友人から車を借りた。
免許は取ってもおいそれと車は買えない。
明日、ドライブに行こうと思う。
隣に誰を乗せるかは決めていない。
ユキちゃんも木立も誘っていない。
決めかねているのだ。
本当は誰と行きたいのか自分でもわからなかった。1人になりたかったのかもしれないと思う反面、誰かとセックスしたくもあった。
我ながらいい加減なヤツだなあと思う。
誰かと、というのなら、ユキちゃんに決まっていた。
僕はユキちゃんと共有する時間にかけがえのないものを感じていた。
心も身体もくつろぐことが出来た。
ユキちゃんと木立を比較して考えないと気が付かないのだけれど、木立といるとき、僕は明らかに緊張を強いられていた。それはそれで悪くはない。ひとつの娯楽ではある。だけどいつまでもそんな関係が維持できるとも思えなかった。
考え事をしながら慣れない車を運転していると、前の車との距離が空いてしまった。
アクセルを踏み込もうとしたとき、信号が黄色に変わる。
後続車が接近していないことをミラーで確認し、ブレーキを踏む。
何しろ借り物の車だ。そして僕は初心者だ。「下手に信号にビビルなよ。急ブレーキをかけたりしたらオカマ掘られるぞ。あ、信号が! と思ったときは駆け抜けた方がいい。但し、対向右折車がいるときは出来るだけ止まってやれ」
友人のアドバイスに僕は忠実に従おうと決心した。でも、オカマをほられる心配がないのなら、やはり止まった方がいいだろう。
ああだこうだと考えているうちに、目の前の信号が青になった。けれどもエンジンが何故か止まってしまった。
「あれえ?」
慌てない、慌てない。
エンジンなんてものはキーを回せばかかるのだ。
.....かからない。
もう一度。....かからない。何故だ?
「いやあ、ウチは車3台あるから、気にするなよ。親父のと、兄貴のと、俺のと。兄貴がずっと単身赴任で東京に行ってて、駐車場代もバカにならないってんで、置いていったんだよ。だから俺はずっと兄貴のを使ってるんだ。性能がいいから。んで、自分のは普段使ってないんで、遠慮なく借りてくれ。たまには動かしてやらないと機嫌損ねるし」
たまには乗ってやらないと機嫌損ねる?
すでに機嫌損ねてたのか?
つまり、しばらく整備もされずにほったらかしにされていた?
冗談じゃない!
後ろの車はクラクション鳴らしまくってるし、ええい、押して脱出だ。
幸い左折してすぐの所にバス停がある。歩道をえぐって、そこにバスが止まっていても走行中の車の邪魔にならずに停車できるようになっている。
バス待ちの客が並んでいるところを見ると、もうすぐバスも来るだろうが、それまでに何とかすればいいわけだし。
僕はシフトレバーをニュートラルにいれ、車から降り、そして、押した。
ああ、かっこ悪い。
パワステだからエンジンかかっていない状態ではハンドルは重いし、散々だ。
やっとたどり着いたバス停。
さてどうするか?
ボンネットを開けたところでわかるはずもない。
誰か知っている人がいたらイヤだなあ。
そう思った途端に、声をかけられた。
「あら、高安じゃない? どうしたの? 故障?」
クラスメイトの小林初音だった。
あちゃあ、勘弁してくれ。なんだって知り合いに逢うんだよ、恥ずかし。
「急にエンストして、それでエンジンかからないんだ。」
恥ずかしいけれど、ホッとしたことも事実だ。小林がメカに詳しいとは思えないけれど、ひとりよりふたりだ。心細さが少し解消された。
「エンジンがかからない?」
どれどれ、と小林は運転席に乗り込んで、シフトレバーをパーキングに押し込み、ブレーキペダルを踏みんがら、キーを回した。
あっさりとエンジンはかかった。
「あ、バスが来てる。動かさなきゃ。ほら、早く乗って」
いわれるままに僕は助手席に乗り込む。
何とかなって助かったのは事実だけれど、この上なくかっこわるい。
「そういえば、免許取り立てだって言ってたね。オートマ限定じゃないでしょ?」
「うん」
「やっぱりね。オートマ車は安全のために、手順を踏まないとエンジンかからないのよ。教習所でマニュアル車ばかり運転してると、つい忘れちゃうのよね」
「そうだったね」
僕は何故エンジンがかからなかったのか、小林の所作を見て、すぐに思い当たったのだった。シフトレバーはパーキング。そして、ブレーキを踏みながら。こうしないとエンジンはかからない。
「こうまで安全に気を使わないと動かないようになってるなんて、基本的にオートマは危険だということだな」
ふてくされて僕が言うと、小林はアハハと快活に笑うのだった。
「ところで、どこまで行くの? バスを待ってたんだろう? お詫びに目的地まで行っていいよ。僕はどうせ暇だから」
「いいのいいの。家に帰るところだったんだから。それより、暇ならお茶でもしない? あんた、汗びっしょりよ、少し休んだ方がいいかも」
「そうするよ。出来れば横になりたいくらいだ」
深い意味はなかった。無事に車が動いた途端、僕は正直ぐったりしてしまったのだ。
「そう。じゃ、ホテルに行く?」
ええ? なんでそう簡単にホテルなんて口にすることが出来るんだ。
「横になれるわよ」
しゃらっと言う。
僕が「任せるよ」というと、車は本当にホテルの駐車場に入っていった。
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