍光灯の下で、彼女の裸身は輝いていた。
 綺麗だと思った。
 美人だし、スタイルも抜群だった。大きすぎず、従って形がピンと整った乳房は神々しいくらいだ。
 いつも背筋を伸ばし、神経を張りつめて、だから近寄りがたい雰囲気を作っている彼女。それを象徴するかのような欠点のない美しさだった。
 僕は片方の胸を口に含み、もう片方の胸を手で揉みながら、空いた手で彼女の足の間をスラックスの上から刺激した。
 僕の下半身はズボンとパンツが中途半端に下がったというみっともない格好のままで、木立の手にもてあそばれた。
 僕の愛撫に強く感じたとき、彼女も強く握ってきた。
 声をあまり出さないかわりに、彼女は手で伝えてくるのだった。
「誰もいないよ。声出してもいいよ」
 木立は、ウン、と言った。けれども官能に揺さぶられた声を上げることはあまりなかった。
 彼女の性格がそうさせているのだ、僕はそう思った。
 ベッドの上で喚起の声を上げてもだえまくる事が出来るユキちゃんは幸せで、木立は何だかかわいそうな気がした。
 スラックスにまで浸みてくるぐらい、木立は激しく濡れていた。
 シミがどんどん広がっていく。
 でも僕がスラックスのホックを外し、ファスナーをおろそうとすると、イヤイヤをした。
「欲しくないの?」
「あなたがしたいだけでしょ?」
「僕はしなくてもいいんだ」
「ずるい」
 僕は胸からお腹、腰、背中と唇を這わせ、前と後ろから両手で彼女の股を激しく揺さぶってやった。
 ようやく木立も「あ、」とか「う、」とか声をあげはじめた。
 ときどき上半身をのけぞらせて、あああ〜、と長く絶叫する。
「して、して。早く入れて」と、切願する。
「このままじゃ入れられないよ」
「ぬがせばいいじゃない。脱がしてよ。ねえ」
「自分で脱げばいいだろう? 本当に欲しかったら、自分で脱げるだろう?」>
 別に意地悪をしているつもりはないのだけれど、彼女の中にある何か壁のようなものが、自ら欲望へ走ることによって、取り払われるのではないかと思ったのだ。
 考えれば、こんなことする必要は僕にはなく、さっさと服をはぎ取って、入れてしまえばそれで済むんだけど。


 美人だけれど蝋人形のように表情がない。
 学校で目にする木立は相変わらずだった。
 でも、あの夜、僕は確かに見た。
 ラブジュースを太股に伝わらせながら、ピクピクと小刻みに身体を震えさせ、立ったまま僕を受け入れた、官能と恍惚に包まれたとろけるような顔を。
 唾液を唇の端から流し、もっと、もっとと叫んだ木立。
 あまり清潔とは言えないテーブルだったので、僕がその上に横になり、彼女は靴を履いたまま僕の上に座った。
 木立は欲望のままに腰を動かし、イク、イク、とか、こんなの初めて、とか何度も叫んだ。
「あのときはおまえのこと、随分いい女だなあと思ったのに、相変わらずムッツリしてるんだね」
「あんな恥ずかしい姿、そうそう見せられないじゃない」
「恥ずかしい姿を見せ合うから、心も深く通じるようになるんじゃないか」
「高安君とは、通じたような気がする」
「バカなこと言ってないで、さ」
「忘れられないの。もう一度、抱いて下さい」
 お、おいおい。
 


 
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