約束の場所は君のために
(4)秘め事は太陽の下で





 いよいよ卒業検定である。
 緊張した。とてつもなく緊張した。
 だが、緊張とは裏腹に、それはあっけなく終わってしまった。
 一発勝負であるから、「失敗した」からと言って、注意を受けてもう一度やり直す、と言うわけに行かない。
 ただ、その場で減点されるだけである。減点が重なれば検定中止だ。
 しかし、ひとつひとつをクリアしてしまえば、「よし、この調子で、もう一度」なんて事もない。それで終わりである。
 緊張の連続ではあるけれど、安堵の連続でもある。
 直線道路では、あっけないほど何もすることがない。
 カーブ、制限速度、一旦停止、踏切通過、坂道発進、S字、クランク、車庫入れ、その他諸々。その度に安全確認をしたりウインカーを出したり、何で教習所ではあんなに忙しいのかと思う。もちろん狭いからである。
 途中で検定中止を申し渡されることもなく、ゴールへ着いたことから考えて、どうやら合格と思って良さそうだ。
 しかし、油断できない。
 正式発表までもう少し待たなくてはいけない。


「ねえ、わたしって、そんなに魅力ない?」
 ラブホテルの一室である。木立は大きな鏡の前で、くるくると回った。彼女の身体に合わせて髪がサラサラとなびく。鏡の前で全裸。無邪気にはしゃぐ木立は、まるで草原をかける少女のようだった。少女は大人になり、無邪気さを失うけれど、何もかもさらけ出せる場所ではやはり少女に戻ることが出来る。彼女はそれを「開放」と呼んだ。あなたとセックスしていると、何もかもが開放されるのだ、と。
 木立はあの夜以来ときどき僕にセックスをせがんだ。僕はそれに応じた。
「お前が魅力的なのは、セックスの時だけだ。いやらしい事をしたり考えてたりしているときだけだ。普通にしていたら、ただの綺麗なだけの女だ。何も感じない。」
 僕は正直に言った。
 ひどい言い方をしている。同じ事を表現するにも、もっと他に言い方があるはずだ。でも、そうすることで木立は喜んだ。
「でも、あなたとだけなのよ、こんな気持ちになれるの。他の人とじゃこんなに気持ちよくないの」
 僕たちは寝る度に同じような会話を交わした。
 こうすることによって、木立は特別な関係を確認し、そして維持しようとしている。
 木立は僕との初めてのセックスのあと、何人かと寝たらしい。
 これだけの美貌があれば、ナンパされるのはわけない。でも、それっきりだし、つまらなかったという。
 その場限りのナンパならともかく、キャンパスのように何度も何度も、あるいは毎日、顔を合わすとしたら。何を楽しみに生きてるのか分からないような無表情女に近寄りたいとは思わないだろう。
 いいかげん重荷だった。僕にはユキちゃんがいるし、いつまでもこんな事をしているわけにはいかない。
 僕は木立の方から離れていくようにし向けようと思った。
「これ、見てみなよ」
 僕が手渡したのは、投稿写真を集めた雑誌だった。
 投稿写真、といっても、それはエッチなプライベート写真だ。
 単にベッドで戯れているシーンもあれば、女の子をモデルに過激なポーズをとらせたものもある。
 野外での写真もある。夜の公園や車の中、非常階段らしきところ、エレベーターの中、屋上。
 裸の上にコートを羽織って人混みの中に出かけ、ぱっとコートを一瞬はだけたところを撮ったもの。
 廃屋のシーンや放尿のシーンもあり、退廃的な甘美さがそこにはあった。
 木立はちょっと引いたような顔をした。
「これ、目の所に線が入っているけど、分かる人が見れば分かるかもね」とか
「普通の感覚じゃないわ、これ。こんなとこで、こんなこと。それを写真に撮るなんて」など、ページをめくりながら言った。
「何で、こんなことするんだろう?」
 そう言いながらも、次々とページをめくった。
 ページをめくる手が時々止まった。記事を読んでいるらしかった。
 そして、木立は言った。
「これなら、わたしにもできるかも知れない」
 え?
「ほら、ここ」
 そこには、ノーパンミニスカートでデートしたことが書かれていた。記事は女性側からの視点で、彼のたっての要求に応えたのだけれど、実は自分も前からやってみたかった。彼以外の人に見られるかもしれないと思うとそれだけで興奮した、彼はどんどん見せてやれと言った、昇り階段でお尻を押さえたら彼に叱られ後ろからの視線にまた濡れた、そして気が向いたらどこでもやった。
 とまあ、そんな記事である。
「これ、少し分かるような気がする」
 木立は「誰かに見られるかも知れないと言う興奮は、確かに分かる」と言う。海での24時間無人スナックコーナーでのことを思い出しているのだろう。
「やってみろよ」と、僕は言った。
 この本を木立に見せたのは、僕も木立に同じようなことさせようと思っていたからだ。そして、きっと出来っこないと思っていた。やれない、やらないというと思っていた。
 それでも無理強いをして、そして嫌われる。そんな筋書きだった。
 まさか自分からやりたいというとは、思ってもみなかった。
 でも、それはそれでいいかも知れない。それで木立が明るくなれるのなら。
「さっそく明日からやれよ」
「明日から?」
 木立は眉間にしわを寄せた。
「明日出来なきゃ、いつまでも出来ないと思うけど」
「だって、明日は授業があるし、デートなんて」
「デートなんてしなくていいんだ。おまえがエッチな気持ちになっていれば。それで、やりたいと思ったら誰とでもやればいい。相手が見つからなければ、自分ですればいい」
「....ひどい」
 木立は今にも泣き出しそうだったけれど、僕は追い打ちをかけた。
「出来なきゃこれっきりだ。もう、逢わない。お前はつまらない女だ。興味なんて少しも持てない。」
 そうして、僕から去っていけばいい。木立は僕といつまでもこんな事をしてちゃいけない。
 かつてひどい男にあって、ひどいことを言われた。それだけでいい。
 あとは彼女自身の問題だ。
 時間はたっぷりある。時間が彼女を変えてくれるかも知れない。
 それに、僕は知っている。木立は「つまらない女」ではなく、「つまらなそうに見える」だけだったのだ、ということを。
 確かに実際つまらない面をたくさん持っている。でも、それは本当に彼女自身の問題なのだ。誰かがどうこうと言うことではなくて、彼女自身の。
 そして、相変わらず「つまらなそう」と見られ続けて、そういう第一印象が災いし、また彼女がその第一印象を克服することが出来ず、ずっと今のままなのだとしたら、それはそれでひとつの人生だ。
 僕が関与する事じゃない。
 木立は唇を噛んでいた。
 泣き出しそうになるのをこらえていた。
 そりゃあそうだろう。人に見られて興奮しろ、と言われているのだ。彼女のプライドがそれを阻止するだろう。
 僕はそういう性癖は、好きだけれど。


 同じ事を僕はユキちゃんに提案してみた。
「だめよ」と、ユキちゃんは言った。
「そんなこと想像しただけで感じてきちゃう。実際にしたら、感じすぎて立っていられなくなりそう」
 だそうである。


 次の日に会った木立はグレイのスーツ姿だった。
 スカートの丈は膝が見える程度で、投稿雑誌にあるようないかにもという短さではなかったが、取り澄ましたスーツ姿の中にいやらしい女が潜んでいると思うと、かえって刺激的だった。
 こんなスカートでは絶対覗かれることはない。前屈みになってもお尻が見えたりなんかしない。従って、ノーパンに気づかれることもない。
 それでも木立にとっては、彼女の精神を浸食するには充分だったようだ。
 ひとつの講義を彼女の隣に座って一緒に聞いていたのだけれど、彼女はいつもと違って全く落ち着きがなかった。
 遠くをぼんやりと見たり、かすかに「あ」と声を出したり、体をもぞもぞと動かしたり、ため息をついたりした。
「なにやってるの? ちゃんとノートとらなきゃ」
「気になるの」
「誰も気が付かないよ。もっともっと短いスカートでなきゃ」
「わかってるわよ。でも、気になるのよ」
「どうして?」
「だって、熱いっていうのかな、疼くっていうのかな、変な感じ」
「淫乱」
「ひどい。あなたがさせたくせに」
「無理に応じなくても良かったんだ。応じたっていうことは、そう言うことをやってみたかったんだ」
「.....」
「でも、なんか表情が艶っぽいよな。ずっとそうしてろよ。すごく可愛い女って感じがするよ」
「....あなたのためにしてるのよ。あなたがしろって言うから。」
「そりゃどうも」
「ねえ、約束守ったんだから、してくれるよね」
 木立は肩を寄せてきた。
「今日はダメだよ。ユキちゃんと約束があるんだから。それに俺はミニスカートって言ったんだ。それはミニじゃない。言われたとおりにしなきゃダメだ。それに、いやらしいことを意識してるお前は可愛いから、すぐに男、見つかると思うよ。我慢できなかったら、誰でもいいからやってもらえば?」
「...もう、どうしてそういつも、ひどいことばかり言うの?」
 木立はまた悔しさに唇を噛んだ。
 どうしてだろう。どうして僕は彼女にひどいことばかり言うのだろうか。彼女の前だと僕は自分の性格が変わってしまったんじゃないかと思うようなことを平気で口にしてしまう。
「お願い、ユキちゃんの後でもいいから」
「今日は泊まるからダメ」
「そんな。...」
 木立のスカートはサイドにホックとファスナーがあり、それで止められていた。僕はそこに手を出した。
「え、なに?」
「ここでならしてあげる」
「嘘、いやよ。こんなところで。みんなに見られる」
「大丈夫だよ。手でするだけだから」
「いや。やめて、お願い」
 木立は顔を机に伏せてしまった。
 僕はホックを外しファスナーをおろして、手を入れた。
「足、広げろよ」
「やめ、て、おね、がい」
 とぎれとぎれに哀願する木立だったが、手を足の間に滑り込ませると、自然と力が抜けていった。
 僕は愛液を人差し指ですくい取るようにして十分にぬらし、それをマメにこすりつけた。
 木立はあ、あ、あ、と声を出した。
 顔を伏せているので、それはまるで泣いているかのようだ。
 木立の息が荒くなってきたので、僕はそこでやめることにした。
「どうして?」
 木立が言った。
「おまえ、すぐ声を出すからダメだ。続きは講義が終わってからにしよう」
 僕たちは講義が終わると、古典文芸部の部室に行った。木立の所属するクラブだ。
 古典作品を読んだり研究したりするという倶楽部で、活動は派手ではなかったが、毎年必ず一定人数の部員が入り、それなりの活動をしているのだそうだ。
 部室の奥に書庫があり、そこでセックスをした。
「口に出すから、全部飲めよ」
「ええ? いやよ、そんなの。しゃぶるのだってあんまり好きじゃないのに、口に出されて、それを飲むなんて考えられない」
 拒否の姿勢を示したけれど、木立は僕に言われるとおりにするしかないのだ。
「イヤだったらこれっきりだ。僕にはユキちゃんがいるし、キミなんか必要じゃない。」
 脅迫のように聞こえるかも知れないけれど、もはやこれはひとつの儀式だ。
 木立自身がこうやってプライドをズタズタにされながらひとつひとつ従わされることに快感を覚えている。
 意を決したように彼女は何度か飲もうとし、飲みきれなくて吐きかける。ウグッとか何とかいいながら口を手で押さえ、また飲み込もうとする。
 ごっくん。
「飲んだわよ。これでいいんでしょ?」
「ああ」
 彼女は狭い書庫にしゃがみ込んだ。そして、顔を両手で覆って、泣いた。
「お前おかしいよ。そんなことで泣くなんて。最初は少し抵抗があるかも知れないけど、夢中になったら誰だってそれくらいのことはするよ。そんなんだから、せっかくナンパされても一回キリで終わりなんだよ。みんなお前とセックスしたって楽しくないんだよ」
  「そんなことないわよ。だって、ちゃんとできたじゃない。いいわよ、そこまで言うんなら、何でもしてあげる。あなたの望むこと、何でもしてあげる。本当に何だってしてあげるんだから。そのかわり、わたしのこと、ずっと見ててよ。」
「俺に彼女がいるの、知ってるだろう?」
「知ってるけど、関係ない」
「関係なくなんか無い。俺はキミのものにはならない。なれない」
「なるわ、そのうち。そのためには何だってする」
 やっかいなことになったなあと思いながら、「ならないよ。キミはユキちゃんには追いつけない。せいぜいセックスのおもちゃだよ」と、僕は言った。それを捨て台詞にして、この場はとりあえず立ち去ろうと思った。
「うん、おもちゃでいいの。それで幸せなの」
 でも、おもちゃでいいと言われて、僕はスケベ心がムクムクと起きあがるのだった。
 ユキちゃんとは別に、こういう女がいても悪くないな、と。


「木立さんと付き合ってるでしょ?」
 僕はユキちゃんにズバリ指摘されて、たじろいでしまった。
 どう返事しようかと考えている間に、「ほら、やっぱり」と、ユキちゃんは断定した。
 隠してもしょうがないか。何故かそんな気持ちになる。
 テーブルの上にはユキちゃんのお手製のビーフシチューとサラダが並んでいる。そして、ご飯におみそ汁。変な取り合わせかも知れないけれど、僕たちにとっては贅沢な晩餐だった。
「付き合ってるつもりはないんだけど、何度か。。。」
 何度か誘われてデートした、そう言うつもりだった。
「何度か寝たんだ。そういう奴なんだよね、きみは」
「どうしてそこまでわかる?」
「お。居直ったな。まあ、いいけどね」
「いいのか?」
「嬉しそうに言うな。ばか」
 こんな会話をしながらでも、食事が進む。ちっとも険悪にならない。何故だろう。
「悪いな、とは思ってるんだ」と、僕は正直に言った。嘘を言ったつもりはない。この時は確かに悪いなと心の底から思った。
「いいんだ、別に。わたしは何とも思ってないから」
 そこまで「いい」を連発されると、かえって気味悪くなる。大騒ぎされる方がまだ普通だ。
「何とも思ってないって。。。」
「っていうか、ちょっと仕方ないかなあ、なんて。わたしもエッチ好きだし。あ、でも、いまはキミだけだからね。」
「わかってるよ」
「だったらいいよ。少しぐらい。でも、浮気を認めてるわけじゃないからね。ちゃんと心はここにおいといてね。のめり込まないでね。最後にはわたしの所に戻ってきてね。わたしのこと、忘れないでね。置き去りに、しないで....」
「うん」
「早く、ケリつけて、別れてね」
「そうするよ」


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